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鉱物の部屋へのいざない

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早朝散歩3

2019-07-12 12:20:06 | 日記・エッセイ・コラム
一昨日の定休日、梅雨晴れだったので、久しぶりに早朝散歩をしてきました。今回の散歩コースは金沢市の公式ホームページのウォーキングコースに出ていた湯涌地区1コースにしました。

湯涌温泉総湯「白鷺の湯」の駐車場を起点に、玉泉湖を一周して、氷室小屋の横の急な階段の散策路を登り、湯涌散策園を回ってくるというコースでした。昨今、熊出没のニュースが多いという事もあって、いざという時に備えて、自宅にあったゴルフ用の柄の長い傘(その昔、コンペの賞品でもらっていた物)を杖替わりに持って歩きました。その散策路、普段、誰も歩いていないせいか、落ち葉だらけで、あちこちにイノシシが掘り起こしたであろう穴が残っておりました。そして、散策園内で道を間違えてしまったせいか、出口にはカギがかかった柵が閉じられていたので、柵の下の狭い隙間から這いつくばって脱出しました。

帰り道、白雲楼ホテルがあったという公園広場があり、庭園内のあずまやの天井には、かつての写真が貼ってありました。

白雲楼ホテルは(建築年:昭和16年、設計・施工:大林組)は、かつて存在した豪華な温泉ホテルで、能登出身の実業家・政治家 桜井兵五郎が建てた別荘旅館でした。戦後、GHQが保養施設として接収したり(米軍は宮本三郎に食堂の壁画の製作を依頼、それが「日本の四季」という6点の連作)、昭和天皇・皇后が食事をとったことがあるなど、栄華を極めていたそうですが、1999年(平成11年)倒産し、廃墟化した為、2006年(平成18年)解体されたそうです。

私は白雲楼ホテルそのものも廃墟化したその後の姿も見た事がありません。かつての写真しか見た事がないのですが、もし、現存していたなら、廃墟の女王と称される神戸の摩耶観光ホテル並みの存在感があったであろうと想像します。

「近代建築再見」(山口廣+日大山口研究室=文、宮本和義=写真、エクスナレッジ発行)という本には「北陸湯の街の別荘旅館」というタイトルで、白雲楼ホテルが紹介されております。





今日の写真はその本にあったスパニッシュ・コロニアル様式のたたずまい。その中階テラスには、なぜか?石が置かれています。何となく戸室石のように見えますが、これは何で?何の為に?置かれていたのでしょうか?気になっております。

その日は、散歩で汗をかき、早朝から営業している「白鷺の湯」に浸かってから帰路に就きました。

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