西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

生活空間と言葉-1

2007-12-16 | 言語・字・言語遊戯
ぼちぼち「生活空間と言葉」についてピックアップし考えていきたい。


○壁に耳あり障子に目あり
 これは、かっての日本住宅の部屋の「プライバシー」のなさを示している言い方である。壁は薄くて耳をつけると、隣の部屋の話し声が聞こえてしまう、障子に小さく穴を開ければ、たちまち全てが見えてしまうから注意しろという訳である。だから例えば時代劇等を見ると内密の話をする時には逆に障子・襖を開け放って部屋の真ん中で話す場面に出くわす訳だ。この言い方は『源平盛衰記』あたりから用例があるようだ。尤も、そこでは「壁に耳あり」だけで「障子に目あり」は古典では用例がないようだ。それにしても、確かに日本住宅における壁は薄く、障子はさらに薄くて無きに等しいので音を防ぐのに対しては全く用をなさない、と言えるだろう。
 これを住居の問題として「日本の部屋の仕切り(壁や障子)はプライバシーを守る上で問題だ」とだけ捉えるのはどうだろうか。一考を要すると考える。と言うのは、長年そのような住環境で過ごしてきたために「聞こえているが聞いていない振りをする」という生活慣習、約束が成立してきた面があるのではないか。これは、聞くにおいてだけでなく、狭い住環境でゴチャゴチャ住んできたために、見るにおいても「見て見ぬ振り」という約束もあると思われる。確かに、例えば主寝室(夫婦寝室)のプライバシーのなさが「ラブホテル(最近はファッションホテルと言うようだが)」の隆盛に一役かっている、という説があるように、住居内において、簡単に部屋同士で見えたり聞こえたりするのは「まずい」面もなきにしもあらずである。だから、プライバシーをしっかり確保すべきところもあるのは事実だが、どの部屋もガードの固いものにする必要はないのではないかとも思われる。「見て見ぬ振り」「聞いて聞こえぬ振り」というのも住居における「思いやり」の一つではないか、と考えるが如何なものだろうか。更に言うと、微かに見えたり聞こえたりすることで家族間の「気配の伝達」が出来るという良い面もあるのではないか。