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美幌峠ににぎわい 道の駅 レストハウス新装開店

2022-04-22 | アイヌ民族関連
北海道新聞04/21 21:09

リニューアルオープンし、多くの人でにぎわった道の駅ぐるっとパノラマ美幌峠=21日午後0時25分(高橋義英撮影)
 【美幌】美幌峠の道の駅「ぐるっとパノラマ美幌峠」のレストハウスが21日、店内の改修を終えてリニューアルオープンした。新たなテナントを迎え、内装を一新。「道外や札幌からの観光客だけでなく、地元の人たちが訪れる場所となってほしい」(美幌商工会議所)との狙いがあり、新たな食事や特産品をそろえた。
 この日開店したのは、アイヌ民族の伝統料理を提供する飲食店「海空のハル」、「シメパフェ」文化を広める「ディップ&メリー」、セレクトショップの「可不可」。堀江貴文氏監修のパン店「小麦の奴隷」はこの日の開店は間に合わず「夏ごろにはオープンさせたい」(同店)意向だ。
 午前9時過ぎにオートバイで訪れた、根室管内中標津町の飲食店経営金野義三(こんのよしみ)さん(65)は「店内がきれいになりびっくりした。名物の揚げイモが引き続き販売されていてうれしい」とさっそく買い求めていた。営業時間は午前9時~午後6時。(青山秀行)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/672480

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判決は遺骨返還へ協議促す注文も 琉球遺骨返還請求訴訟

2022-04-22 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2022/04/22 05:15

© 毎日新聞 提供 琉球遺骨返還請求訴訟の判決を前に京都地裁に入る原告の亀谷正子さん(前列中央)、玉城毅さん(同左から2人目)、松島泰勝・龍谷大教授(同右から2人目)ら=京都市中京区で2022年4月21日午後1時29分、川平愛撮影
 昭和初期に旧京都帝国大(現京都大)の人類学者が、沖縄にある中世の墓所から遺骨を持ち出し、返還しないのは違法だとして、子孫に当たるとする地元住民らが京大に遺骨の返還などを求めた訴訟の判決で、京都地裁(増森珠美裁判長)は21日、「原告は遺骨の返還請求権を有しない」として請求を棄却した。一方、遺骨の処遇については「関係機関を交えて返還の是非や受け入れ機関を協議し、解決に向けた環境整備を図るべきだ」と付言した。
早急に対話での解決を
 琉球遺骨返還訴訟で京都地裁は原告住民側の請求を棄却する一方、返還を含めた解決に向けて他機関を交えた協議を促す注文を付けた。植民地政策下で収集された遺骨の地域返還を進める世界的潮流に沿った提案だが、同時に研究資料としての意義も強調した。
 今回の訴訟には、琉球併合から半世紀後の沖縄で旧帝国大の学者が実行した墓からの遺骨持ち出しと、地域独自の祭祀(さいし)の伝統を、日本の近代法で裁く難しさがあった。同様に研究目的で墓から持ち出されたアイヌ民族の遺骨を巡る一連の訴訟は、北海道大や東京大などと地元との間で和解が成立し、返還が実現している。
 だが京都大は、裁判長からの和解提案を受け入れなかった。判決は盗掘かどうかは明確に示さず、原告らは民法上の祭祀承継者に当たらないとする京大側の主張を採用した。
 国内外の遺骨返還に詳しい北大の加藤博文教授(先住民考古学)は「戦前の沖縄や北海道では幹部役人は和人で、その許可とは地元住民の口を封じる側面があった。旧帝大の権力も今の大学とは異なる」と指摘。「植民地主義政策の下で集められた遺骨は地域に返すのが世界の流れで、地元の同意なく研究にも使えない。法律以前に研究倫理の問題で、持ち続けるのは京大の国際的評価にとっても良いことではない」と語る。
 北大などで和解が進んだ背景には、アイヌ民族は独自の文化を持つ「先住民」と政府が認めていることがある。遺骨を出土地域に返還する指針も定められた。一方、国連人権委員会は2008年に沖縄の人々も先住民族と認めるよう政府に勧告し、今回の判決も琉球民族の心情への配慮を求めた。京大は司法の提案を踏まえ、対話での解決を急ぐべきだ。【千葉紀和】
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/e5-88-a4-e6-b1-ba-e3-81-af-e9-81-ba-e9-aa-a8-e8-bf-94-e9-82-84-e3-81-b8-e5-8d-94-e8-ad-b0-e4-bf-83-e3-81-99-e6-b3-a8-e6-96-87-e3-82-82-e7-90-89-e7-90-83-e9-81-ba-e9-aa-a8-e8-bf-94-e9-82-84-e8-ab-8b-e6-b1-82-e8-a8-b4-e8-a8-9f/ar-AAWsBhJ?ocid=BingNewsSearch

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廷内に響く怒号 琉球遺骨返還、訴え届かず原告は涙

2022-04-22 | アイヌ民族関連
毎日新聞4/21(木) 20:36配信

琉球遺骨返還請求訴訟の判決を受けて記者会見する原告の亀谷正子さん(中央)、松島泰勝・龍谷大教授(右)、玉城毅さん=京都市中京区で2022年4月21日午後4時24分、川平愛撮影
 「遺骨返還の声を無視し続けた京都大の姿勢を、司法が追認したに等しい」――。昭和初期に旧京都帝国大(現京都大)の研究者が沖縄県今帰仁(なきじん)村の「百按司墓(むむじゃなばか)」から持ち出した遺骨の返還を巡る訴訟で、住民側の請求を棄却した京都地裁判決。訴訟の先頭に立ってきた松島泰勝・龍谷大教授(地域経済論)は判決後の記者会見で涙を見せ、「遺骨が元の島に戻るまで闘っていきたい」と語った。
 「学知の植民地主義」。沖縄県石垣島出身の松島教授は、この言葉を掲げて闘ってきた。そこには二つの意味を込めていた。
 まず収集の経緯だ。遺骨は、京都帝大医学部の助教授だった金関丈夫氏や講師だった三宅宗悦氏が1929年と33年の2回、墓から持ち出した。上司の命に基づき、人類学の研究に人骨を使うための「大学ぐるみの盗掘だった」とにらむ。
 京大は金関氏の著書の記述から「県庁の担当者や県警察部長を通しており、違法な盗掘ではない」と主張した。松島教授は「日本の本土で同じことが許されるのか」と憤る。「しかも現地は1879年まで琉球王国で、併合後に設置された沖縄県は本土から来た役人が幹部を占める植民地体制下だった」と批判する。
 もう一つの問題が、返還の声に対する姿勢だ。同様に墓から研究目的で持ち出されたアイヌ民族の遺骨は2016年以降、北海道大などから故郷への返還が実現し始めた。「琉球人の遺骨も、本来あるべき場所に戻すべきだ」。松島教授は17年、京大に遺骨の確認を申し入れたが拒否され、話し合いのため事前連絡して京大を訪ねても、警備員を介して「会う必要はない」と門前払いされたという。
 京大側は、遺骨26体を保管していることを認めたが、返還の協議には応じず、やむなく18年に提訴した。
 松島教授は会見で「許しがたい判決だ。非常に残念で悲しい」と語り、涙を拭った。遺骨を京大が保管することを認める判決に、「遺骨は墓にあってこそ意味がある。沖縄県が本土に復帰して50年になるが、裁判所は私たちを人間と認めないのか」と憤った。
 「京大は自らの歴史を直視せず、その対応は今も続く植民地主義を表している」と訴える松島教授。「私たちは文化や言葉だけでなく、遺骨まで奪われて返してもらえない。負けるわけにはいかない。控訴して闘う」と決意を込めた。
 ◇「裁判長、間違っています」
 「裁判長、間違っています」「理由をお願いします」。原告敗訴の判決が言い渡されると、法廷の傍聴席に集まった支援者らから怒号が飛んだ。
 判決は原告に遺骨の返還請求権そのものを認めなかった。理由の一つとしたのが、遺骨の帰属関係だ。
 原告らは沖縄の慣習に照らすと、「『百按司墓(むむじゃなばか)』に祭られた者の子孫に限らず、追慕者は誰でも祭祀(さいし)承継者になり、遺骨も帰属される」と訴えた。しかし、判決は「遺骨の帰属関係は明確に定められるべきもので、祭祀する不特定多数の人全員に帰属するとは言えない」と退けた。
 原告側代理人の丹羽雅雄弁護士は「これ自体が『大和的な判断』。不当な判決だ」と憤った。
 ただ、判決は付言で、原告らを「琉球民族」と表現し、遺骨の墓所への安置を願う心情にも寄り添う姿勢を見せた。丹羽弁護士はこの言及については評価し、「日本民族と異なるアイデンティティーを持つ民族だと認められたことは新しい」と語った。【千葉紀和、安元久美子、中島怜子】
https://news.yahoo.co.jp/articles/ca2aac3407e7b039d694d7fbe8827e368e61074e

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琉球時代の遺骨持ち出し 「子孫」らの京大への返還請求退ける 地裁

2022-04-22 | ウチナー・沖縄
毎日新聞 2022/04/21 14:40

© 毎日新聞 提供 琉球遺骨返還請求訴訟の判決を前に京都地裁に入る原告の亀谷正子さん(前列中央)、玉城毅さん(同左から2人目)、松島泰勝・龍谷大教授(同右から2人目)ら=京都市中京区で2022年4月21日午後1時29分、川平愛撮影
 昭和初期に旧京都帝国大(現京都大)の人類学者が、沖縄にある中世の墓所から遺骨を持ち出し、返還しないのは違法だとして、子孫に当たるとする地元住民らが京大に遺骨の返還などを求めた訴訟の判決で、京都地裁(増森珠美裁判長)は21日、「原告は遺骨の返還請求権を有しない」として請求を棄却した。一方、遺骨の処遇については「関係機関を交えて返還の是非や受け入れ機関を協議し、解決に向けた環境整備を図るべきだ」と付言した。
 原告側は控訴する方針。研究機関による遺骨の収集と保管の是非を巡る、初の司法判断とみられる。これまで、大学の研究者に持ち出されたアイヌ民族の遺骨返還を求める同種訴訟が複数起こされたが、返還を前提に和解が成立してきた。
 墓所は沖縄県今帰仁(なきじん)村にある「百按司墓(むむじゃなばか)」。1429年に琉球統一を果たした第一尚氏(しょうし)の貴族らが葬られたと推定されている。原告らはその子孫などとして、京大総合博物館(京都市)に保管された26体分の返還を求め、2018年に提訴していた。
 判決は、京都帝大の学者が1929年と33年、百按司墓から計50体以上の遺骨を研究目的で持ち出したと認定した。原告の一部は第一尚氏の子孫とも認めたが、沖縄の慣習に照らすと「墓を参拝しているからといって、『祖先の祭祀(さいし)を主宰すべき者』に当たるとは認められない」として原告側の主張は退けた。
 さらに「遺骨は信仰対象であると同時に、学術資料的・文化財的価値も有する」として、京大側が遺骨を保管する状況についても違法性はないと結論付けた。
 付言では、原告らを「琉球民族」と表現し遺骨を墓所に安置したいと願っていることについて「心情にはくむべきものがある」と理解を示した。一方で、原告と京大の間だけでは解決できない問題だとして、幅広い協議や環境整備を求めた。【藤河匠】
判決の骨子
・原告は遺骨の返還請求権を有しない
・原告らが琉球民族として祖先の遺骨を祭りたいとの心情はくむべきものがあるが、遺骨の処遇は原告と被告のみで解決できる問題ではない。関係諸機関を交えた協議で、解決に向けた環境整備が図られるべきだ
・被告による遺骨の保管は死者への畏敬(いけい)追慕の念を甚だしく害する不適切なものと認められない。学術資料的・文化財的価値のある遺骨の散逸などを防止する目的も不当といえず、不法行為は成立しない
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/e7-90-89-e7-90-83-e6-99-82-e4-bb-a3-e3-81-ae-e9-81-ba-e9-aa-a8-e6-8c-81-e3-81-a1-e5-87-ba-e3-81-97-e5-ad-90-e5-ad-ab-e3-81-ae-e4-ba-ac-e5-a4-a7-e3-81-b8-e3-81-ae-e8-bf-94-e9-82-84-e8-ab-8b-e6-b1-82-e9-80-80-e3-81-91-e3-82-8b-e5-9c-b0-e8-a3-81/ar-AAWqShA?ocid=BingNewsSearch

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琉球遺骨返還訴訟とは 遺骨の所有権の有無など争点に

2022-04-22 | ウチナー・沖縄
京都新聞4/21(木) 14:36配信

昭和初期に京都帝国大医学部の金関丈夫助教授が遺骨を持ち出した百按司墓。現在も墓にまつられた人の子孫らが拝礼に訪れる(2018年、沖縄県今帰仁村運天)
 琉球遺骨返還訴訟 戦前に旧京都帝国大医学部が研究目的で国内各地の少数先住民族などの人骨を収集。そのうち昭和初期に、沖縄県今帰仁村の古墳「百按司(むむじゃな)墓」から持ち出された遺骨の返還などを求めて、被葬者の子孫とされる住民ら京都大を相手取り、2018年12月に京都地裁に提訴した。訴訟では、原告側が主張する遺骨の所有権の有無や、百按司墓の「祭祀承継者」に原告が該当するかどうかが主な争点となった。同様の訴訟は、北海道のアイヌ民族の遺骨返還を巡り、民族団体が北海道大を訴えた裁判が、札幌地裁や旭川地裁などで和解が成立している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/121d9005d4b9b72bf6f271c4ff19b7a08ee5b38c

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ウクライナで食べたクリミア・タタール人のおやつ「チェブレキ」に挑戦!「旅人マリーシャの世界一周紀行:第324回」

2022-04-22 | 先住民族関連
週プレニュース4/21(木) 15:00配信

「チェブレキ」はでっかい揚げ餃子? サクサクの生地の中にはお肉が入ってるよ!
今回作るのは私がウクライナの旅で最初に食べた食事。メニューが読めずにほぼ値段だけで指差し注文したそれは、大きくて平たい揚げ餃子のようなもの。クリミア・タタール人の民族料理「チェブレキ」でした。
それでは「旅人でも簡単に作れるおうちで世界飯」第32回、はじまるよ!
チェブレキは味付けした挽肉をごく薄くのばした生地で包み揚げたもので、クリミア・タタール人の居住する地域や、東欧、トルコ、中央アジアなど幅広いエリアで人気のおやつ的存在。かつてはチェブレキを食べるためだけに、ウクライナから本場・クリミア半島を訪れる人もいたのだとか。
黒海の北岸に位置するクリミア半島は、国際的にウクライナの領土とみなされながらも、2014年にロシアに併合され、現在までロシアによる実効支配が行なわれています。
クリミア半島の先住民族であるクリミア・タタール人は、併合直前まで半島に24万人居住していました。しかし、プーチン政権による迫害を受け、併合後はウクライナへ亡命した人も多く、その中には首都キーウで新たな生活としてチェブレキ作りを始めた人もいたようです。
私がキーウに訪れた2018年、1週間前にアルメニアでスリに遭ってからはお腹に隠した500米ドルだけで生活していたものだから、ろくにご飯を食べていなかったし、底を尽きる現金を心配して節約が続いていました。もちろんビールも我慢です。しかしキーウでは日本からの送金を受け取ることができたので、
「久々にレストラン行くぜ!」
と鼻息荒く訪れたのが、口コミサイトで評判の人気店、首都キーウの2千軒以上のランキング中ベスト10に入るお店でした。中近東料理、東欧料理だという以上に深掘りすることもなく、旅人に優しい価格設定ということで即直行。読めないメニューから、値段と英語で書かれた材料だけで注文したのがチェブレキだったのです。
私は人生初のクリミア・タタール料理を味わっているとも知らずに無我夢中でサクサクのチェブレキにかじりつきました。食感の軽い揚げ物で、中に入っているジューシーで獣臭のある羊の挽肉がビールと相性抜群。そういえば突き出しはパンとフムスで
実はそのレストランはクリミアから亡命してきた人の店で、口コミサイトにもこんなふうに書かれていま「チェブレキお薦め。ロシアに占領されたクリミアを脱出したクリミア・タタールの亡命者たちが最近開いたお店です。 チェブレキがおいしかった。
(それでは、クリミア・タタール料理、さっそく作ってみましょう!
<材料> 8枚分
*生地
 ・小麦粉...200g
 ・水(ぬるま湯)...120ml
 ・塩...小さじ1弱
 ・油...小さじ1強
*タネ
 ・お好きな挽肉...120g
 ・玉ねぎ...1個
 ・塩、胡椒、お好きなスパイス...少々
<ポイント>
・小麦粉はふるいにかけておくといいよ!
・生地は耳たぶの硬さくらい。硬かったら水を追加して調節!
・挽肉は羊だと現地っぽいけど、牛でも豚でもなんでもOK!
・スパイスはお好みで。おすすめはクミン!
<調理>
1.生地の材料を全てボウルに入れひとまとめになるまでこね(耳たぶくらいの硬さ)、ラップで包んで1時間寝かす。
2.玉ねぎをみじん切りにして挽肉と混ぜ、塩、胡椒、お好きなスパイスで味付けをする。水(分量外)を足しゆるめのタネにすると現地のものに近くなります。
3.生地を棒状に伸ばしてから8等分にし、それぞれ丸め直したら麺棒で薄く伸ばす。
4.生地の上に半月型に薄くタネを塗り半分に折り畳み、端を指やフォークの先などで押してくっつける。(大きく平たい餃子を作るようなイメージ)
5.フライパンに揚げる用の油(分量外)を多めに入れて、両面をキツネ色になるまで揚げたらできあがり!
★YouTubeで実際の料理シーンも見てみてね!【】
<実食>
揚げ物ってなんかワクワクします。作っているときの音も良いですが、空腹をくすぐる揚げ油の香り。
お店で一緒に添えられていたおそらくサワークリームの代わりに、ヨーグルトを用意してみましたが、これにより異国情緒感アップ。ついでに見た目がシンプルすぎるのでパプリカパウダーを。パセリなんかを添えてもいいですね。
さっそく食べてみると、軽い食感とお肉と玉ねぎのシンプルでジューシーな具は、まさにおやつ感覚で何個でもいけちゃう。危険です。
現地のメニューにはお肉だけでなく、マッシュルームやチーズ、トマトなどさまざまな種類のチェブレキがありましたが、それもまた美味しそうです。
またチェブレキは調理方法が異なると、ヤンティクという名に変わります。ヤンティクは揚げずに乾いたフライパンで焼き、溶かしバターを塗ったもの。
実は私、一枚のチェブレキでは足りず、読めないメニューからもうひとつ指差し注文したのがヤンティクだったのです。「なんだこれ似たような料理だな」と思いましたが、それもそのはず。素材は同じものですから。
偶然にもウクライナで体験することができたクリミア・タタール料理は、亡命者たちの愛して止まない故郷の味でした。
レストランのFacebookページによると、ロシア軍がキーウ近郊から撤退した現在、店は徐々に営業を再開し、ボランティアで兵士や難民へ食糧を提供しているようです。
しかし、材料確保のための経済支援の不足により、はじめは400食ほど配っていた食糧も200食、100食へと減りつつあるため、募金を募ったり、チェブレキをヒーローにしたキャラクターTシャツを作成して資金を集め、支援活動を継続しています。
キーウの観光名所である「黄金の門」の前では、音楽の宴による「ウクライナへの祈り」が捧げられたそうです。飲食業やデザイナー、ミュージシャンやパフォーマーなど、それぞれ自分たちのできることで支援活動を行なっています。逆境の中でも小さな笑顔と大きな勇気をもたらしているのは、こうした人々の結束や助け合いなのだと感じました。
「全てが戻ったらクリミアに戻ります」という彼らの願いがどうか、叶いますように。
PRAY FOR PEACE!
★次回配信予定は5月12日(木)です。
●旅人マリーシャ(旅人まりーしゃ)平川真梨子。旅のコラムニスト。バックパッカー歴12年、125ヵ国訪問。地球5周分くらいの旅。2014年より『旅人マリーシャの世界一周紀行』を連載。Twitter【marysha98】 Instagram【marysha9898】 YouTube【】
https://news.yahoo.co.jp/articles/22395f708a9273c928ab67b86f840c5bdea708a6

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