いぬぶし秀一の激辛活動日誌

おかしな議員[わんちゃん]の激辛日誌です。日々感じたこと、活動報告、行政への提言など、本音で書き込む人気ブログです。

69回目の終戦記念日@靖国神社

2014-08-15 | Weblog
 69回目の終戦記念日、例年同様に朝から靖国神社に詣でた。初めて靖国神社に参拝したのは、航空自衛隊生徒だった昭和47年である。いまでも私の名刺入れのなかには、その時授かった小さなお守りが親父の遺影と共に入っている。

 それにしても、毎年この日になると総理が来るとか来ないとか、閣僚は個人か公人か、という不毛な報道が朝日、毎日、東京新聞というマスコミとは思えない新聞の紙面を飾るのは嘆かわしいことだ。そもそも、靖国神社を宗教法人化したり、参拝は戦争美化であると宣伝した元凶は、GHQ(連合国総司令部)だったことを想い起こさなければならない。

 GHQは、日本が二度と連合国に立ち向かえないように、様々な日本の精神文化破壊に努めた。神社の宗教法人化、町会、自治会の弱体化、戸主廃止による家族制度の崩壊等など。さらに、極めつけは、A級戦犯を筆頭とした戦争犯罪人の捏造だ。戦勝国によるリンチで死刑判決を受けた各級戦犯は1000名を超えると言われている。

 そもそも、法理論の基本である「罪刑法定主義」(刑罰は、その発生時点にいて法律により罪であることが定められている必要があること)を無視した、後付の「人道に対する罪、平和に対する罪」などという罪状で裁判を提起したのだ。それも、検察官、裁判官の多くが法律のド素人という、判決ありきのデッチあげだった。

 その中で、数少ない法律の専門家であったインドのパール判事は、東京裁判の欺瞞について訴え続けていた。さらに、あきれるのは、このリンチの結果刑死したA級戦犯が合祀されているから参拝しない、とのたまう国会議員が多数いる事実である。

 昭和27年4月28日のサンフランシスコ平和条約発効直後の5月1日、木村篤太郎法務総裁から戦犯の国内法上の解釈についての変更が通達され、戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われる事となり、戦犯とされた人々のために数度にわたる国会決議もなされた。(ウイキペデイアより)


昭和27年1952年6月9日「戦犯在所者の釈放等に関する決議」
昭和27年12月9日「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」
昭和28年年8月3日、「戦犯」とされた者を赦免し、名誉を回復させる「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」

 したがって、わが国には「戦犯」と言われる人々は存在しないのである。国会議員自らが、先人たちが決議した内容(社会党も賛成した!)を否定する発言を繰り返すのは不勉強なマヌケとしか言いようがない。

 「平和に対する罪、人道に対する罪」を問うのであれば、焼夷弾で焼き殺した東京大空襲はどうだ、長崎、広島大虐殺、対馬丸撃沈事件は?いずれも、ハーグ陸戦条約など、「非戦闘員への攻撃禁止」を定めた国際法規に反しているではないか。まったく、「勝てば官軍」を受け入れてしまう日本の態度はおかしい!ありもしない従軍慰安婦より、さきの大戦における連合国の残虐さと、東京裁判のインチキをもっとアピールすることも必要ではないだろうか。

 さて、本日まず一回目の参拝は、「靖国神社に参拝する地方議員の会」のメンバーと参道を幟を立てての行進。本殿手前で幟を降ろし、海ゆかばを合唱して参拝。幟を立てるのは「売名」ではないか、という指摘もあるが、靖国神社で「売名」をするメリットは、地方議員にはない。国会議員らがだらしないから、地方議員が参拝しているんだ、というアピールである。



 この参拝は、本殿の外で行われたが、次は、日本会議地方議員連盟主催の昇殿参拝に参加した。参集殿入り口では、台湾からの参拝団が記念撮影をしていらしたので、「台湾からありがとう!」と大声で謝辞を述べた。中国に比べて台湾の方々の親日度はすばらしい。



 靖国神社には、伯父(父の兄)である犬伏寛男海軍少佐が眠っている。昭和19年1月31日南方洋上において靖国丸に乗船中、敵潜水艦により撃沈され戦死と、祭神記にはある。東京大学在学中に「短期現役」という制度で海軍主計将校任官後、戦地に赴いた伯父。29歳という若さで戦死した。今の日本は、伯父の目にはどう映っているのだろうか。

 暑い一日、次の参拝は、15時から西村真悟先生主宰の西村塾及び日本再生同志の会主催の昇殿参拝だ。200名以上の方々が、国士西村真悟先生と共に参拝した。



 そして、最後の参拝は、田母神俊雄元航空幕僚長との昇殿参拝である。ご実家のある福島から新幹線で上京。16時ごろ靖国に到着されるというので、社務所に出向いてその旨連絡をして、VIP用の入り口(到着殿)前で待機していると、なんと都知事選挙でお世話になったデヴィ夫人が到着された。

(デヴィ夫人の傍らで署名される閣下)

 田母神閣下がまもなく到着されることをお伝えすると「ご一緒する」とのこと。田母神、デヴィという豪華メンバーによる昇殿参拝の実現となった。残念ながら、私は、次なるミッションである「西村真悟国政報告会」の司会があるため、お二人の昇殿参拝のお供を「たちあがれ日本」時代の後輩らと、我が事務所スタッフに依頼してタクシーで移動。彼らからは「すばらしい体験ができた」と大変喜ばれた。

 さあ、長い一日に締めはグランドヒル市ヶ谷(防衛省共済組合市ヶ谷会館)での、国政報告会・暑気払いの司会だ。祝辞は、靖国から駆けつけてくださった田母神閣下。そして、西村先生の講演と続く。宴も盛り上がってきたころ、西村先生と共に行動していた地方議員(八尾市議会)の仲間である、三宅博衆議院議員が挨拶にたたれ、突如予定にない河内音頭を歌いだし、参加者が踊り出してしまった。




(河内音頭を踊る田母神閣下。右後は増元照明さん)




 もちろん、西村先生、田母神閣下、私も踊りの列に加わった。いやはや、楽しい一日が終わる。

 この幸せを感じることの出来る国の礎、英霊の皆様に感謝!、