こんにちは、昨日に引き続いて被災地視察を行っている石井伸之です。
南三陸町にあるホテル「観洋」に宿泊し、目覚めてみると断崖絶壁に立つホテルであることが初めて分かりました。
ホテルの窓から海の向こうに南三陸町らしき街並みが見えるものの、鉄筋コンクリートの建物以外は無く、津波の恐ろしさを実感します。
朝食後、午前8時より南三陸町へ入り、本格的な被災地視察が始まりました。殆どのがれきは片付けられておりましたが、志津川病院内に入ってしまった車や病院の庇部分に乗り上げた漁船はそのままとなっていました。
そして、殆ど何も無くなってしまった町の中心部に、鉄骨造の防災対策庁舎が見えて来ました。既に壁面にあったと思われる部材はどこにもなく、へし折れたC型鋼が津波の方向と巨大なエネルギーであったことを物語っております。
建物の正面に設けられた献花台に全員で線香を上げ、亡くなられた方のご冥福をお祈りさせていただきました。中にはお経を唱えて亡くなられた方を弔っている方もおりました。
ここで最後まで津波からの避難を呼びかけて被災された職員の方を思うと、胸が押しつぶされそうになるほどの切なさで一杯になります。
防災庁舎の周辺にチリ沖地震での津波が2.4mであったと書かれている看板があり、16mと言われている東日本大震災での津波が如何に途方もないものであるか分かります。
所々地盤沈下しているらしく、防災庁舎の前を流れる川の水位よりも低くなっているところがありました。
その後は、バスで気仙沼へ向かいました。バスの車中でも津波被害の爪痕が残る地域があり、僅かな標高差で建物が全壊していたり、半壊であったり、殆ど無傷であるように明暗が分かれている姿を見るたびに胸が苦しく言葉にできません。
気仙沼にあるホテル「観洋」屋上に上がり、そこからの光景は南三陸町に比べて、湾内であることや大島という大きな島が自然の防波堤となってくれたために、津波の力が弱まったと聞いておりますが、それでも津波の高さは6mを超えたそうです。
さらに、魚市場周辺は地番沈下があり、引き潮でさえもあと数十センチで波が上がってくるのではないかと見えました。
震災直後は火災にも悩まされ、あちこちで火の手が上がり、消火作業もままならず、燃え尽きるのを待つ状態だったそうです。
震災から8か月を経過し、津波に襲われなかった地域は今までの生活を取り戻しつつあるように見えますが、その反対に津波に襲われた地域の復興には時間がかかるように思います。
被災者の生活再建に向けて、政治が一丸となって取り組むことが必要であると感じると共に、観光地である松島や中尊寺に大勢の観光客が来ており、以前と同様の賑わいを見られたことはホッとしました。
この貴重な経験を忘れず、もしも国立市が巨大地震に襲われた際の防災対策を向上させるように努力したいと思います。
南三陸町にあるホテル「観洋」に宿泊し、目覚めてみると断崖絶壁に立つホテルであることが初めて分かりました。
ホテルの窓から海の向こうに南三陸町らしき街並みが見えるものの、鉄筋コンクリートの建物以外は無く、津波の恐ろしさを実感します。
朝食後、午前8時より南三陸町へ入り、本格的な被災地視察が始まりました。殆どのがれきは片付けられておりましたが、志津川病院内に入ってしまった車や病院の庇部分に乗り上げた漁船はそのままとなっていました。
そして、殆ど何も無くなってしまった町の中心部に、鉄骨造の防災対策庁舎が見えて来ました。既に壁面にあったと思われる部材はどこにもなく、へし折れたC型鋼が津波の方向と巨大なエネルギーであったことを物語っております。
建物の正面に設けられた献花台に全員で線香を上げ、亡くなられた方のご冥福をお祈りさせていただきました。中にはお経を唱えて亡くなられた方を弔っている方もおりました。
ここで最後まで津波からの避難を呼びかけて被災された職員の方を思うと、胸が押しつぶされそうになるほどの切なさで一杯になります。
防災庁舎の周辺にチリ沖地震での津波が2.4mであったと書かれている看板があり、16mと言われている東日本大震災での津波が如何に途方もないものであるか分かります。
所々地盤沈下しているらしく、防災庁舎の前を流れる川の水位よりも低くなっているところがありました。
その後は、バスで気仙沼へ向かいました。バスの車中でも津波被害の爪痕が残る地域があり、僅かな標高差で建物が全壊していたり、半壊であったり、殆ど無傷であるように明暗が分かれている姿を見るたびに胸が苦しく言葉にできません。
気仙沼にあるホテル「観洋」屋上に上がり、そこからの光景は南三陸町に比べて、湾内であることや大島という大きな島が自然の防波堤となってくれたために、津波の力が弱まったと聞いておりますが、それでも津波の高さは6mを超えたそうです。
さらに、魚市場周辺は地番沈下があり、引き潮でさえもあと数十センチで波が上がってくるのではないかと見えました。
震災直後は火災にも悩まされ、あちこちで火の手が上がり、消火作業もままならず、燃え尽きるのを待つ状態だったそうです。
震災から8か月を経過し、津波に襲われなかった地域は今までの生活を取り戻しつつあるように見えますが、その反対に津波に襲われた地域の復興には時間がかかるように思います。
被災者の生活再建に向けて、政治が一丸となって取り組むことが必要であると感じると共に、観光地である松島や中尊寺に大勢の観光客が来ており、以前と同様の賑わいを見られたことはホッとしました。
この貴重な経験を忘れず、もしも国立市が巨大地震に襲われた際の防災対策を向上させるように努力したいと思います。