西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

服部千之先生との出会いと付き合い(2)交換価値と使用価値

2005-07-25 | 名古屋・豊田の思い出
今、名工大(名古屋工業大学)のキャンパスがどうなっているのか知らない。当時(1966年)頃は、正門から入って左手に鉄筋コンクリートの4,5階建てがあり(いまの24号館辺りか)、その2階に服部研究室があったと思う。教官室と、ゼミ室(院生研究室)が隣り合わせでセットになっていた。正門から入って右手に生協食堂の棟等があったと思うが(今はなさそうだ)、昼食時になると、服部先生は、生協食堂に行くと思いきや、桜井大吾助手に頼んで桜井さんの自動車で栄あたりに繰り出すことも多かった。付き合わされた院生としては、出費がかさんだかもしれない。しかし、このことに対して「服部理論」を言っておられた。生協食堂は、確かに安くて良いが、質が今一つ、揚げ物も早めに揚げているので食べる頃には冷えていて不味い、商品はなによりも使用価値が大切だ、と。使用価値というと、マルクスの『資本論』第一章商品の項の価値、交換価値、使用価値の分析が思い浮かぶ。服部先生は、そのことも踏まえ、価値の本質も重要だが、使用価値をどう判定し高めていくかも大問題、と言っておられた。今もその通りではなかろうか。(と言って服部先生は、美味いものを食べる理屈付けにしておられた。)
後注:名工大生協食堂の名誉のために言うと、その後、服部先生の発言が効いたか、直ぐに温かい揚げ物が出るようになった。

サッカーとラグビー

2005-07-25 | 生活描写と読書・観劇等の文化
来年、サッカーの世界選手権がドイツで行なわれる。恐らくサッカーが世界で最も多いスポーツファンを集めているのではないか。それに対してラグビーは、元々サッカーのボールを持って走ったことから始まったように後発スポーツである。そして、球がサッカーより複雑だし、元々イギリスのエリート校(ラグビー校)から始まった関係もあり、イギリスではサッカーが庶民のスポーツであることに対して、エリートのスポーツのようだった。それを象徴するのは次の言い方だった。もちろん、これはエリート側の言い方である。
SOCCER is the Gentle sport played by Barbarian and RUGBY is the Barbarian sport played by Gentlemen.

ビール系飲料の歴史感慨

2005-07-25 | 生活描写と読書・観劇等の文化
私が子供の頃(1950年~60年)、家で祖父が飲むビールは「麒麟」と決まっていた。しかし、時々しか飲んでいなかった。アルコール分と値段の関係では、ビールが一番高い「アルコール」で、ある時、京大先輩(農学部)のE先生やⅠ先生が「こんな毎日ビールが飲めるなんて豊かになったものだ」と言っておられた。
麒麟ビールは、やがて「ASAHI dry」にとってかわられた。そして今、発泡酒系の時代となり、「SAPPORO Draft One」がブームを起こしている。ビール系の原料は大麦と決まっていたが、ここにきて多様化し、「SAPPORO Draft One」の原料はえんどう豆のようだ。飲んでみたが「水」のような感じだった。
イギリスでも、私が洒落で「ビールと言ってもエール」と言った具合に色々あった。パブで飲むのも普通のラガーもあったが、苦いビターもあった。私が行っていた1983年頃には注文すると冷えたビールが出てきたが、その前は生ぬるかったと聞いた。今や、アメリカの大手バドワイザーや中国の青島(チンタオ)ビール、ドイツ、オランダ、デンマークのビールなどを含め世界的大競争の時代だ。どうなるか楽しみだ。

樹木(8)柿

2005-07-25 | 生活描写と読書・観劇等の文化
「つなね」の私の家の個木が柿である。奈良らしい木と思ったからだ。奈良は柿の葉寿司の本場で、実際に柿の生産も日本一二とのことだ。それに俳人・正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という名句の里でもある。ところで、私の子供時代、金沢・櫻畠には元足軽屋敷が多かったせいか、実のなる木が多く、柿もあった。私の家にはなかったがOKさんの家の前にあった。ここで、私は木登りして落ちた経験がある。これで柿の木の枝は折れやすいという認識が身に滲みたと思う。
郷土の詩人・室生犀星は自伝的小説『幼年時代』を書いているが、その中に子供達が柿狩りする「ガリマ隊」というのが出てくる。私達の子供の頃、そいう呼び名は聞いたことはないが、やっていることはやっていたので理解出来た。つまり「ガリマ隊」は、家から道路にはみだした柿の実を竿を使ってとるのである。竿の先を二つに割って固定し、そこに柿の枝を入れて捻ってとるのである。そのことは、大目に見られていた。何故なら家からはみでた柿は落ちれば道路を汚すので、それなら子供達にとって貰おうという訳だった。ああいうことは、今では恐らくやっていないだろうな、と思っている。

金沢の思い出ー犀川-4

2005-07-25 | 金沢の思い出
溜まりで泳ぐこともあったが、流れの中で泳ぎ下っていくこともあった。犀川は、泳ぎだけでなく魚とりにも使ったし蛍狩りにも使った。魚は、鮎も勿論いたが、中々つかまえられず、ウグイは何とかつかまえた。釣りではなく網でとるのである。又、水中眼鏡とヤスを使い、川底の石をそっと上げて裏に潜む魚を狙うこともあった。夏の夜は夕涼みの散歩に大抵、犀川まで下りてきた。川風が気持ち良かったのである。川べりの草むらに蛍があちこちで光っていた。「川開き」の花火大会もあった。打ち上げ花火や仕掛け花火を櫻畠の奥のOさんの2階から見たこともある。櫻畠の奥は丁度、犀川の上にあたっていて、一番奥が空き地になっていて、そこからも仕掛け花火を見下ろせたが、一歩下がってOさんの2階は蚊もこなくて「特等席」だった。

私の考え出した言葉(19)健全なコミュニティの世界的ネットワーク

2005-07-25 | 私の考え出した言葉
最近もロンドンやエジプトで同時多発テロが起こっている。この言葉は、ニューヨークの9.11の後、2002年の「日本家政学会誌」1月号の年頭所感で述べたものだ。
「・・テロを防ぐにはどうしたら良いのか。軍事力や警察力だけでは究極的に抑えることは出来ないと思う。それが可能ならば既に抑えられているはずだ。テロは、既存の軍事力や警察力を巧みにかいくぐってきたからこそ生き延びているのだ。また、軍事力や警察力をむやみに大きくすることは、社会の重荷(税負担)になるし、社会を「暗くすること」でもある。私は、世界のテロ・ネットワークを防ぎ、抑えるのは、やや「我田引水」「手前味噌」になるが、健全なコミュニティの世界的ネットワークの形成ではないかと考えている。・・」
これについて、中学校の同級生のN君が賛成してくれた。
では、どうやって?!ゆっくり急いで考え構築していこう!

私のネタ本

2005-07-25 | 地域居住学
今日でブログ一ヶ月だ。全部で210編も書いているので平均日に7編だ。こういうことは長くは続くまい。ついでに報告しておくと、最近は日に70人(70台)以上の方に見ていただいている。連絡した学生、奈良女子大関係、京大建築関係、金大付属高校関係等々と想像され、話題の中心もそれらの方との接点を若干意識している。しかし、一般的時論も書いている。
私のブログのネタは既に書いた二冊の私家本(『奈良、奈良女子大学と私』、『つながりの豊かな地域居住』)と日記である。日記は1988年2月頃から「ワープロ」で寝る前などに毎日つけており、今年で18年目に入っている。だから例えば「日記の日記」という項目を作れば、1年間でやるとすると、17年分、毎日17項目書けることになる。まあ、そういうことはやらないが・・。
前二者を読んでいただいている方もあるが、毎日、小項目で読むと「新鮮」かもしれない。
今後は、ペースダウンでいきますが、お付き合い下さい。