西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

鹿背山の柿と「柿喰えば・・・」

2007-12-03 | 地域居住学
今日、家に帰ってリラックスして一寸焼酎湯割を飲んでいたら、「ピンポーン」と鳴った。出てみると、門口に旧・木津町鹿背山(かせやま)の青木正昭さんとM.さんが立っていた。取れたての柿一箱を差し出して、「取りたての柿です。新聞『洛南タイムズ』の12月1日号に鹿背山の柿のこと、書いてもらいました」とそのコピーも添えてくれた。有り難く、その柿箱を頂いた。「未だ、柿取れますから来てください」とタゴール農園園主・青木正昭さんは言う。
是非、次の記事を読んで、末尾の電話で電話して出かけていただくと有り難い。
http://www.yamashiro-kodo.gr.jp/contents/hito/h2_aoki.html

『洛南タイムズ』の記事を参照しつつ、「柿喰えば・・・」について語ってみたい。正岡子規の有名句「柿喰えば鐘が鳴るなり法隆寺」は日本人なら誰もが知っている句の一つだ。ところで正岡子規が奈良に来て実際に柿を喰ったのは、法隆寺近くでではなく東大寺近くの旅館でであったと言う。その旅館で子規に柿を出した女性(娘さん)が鹿背山の出身と言う。子規はそこでの実体験を踏まえ推敲して句では「寺」を変えたのだ。確かに東大寺より法隆寺の方が味わいがあり余韻が残るだろう、と思う。

ところで鹿背山は、恭仁宮(くにきゅう)から南を見て右手・東側に見えている。その向こう側に青木さんの柿農園がある。是非一度行って下さいね。

年末の「兄弟会」で知多半島・内海へ

2007-12-03 | 生活描写と読書・観劇等の文化
11月30日から妻の兄弟夫婦で年一回行っている一泊二日の「兄弟会」に行った。妻は名古屋の出身で、兄が四人いたが、長兄が亡くなって三人になった。妻は末っ子で唯一の女性だ。義兄三人夫婦と我々二人で計八人の会合だった。

で、その「兄弟会」は、知多半島の突端・内海の会員制ホテルであった。温泉付ホテルで(フランス風名称の)オテル・デ・マロニエである。海岸に建っており窓から伊勢湾が見え、はるか向こうに三重県が見えている。昔、豊田高専に勤めた頃(1966年から1968年)に夏、海水浴に来たことを思い出した。内海は海水浴で有名な所だ。11月30日の夕食は、伊勢えび会席だった。酒も色々飲んだ。師走1日前だったが、私は前にも詠んだ次の「句」を披露した。

なごやかに 兄弟と飲む 師走酒    市路
(注:「なごやかに」に「和やかに」と「名古屋かに」との両意をもたせる)

で、会食での主な話題は、自分達の健康のこと、趣味やライフスタイルのこと、子供や孫達のことだった。この「兄弟会」が何時まで出来るか、も話題となった。現在70歳代夫婦二組、我々も含め60歳代夫婦二組だが、6年ほど経つと80歳代、70歳代に移行する。「少なくともそこまではやりたいね」となった。

11月30日からの泊り込みで行ったのだが、12月1日には帰りに美浜町美浜緑苑にある「杉本健吉美術館」に行った。名鉄の駅から歩いて10分位である。杉本健吉画伯は、2004年に99歳で亡くなったが、生前にこの美術館は出来ていた。その初代館長だった本多静雄さんは、何故か金沢絡みで知っている。杉本画伯は作家・吉川英二の「新・平家物語」(『週刊朝日』連載)の挿絵を描いたことで有名になった。
他にも懐かしい絵が多い。宇治平等院の雪景も数点あるが、視角がユニークだ、池の横から見ていて右手に鳳凰堂がチラッと見えている。曼荼羅絵もあり興味深々だった。