西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

ノーベル化学賞・下村 脩さんの発言より

2008-10-09 | 時論、雑感
クラゲから蛍光蛋白を発見し、ノーベル化学賞を受賞することになった下村 脩さん80歳は、在住のアメリカ・マサチューセッツ州のウッズホールで『朝日新聞』のインタビューに答えているが、その一部を引用すると・・

「これまでの(ノーベル賞の)受賞者は、京大とか東大とか旧帝国大学の出身がほとんど。(私は旧長崎医科大付属薬学専門部の出身だが)『いい大学へ行かなかったから、いい研究ができなかった』なんてそんな考え方はやめてほしいね」と語気を強めた。」とある。 そうだろうな、と思う。今や、下村さんが自ら実証したように旧制帝大などからのみノーベル賞が出るとは言えないであろう。

下村さんのように地方の国立公立大学、また私立大学出身からも輩出することが期待される。

しかし、同時に旧制帝大出身(学士会会員か)にも頑張ってほしいと思っている。(ノーベル賞とは全く関係がないが、不肖・私もそこに含まれる)

同時に、分野によりノーベル賞がないところも多いので、そこでは独自に大いに頑張ろうではないか。ノーベル賞だけが賞ではないのである。又、賞を貰わなくても「Only one」の役割を果たすことも出来るのだ。

1970年4月から1974年3月までの助手時代

2008-10-09 | 京都の思い出(助手時代)
1970年から1974年の4年間、私は京大工学部・建築学科で助手をしていた。今で言う「助教」である。この時代の「思い出」は、カテゴリー「京都の思い出(助手時代)」に収めている。

今日、一寸振り返ってみたくなったのは、今度、ノーベル物理学賞を受賞することになった小林誠、益川敏英さんも、ほぼ同時期に京大理学部助手をしており、いわゆる「小林・益川理論」が、正に1972年、1973年頃に出来上がり公表されたからである。その時期、では自分は同じ場の空気を吸いながら何をしていたのだろうか、と思ったのである。

小林さんは知らなかったが、益川さんは京大職員組合活動を通じて当時、何度か会って話をしたこともあると思う。

その4年間の私の「仕事」に関しては、ブログに概略書いたことがある。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/04ce76616ba2c5a11dc65e35f05e3bb0

大体、三つになるのかな。一つは、水俣病患者の住生活、住宅調査と一定のまとめ。(雑誌『住宅』への投稿、宮本憲一編著『公害都市・水俣の再生』への分担執筆などで発表)二番目に、パトリック・ゲデスの『進化する都市』の翻訳(未完、後に完成、鹿島出版から出版、編訳)。三番目に、京都府の漁村・伊根町の調査(簡単な報告書、建築学会大会報告で発表、後に「地域環境管理」の問題としてまとめる)、である。これらについては、一生懸命、当時として本質的なことを追求、論じた積りだが、我々の分野での位置づけや、現在での意義について、再調査をしながらキッチリ書いてみたいと思っているが・・・。