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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

アイヌ新法案、通常国会に提出 「先住民族」明記

2019-01-14 | アイヌ民族関連
日本経済新聞 2019/1/13 21:00
政府は北海道などに居住するアイヌ民族関連の政策を推進するための新法案を今月下旬に召集予定の通常国会に提出する。法案ではアイヌ民族が「先住民族」であることを日本の法律上初めて明記する。アイヌの観光促進や地域振興などを継続的に推し進める施策を盛り込む。
アイヌ民族の文化伝承や観光振興を後押しするため国から市町村に配る新たな交付金を創設する。アイヌ文化のブランド化や観光プロモーションなど文化の発展に資する事業を支援する。19年度予算案に10億円を計上した。
アイヌの伝統文化を継承するため、規制も緩和する。アイヌの伝統的儀式などの場合に限り、河川でのサケの捕獲や国有林での林産物の採取をしやすくする。アイヌの工芸品の商標登録の出願手数料の軽減措置も盛り込む。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3998221013012019PE8000/

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命がけでも他に選択肢がない…ロブスターを捕るカリブ海の漁師たち

2019-01-14 | 先住民族関連
ライブドアニュース 2019年1月13日 10時0分 NewSphere

減圧症の恐怖、命を賭してロブスターをとるホンジュラスのダイバーたち
 ソール・ロナルド・アチリアーノ氏はそのとき、ホンジュラスに面したカリブ海沖でロブスター漁に励んでいた。透き通る海に潜っていた彼は突如、圧迫感と体の痛みに襲われた。「これがミスキート族の仲間たちの命や体の自由を奪ってきた病か」と、彼は悟った。
「海の底で、私は圧迫感に襲われました」と話す45歳のアチリアーノ氏は、ミスキート族の漁師だ。彼は25年間にわたって、ロブスター漁に携わってきた。ここで獲れたロブスターは、その多くがアメリカに輸出されている。
 ホンジュラスとニカラグアにまたがるモスキータ地域では、何千人もの男たちがロブスター漁で生計を立てる。そしてアチリアーノ氏同様、何百人もの漁師が減圧症に襲われている。減圧症とは、水中深くから急激に水面に上昇することにより、体内に窒素の気泡が発生するものだ。気泡が血液中に発生すると血栓ができ、麻痺を引き起こすほか、最悪の場合死に至ることもある。
 ホンジュラスの人口は900万人ほどだが、そのうち60%が貧困生活を送っており、ラテンアメリカでも最貧国の1つに数えられる。モスキータ地域もまた、最も貧しい地域の1つだ。
 カリブ海沿岸に沿ってエキゾチックな熱帯植物が茂るこの地域には、小さな漁村が点在し、先住民族が羽目板張りの家で暮らしている。村の子供たちのおもちゃは、手作りのトラックだ。ジュースの空き容器で作った車体を、ペットボトルのふたを利用した車輪で転がす様子から、貧しさと同時に子供たちの純真さが伝わってくる。大人たちの多くは、貧困と闘うため、潜水漁師になる以外に選択肢がない。それがどんなに危険な仕事であっても、だ。
 モスキータ地域では、ダイビングが日々の生活に浸透している。カウキラの漁村では、教会が信者に集合の合図を送る際、通常のベルの代わりに潜水漕のハンマーを打ち鳴らす。
 潜水技術の安全基準では、ダイバーが水面に浮上する場合、いきなり上がってくるのではなく、段階的に上昇するよう指示している。潜水中に体の組織に取り込まれた窒素を排出するため、そして1人あたりの1日の潜水回数を制限するためだ。
 しかしモスキータでは、できるだけ多くのロブスターを捕獲しようと競っているのが実情で、多くのダイバーが深く潜り、すぐに浮上した後、また獲物を求めて海へと戻っていく。彼らは数日間船の上で過ごし、潜水漁の合間には船上でカードゲームやおしゃべりを楽しむが、船には初歩的な安全装備しかないことも多く、タンクやマスクもたいていは年季の入った代物だ。
 どれだけの人が減圧症にかかったのか、詳細ははっきりしないが、このような小さなコミュニティにとって相当な人数であったことみてよい。
 ホンジュラス・ミスキート・ダイバー障害者協会の元会長であるジョージ・ゴメス・サントス氏は2018年12月、少なくとも2,200名ものミスキート族が今も船で働いていると話した。また、1980年からこれまでの間に1,300名以上が障害を負っているという。自身も車いすを使用するゴメス氏自身は、昨年だけでも14名が命を落としたと述べた。
 もう10年以上前のレポートになるが、汎米保健機構はモスキータ地方に約9,000名ものダイバーがおり、そのうち47%にあたる約4,200名が減圧症による障害を負っていると報告している。彼らのほとんどがその症状に苦しんでいたという。
 ダイバーの稼ぎは、ロブスター1ポンド(約450グラム)あたり75レンピラ(約360円)、ナマコ一匹当たり7レンピラ(約33円)ほどだ。ロブスターの捕獲量は1日平均4.5キログラム程度で、南北アメリカ大陸有数の貧困地区にとっては大きな儲けとなる。だからこそ多くの人が危険を冒し、そのために苦しむことになる。アチリアーノ氏もまた、事故に遭った9月まで、25年間何の問題もなく潜り続けてきたのだ。
 10人の子の父である彼は、船上で麻痺に苦しんだ。しかし、ボートが埠頭にたどり着いたのはそれから1日半後のことだ。それから仲間のダイバーが10ブロックほど車を走らせ、その地域最大の都市であるプエルトレンピラ市の病院へと運んだ。ここにはアメリカから寄贈された高圧室の設備がある。
 減圧症の治療には通常、高圧酸素療法が用いられる。しかし、海沿いの地域にはそのような設備が整った施設は少ないため、ダイバーは治療を受けるまで数日間待たされることも多く、それが治癒率低下につながっている。
「これまで事故に遭ったことはありませんでした」とアチリアーノ氏は通訳を介し、ミスキート族の言葉で語った。高圧室で3時間を超える治療を受けた彼の表情は、ぼんやりとして疲れ果てた様子だった。初期治療を受けたものの、回復の兆候はほとんど見られなかった。
 高圧室にはもう1人、28歳のミスキート族男性であるチャールス・チャーリー・メレンデス氏がいた。彼は16歳で潜水漁を始め、2017年11月に事故に遭った当日も、60ポンド(約27キログラム)ものロブスターを捕獲していた。
 彼は、9回にわたる治療を受けたが、いまだに回復していない。潜水漁で生計を立ててきた彼にとって、車いすなしでは動けないというのは、悪夢だ。
「まだ自力で立ち上がることもできません」と彼は言う。「長時間座っていることもできません。1時間もすると、体が痛くなります」
 高圧室を管理する理学療法士のセドラック・ワルダン・メンドーサ氏は、ダイバーは貧しさゆえに潜るしかなく、たとえ傷を負っても、また船に戻っていくと話す。
「町で彼らに会い、なぜまた潜るのかと尋ねたら、子供たちがおなかを空かせているから、と答えます」とワルダン・メンドーサ氏は言う。「子供がおなかを空かせている、と言われたら、それ以上何も尋ねる必要はありません」
 アチリアーノ氏やメレンデス氏は、ロブスター業界の中でも最も不安定な歯車の1つだ。2017年、ホンジュラスがロブスター漁で得た収益は4,000万ドル(約48億円)に達し、そのほとんどがアメリカ市場への売上によるものだ。
 アチリアーノ氏は、また海に戻るつもりだという。望んでいるのではない。他に選択肢がないのだ。
「もし回復したら、必要に迫られ、仕事もないわけですから、私は潜水漁に戻らなければならないでしょう」と彼は話す。
By RODRIGO ABD and MOISES CASTILLO, Associated Press
Translated by isshi via Conyac
http://news.livedoor.com/article/detail/15868151/

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【梅原猛さん死去】歴史観を根底から覆した「知の巨人」

2019-01-14 | アイヌ民族関連
産経WEST2019.1.14 02:56
 梅原さんの知的好奇心は森羅万象に及んだ。西洋哲学から始まり、日本古代史、アイヌ思想史、宗教、そして、歌舞伎と多彩な世界を最後まで縦横無尽に駆け抜けた。時には批判を浴びながらもこれまでの文明史観、歴史観を根底から覆す大胆な論は「梅原日本学」と呼ばれた。国際日本文化研究センターの設立にも尽力し多くの後進も世に送り出した戦後を代表する「知の巨人」だった。
 「学問とは西洋の学説を紹介することではない。勇気を持って仮説を打ち出し、実証することだ」。梅原さんは、いつもその言葉を口にしていた。
 梅原さんは、鬼籍に入っていた哲学者の西田幾多郎を私淑するかのように京大の哲学科に入学。当時、大学では西洋の学問を研究し、発展させる「祖述学」が一般的だったが、梅原さんは疑問を抱き、自分で原則をたて体系化することを考えるようになる。そんな梅原さんが、本格的に日本研究に打ち込んだのは昭和44年、学園紛争を機に立命館大学を去ったのがきっかけだった。その浪人生活中の3年間に書き上げた論文は梅原さんの名前を高めることになる。
 それは記紀論を執筆するうえで飛鳥・奈良時代の実力者、藤原不比等(659~720年)を調査するうちに、芽生えた古代史への疑問だった。
 藤原氏らによる政変で山背大兄皇子ら一族を殺害された聖徳太子の怨霊を鎮めるために法隆寺は建立されたという「隠された十字架」(46年)、宮廷歌人であり高官でもあった柿本人麻呂は、不比等と対立したことで流罪人となり刑死したと論じた「水(みな)底(そこ)の歌」(47~48年)を相次いで発表した。この2つは、法隆寺建立の謎を解き明かし、下級役人で早世したという人麻呂の定説を覆した。
 現在では、これらは「梅原古代学」「梅原怨霊史観」として高く評価されるが当初は、古代史や国文学の研究者からは反発、黙殺される。だが、時間とともに歌や建築物構造、仏像など徹底した現地調査と資料研究に基づいた梅原さんの説を多くの学者が受け入れるようになる。
 昭和53年には、「日本学の真のアカデミズム」をかかげ、日本文化研究所設立構想をまとめ上げ、仏文学者の桑原武夫さん、民族学者の梅棹忠夫さんとともに設立に奔走。文部省(現文部科学省)に何度も掛け合うが進展しないため、当時の中曽根康弘首相に直談判、創設が大きく動き出す。62年5月、国際日本文化研究センター(京都市西京区)が設立され、初代所長に就任。3期8年務め、その間、梅原さんを慕うかのように、河合隼雄さん、山折哲雄さん、芳賀徹さん、井上章一さんら日本の人文科学分野を牽引する人物が彩った。また海外からの研究者にも門戸を開き、ドナルド・キーンさんら優秀な人材も集まった。
 平成2年には、政府の脳死臨調の委員に就任し、「法律が人間の死を決めるべきではない。『死とは何か』という議論が十分になされていない」と少数派として法案に反対し続けた。
 また、「仏教は無用の殺生は許していない」として長崎県の諫早湾干拓や、三重県の長良川河口堰建設問題では反対を唱えた。
 平成25年5月には、米寿を記念した講演で「人類哲学序説」を出版したことに触れ、「私の尊敬する白川静先生は96歳まで生きられた。私もまだまだ長生きして、『本論』を書きたい」と話していた。
https://www.sankei.com/west/news/190114/wst1901140004-n1.html

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梅原猛さん、歴史・宗教・文学… 哲学にとどまらぬ視野

2019-01-14 | アイヌ民族関連
朝日新聞 1/14(月) 1:38配信
 「デカルトの『方法序説』によって私は学問の方法を学んだ。学問にはまず『疑い』がある。その疑いは、それまでの通説に対する深い疑いである。そのような長い疑いの末、直観的に一つの仮説を思いつく」
 12日に93歳で亡くなった梅原猛さんは米寿(88歳)の時の講演で、こう述べた。自らを哲学者と呼び、「すべてを疑い、権威に対して戦うことが哲学者の任務」と公言した。
 奈良・法隆寺は聖徳太子一族の怨霊を鎮める寺だと説いた「隠された十字架」(1972年)、柿本人麻呂は刑死したと主張した「水底(みなそこ)の歌―柿本人麿論」(73年)などは、まさに従来の常識や通説を疑い、覆すもので、代表的な著作となった。だが、たとえば怨霊という実証不可能なものに基づいて論じていく方法は、専門家からの批判、反論を盛んに浴びた。
 縄文論では、縄文文化が「日本固有のものでアイヌ文化と共通する」とした。日本文化を稲作とその上に成立した権威体制ととらえる従来説に対する革命的な論と評価される一方、文化の歴史的変遷を無視した「危険な日本賛美論」とする批判もあった。
 学者としての実証性の物足りなさを批判する声はあったが、それを差し引いても余りある独自の構想力は、多くの読者を獲得した。歴史、宗教、文学、美術などの領域を超えた視野の広さは、非常に専門化した学者ばかりが目立つ中、貴重な存在だった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190114-00000004-asahi-soci

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