西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

ヘーゲルの『精神現象学』について

2005-08-16 | 名古屋・豊田の思い出
私が豊田高専に就職したのは1966年で約40年前だ。4年生が最高学年で18歳、私が修士出たての24歳、兄貴と弟の関係で、私が今年63歳で定年になったが、彼等も多くは57歳で定年(60歳)まで2,3年と思う。初期の豊田高専には凄い学生が何人かいた。M君もその一人だ。ヘーゲルの『精神現象学』を読みこなしていたのだ。私は、ヘーゲルはマルクスの「師匠筋」で弁証法の本家とは知っていたが、岩波文庫で『小論理学』を持っているにすぎなかったので、「凄い学生がいるもんだ」とびっくりした。彼は今どうしているだろうか。ヘーゲルは、その中で「主人の労働、奴隷の労働」ということを言っているようだ。主人は、奴隷を自由自在に使って物を作らせるが、本人は、それを消費、享受するにすぎない。奴隷は、主人の命で苦難の労働をするが、彼等はその中で物の性質、本質を知ることになる。認識の発展を担っているのは実は奴隷であると言うことになる。(清水正徳著『働くことの意味』岩波新書より)
M君に刺激され、一応『精神現象学』は買って本棚の隅にあるが何時読むことになるのだろうか。

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