東京新聞 2015年1月7日
(写真)関東ウタリ会のメンバー。左から今井さん、北原さん、丸子会長、八幡さん=東京都内で
首都圏に住むアイヌ民族でつくる「関東ウタリ会」が十七日、創立三十五周年を記念して「アイヌ文化と人権の集い」を東京都江東区亀戸のカメリアホールで開く。ウタリはアイヌ語で「同胞」という意味で、集いでは古くからの会員が「財産」と言う三十代の若手らが、アイヌ民族やアイヌ語、親となっての思いなどを語る。二部はアイヌ民族楽器の演奏がある。 (編集委員・小寺勝美)
会長の丸子美記子さん(58)=栃木県=や、古くからのメンバーの北原きよ子さん(68)=埼玉県、八幡智子さん(62)=千葉県、今井ノリ子さん(69)=静岡県=に、三十五年間の成果や課題などについて聞いた。
「関東ウタリ会」は、東京や関東地方に住むアイヌと家族の親睦、その権利を訴え、存在を理解させるため一九八〇(昭和五十五)年に結成された。初代会長の小川定蔵さん(故人)は「アイヌと知ると北海道と同じで嫌がらせ、好奇の目で見られた」と話していたという。本州でもアイヌは出自を明らかにしないことがあり「亡くなって無縁仏にならないようにという思いもあった」。
四人は三十代後半で都内の公共会館を借り、月二~三回、子連れで交流を始めた。「会場費より都内に出る交通費が高かった」「気が合わなくてもウタリと会うとほっとした」。小川さんの死後、会を担ったのは女性だった。「生活を守らなければアイヌの権利どころじゃないからね。それで『かあちゃん会』になっていった」
結成から数年後、都内のアイヌの実態調査を訴えるため、都議会各会派を回った。ある保守会派は「東京にアイヌ集落があったのか」「民族の服装で来い」などと放言。「じゃあなたは袴(はかま)に裃(かみしも)姿で公務をすれば」と返し、言い争いになったこともあった。
二〇〇八年、国会で「アイヌ先住民族決議」があり、アイヌについての副教材が小中学校向けに作成された。北海道は子ども一人に一冊配られているが、道外では「学校に一部配布されているぐらい。使われているかも分からない」。さらに「生活の苦しい家庭が多く、全国平均より進学率が低く、中途退学は多い。一方、奨学金や授業料免除制度も浸透していない」とも。
関東地方のアイヌは一一年の国の調査で二百四十一世帯三百十八人だが「実態はもっと多い」という。アイヌ理解はなかなか進まない。だが、四人が口をそろえて言うのは子どもの成長だ。「うっとうしく騒ぐなと言っていたのに、子を持つ親になると『アイヌ語や文化をおふくろから習わないといけないかなあ』と言い出した」。その子どもたちが集いで思いを語る。
会は現在、一九九七年に開設されたアイヌ文化交流センター(中央区八重洲二)などで活動している。集いは入場無料。問い合わせは、丸子会長=電080(3471)0953=へ。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/metropolitan/20150107/CK2015010702000177.html
(写真)関東ウタリ会のメンバー。左から今井さん、北原さん、丸子会長、八幡さん=東京都内で
首都圏に住むアイヌ民族でつくる「関東ウタリ会」が十七日、創立三十五周年を記念して「アイヌ文化と人権の集い」を東京都江東区亀戸のカメリアホールで開く。ウタリはアイヌ語で「同胞」という意味で、集いでは古くからの会員が「財産」と言う三十代の若手らが、アイヌ民族やアイヌ語、親となっての思いなどを語る。二部はアイヌ民族楽器の演奏がある。 (編集委員・小寺勝美)
会長の丸子美記子さん(58)=栃木県=や、古くからのメンバーの北原きよ子さん(68)=埼玉県、八幡智子さん(62)=千葉県、今井ノリ子さん(69)=静岡県=に、三十五年間の成果や課題などについて聞いた。
「関東ウタリ会」は、東京や関東地方に住むアイヌと家族の親睦、その権利を訴え、存在を理解させるため一九八〇(昭和五十五)年に結成された。初代会長の小川定蔵さん(故人)は「アイヌと知ると北海道と同じで嫌がらせ、好奇の目で見られた」と話していたという。本州でもアイヌは出自を明らかにしないことがあり「亡くなって無縁仏にならないようにという思いもあった」。
四人は三十代後半で都内の公共会館を借り、月二~三回、子連れで交流を始めた。「会場費より都内に出る交通費が高かった」「気が合わなくてもウタリと会うとほっとした」。小川さんの死後、会を担ったのは女性だった。「生活を守らなければアイヌの権利どころじゃないからね。それで『かあちゃん会』になっていった」
結成から数年後、都内のアイヌの実態調査を訴えるため、都議会各会派を回った。ある保守会派は「東京にアイヌ集落があったのか」「民族の服装で来い」などと放言。「じゃあなたは袴(はかま)に裃(かみしも)姿で公務をすれば」と返し、言い争いになったこともあった。
二〇〇八年、国会で「アイヌ先住民族決議」があり、アイヌについての副教材が小中学校向けに作成された。北海道は子ども一人に一冊配られているが、道外では「学校に一部配布されているぐらい。使われているかも分からない」。さらに「生活の苦しい家庭が多く、全国平均より進学率が低く、中途退学は多い。一方、奨学金や授業料免除制度も浸透していない」とも。
関東地方のアイヌは一一年の国の調査で二百四十一世帯三百十八人だが「実態はもっと多い」という。アイヌ理解はなかなか進まない。だが、四人が口をそろえて言うのは子どもの成長だ。「うっとうしく騒ぐなと言っていたのに、子を持つ親になると『アイヌ語や文化をおふくろから習わないといけないかなあ』と言い出した」。その子どもたちが集いで思いを語る。
会は現在、一九九七年に開設されたアイヌ文化交流センター(中央区八重洲二)などで活動している。集いは入場無料。問い合わせは、丸子会長=電080(3471)0953=へ。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/metropolitan/20150107/CK2015010702000177.html