西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

昭和20年代(1945~1955年)の再検討『敗北を抱きしめて』より

2011-01-31 | 金沢の思い出
昨日のブログで、昭和20年代の進駐軍やGHQその「親分」のマッカーサー元帥(連合国占領軍最高司令官)の言説や行為あるいは当時「宣伝」されたアメリカ文化の「怪しげさ」を当時の検閲体制の存在とともに指摘した。(入江隆則著『敗者の戦後』(ちくま学芸文庫)による)

で、今日はアメリカ人ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて(上、下)』(岩波書店)を買ってつらつら読みだして、まあ昭和20年代の特に27年4月までの「占領」日本をじっくり再検討する気になった。

当時(アメリカ占領時代)、私は金沢で幼稚園から小学校に通った年代であり、天皇の全国行脚が進駐軍のジープを先頭に金沢も通り過ぎたこと(園児として国旗と星条旗を振っていたのではないか)、進駐軍接収住宅のありようを身近に見たこと、アメリカ文化センターの「温かい、明るい雰囲気」を味わったことなどの実体験はあるが、その意味も噛みしめ、再検討しようと思ったのである。

あること(効果)を狙ってやったことが、思わざる別の効果に繋がることは歴史では絶えず起こっていることだが、日本を「凶暴な軍国主義的天皇制」から根本的に「平和で民主的国家」へと転換しようとしたことが数年を経ずに「軍備国家」に転換させられると言う翻弄がやってくるのもその実例の一つである。

保守・反動主義者は、日本国憲法の非軍事平和主義を、アメリカから押し付けられたと言うが、「再軍備国家」もその後アメリカから押し付けられた国家像であり、(私も含め)日本国民は、より早い徹底した「理にかなう」「押しつけ」(非軍事平和主義)を、より普遍的なものと心底思ったからこそそれが血肉化し、憲法改悪が阻止されていると思う。

こういうことは、もっと言っていかねばなるまい。

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