今日は「モナ・リザ展」です。
昨日、「モナ・リザ展」を見に行きました。「モナ・リザ展」といっても本物の「モナ・リザ」ではなく「向川惣一のモナ・リザ展」という展覧会です。
場所は石川国際交流サロンです。そこは大正末期に建築された純和風の民家を利用したたたずまいで、兼六園や美術館群等のある金沢の文化ゾーンの一角にあります。そこは以前から気にしていた施設でしたが、中に入るのは初めてでした。なぜ気にしていたかというと、そこの庭園の庭石マップを見た事があり、石への関心から気になっていました。昨日は庭にも入って庭石を見ました。
私は一時、広い意味での愛石の感情から庭石にも興味を持った事がありましたが、今は正直、それほど興味はありません。庭石の世界は鉱物趣味とは似て非なるものです。庭石の世界は純粋に日本的な和の文化です。そこには日本独自の和の美意識があります。そこにあるのは侘び寂びも含めた和の美意識です。鉱物趣味はどちらかというとサイエンスに基づく西洋的な価値観から成り立っています。
昨日も庭園マップを見ながら、庭の石を見ましたが、それほど感動しませんでした。このような事は過去にもありました。名石が多いといわれた東京の清澄庭園に行った時もそうでしたし、京都の醍醐寺の藤戸石を見た時もそうでした。私はどうも庭石からは感動を受けないようです。
年をとってくると和の文化にも馴染んでくるものですが、和の文化の中にはどうしても違和感を感じるものもあります。その典型が「破袋」のようなやきものです。そのような美意識は正直理解に苦しみます。美とは何なのか?と疑問に思ってしまいます。
金沢は和の町です。和の文化は居心地が良いのも確かですが、西洋的な美意識とが混在するとどうしても違和感が生じてしまいます。
さて、「向川惣一のモナ・リザ展」です。そのモナ・リザの画面の両端には円柱がありました。向川惣一氏はレオナルド ダ、ヴィンチの構図法の背後には黄金比があったとしてモナ・リザのレプリカに左右7センチ、上下5センチのキャンパス地を付け足し、柱が描かれていた「本来の姿」を再現しておりました。そうする事によって絵の雰囲気が全く異なって見えて来ます。黄金比の存在は確かに説得力がありました。会場には有名な人体図(カノン)も置いてありました。それは黄金比で描かれています。
ただ、そのような西洋的な美の基準となる図が純日本的な和室に置かれていると、どうしても違和感を感じてしまいました。日本人は白銀比を好むといわれています。和の美意識が白銀比だとすると黄金比との混在には違和感が伴います。
昨日は和と洋、白銀比と黄金比、そのような事を考えてしまいました。