いぬぶし秀一の激辛活動日誌

おかしな議員[わんちゃん]の激辛日誌です。日々感じたこと、活動報告、行政への提言など、本音で書き込む人気ブログです。

終戦記念日=平和祈念の日@靖国神社

2006-08-15 | Weblog
 今日は、終戦記念日。昭和47年の自衛隊生徒入学以来、日程さえ合えばこの日には靖国神社に参拝している。今日も、議会の定例委員会(毎月15日開催)を、10日に変更して頂いて参拝した。


 午前八時に、「靖国神社に参拝する地方議員の会」のお手伝い集合があったので、早めに神社に到着すると、なんと小泉首相が参拝された、というニュ-スが入って来た。いささか遅きに失したがよくぞ来られた。感謝!

 午前9時、小雨の降る中、60名余りの同志(地方議員の会)と、幟を揚げて参拝した。昨年同様、百人斬り訴訟の団体や日本会議のテントからは「ありがとう」「ガンバレ」「いぬぶし!」の声援を頂き、涙が出た。

 次は、師、西村真悟代議士と共に昇殿参拝である。ご存知のように、代議士は秘書の不手際から弁護士法違反の被告人である。どれ位の方がご一緒されるのか。集合時間の相当前から集合場所には、人、人、人である。多分500名は超えていたのではないだろうか。信念を持って立ち向かう勇者を応援する心意気を痛感したひと時だった。

 その後、大田区に戻り、区議会主催の平和祈念コンサートの実行委員として、CDの売り子をやり、最後は、平和祈念花火大会を支援者と共に、マンションの屋上から堪能した。

 戦没者の英霊に、平和の祈りと感謝の念が届くよう、ビールを頂戴しながら祈った。

 夕刊は、小泉参拝の是非一色だ。国のために殉じた人々に、祈りを捧げることが、そんなに悪いことなのか? であるとすれば、我が国に原爆を投下した戦争犯罪人が葬られている、アーリントン墓地にブッシュ大統領が慰霊に行く場合には、我が国政府は大騒ぎをせねばなるまい。でも、しない。それは、我が国には、いかなる死者にも敬意を表するという伝統文化があるからだ。

 そのような文化を持たない、被害者妄想を国民に与えないと国家統治の出来ない、三流国を相手にする必要はない。

 246万柱よ、安らかにお休みください。本殿左右には一対の生花があった。「内閣総理大臣 小泉純一郎」Very Good Job!! Thanks!


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合理化したら支払いが遅くなりました@ハローワーク

2006-08-14 | Weblog
 小泉内閣も余命わずかだが、彼の「公務員削減計画」は、「総量削減」を指示したものだから、切りやすい現場がターゲットになっているような気がしてならない。航空自衛隊などは、第一線パイロットの登竜門である航空学生の定員を削減する案まで出ているらしい。減らすところが違うだろう、と申し上げたい。

 さて、今日は、経営している会社が、もろにこの被害にあったお話を。

 厚生労働省の雇用対策事業の一環として、特定求職者雇用開発助成金という制度がある。これは、母子家庭や、高齢者、または身体障害者など、求職が困難な方々を雇用した企業に、1年間賃金の30%(正確な計算では違うが…)を、国庫が補助する中小企業には、ありがたい制度である。

 平成18年3月までは、補助の決定まで地元のハローワークで行っていたが、削減と合理化のため、4月からは文京区に作った、ハローワーク助成金事務センターというところで集中管理することになった。その結果、大幅に助成金の支給が遅れているのだ。

 当社が、本年6月2日に、大森職業安定所に持ち込んだ補助金の支払日の確認を、本日行ったところ、次のような構図になっていることが判明した。

(旧体制)
地元ハローワーク(6/2受付・審査・7/31助成決定)→東京労働局(8/31支給決定)→9/25支払い

(現体制)
地元ハローワーク(6/2受付・書類確認)→助成金事務センター(審査・8/31助成決定)→東京労働局(9/30支給決定)→10/25支払い

 そもそも、助成と支給決定を、それぞれの所管で月1回しかしないことに問題がある。書類は毎日流れているのだから、10日に一回とか月2回にするだけで、相当期間短縮になるはずだが、お役人には支給日なんて関係ないから、制度を変えるつもりは多分ない。

 改革や合理化は世の流れ、時代の要請である。しかし、上級官庁や官邸に胡麻をするために、数合わせの減員では主客転倒となる。減らすべき箇所、充実すべき箇所を見極めることも為政者の責務であろう。

 何が中小企業対策だ!笑っちゃうぜ!いえ間違い。早く払って!お願い!



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これでいいのか?3つの市議会

2006-08-12 | Weblog
 地方制度調査会の中で、地方議会の改革について議論された。また、マスコミなどでも「はたして、地方議会は必要なのか?」との論調がよく見られる。議員である私自身「区長やお役人の追認機関、諮問機関」以上の存在感を示せない、区議会のあり方には、自虐的自問自答の悶々とした日々をおくっている。

 よく言われるのが、二元代表制でありながら「強い首長」と「弱い議会」という構図である。その典型が「議会招集権」であろう。なんと、議会をその長たる議長は招集できないのだ。では、どうするか。議員の1/4以上が、首長に対し、臨時会の招集を請求しはじめて、首長は招集しなければならないことになっている。(地方自治法)

 与党会派を3/4以上にしておけば、そのような「リスク」は起こりえないから、議会対策は万全である。大田区は、定数50名、現員48名なので、1/4は、12名である。明確な野党は共産党と緑の党で9名。是々非々で、賛否を表明している私と、生活者ネット計3名。合計12名で、かろうじて招集請求権が発生する。

 さて、このような法規制の状況で、臨時会の開催を請求した市議会が2つある。ひとつは、市長が、横浜市港北区長(23区の区長とは違い、市の部長級職員)だったことから、市幹部あてに政治資金パーテイの参加依頼のメールを流した町田市である。市長の「長女と元市幹部への責任転嫁」は見苦しかったが、結局、罰金の略式命令。公民権停止はなかったので、失職もしない。

 これに怒った、野党である、民主党・社民ネット10名と共産党5名、合計15名が100条委員会(地方自治法に定められた調査委員会)の設置を求めて、臨時会の開催を請求し、8月18日に開催される。(定数36名)

 次は、流れるプール事件の埼玉県ふじみ野市議会。やはり100条委員会設置を、唯一の野党共産党11名が請求した。(合併特例で定数44名!)

 いずれも、与党会派は調査委員会設置に反対しているらしい。いくら与党と言え、問題があれば明らかにするのが議員の務めではないだろうか。首長や行政の行為につき「疑義」を表明出来ない、また調査もしない議会であれば、二元代表制の議会などやめて、住民選出の諮問会議にでもしてしまえばいい。

 最後に、のんびりされているのが、財政再建団体となった北海道夕張市議会。公費でゴルフの賞品を買ったり、市長の放漫経営を追認していた「当事者意識」が欠落している。第二回定例会の一般質問を見ても、財政破綻についての質問や、議会の責任についての質問は皆無!りっぱ!やるな~

 ちなみに、夕張市の行政職総員210名中係長以上が109名(さらに、その内課長42名部長10名!!)という、なんともあきれる組織である。全職員の平均給与は、6,187,000円。破綻した結果基本給5%下げ、管理職は賞与の管理職加算を5%カットされただけ。こんな予算否決してしまえ!

 嗚呼!!痴呆議会、おっと、単純な変換ミスでした。地方議会!!



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な、なんと、お祖父ちゃんになっちまった!

2006-08-11 | Weblog
 今日は、長男と長男の彼女を車に乗せ、超強引な日帰りドライブに出かけた。行き先は、まず、私の父親の墓参り。そして、次の目的地は、妻の両親の家である。総移動距離は、400kmを超える大旅行を日帰りで強行したのには訳がある。

 それは、わたくし、予期せずして、お祖父ちゃんになってしまったからだ!!

 長男が、自衛官であることは再三書いている。その彼から、ある日、メールが来た。「今度の土曜日あけておいてくれ。」なんじゃい?気の短い私は、早速返事を打った。

 「あらたまっての用事は、次のうちどれだ。1.結婚 2.妊娠 3.自衛隊辞めたい 4.金貸してくれ」彼からの返事は「2」だった。おいおい、まだ21歳じゃん。まいったな~

 しかし、世の中に起こることは「すべて必然」と思って生きてきた私である。次の瞬間「おめでとう!」と思っていた。

 それから、相手のご両親への挨拶(相手も「若い」ことを心配していた)、
若い二人との話し合いなど、大変だった。しかし、世の中、実にうまく出来ている、と思ったことがひとつ。それは、長男は、今年初めに、3等陸曹(下士官)の試験に合格しており、来年1月1日には、その階級に昇任するということだ。

 現在の、陸士という階級であると、原則として営内(部隊内の寮)に居住する義務があり、結婚しても「別居」の可能性があった。また、陸士のうちは、2年制の「契約社員」のようなもので、長く勤めることはできないのだ。

 3曹になれば「正規社員」、勤務地最寄りの官舎(社宅)にも安価で入居できるかもしれない。丁度、よかったのではないだろうか。21歳でパパは、いささか早いような気もするが、「立場が人を作る」という言葉もある。いいんじゃない!

 というような事情で、次なる「儀式」として、祖父母への報告となったのだ。妻の実家では、事前には「彼女を連れて行く」とだけ伝えてあったので、ビックリされたようだが、結局は祝福されてきた。

 午前8時に出発した大旅行。帰宅は20時。12時間ドライブ。お二人さん、お疲れさん。でも、これから、もっと大変だよ。頑張れよ!お祖父ちゃんもがんばるから‥


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ゴミが足りない!よしプラスチックを燃やせ!By23区

2006-08-07 | Weblog
 この国には、本当の意味での民主主義は存在しない、と再三訴えてきた。あるのは、制度としての民主主義。さらには、無責任な「お任せ民主主義」。その結果、議員は、お役人と親しくすることにより、自らの陳情を通す努力をし、それが「政治力」だと誤解する。

 お役人や、首長は、いかに議員を丸め込んで、自らの政策を「追認させる」かに腐心する。結果、有権者、納税者の知らないうちに、政策は彼らの思い通りにすすんでいく。議会のチェック機能とは‥自問自答の日々が続く。

 さて、最近、大田区当局は、さかんに「廃プラスチックを燃やす」ことの正当性を訴えている。過日の区報では、なんと一面を使って、いかに、プラスチックを燃やすことが区民の幸せになるかを訴え、同じく、職員向け「庁内報」でも一面を使って説明している。

 これには、ある大きな力が働いているに違いない。

現在の状況:区民や行政の啓発により、23区の可燃ゴミの量は大幅に減っている。とすると、現在のゴミ焼却工場が一部閉鎖に追い込まれる可能性がある。

困る人々:民需に比べ、べらぼうに高い清掃工場を受注するプラントメーカー。職場が減る清掃公務員や委託業者。

そこで:23区清掃一部事務組合の某幹部(都職員)を中心として、とてつもない計画を作った。それは、プラスチックを「不燃物から可燃物」にして燃やしちまおう、といものだ。

そして:そのために、一部事務組合と東京ガスで、10月に資本金2億円の別会社を作り、ゴミ焼却工場の運転を委託し、その熱で発電を行い、東京ガスの売電事業を支援しよう。

このことにより:東京ガスは、年間安定した売電電力の供給を受けれる。清掃関係職員は、ゴミの量が減らずに職場が確保できる。東京都職員は、天下り先が、またひとつできる。23区区長は「ひょっとしたら、区長退職後の職場が‥」。23区事務組合は、議会から余計なことを言われず、新会社に委託できる。と、関係者はみんな幸せなのだ。

区民には:東京湾にある最終処分場が逼迫しており、プラスチックは埋め立て
できない、と説明。さらには、ダイオキシン対策は万全と説明して「そいつは、いいことだ!」と、納得させてしまう。

 と、以上が。今回の「事件?」の概要である。

私が認知している問題点:

①今まで、区民が分別をすすめて、ゴミを削減してきた努力はなんだったのだ ろうか。
②プラスチックを高熱で焼却することにより発生する発ガン性物質について  は、説明されていない。
③最終処分場は、30年近く余力があり、差し迫った問題ではない。
④横浜市、名古屋市などでは、プラスチックなども、トレーやペットボトル同 様に回収、リサイクルをして、焼却、埋め立て、いずれもしていない。
⑤新会社に委託すると、競争原理が働くなり、高値の処理費で天下り役人を飼 うことになる。
⑥ただでさえ、議会の監視がしにくい「一部事務組合」から「新会社」に移行 すれば、お役人のやりたい放題になる懸念がある。
⑦23区の区長でも反対している区もあるにもかかわらず、強引にすすめよう としている。

 さて、有権者、納税者、そして、区議会は、どう判断するんだろう。是非とも、多くの区民が関心をよせ、「お任せ民主主義」や「追認」にしないで欲しい。

 なにしろ、あなたの街、あなたの空、あなたのゴミ、なのだから!



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危うく、業務上過失傷害罪!!

2006-08-05 | Weblog
 昨日の朝方、地元の狭い路地を車で走っていた。スピ-ドにしたら時速10km~20kmというところだろうか。すると、右側わき道から全速力で女性の運転する自転車が進入してきた。

 あわてて、急ブレーキをかけるが、車体は女性の自転車に接触。そのはずみで彼女は路上に倒れた。車を停車させ、駆け寄り声をかける。私「救急車を呼びますから、ちょっと待ってくださいね」彼女「いえ、ぼっとしていてすみません。大丈夫ですから‥」私「いえ、後で、後遺症が出るといけないので、とりあえず呼びましょう」彼女「本当に大丈夫ですから‥」

 それでは、万一症状が出たら連絡を下さい、ということで私の自宅の電話と携帯の番号をお渡しして別れた。

 彼女の道路は狭く、「止まれ」の表示を無視してのノーブレーキでの進入。こちらは最徐行での走行。明らかに、原因は誰にも明らかだ。が、これが、保険業界の保険請求となると違ってくる。過去の経験(日本損害保険協会上級資格)からすれば、5:5かへたすれば、4:6の割合で当方(自動車側)の過失になるだろう。

 兎に角、歩行者、自転車対車の場合、圧倒的に車が不利である。過去に、酔っ払って道に寝ていた弁護士をはねて死亡させた運転者に2億円もの賠償判決が出たことがある。「注意義務違反」だそうだ。

 今回は相手の方が、常識のある方で救われたが、場合によっては「業務上過失傷害」事件の可能性すらあった。

 防衛運転(相手にぶつかられない運転)の必要性を感じた一日だった。



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些細なことですが、お人柄が出ますね

2006-08-04 | Weblog
 私は、結構いい加減な人間だと思われているが、繊細だと思っている。なにしろA型なのだから。特に好きなのは「形入法」というヤツだ。つまり、形から入って、精神をそれにあわせるという、我が国古来の「道」である。

 私は剣道と銃剣道の有段者であるが、いずれも昇段審査の基本は、いかに相手に勝つかではない。その武道の基本である、礼儀作法や形がいかに出来るかに重点がおかれている。

 我が国の伝統文化で「道」とつくもの、華道や茶道、書道、柔道など、みな形を重視し、その結果、精神性を高めていく。その意味で、経営者に早起きを奨励する倫理法人会や、トイレ掃除を行う「お掃除の会」などは、とても性に合っている。

 さて、今日は、出勤途上で、マンションの廊下でこのような光景を見た。昨晩、出前を取って、そのお皿を玄関に出した、極普通の光景である。が、よく見て頂きたい。皿の下に、広告の紙が敷いてあるのだ。出前の皿の下に、そんなものを敷こうが、敷くまいがどうでもいい、と思うのが昨今の風潮である。

 が、この家人は、次の人が食べる食器を、人の歩く廊下に直接置くということが出来なかったに違いない。食物や、物に対する感謝の念の現われかもしれない。

 この家の主の顔は、残念ながらすぐさま思い出せないが、きっとステキな方に違いあるまい。いや、絶対にそうだ。

 出勤前の慌しさを、払拭させてくれる、ほのぼのとした映像だった。


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市議会議長会研究フオーラム

2006-08-03 | Weblog
 今日は、全国市議会議長会研究フオーラム「地方議会と市民参加」が、日比谷公会堂で開催された。区は市なのか、という議論があるが、基本的には平成12年より「市」と、ほぼ同じ基礎的自治体となった。それとあわせて、全国市議会議長会にも加入したのだ。

 だいたい、この種の勉強会は、東京など首都圏からの参加は少なく、自民党はほとんどいない、というのが一般的だが、今回は前者の原則はあてはまっていたが「議長会」だけあって、全国の自民党議長さんたちが「お供」の議会職員を連れて参加されていた。ちなみに、我が大田区からは共産党を除く各会派一人ずつ5名もの(?)議員が参加されていた。


 さて、冒頭、北川元三重県知事・現早稲田大学大学院教授が基調講演をされた。氏は、県議、衆議院議員、知事を勤められた経験から、以下のように熱く訴えられたが、早稲田での講演に比べて、随分と平易に語られたのは、参加者のレベルに合わせたのかもしれないが、物足りなかった。

中央集権という思い込みを捨てる時代になってきた。その時に必要なのは、首長の追認機関や、住民の御用聞きではない、地方議会である。首長への陳情合戦ではない、本来の2元代表制による政策議論をして欲しい。そのための、1匹の蝶になろうではないか。ここにお集まりの一人一人が、蝶のように、風をおこせば、その風は日本を変えるはずだ。

 次に、パネルデイスカッションに移った。以下、印象に残った発言。

飯尾潤氏(政策研究大学院大学教授)
一元代表制である、国政においては与党が必要だが、二元代表制である地方自治体に与党はいらない。与党でいたいとのお気持ちはわかるが、首長への口利きをやめ、御用聞き議員として頑張るのではなく、議会として議論をしてもらいたい。現在の地方議員は、地元の名士であったり、建設業や農業だったり、住民の職業構成とは無関係な点が問題である。

世古一穂氏(金沢大学大学院教授・NPO代表理事)
政治は、人々のつぶやきを形にする、想いを仕組みにするものだ。議員は代表ではなく代理人である。現在の協働、市民参加は、あやつり、セラピー(慰め)、お知らせ、意見聴取という、印としての市民参加にすぎない。もっと、NPOを活用して真の市民参加をすすめるべき。

中西晴史氏(日本経済新聞論説委員)
夕張市では、自治体が破産した。あそこの議員は何をやっていたのか。地方議会において、予算の修正ぐらいして欲しい。予算の原案を否決すると、首長に対しての不信任案と同じだと思われるのだろうが、毎年毎年、原案可決であれば、議会は不要である。

中森慎二氏(四日市市議会議長)
議会改革の議論の中から、一部議員が自治条例を議員提案しようとの動きがあり、急遽、議会全体として自治基本条例(理念条例)を制定した。この条例は、理事者から出たものではなく、議会で議論を尽くして策定した。しかし、理事者に質問することには慣れている議員が、議員同士での議論には不慣れで、このことにより、議員の資質も向上したと思う。

 それぞれに、持論を開陳されたが、個人的な好感度は次の順位だった。

①飯尾②中西③中森④世古(敬称略)

 飯尾氏と中西氏は、相当辛辣な意見を述べているが、語り口が柔らかなことと、再三「ここにいらっしゃる方の議会は違うと思うが‥」と延べ、地方議会、議員の問題点を鋭く指摘されていた。古参議長さんからは、ヤジも出ていた。

 世古氏は、持論であるNPOが一番と、議員は代理人説を述べたが、ほとんど会場にケンカを売るような態度と、ニコリともしないお顔立ちには、彼女の2度目の発言に席を立つ議員が多かった。

 反対意見を述べる場合の、話し方については、きっと大田区の役人には、私は世古氏のように映っているのだろうな、と反省しきりだった。
 


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ちょと防衛庁長官甘いんじゃない‥

2006-08-02 | Weblog
 以前、ウイニーを通じて情報漏えいを犯した海上自衛隊において、またまた不祥事が起きた。対馬防備隊に所属する1等海曹が、海自が収集した各国海軍の艦艇の写真などを集めた「識別参考資料」をCDにコピーして持ち出していた、というのだ。

 我が国には、多くの国際海峡があり、領海でありながら、外国艦船の「無害通航権」が認められている。潜水艦については、浮上して国旗を掲揚することにより「無害」となるのだが、某国あたりは潜航したまま通航することもある。

 これら、無害、有害を問わず監視識別することは、四方を海に囲まれた我が国にとっては、重要な防衛情報である。海上自衛隊では、各海峡に警備所を設置して、この情報収集にあたっているのだ。

 そこの、1曹がCDをコピーし自宅に保管していた。それだけでも問題なのに、再三、無許可で上海に渡航し、親しくなったカラオケ店女性に350万円を送金した、というのだから問題は複雑だ。このカラオケ店は、自殺した上海領事館員が、「ハニートラップ(色仕掛け)」にあった店だ。

 この事件を受けて、額賀防衛庁長官は「大した問題じゃないと思う。彼は、機密情報にアクセスできる立場ではなかった。」とコメントしている。

 防諜のため、わざと小さくして語っているのなら、よいが、ホンネで語ったのだとしたら、もはや防衛庁長官としての資質を疑う。再三の注意にも関わらず、情報が外部に持ち出せたこと、上海に無許可渡航が出来たこと、これだけでも大問題である。

 さらに、1曹という階級にある人間が「機密情報にアクセスできない」と、思っているとしたら、自衛隊の現場のことをまったくご存知ない、又は、知らされていない。

 陸海空各自衛隊において、実際に現場の仕事の中心をなしているのは、「曹」と呼ばれる階級の人々で、旧軍の下士官に相当する。下から、3曹、2曹、1曹、曹長と4階級に分かれており、多くの自衛官が曹長の階級で定年退職を迎える。1曹というのは、中堅中の中堅。仕事の中心である。

 その人間が、機密情報にアクセスできなければ仕事にならない。ちなみに、今から30年前、18歳の若造、まだ自衛隊生徒空士長という階級だった私ですら、それらの一部は知り得たのだから。

 このような不届き者は、極一部ではあろうが、防衛省への組織改編を目前に控えた時期だけに、関係上司の処分など、どうでもいいから、全組織あげて「情報」に対する認識を新たにする施策を緊急に実施すべきだと思う。


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今日は父の命日

2006-08-01 | Weblog
 8月1日は、私の父の命日である。昭和42年8月1日の早朝、当時唯一人の肉親だった父が亡くなった。東京の虎ノ門病院の病床で昨日まで話してくれた父が冷たかった。小学校5年生の夏休みのことだ。

 父は、5人兄弟の末っ子として生まれた。祖父は中部電力の社員で、名古屋と東京を家族を連れて転勤三昧だったようだ。長兄は東大から日立精機へ(常務で退職)、次男は東大から海軍短期現役5期生として、輸送艦「靖国丸」で南方洋上で戦死。(海軍少佐)3男は、中央大学を卒業後、某有名作家に、彼女を取られ名古屋で鉄道自殺。そして、父は唯一人大学に行かず、
松本高等専門学校に学んだらしい。

 生涯、この学歴のことは父のコンプレックスになっていたようで、「秀一は大学に行くように」と、よく言われた。今、時間を作って放送大学に通っているのも、この言葉の仕業かもしれない。

 専門学校を卒業した父は、長野の農業学校の教員として働いた。そこで年上の母と出会った。すでに母は、他の男性と離婚していて、娘(姉)がいたが、二人は結婚。上京し、母は公立中学の教員として、父は進駐軍の技師として働く間に私が生まれた。

 昭和31年12月2日、私が生まれた日の父の日記には、ただひたすら嬉しい、嬉しい、との言葉が羅列されていた。こんなに喜ばれて生まれて来たのか、と今でも、この日記を読む度に涙が出てしまう。

 3歳頃、両親は離婚。私は父と暮らし、母はすぐ再婚し、男の子(弟)を生んだが、父は私が小学校に入学するまで再婚は控えていたようだった。小学校2年生の時に、父が再婚をしたが、病魔の訪れと前後して、新しい母は実家に戻ってしまった。

 父亡き後、止む無く、前述の日立精機の常務たる伯父の家に居候をすることになった。100坪の大きな邸宅に3畳間を頂き暮らしたが、どうも伯母とうまくいかない。洗濯は自分でしなさい、内風呂には入ってはいけない銭湯に行け、等、理不尽な扱いを受けたが、現在の伯父の家の実情を見るにつけ、因果応報、耐えてよかったと思っている。

 まあ、父が亡くなったことによって、私の人生は相当の影響を受け、一時期は、そのことを怨んだこともあった。が、よく考えてみれば、父の死があったからこそ、私は自衛隊の高校に入り、多くの友人、先輩に巡り会えた。航空自衛隊で教育を受けたから、米国へ留学する気になった。米国に行ったから妻に出会った。妻に出会ったから、二人の子どもがいる。

 米国から帰国した空港が、羽田だったので、大田区に住み着いた。大田区の自衛隊の忘年会で、落選中の松原仁都議候補(当時、現衆議院議員)の隣に座り、親しくなった。その後、松原氏の勧めで、区議になった。

 と、人生はすべて、繋がっていることを自分自身の人生で痛感をしている。一見、辛い事であった、最愛の父親の死は、その後の私の人生のすべてと、綿密に繋がっていたのだった。そして、いかなる場面でも、私は「大きな力に護られている」と感じているのだ。

 今日は、その「大きな力」の命日。ありがとう、オヤジ!いつも護ってくれて。


 


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