西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

人間ドック

2007-12-20 | 生活描写と読書・観劇等の文化
前に人間ドックに行ったのは今年の1月だから満1年経っていないが、18日(火)に午前中8時半に、人間ドックに行った。これも体のメンテナンスの一環だ。

今度行った病院は初めての所である。「けいはんな学研都市」の学研都市病院である。私立の病院である。去年の4月にオープンしたばかりで新しい建物だ。
「けいはんな学研都市」のメイン道路の「精華大通り」に面している。

胃カメラが最大の「心配事」、いつも「おえっ」となるからだ。今回、上の大きな義歯を外してマウスピースをかむ、一寸やりにくい。胃カメラは何度も飲んでいるが「いやなもの」である。最近は、鼻から入れる細い管の胃カメラも開発されているが、ここでは未だ導入されていない。とにかく我慢で終了、聞くと、特に異常なし、「加齢性萎縮」が見られると言う。仕方あるまい。最近は、ベッドで横向きになって、見えている先にモニター画面があって、私の胃の中が良く見えている。映像を同時進行で見ながらやってもらえるのも我慢できる一つの理由かな。

目は眼底写真と視野検査で、左目の網膜の縁辺部が少し見えにくいのでは、と言われドキン、右目はオーケーだ。別に眼科にかかっているが、右目下が一寸「痛かった」ので、ドックとは別に後で眼科の外来で診て貰った。一寸炎症を起こしたようで、目薬と飲み薬を出してもらった。

昼過ぎに漸く終了。結果は2週間後、今年中は無理か。

デザイン再説

2007-12-19 | 住まい・建築と庭
今日、地域SNSのリアルな集まりで、地域SNS「表紙」のデザインが問題となった。
で、デザインチームの3人が、「表紙デザイン」をする予定だが、そのために集まった13人の意見を聞いていた。

で、後の二次会で、「デザインとは何か」と問題提起してみた。私は過去にブログでその問題を論じたことがあるので再掲しておきたい。

http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/c964804064722983ee37287c83bfcab0

生活空間と言葉-3 居は気を移す

2007-12-18 | 言語・字・言語遊戯
○居は気を移す( 孟子)
 住んでいる所で気分も変わるということ。住生活と住空間の対応という考え方においては、一般には住生活が第一義的であり、それによって住空間が規定されると考えられているが、この言葉は、逆に「住空間によって住生活は変わる」ということを言っている。確かに、仮に住生活の主なポイントを押さえて住空間をつくったとしても、実際には、その住空間は、思惑を「越える」ものを持っていて、住んでみて「そうだったのか」と思うことも多いのである。つまり、居を変えることによって「思わざる」気を得ることが出来るのである。例えば、夏目漱石は、一作書き上げる毎に気分を変えるために居所を変えていたことは有名である。

生活空間と言葉ー2

2007-12-17 | 言語・字・言語遊戯
○孟母三遷
孟子の母親は、孟子の教育のために三度居を移したことを言う。その三度だが、具体的には一度目は、墓場の近くに移したのである。その結果、孟子は「墓場遊び」をして困ったらしい。そこで次に、市場の近くに居を移した。そこでは商売人の真似をして困ったと言う。だから三度目には、学舎の近くに移り住んだのである。その結果、孟子は良く学問をするようになった、という訳である。私は、これらを「平面的」に解釈せず、学習の積み重ねとして理解した方が良いと考えている。つまり、「墓場の近く」にいることによって自然と人間の死について考えたのではないか。「市場の近く」で世の中の物の流れ(交易)を学んだのではないか。そして最後に「学舎の近く」で「花も実もある」学問が出来たのではないかと推測している。

窓からの風景ー1,2

2007-12-17 | 住まい・建築と庭
別の地域SNSに投稿した記事で、こちらにも転載したほうが良いものを転載しておきたい。窓からの風景シリーズである。

(1)私は、町並み風景の一要素としても窓の並びなど外からの外観風景も大事と思うし、外観の並びについては多くの人が問題としている。

ところが、家の中からの外の風景については、大事だけれど、位置づけ、扱いが難しいのか、多くの人がきちんと問題としていない。

で、今後、個人的に、事例的に窓からの風景に関する実例や考え方を集めてみたい。

先ず、窓というのは英語ではWINDOWであり、これはWIND+OWである。WINDは「風」であり、OWは古語で「目」である。つまり、英語のWINDOWは、風通しが良くて、見晴らしが良くないといけないのである。日本語の語源は、確かなことは分からないが上田 篤さんは『日本人とすまい』(岩波新書)で、「柱と柱の間(ま)の戸(と)」即ち「間戸=まど」ではないか、と言っている。そこでは、内外の関係性より左右の関係性で言い方が決まっていることになる。まあ、日本の窓や戸の特徴として「引き戸(窓)」が多いことと関係があるかもしれないが、当面、内外関係性として英語の窓を意識していきたい。

私は、現在の家を13年ほど前に造ったとき、窓をどうするか、も考慮点の一つだった。書斎は2階の北面の部屋で八畳ほどあるが、北側、東西側に計三つの窓がある。窓を減らして壁とすれば、本棚も増えて本や資料の収納からは良いのだが、実は三面の窓の前にそれぞれ机をセットしたのだ。これで平行して三つの仕事が出来るともくろんだ。

で、実際は、そんなに上手く運んでいないが、それらの机の前に座って外を眺めた時に、はっと気付いた。(後の発見)北側の窓からは真ん前の竹やぶが見えている。西側の窓からは、ニュータウン北限フリンジの緑が見えている。東側の窓から遠くの山並みが見えている。そこで三つの窓の命名が決まった。即ち「近緑の窓」「中緑の窓」そして「遠緑の窓」である。(続く)

以上は同じ趣旨をこのブログのどこかで述べたことがある。

(2)妻が京都府立大学付属病院に入院したことがあった。
河原町通りに面する病棟である。たまたま四人部屋で廊下側と河原町通りに面する窓側のベッドが空いていた。看護婦(今なら看護師か)さんが「どちらがいいですか」と妻に聞いた。

妻は一寸考えて「窓側にして下さい」と言った。妻がそこに落ち着いてから私は聞いた。「どうして窓側がいいと言ったの?」と。彼女は答えた。「だって、河原町通りの歩道の人たちが見えるし、特に学校行き帰りの小学生の元気な姿が見えるのが良い。元気な彼らを見ていると、私も早く元気にならなくっちゃ、と思うし・・・」

その時から、私は窓からの風景に、元気な子供達が見えること、というのが必要条件の一つだな、と考えるようになっている。

生活空間と言葉-1

2007-12-16 | 言語・字・言語遊戯
ぼちぼち「生活空間と言葉」についてピックアップし考えていきたい。


○壁に耳あり障子に目あり
 これは、かっての日本住宅の部屋の「プライバシー」のなさを示している言い方である。壁は薄くて耳をつけると、隣の部屋の話し声が聞こえてしまう、障子に小さく穴を開ければ、たちまち全てが見えてしまうから注意しろという訳である。だから例えば時代劇等を見ると内密の話をする時には逆に障子・襖を開け放って部屋の真ん中で話す場面に出くわす訳だ。この言い方は『源平盛衰記』あたりから用例があるようだ。尤も、そこでは「壁に耳あり」だけで「障子に目あり」は古典では用例がないようだ。それにしても、確かに日本住宅における壁は薄く、障子はさらに薄くて無きに等しいので音を防ぐのに対しては全く用をなさない、と言えるだろう。
 これを住居の問題として「日本の部屋の仕切り(壁や障子)はプライバシーを守る上で問題だ」とだけ捉えるのはどうだろうか。一考を要すると考える。と言うのは、長年そのような住環境で過ごしてきたために「聞こえているが聞いていない振りをする」という生活慣習、約束が成立してきた面があるのではないか。これは、聞くにおいてだけでなく、狭い住環境でゴチャゴチャ住んできたために、見るにおいても「見て見ぬ振り」という約束もあると思われる。確かに、例えば主寝室(夫婦寝室)のプライバシーのなさが「ラブホテル(最近はファッションホテルと言うようだが)」の隆盛に一役かっている、という説があるように、住居内において、簡単に部屋同士で見えたり聞こえたりするのは「まずい」面もなきにしもあらずである。だから、プライバシーをしっかり確保すべきところもあるのは事実だが、どの部屋もガードの固いものにする必要はないのではないかとも思われる。「見て見ぬ振り」「聞いて聞こえぬ振り」というのも住居における「思いやり」の一つではないか、と考えるが如何なものだろうか。更に言うと、微かに見えたり聞こえたりすることで家族間の「気配の伝達」が出来るという良い面もあるのではないか。

半顧半望(はんこはんぼう)の計画学

2007-12-15 | 色々な仮説や疑問
今日、西山記念文庫の今年最後の研究会、その後に忘年会だったが都合で行けなかった。で、最近、「西山夘三記念すまい・まちづくり文庫」の機関誌に昨年書いた小文を、ここに再掲しておきたい。より広い読者に知って欲しいからである。

        「半顧半望」の「つながり」計画学

 奈良女子大学を2005年3月に定年(63歳)退職し、2年目に入っています。そして、最近、無事、日本国の「公式高齢者」に仲間入りし、「ジパング倶楽部」にも入部しました。ところで、定年退職時の最終講義では「つながりの豊かな地域居住」という話をしました。「つながり」というコンセプトは、実は住田昌二先生の大阪市大退職記念誌『住まいの研究誌』(1996年11月刊)の住田先生を交えた座談会で私が述べたものです。「つながり」というと、原理的には、空間と時間との二つとの「つながり」ということになりますが、空間を我々住んでいる人間達と回りの環境(自然環境、人工環境)の二つに分け、時間を内実の内容を持つ歴史としました。昨今の現実状況をみると、これら三つとの「つながり」が弱まったり、切れたとも思える状態になっているのに危機感を抱いて提起したものです。このうち、人々との「つながり」や環境との「つながり」は人生の成長過程において、徐々に広がり複雑になっていくのは経験的にも認識できるし、他の動物でもそういう「つながり」の認識がないと獲物を獲得したり、子孫を残すべき相手も獲得できない。それらとの「つながり」を更に意識的に豊かにしていくのは勿論大切です。しかし、歴史との「つながり」の認識は、人間特有のもので意識的学習や研究によってしか獲得できないものです。そこで、そういう学習を前提に「半顧半望」の「つながり」計画学が必要では、と私は言っているのです。「半顧半望」とは、私の造語で、半信半疑、半学半遊、半公半私等に連なる言葉です。「半顧半望」による「つながり」の一例として、私は、京都のコーポラティブ住宅ユーコートは、現代寝殿造り型集合住宅ではないか、と言っています。丹下健三さん設計の広島平和記念公園にも寝殿造りの発想が見られるのでは、と最近、私は思っています。書院造は、現在でも座敷の造りとして続いているので分かりやすいのですが、寝殿造りの現物がないため、図面等から読み取れるエッセンスとしての建物配置、庭、遣り水や池の存在を、現代に読み替えてみると「つながって」いるのでは、と思えるのです。
 最近、全く別の発想で、人々との「つながり」を豊かにし、町づくりを活性化しようと藤田 忍さん(大阪市大)の誘いで、いわゆるSNS(Social Network System)の一つのmixiに参加し、「町づくり」関連のコミュニティにも試しに参加しています。「西山夘三」のコミュニティがなかったので作りました。文庫ともリンクできるようにしました。現在3人のメンバーです。良かったら皆さんも参加下さい。そして、各種「つながり」を豊かにしつつ、より良い「ジパング」を目指していきましょう。(2006年7月1日)


義士、義歯そしてインプラント

2007-12-14 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日は12月14日、江戸時代の元禄15年のこの日に赤穂義士四十七士の江戸・吉良邸討ち入りがあったのだ。昔、奈良女にいた時、今頃に学長主催の留学生パーティがあって、私も学生部長として挨拶せざるをえない場面があって、「赤穂義士四十七士の討ち入り」の話をしたことがあった。この「忠臣蔵」を留学生に説明するのが結構難しかったのを覚えている。
で、何日か前のブログで、私の「義歯はギシギシ」という話題を書いたら、兵庫県のマイミクさんが、音から連想して赤穂の義士と町づくりの話でコメントを書いてくれた。
義歯は、やはりまずい、咀嚼力が弱い点、出し入れで見苦しい点などが問題点だ。明日は、いよいよ義歯を「越える」インプラントの装着、最後の段階だ。
(写真は、現代の赤穂義士)

月給と週給(日本とイギリス)

2007-12-14 | 生活描写と読書・観劇等の文化
日本の給料の払い方の基本は月給で、かっての(1982年頃にも聞いた)イギリスは、基本が週給だった。現在は、月給も増えているようだ。
19世紀頃のイギリスの風俗画というか庶民生活の「写生」を見ていると、パブ(イギリス風居酒屋)の前で週給を貰っての帰りの旦那を女房が待ち受けていて、旦那の手から週給(袋)をもぎ取っている図がある。これは、黙っていると旦那がパブで週給を使い果たす恐れがあるためだ。これは、極端な一例だが、週給だと「7日間の生活が持てばいい」ので、計画的使用への強制力は弱い。その点、日本の月給では、それで30日間もたねばならないので勢い計画的に配分して使わざるをえなくなる。日本で大抵の世帯が家計簿をつけているのも、計画的消費、生活のためだ。

イギリスで住宅管理を始めたオクタヴィア・ヒル女史が、定期的に借家の家賃を集めつつ、住宅や共用空間の傷み具合をチェックすると共に、計画的生活の勧めを説いて回ったのは、1860年代、日本の明治維新の頃で、それが「住宅管理人(兼生活指導者)」という特に女性の職種を生み出したのだ。最近は、イギリスでも経営の観点からも月給が増えているらしいが、庶民の計画的生活態度はどうなっているだろうか。
(写真は、ナショナル・トラストも創始したOctavia Hill女史)

体のメンテナンス(維持管理)と費用アップ

2007-12-13 | 生活描写と読書・観劇等の文化
実は、3年ほど前に63歳の定年で退職し、現在の所に再就職したのだが、63歳までは大きな病気らしきものはしたことはなく、入院も皆無だった。従って、保険は風邪等の治療には使っていたが、掛け金の方が遥かに多かったと思う。ところが65歳の頃から、つまり「法定高齢者」の仲間入りをした頃からちょくちょく医院や病院にやっかいになっている。治療費は掛け金に見合ってきたかな、と思う。

事実、歯科は最近は週一でずっとかかって、今インプラント装着の最後の段階だし、眼科は緑内障チェックと予防で月一回通っている、今日も行った。「60肩」で針灸整骨院に週一回行っている。耳鼻咽喉科は季節に一回診てもらう。

ならすと3割負担の保険で、月1万円以上払っている。(歯科が一番高い)10割負担なら4万円ほどだ。まあ、しかし、65年以上も人間やっていると、心身のメンテナンス費用がポンと上がりうることが分かった。

来週は年一回の人間ドックで、胃カメラも「飲む」予定。

妻に聞くと、一応、入院用には「保険」すでにかけているようだが、
まあ、マンションのように、体に対しても日常メンテナンスコストと共に計画メンテナンス(修繕)費も必要だな、と漸く分かった。

今年の漢字=偽(ぎ)、続いて食、嘘

2007-12-12 | 言語・字・言語遊戯
今日、今年の漢字が発表され、例年のように京都の清水寺で管主が、今年トップ漢字の「偽」という字を墨痕鮮やかに書いているのがテレビに映っていた。続いて、食、嘘という字と言う。

確かに「偽(ぎ)」は、偽りの食、偽りの住等で毎日のように新聞を賑わせた。
「人が為す」のが「偽」とは何たること、と思うが・・・。

政治、行政の面でも「偽」「嘘」がまかり通った。防衛省の前事務次官・守屋某に対する防衛商社による前代未聞のゴルフ接待漬けが問題となり、関連して歴代の防衛相の「わいろ」の疑いも国会等で取り上げられた。今年は嫌な幕切れだ。

来年は、「偽」が「義」に転じてほしいものだ。
NHKTVでは、来年は、歩、幸、澄、結になったらいいな、と言うことらしい。
「歩ちゃん」「結ちゃん」って子が身近にいるな、と思った。

「御茶ノ水」と「お茶の水」

2007-12-12 | 言語・字・言語遊戯
昨日、東京出張の帰り、JR市ヶ谷から御茶ノ水経由で東京駅まで、ある先生と来たのだが、その「御茶ノ水」駅で、私は「お茶の水女子大は、昔この辺りにあったようですね」と昔聞いた話をした。東大出身のその先生も「そうでしょうね」という位で、一寸心配になって調べてみた。

「御茶ノ水」については、Yahoo知恵袋に次のような説明があった。「慶長9年(1604年)ごろ、今のJRホームの対岸に高林寺と呼ばれる寺があり、その寺の境内に水が湧き出ていた。徳川家康がその湧き水を運ばせて、茶をたてたところからこの名が付いたとされる。」とある。

一方、「お茶の水」については、「お茶の水女子大」のホームページから沿革を調べると、明治8年(1875年)に、お茶の水女子大の前身、「東京女子師範学校開校式を挙行、開校の場所は、江戸時代から「御茶の水」と呼ばれていた現在の文京区湯島一丁目」とある。それが、現在地にくるのは関東大震災で校舎焼失したあとである。昭和7年(1932年)である。戦後に、東京女子高等師範学校が大学になった時に、どういう名称が良いか、東京女子大学というのは既に私学にその名称があったために、現在地(茗荷谷ーみょうがだにー)ではなく発祥の地の「御茶ノ水」に因み「平仮名」を取り入れ「お茶の水女子大学」となったと思われる。どうでしょうか。

東京の鉄道空間ー立体開発等

2007-12-11 | 訪問場所・調査地
今日、東京に出張、JR市ヶ谷駅まで行った。行きは、東京駅から山の手線で秋葉原まで行って総武線(各駅停車)に乗換えて市ヶ谷まで。帰りは、市ヶ谷から総武線で御茶ノ水まで行きホーム向い側の中央線に乗り換えて東京まで行く。中央線の東京駅ホームは高くてエスカレータも長い。うーん東京ではエスカレーターの左側に立つんだな、関西やロンドンの右側立ちと違うな、いつか友人のFUTANさんも言っていたな、と思い出す。新幹線東京駅のホームから見ると丸の内側の赤レンガの東京駅建物は低く「沈んでいる」ようだ。東京駅では、地下ホームもあって、狭い空間を立体開発している、と改めて認識した。

新幹線の車掌所作観察、聞き取り

2007-12-11 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日、「野暮用」で東京に出張、13時から17時まで会議の予定がトントンはかどって16時前に終了、東京発18時過ぎの「ひかり」で帰る予定を変更して16時36分発「ひかり381号」で帰ることにした。新横浜、豊橋、名古屋以下各駅に止る岡山行きである。私の席は12号車7A席、新横浜を過ぎた頃、車掌が検札に来た。
で、車掌の所作を見ていると、各席で乗車券、特急券を見てから、手元のメモに鉛筆でチェックしている。きわめて手際よくやっている。そこで、私は、私の番になった時に立ち上がって「すみません、社会勉強なのですが、どういう風に鉛筆チェックしているんですか」と聞いて覗き込んで見た。そこには簡単な印で各座席欄にチェックが書き込まれていた。「これは車掌各人それぞれで工夫した印です」とその若い車掌は言う。見ると、京都は「=」印だった。へーと思った。今日の新幹線では一寸した社会勉強をした。
(写真は、検札チェック中の新幹線車掌)

平安女学院短大保育科・柱本 優教授の通夜に行く

2007-12-10 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
平安女学院短大保育科・柱本 優教授は一昨日の夕方亡くなって、今日、お通夜があり、出かけた。享年51歳。昔は「人生五十年」と言ったかもしれないが、現在の基準では若くして亡くなられ残念だ、と言うしかなかろう。

柱本先生は、京都市立芸術大学音楽学部作曲専攻のご出身、縁あって6年ほど前に平安女学院短大保育科教授に音楽担当として赴任され、病気休職されるまで保育科専攻主任を勤めておられた。先生の専門業績には幾多の作曲された曲がある。
『ソプラノと管弦楽のための「みみをすます」』(谷川俊太郎 詩)
『リコーダのための「クリシュナ」』
『管弦楽のための「プラーナの瞑想」』
『無伴奏ヴァイオリンのための「十寸神」』等がそうだ。

お通夜は19時より、京都の東本願寺の裏側・新町通りに面する明覚寺で行われ、私も参加した。山岡学長、坂口副学長、梶浦理事、小林理事・事務局長、佐藤国際観光学部長など平安女学院の幹部はじめ、多くの教職員が参列した。

柱本 優先生は、実はこの明覚寺の住職だった。だからお寺だが「自宅」での通夜、葬儀(明日10時より)である。仏教に関係していたにも関わらず、キリスト教系の平安女学院で、カンタータ(キリスト降誕劇)の「音楽監督」を勤められた。明後日のカンタータを前に亡くなられ、先生も残念に思っていることだろう。

ご冥福をお祈りする。

(写真は、元気だった頃の柱本 優先生)