西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

NPO法人ガンの患者学研究所

2008-10-16 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
NPO法人ガンの患者学研究所から頼んであった小冊子『ガンをはねのけ生き抜く力 すべては、あなたが治るため』(川竹文夫著)が10冊送られてきた。

このパンフレットは、ほんの小一時間もあれば読めてしまう。問題は、即実践、勉強の継続が出来るかどうか、だろう。私は、この小冊子を「予防」のために読んでいる。

世に言う対ガン三大治療ー手術、放射線照射、抗がん剤投与ーを原因を取り除かない対症療法では、と批判的にみている。(完全否定はしていない。)

で、ガンは生活習慣病と捉え、その原因たる「悪い」生活習慣を実践的に改めることで原因を取り除くことを勧めている。同時にガン縮減に向け免疫力アップの方策の基本も書いてある。

このNPO法人ガンの患者学研究所の活動で、驚くのは、末期ガンで匙を投げられた人でも治って生還している例も続々ということだ。

関心のある方は、NPO法人ガンの患者学研究所へ。上記パンフレットは、郵送料同封で無料で送ってくれる。
ホームページは:http://www.naotta.net/about/index.html



三つの「つながり」の一つの原点

2008-10-14 | 京都の思い出(助手時代)
昨日のブログで、三つの「つながり」について書いた。復習:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/2a1e0c0ac63131023cdb6731a12486bd

で、その考えの一つの原点を書いておきたい。水俣病だった佐々木つた子さんの言葉である。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/a3ac8d9f2d559e36e1143f3521f5fdd3

これらは後で考えると、三つの「つながり」の一つ一つを反映している、と思う。
・道を行く昔の友達や近所のおばさんと声を交わしたい。→人とのつながり。
・美しい不知火海を見たい。→環境とのつながり。
・昔遊び父親も働いていた赤碕港を見たい。→歴史とのつながり。

町並み保全は、三つの「つながり」の総合だ!

2008-10-13 | 地域居住学
私たちは、三つの「つながり」即ち人々との「つながり」、まわりの環境との「つながり」そして歴史との「つながり」の中に客観的に置かれているのだが、それらを主体的に捉えるには、具体的なプロジェクト、事象を通じるしかないだろう。

それらをいやおうなしに考えさせられるのは、例えば「町並み保全」を目指す取り組みを通じてではなかろうか。

町並み保全をはかるには、第一には、自分の家族の意見をまとめなければならない上に、町並みを構成している近所の人々との「つながり」がきちんととられていなければなるまい。第二には、物理的な町並みそのものとの「つながり」が深まっていなければなるまい。そして第三には、町並みが形成されてきた歴史認識が、町との歴史的「つながり」が、人々の間で深まっている必要がある。

第一の人々との「つながり」が多分一番難しいのであろう。しかし、その範囲や具体的人々は、見えている範囲である。第二の環境との「つながり」も見えている。協力して調べることもそう難しくはないだろう。しかし、第三の歴史的把握は、事実、一番難しい。意識的に調べようとしない限り分からないものだからだ。

これから、何かを進めるとき、この三つの「つながり」とどう取り組むのか、それらがどう前進し、深化したのか、をチェックしつつ行こうと思う。

臭い付け、臭い残しそして臭い消しー住まいと親しくするー

2008-10-12 | 私の考え出した言葉
過去のブログで「臭い付け、臭い消し」について語っている。http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/01d02412e9b5da040702f294158306db

それに今回「臭い残し」を付け加えたい。それは、どういことかと言うと、過去に作られた住宅で歴史的に意味あると感じられる伝統的住宅に住むときには、「臭い付け」も「臭い消し」も多くはないだろう。何故なら、既に「いい臭い」が付いているからである。それらの「いい臭い」を残すのが「臭い残し」である。

こういうことをすることによって、その住まいは、よそよそしいものではなく親しみをもったものになるだろう。ああ気分がいい!

六人と百人

2008-10-11 | SNS、地域SNS、ブログ
今日、けいはんな地域SNSの「オフ会」があって15人ほどが集まった。11月29日(土)に設立一周年の記念集会を、「けいはんなのまちづくりを考える会」及び「けいはんな市民雑学大学」との共催で開くので、その持ち方のイメージを議論した。今後、地域SNSを通じて、詰めていくことになろう。

で、終わって都合のつく6人で懇親会をした。そこでも色々のことを議論したが、誰かが「地域SNS」に入って本当に思いもかけない人間関係が広がって良かった、としみじみ言った。そこで「世界は六人で全部つながる」という話が出た。確かに各々が顔の広い人に一人つながると、その顔の広い人が次の顔の広い人につながる・・・、と6回やれば膨大な人々につながることになるだろう。仮に全部次々と知っていて同時に前と重ならない人とつながるとすれば、一人が平均45人を知っているとすると、45の6乗は83億となって世界中の人に優につながるという計算となる。まあ、普通は、知っている人は重なるから、まあ一人が百人位につながるとして(まあ日本人で考えると百枚位年賀状を出す人はざらにいるだろう)十分に世界とつながると言えるのかな。(こういう雑駁な計算でいいのかどうか分からない)

で、六人で世界とつながる、という話を考えていたら「世界が百人の村としたら」という話を思い出した。関連する記事を検索から引用する:http://poco.cool.ne.jp/100people/100people01.html

これを読んでいて、我々の地域SNSが220人であるから、まあ世界が200人と考えると、「百人の村」の倍だから、上に引用した記事の各人数の倍がいることになる。
その比率と、我々のSNSとは大いに乖離している。我々は世界の中で幸運のグループであると考えると共に世界は大変なんだ、思いをいたさねば、と思うのだった。

「居場所」を探す子供たち 日本子ども学会学術集会

2008-10-10 | 教育論・研究論
9月下旬、奈良女子大学で行われた日本子ども学会学術集会の様子が今日の『産経新聞』17面に載っていた。阪大の鷲田清一学長が講演したようだ。(以下、引用的要約)

鷲田さんは「いじめは子どもの世界だけの問題か」と問い、・・・「高齢者は切り捨てられてはいけないと思い、素直な可愛い存在になろうとしている。以前、キンさん、ギンさんのCMが流れていたときは、『嫌われてはいけないお年寄り』という脅迫的メッセージがみえた」、と話した。

なぜ「可愛い老人」というイメージが必要かと言えば、、現代社会では「排除の論理」があるからだ、と指摘したようだ。それは特定の人を存在しないように扱ったり、祭り上げることで、「その集団の連帯を強化する」というものである。

鷲田さんは「排除の論理に対抗する、集団形成の論理を作れなかった」ことが、「いじめ」を阻止できない理由の一つだ、と述べた。

いじめ報道が、いじめを助長しているとも述べた。いじめをセンセーショナルに報道し、学校をバッシングする司会者、第三者として座るコメンテーター。この学校対テレビという関係の中で、コメンテーターのコメントにうなずく視聴者。この視聴者は、「見てみぬふりをし、実質上、いじめに加担している子どもそのものではないか」というのだ。

学校をバッシングし、教員に全てを任すとすれば、教室は閉ざされた空間になる。複数の個人がいる密室でむきだしのままの空間では、学校に限らず職場でも「排除の論理」が働きやすいという。鷲田さんは教室を密封するのではなく、地域社会がどんどん介入し、「仲裁」することが必要だ、と提言した。

そうだろうな、と思った。どのようにして「集団形成の論理」をつくり子どもを含め、教員、地域住民に浸透させるのか、そのためには最近「閉鎖」しがちな学校を地域に開かせ、地域全体で取り組まねばなるまい。

ノーベル化学賞・下村 脩さんの発言より

2008-10-09 | 時論、雑感
クラゲから蛍光蛋白を発見し、ノーベル化学賞を受賞することになった下村 脩さん80歳は、在住のアメリカ・マサチューセッツ州のウッズホールで『朝日新聞』のインタビューに答えているが、その一部を引用すると・・

「これまでの(ノーベル賞の)受賞者は、京大とか東大とか旧帝国大学の出身がほとんど。(私は旧長崎医科大付属薬学専門部の出身だが)『いい大学へ行かなかったから、いい研究ができなかった』なんてそんな考え方はやめてほしいね」と語気を強めた。」とある。 そうだろうな、と思う。今や、下村さんが自ら実証したように旧制帝大などからのみノーベル賞が出るとは言えないであろう。

下村さんのように地方の国立公立大学、また私立大学出身からも輩出することが期待される。

しかし、同時に旧制帝大出身(学士会会員か)にも頑張ってほしいと思っている。(ノーベル賞とは全く関係がないが、不肖・私もそこに含まれる)

同時に、分野によりノーベル賞がないところも多いので、そこでは独自に大いに頑張ろうではないか。ノーベル賞だけが賞ではないのである。又、賞を貰わなくても「Only one」の役割を果たすことも出来るのだ。

1970年4月から1974年3月までの助手時代

2008-10-09 | 京都の思い出(助手時代)
1970年から1974年の4年間、私は京大工学部・建築学科で助手をしていた。今で言う「助教」である。この時代の「思い出」は、カテゴリー「京都の思い出(助手時代)」に収めている。

今日、一寸振り返ってみたくなったのは、今度、ノーベル物理学賞を受賞することになった小林誠、益川敏英さんも、ほぼ同時期に京大理学部助手をしており、いわゆる「小林・益川理論」が、正に1972年、1973年頃に出来上がり公表されたからである。その時期、では自分は同じ場の空気を吸いながら何をしていたのだろうか、と思ったのである。

小林さんは知らなかったが、益川さんは京大職員組合活動を通じて当時、何度か会って話をしたこともあると思う。

その4年間の私の「仕事」に関しては、ブログに概略書いたことがある。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/04ce76616ba2c5a11dc65e35f05e3bb0

大体、三つになるのかな。一つは、水俣病患者の住生活、住宅調査と一定のまとめ。(雑誌『住宅』への投稿、宮本憲一編著『公害都市・水俣の再生』への分担執筆などで発表)二番目に、パトリック・ゲデスの『進化する都市』の翻訳(未完、後に完成、鹿島出版から出版、編訳)。三番目に、京都府の漁村・伊根町の調査(簡単な報告書、建築学会大会報告で発表、後に「地域環境管理」の問題としてまとめる)、である。これらについては、一生懸命、当時として本質的なことを追求、論じた積りだが、我々の分野での位置づけや、現在での意義について、再調査をしながらキッチリ書いてみたいと思っているが・・・。

行動引力=情報密度と匂い付け

2008-10-07 | 思いつきから仮説へ
「引力」というと、物理学的には双方の重さの積に比例し、距離の二乗に反比例するということになっている。

ところで、我々の行動引力、即ち、日々行動する時に、何処に惹かれるのであろうかということを考えてみると、まあ魅力的な所に惹かれるのは間違いない。その魅力とは・・・?

物理的引力と少し違うのではないか。

では言ってみれば、文化的引力は、どうなのか。大きく二つあると言える。先ず第一に、そこの魅力は、その情報密度に関係している。京都なら京都、奈良なら奈良の具体的な情報密度である。これは、客観的ものとも言える。

もう一つは、個々人の主観的情報、その地、その空間に対する「匂い付け」に関係している、と言える。個人が、その地に何らかの匂いを付けているならば、強力な引力が働くと言えよう。

ということは、個々人の匂い付けを組み込む「まちづくり」が重要ということだ。

食料のトレーサビリティについて

2008-10-07 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
食料の安全性確保のためTraceability(トレーサビリティ、追跡性)が、今日の国会予算委員会で議論となっていた。例の事故米に関して、米が何処でとれて、どう流通しているか、を今後分かるようにしたい、と農相が言っていた。前に、BSE牛肉問題でもトレーサビリティが問題となり、元の牛の個体から流通経路全てが分かるようになってきている。

この牛肉、米だけでなく更に多くの食料でもトレーサビリティが必要であろう。しかし、一方、それは食料の多くを、海外に依存している結果、食料の安全性が不安で、そういうことが、特に必要になるのだ、ということもあるのだ。

食料自給率を上げ、地産地消を原則にすれば、トレーサビリティも簡単で、いざとなれば消費者が現地の生産者に会って確かめられるのである。これこそ、食料の安全性アップ、フードマイレージの低減を確実に進める道である。

官僚内閣制

2008-10-06 | 時論、雑感
政府は、本来、「議員内閣制」と言われている。議員は国民が選ぶ、だから議員には国民の意思が反映している、というのが表向きの「議員内閣制」の根拠である。

ところが実際は、「官僚内閣制」であると言われている。何故か。実際は、官僚に支配されているというのが官僚内閣制である。

麻生総理は、大臣は、省益ではなく国益を追求して官僚を使いこなして欲しい、と言った。ということは、今までは、逆に大臣が官僚に省益追及で使われてきたということを自ら告白しているということだ。

ということは、自民党政権では官僚は使いこなせない、ということではないか。

さあ、どうするか。では、民主党に任せてよいのか。よくよく考える必要があろう。将来への新しい一歩が次の総選挙だろうな。

ピアノリサイタルの楽しみ

2008-10-05 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日、近所・生駒のピアニスト・上田賀代子さんの家(日独ピアノ芸術学院)にピアノを聴きに行った。「日独」と付いているのは、彼女がドイツの音大で修行したことによっている。(1979年ドイツ国立カールスルーエ音楽大学大学院卒業)


ピアノ等の音楽を聴く楽しみは、元々は王侯貴族がピアニスト等を招いて夕食時などに演奏させたことに端を発する。

その後、モーツアルト時代位から、大衆・市民が演奏会場に多数集まって楽しむことになってきた。ドイツ語オペラ「フィガロの結婚」などは、その内容と共に市民が多数集まって楽しんだ嚆矢・象徴であろう。
 そして、今や我々庶民が10人前後でピアニストの家に集まって楽しむ段階に入ってきたと言えるのではないか。

今日は、ショパンから始まってシューマン、ドビッシー、バッハ、ベートーベン、モーツアルトのピアノ曲を堪能した。上田さんは、集まった9人に対してイメージする1曲づつ弾いてくれたので、皆、大感激だった。私も大感激、シューマン作曲「子どもの情景」より7番の「トロイメライ(Traumerei、夢想)」を弾いていただいた。まだまだ少年のような「夢見がちな男」という含意だろうか。

我々は、王侯貴族ではないので、庶民としてワイン、つまみ等を持ち寄った。

単に曲を堪能するだけでなく上田さんのピアノ文化のミニ講義も聴いた。ピアノは、イタリアでピアノ・フォルテとして生まれたが、略してピアノとなった。まあ上田さんのフォルテは「ドーン」と胸に響く演奏だったと思う。曲の最後の決めの「ピアノ」も心に響いた。

こういうことが地域で出来たのは、「地域SNSけいはんな」の「お宝探検隊」コミュニティのお陰である。ピアニスト上田賀代子さんが地域の人材「お宝」第一号なのである。今度は、もう少し広い人達に楽しんで貰えるよう、上田さんに頼んでおいた。適当な舞台を準備したい。

地域SNSとまちづくり

2008-10-04 | 地域居住学
地域SNSとまちづくりの話を建築系の人たちとすると、はじめピンと受け止めて貰えない場合がある。建築系の人たちは(実は、ある意味で私もそこに入るのだが・・・)、実際の建築、住宅、道路、公園、公共施設などの形、空間をどうつくっていくか、みたいな所に意識がいっていて、例えば、まちで今までのリアルなチャンネルでは会えなかった人々に地域SNSを介して会えて「袖すりあうも他生の縁」を感じるとか、色んな今まで体験出来るとは思わなかったようなイベントを通じて盛り上がれるとか、行政ホームページ等では知りえない地域情報(ある意味での口コミ情報)を知るとか、それらのことが将来の広い意味でまちを良くしていく「まちづくり」の基盤を豊かにする、という位置づけについて直ぐに理解して貰えないようだ。

「まちたのしみ」のソフトの積み重ねの上に、ある意味でハードな「まちづくり」も切り開かれていくのではないだろうか。

「まちづくり」は最終的にはリアルな討議や決定の積み重ねで進むしかないが、その過程で、地域SNSで様々な情報交換、情報創造も可能ではなかろうか。そのためには、ツールとして「アンケート機能」とか、「ワークショップ機能」とかを付加する必要があるだろう。また例えば、現存のグーグル・マップやストリートビューの活用方法も考えていく要があろう。

有栖館にて五者協定記者会見

2008-10-02 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
本日午後、京都の平安女学院の道一つ隔てた北にある「有栖館(旧・有栖川邸)」で、財団法人池坊華道会、財団法人裏千家今日庵、京都市立芸術大学、平安女学院大学および立命館大学の五者による「日本文化及び京都文化の教育・研究・社会発信に関する包括協定締結にかかわる記者会見」があり、出かけた。

この「有栖館」は、元々「有栖川家」(旧・貴族)の家であったが、家が断絶の後、京都地方裁判所所長官舎となったが、最近、長く空き家になっていたのだが、現状を大きく変えないという条件で平安女学院に帰属することになった。

最近、内部も改装され、庭も小川治兵衛さん(有名な庭師)により少し直されたようだ。五者の代表がそれぞれ抱負を述べた。今まで二者協定をそれぞれ結んでいたが、五者を包括することで、それぞれの特徴が強化されるという訳だ。抱負を述べたのは、裏千家の第16代家元・宗室氏、池坊次期家元・由紀氏、京都市立芸大学長代理、平安女学院大学学長・山岡 景一郎氏及び立命館大学学長・川口清史氏であった。

新聞記者等からの質問で、面白かったのは「京都から、日本文化、京都文化について発信するのは分かるけど、何故この五者でないといけないのか、他の組み合わせもありうるのに・・・」という質問、まあ裏千家に対して表千家もあるのでは、大学で言うと同志社大や京大などはどうなるんだ、あるいは広い意味で文化と言うと学術、狭い文化、そして宗教があるが、宗教が入っていないのでは・・・みたいな含意を持ったものに受け取ったが、まとめ役の立命館の川口清史さんが「一気に大きくまとめて、と言うのは難しい、今まで二者間の付き合いがあるところをまとめて一段高いところを狙った・・・、別に他を排除している意味ではない」と応えていた。

最後に庭師の小川治兵衛さんの庭の説明で面白かったのは「最初に見せていただいた時(今年6月)には、大変荒れていた、落ちぶれた貴族が、まあ「強がり」で瓦礫ともいうべき石を色々使っているのに感慨をおぼえた」という発言だ。流石、そういう解釈をするのは、当代一の庭師だな、と思った。

この五者協定の事務局は立命館、舞台はこの平安女学院の「有栖館」である。
今後、ご注目あれ!

過去の有栖川邸関連記事:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/6352abfa7086773c0f5c99e3fd21f2ef

(写真は、川口清史さん)

雑居ビルの火事

2008-10-02 | 住まい・建築と庭
大阪・難波で雑居ビルの「個室ビデオ店」で放火による火事があり、15人が死亡、10人が負傷の惨事があった。「自殺指向放火」で巻き添えにするのも許せない。

7年ほど前、東京・新宿歌舞伎町での44人死亡のそれこその大惨事を思い出す。

「個室ビデオ店」などという商売は新しいものである。1晩でも千円から二千円の値段なのでホテルより安く、「ホームレス」等で泊まりに使っている人も多いようだ。だから未明なので眠っていて逃げ遅れた人も死んだ人には含まれる。出入り口一箇所で火の出方では逃げ出せなくなる構造。

その昔はデパートとかホテルでの大惨事があったが、消防庁も指導を強め、事故が減ってきた。変わって新種の空間での事故が増えてきたのだ。

消防も我々も絶えず「新種空間」の行方に気を配る要がある。

(夜のNHKTV「クローズアップ現代」で消防研究所(同時に東大教授)の関沢 愛君が関連で喋っていた。京大堀内研出身、建築学科後輩、懐かしい顔を見た。)

(写真は、関沢 愛君)