西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

私が考え出した言葉(17)豊かとは、曲がった豆とおぼえたり

2005-07-21 | 私の考え出した言葉
今回は軽い奴を一つ。これは豊中市の連続公開講座で言って、昨年、奈良女子大での産学官の会合でも言ってみて一寸「受けた」ものである。これは、豊という字は、曲の下に豆を書いているのを、素直に言ったものだ。実際に、豊という漢字はどうして生まれたか知らない。
しかし、表記のように言っても間違いではない、と思うのは、最近は曲がった胡瓜でも(豆でも)無理に真っ直ぐにしていて、それは自然のものとは思えないし、豊かとは何よりも自然のまま、が本来の姿とおもうからである。
「えっそんなこと 言うたかな!?」

地域居住学の質問と答えー歩道橋とスクランブル交差点

2005-07-21 | 地域居住学
質問(Kさん)・・20日の講義の中で、歩道橋に関する意見をおっしゃっていましたが、私も本当にその通りだと思います。車社会の発展と共に、交通弱者の安全や権利が奪われていくなんてあってはならないことだと思います。バリアフリーや景観の問題もあり、歩道橋に変わる交通事故の対策案とて、スクランブル交差点の導入が進んでいます。身近な所では、JR奈良駅前の交差点や奈良教育大学前の交差点も、つい最近スクランブル交差点になりました。私はこのスクランブル交差点の導入はとても有効だと思いますが、先生はどのようにお考えでしょうか。

一応の答え・・私も有効と思います。交差点の所で歩道から車道に出て横断するでしょう。その時、歩道ー車道ー向こうの歩道と連続してバリアフリーになっていた方が良いですね。すると車の方がそこで一旦そこに乗り上げて又降りる形となりますが、それでよいのです。車は交差点で注意を強要されるし、スピードも落ちるのです。どうですか。


結婚披露宴での祝辞(3)

2005-07-21 | 生活描写と読書・観劇等の文化
先ほど新郎側の方が、アフターファイブの付き合いの後、夜遅くお邪魔するかもしれませんが奥さん宜しくなんて言われましたが、こういう時代に何と言うことを言われるのか、と一寸唖然としました。そこで私は新婦側の立場から新郎に言いたいと思います。今や男女共同参画社会へ、と言っている時代ですから新郎も家庭では出来る限り共同で家事に取り組んでくださいね。やがて二人の可愛い子供が生まれたら二人で育児して欲しいと思います。私も不十分でしたがオムツの取替え等やりましたよ。育児は、音で「いくじ」、漢字をかえてみると育自、即ち自分を育てることなんですよ。是非やって下さい。「育児なし」は「意気地なし」と言うのですから・・。

私の考え出した言葉(16)国破れずして山河危うし

2005-07-21 | 私の考え出した言葉
これは、見たらすぐ分るように、「国破れて山河あり 城春にして草木青し・・」の漢詩の冒頭の「もじり」である。この言葉を使ったのは、何回もブログでも話している恩師の西山卯三先生が京大を定年退官されるに当たり弟子達がつくった2巻の記念論文集の中に私が書いた論文においてである。1974年のことである。当時は終戦後ほぼ30年が経過している。確かにその間、わが国は戦争に巻き込まれ「破れた」という状況ではない。しかし、高度経済成長の過程で公害問題が起こり、環境破壊が全国化し、正に緑なし水の滴ると言われた我が山河が危うくなってきていたのだ。自分としては当時の状況に(そしてある意味では今も続いている状況に)正にぴったりの言葉と思ったが・・。『農山漁村地域における地域環境管理計画』(『現代の生活空間論』(下)勁草書房、1974年12月より)

地域居住学の質問と答えー大学と地域

2005-07-21 | 地域居住学
質問(Hさん)・・昨日の講義の中で先生がおっしゃっていた「もっと大学を地域に開いたらいい」ということに関して、公園並みの広さや緑をもった大学がほとんどであり、もっと開放的にして誰もが気軽に入れるようにしてみては、と私は賛成意見です。敷地境界の背の高い植え込みや塀を、並木程度に変えてしまってもいいと私自身は思っているのですが、実際は女子大などでは特に、夜間に変質者の温床になることはほぼ間違いないとも言えます。海外の大学は地域に開かれていて、誰でも簡単に敷地内に入れるということですが、なぜそのような形態が実現しているのですか。考え方や風土の違いはもちろんあると思いますが、犯罪やその他の問題は起こらないのでしょうか。

一応の答え・・日本の今のキャンパス状態を前提して、それを「開く」ということは周りの境界を取り払うことだ、と単純に理解しない方が良いと思います。私がいたロンドンのLSEというのは、町中ビルの中にあって銀行などと「雑居」状態の部分(本部事務)もありましたが、図書館はきちんと独立建物で市民も許可した人以外はブロックしていました。オックスフォード大学などはキャンパスの建物周りの芝生の辺りは誰もが歩いたり座ったりしていますが、カレッジの中には学生と教員しか入れません。ハイデルベルグ大学で見たのは、町中のビルの中に大学があって窓から中の様子は分りますが、目的がないとビルには入れません。今の日本のキャンパスは、外部の人が入らないことを前提につくっているので、単に開くと、貴方がいうように一杯ある「死角空間」に変な人達が入り込む恐れ十分ですね。だから何のために開くのか、をはっきりさせ、それに応じた開き方をする必要がありますね。市民と一緒に研究するというなら、そういう「場」を作って招いたら良いし、単に散歩の要だったら、外側だけに限定、或いは昼間だけ中庭まで、と言う具合にやるなど色々考える必要があるでしょうね。奈良女子大学記念館はシックな木造明治建築で休みには多くの市民がスケッチしていますが、あの場合は守衛室のまん前なので安全ですね。現在ある状態から考える場合、新規に考える場合、むしろ大学から地域に出て行く場合(奈良町セミナーハウスなど)色々のレベルで考えてみてください。もちろん、犯罪や事故が起こらないことが条件です。


地域居住学の質問と答えーJR高槻駅北側再開発問題

2005-07-21 | 地域居住学
質問(Oさん)・・JR高槻駅北側再開発について
ブログ読ませていただきました。私は、高槻市の隣の町に住んでいます。高槻駅前の超高層ビルに行ったこともありますが、率直に言うと、あれは失敗ではないでしょうか?都市のランドマーク的役目として建てられたにしては、過剰な気がします。周りは低い建物だけに余計そんな気がしてならないです。
まだ、再開発は始まったところですが、完成時に、あれが馴染むかと言ったらそうでない気がします。私は市民ではないので、反対運動があったかどうかは知らないのですが、超高層ビルが建つときは、たいがい反対が起きると思います(思い込みでしょうか・・・)。それでも結局建ってしまうのは何故でしょうか?それほど行政は強いのでしょうか?
私は超高層ビルがどうこうよりも、高槻の治安のほうが心配です。

一応の答え・・読んでいただき有難う。超高層ビル反対市民運動あったかどうか、私は高槻は「新米」なので調べてみます。今、芥川一丁目中地区まちづくり協議会が再開発の協議をしており、8月2日にフォーラムがあるので、隣の町(茨木かな?)なら覗いてみてください。その「協議会」も私のブログに「刺激」されてブログ立ち上げたので、場所や時間、等はそちらで見てください。http://blog.goo.ne.jp/akutagawa1naka/
行政が「強い」というより、そういう超高層を立てても需要があると計算するデヴェロッパーの存在が大きいと思います。回りに普通の住民が住んでいたら、当然、日陰になる、風の流れが変わる、電波障害が起こる、人の流れが変わる等々で「反対運動」が起こるのが普通ですね。
高槻の治安について、心配していますが、それについても一寸調べさせてください。

アスファルト春夏秋冬4句

2005-07-21 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
真夏になりつつある。アスファルトが暑い感じを更に暑くしている。みみずが、あちこちでアスファルト上で「焼け死んで」いる。アスファルトが地表を覆い過ぎると、水が浸み込まなくなり地下水に影響を与えると共に豪雨の時、地表を大量の水がながれる、又蝉なども地中から出にくくなる・・。
・アスファルト 切れ目に芽吹く 命かな
・真夏日に みみず哀れや アスファルト
・アスファルト 落ち葉の行き場 悲しかり
・初雪や 玄(くろ)い足跡 アスファルト 市路

注:一茶に「1524石畳 つぎ目~や 草青む」がある。
  土屋健太に「油蝉が 死にかけている アスファルト」というのがある。

金沢の思い出ー犀川-2

2005-07-21 | 金沢の思い出
夏休みになると、早速、犀川で泳いだ。泳ぐ格好であるが白い木綿の「六尺褌(ふんどし)」であった。川原に行ってから着けるのも面倒なので普通は家で「装着」して、短パンを上にはいて行った。帰り用のパンツは持っていったり持っていかなかったりだったと記憶する。六尺褌は正確に六尺あったかどうか分らないが、とても長かったのは事実である。今、装着してみろ!と言われれば恐らく出来るであろう。六尺褌は海水浴にもしたが、「鮫か何かに狙われたら褌を緩めて水に流して、こちらを大きく見せるんだ」などと言われていた。やや小さい時は、普通の一枚ものの「黒褌」だった。六尺にも1枚ものにも「赤褌(あかふん、と称する)」もあったが、派手で私はしなかった。大抵はゴム草履を履いて麦藁帽などをかむって行った。
犀川に着くと、土手からそろそろ「蛇かご」を伝って降りて、水の中を中州まで歩く。中州の適当なところに上着や帽子を置いて、いよいよ泳ぐのである。水中眼鏡も持っていく場合が多かった。

超高層感慨俳句4句

2005-07-21 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
地域居住学の質問と答えで大分「超高層」についての質問もあった。それに対する批判は『つながりの豊かな地域居住』(たけだ書店にあり)にゆずり、感慨俳句を4句あげておく。

(春)超高層 春の香りも 知らざりき
(夏)クーラーで 超高層に 夏はなし
(秋)超高層 ニューヨークの 秋悲し
(冬)超高層 降り立ち吹雪に 驚きぬ    市路

扇田 信先生の思い出(4)フランソア

2005-07-21 | 奈良の思い出(助教授時代)
扇田先生には、学位論文を書くに当たって色々とアドバイスしていただいた。何をテーマにするか、の段階からである。当時、私は京都の吉田から松ヶ崎に住んでいた。扇田先生は、北白川である。だから、帰りの奈良から京都までは同じであり、よく一緒に帰った。近鉄電車、京阪電車も「相談空間」だったが、京都の京阪四条に着いてから、よく「フランソア」にも行って「続き」をした。もう夕方の6時を回っている。扇田先生はお好きな珈琲を飲みつつパイプ煙草、私はビールを飲みつつ紙巻煙草だった。「フランソア」には京大生時代から何度も行っている馴染みの喫茶店だ。四条小橋から高瀬川に沿って、一寸南に下がった右手である。名前の通り、小さなフランス国旗のマークが「看板」に出ている。窓にはステンドグラスが入っている。小さなドアを押して入ると雰囲気の良い小さな空間が広がり、突き当りから左手に折れ、更に左手に折れると別の部屋といった感じの空間が続く。「名曲喫茶」風でクラシックがかかっていた。扇田先生との色んな議論は、座った場所と共に思い出す。その後、学生達を祇園祭りの宵々山あたりに連れ出すと、帰りによく寄った。この昔から親しまれている界隈、木屋町が最近「騒然」としてきたようだ。広原盛明さんのホームページでよく分かる。http://www.hirohara.com/
早く、一度行ってみたい。

私の考え出した言葉(15)住民エコ、コネ得

2005-07-21 | 私の考え出した言葉
住民エゴ、ゴネ得ではない。ゴではなく、コと「澄んでいる」ところがみそだ。
これらは、1990年2月頃に言ったものだ。その部分を引用する。
「・・住民の地域づくり、町づくりに対して時には「住民エゴ」、場合によっては「ゴネ得」などと非難されることがある。これに対して私は駄洒落で応えることにしている。住民参加の町づくりは、「住民エゴ」とか「ゴネ得」などと言った「濁った」ものではなく「住民エコ」であり「コネ得」と言った「澄んだ」ものなのである、と。その心は、住民が、広く多彩な住民達と協力することは、「住民エコ(ロジイ)」であり、住民自身、結びつくことによる「コネ(クション)得」を得る、ということである。・・」

『朝日』私の視点 自死遺族問題を読む

2005-07-21 | 時論、雑感
今日20日の『朝日新聞』の「私の視点」で奈良女子大学の清水新二教授が「自死遺族」の問題を論じていた。清水先生は、3月まで私の同僚で、あごひげを蓄えた論客だった。厚生労働省の研究所を経て来られた。現在も「自死問題」の厚生労働省研究プロジェクトを担当しておられる。自死者は年間3万人を越え、交通事故死1万人内外と比べ3倍である。何とかしなければならないのは当然のことだ。清水さんは世の動きに敏感な先生で「アル中問題」にも取り組んでおられる。私は、この新聞でも引用されている長野県の調査の可否について「研究倫理委員会」の座長をした。自殺(今回の自死という言い方は私にとって新鮮だった)しそうな人も含む調査なので、調査自体が「自殺」に向かって背中を押さないように慎重に調査項目(聞き方も含む)が検討されていた。
ここでは「自死遺族」の問題が論じられていて、それも大切だが、自死そのものを如何に食い止めるかがもっと大事だ。リストラ等ストレスの多い世の中、ある程度、自死は止むを得ないなどと言ってはいけない。私は、自死者が狭く狭く自分を追い込む舞台を事前に如何に広くするように働きかけるかが大事と思っている。