西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

生活空間と言葉ー2

2007-12-17 | 言語・字・言語遊戯
○孟母三遷
孟子の母親は、孟子の教育のために三度居を移したことを言う。その三度だが、具体的には一度目は、墓場の近くに移したのである。その結果、孟子は「墓場遊び」をして困ったらしい。そこで次に、市場の近くに居を移した。そこでは商売人の真似をして困ったと言う。だから三度目には、学舎の近くに移り住んだのである。その結果、孟子は良く学問をするようになった、という訳である。私は、これらを「平面的」に解釈せず、学習の積み重ねとして理解した方が良いと考えている。つまり、「墓場の近く」にいることによって自然と人間の死について考えたのではないか。「市場の近く」で世の中の物の流れ(交易)を学んだのではないか。そして最後に「学舎の近く」で「花も実もある」学問が出来たのではないかと推測している。

窓からの風景ー1,2

2007-12-17 | 住まい・建築と庭
別の地域SNSに投稿した記事で、こちらにも転載したほうが良いものを転載しておきたい。窓からの風景シリーズである。

(1)私は、町並み風景の一要素としても窓の並びなど外からの外観風景も大事と思うし、外観の並びについては多くの人が問題としている。

ところが、家の中からの外の風景については、大事だけれど、位置づけ、扱いが難しいのか、多くの人がきちんと問題としていない。

で、今後、個人的に、事例的に窓からの風景に関する実例や考え方を集めてみたい。

先ず、窓というのは英語ではWINDOWであり、これはWIND+OWである。WINDは「風」であり、OWは古語で「目」である。つまり、英語のWINDOWは、風通しが良くて、見晴らしが良くないといけないのである。日本語の語源は、確かなことは分からないが上田 篤さんは『日本人とすまい』(岩波新書)で、「柱と柱の間(ま)の戸(と)」即ち「間戸=まど」ではないか、と言っている。そこでは、内外の関係性より左右の関係性で言い方が決まっていることになる。まあ、日本の窓や戸の特徴として「引き戸(窓)」が多いことと関係があるかもしれないが、当面、内外関係性として英語の窓を意識していきたい。

私は、現在の家を13年ほど前に造ったとき、窓をどうするか、も考慮点の一つだった。書斎は2階の北面の部屋で八畳ほどあるが、北側、東西側に計三つの窓がある。窓を減らして壁とすれば、本棚も増えて本や資料の収納からは良いのだが、実は三面の窓の前にそれぞれ机をセットしたのだ。これで平行して三つの仕事が出来るともくろんだ。

で、実際は、そんなに上手く運んでいないが、それらの机の前に座って外を眺めた時に、はっと気付いた。(後の発見)北側の窓からは真ん前の竹やぶが見えている。西側の窓からは、ニュータウン北限フリンジの緑が見えている。東側の窓から遠くの山並みが見えている。そこで三つの窓の命名が決まった。即ち「近緑の窓」「中緑の窓」そして「遠緑の窓」である。(続く)

以上は同じ趣旨をこのブログのどこかで述べたことがある。

(2)妻が京都府立大学付属病院に入院したことがあった。
河原町通りに面する病棟である。たまたま四人部屋で廊下側と河原町通りに面する窓側のベッドが空いていた。看護婦(今なら看護師か)さんが「どちらがいいですか」と妻に聞いた。

妻は一寸考えて「窓側にして下さい」と言った。妻がそこに落ち着いてから私は聞いた。「どうして窓側がいいと言ったの?」と。彼女は答えた。「だって、河原町通りの歩道の人たちが見えるし、特に学校行き帰りの小学生の元気な姿が見えるのが良い。元気な彼らを見ていると、私も早く元気にならなくっちゃ、と思うし・・・」

その時から、私は窓からの風景に、元気な子供達が見えること、というのが必要条件の一つだな、と考えるようになっている。