西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

言語遊戯(5)ドイツ語DamenとHerrnなど

2005-07-06 | 言語・字・言語遊戯
ドイツ・フランクフルト空港での話、着いてすぐ私はトイレへ急いだ。そこで友人の声が飛んだ。「そちらは駄ー目ん(Damen)、こちらに入(へ)るん(Herrn)だよ!」

ウイーンに行って、ぐにゃぐにゃな、色もサイケデリックな集合住宅を見た。建築家HUNDERTWASSER(フンデルトヴァッサー)さんだ。いわば「百水」さんだ。その伝で行くと、今年、有名論文発表百周年のEINSTEIN(アインシュタイン)さんは「一石」さんである。

まちづくり四十七士、県土づくりThousand leavesの会

2005-07-06 | 私の考え出した言葉
金沢の兼六園、兼六タウン構想という数字の「六」が出たついでに、他に提案したことのある数字について紹介する。ある時、赤穂市に頼まれてまちづくりに関する講演に行ったことがある。それでピンときたと思うが、講演の最後に赤穂は「忠臣蔵四十七士」の町だから、色々な人たち47人市民を集めて「まちづくり四十七士委員会」をつくったらどうか、と提案したことがある。次は、千葉大学教授の延藤安弘さんを奈良女子大の大学院の特別講師に招いた時の懇親会の席、千葉県の地域づくり県民の会をつくるのなら、「千葉」という位だから「thousand leaves」の会(千人の会)はどうか、と言ってみたことがある。二つとも、その後、出来たとは聞いていない。そうだろうな。

兼六園、兼六タウン構想

2005-07-06 | 地域居住学
兼六園は、わが故郷・金沢の名園である。前に金沢の各家の庭のモデルではないかと言ったことがある。兼六園とは「六つの良い所を兼ね備えている」園という意味である。その六つとは「宏大、幽邃(ゆうすい)、人力、蒼古(そうこ)、水泉、眺望」であって、二つずつとって見ると互いに矛盾する面がある(例えば、「眺望台」から左手に日本海、真ん中に卯辰山、右手に戸室・医王山の素晴らしいパノラマ(眺望)が見渡せるが、その「台」の直ぐ横が「霞が池」で、これまた素晴らしい水泉で、「眺望」と「水泉」のどちらを見ようか迷うのである)が、それらを何とか一つの空間のまとめたのが兼六園である。
全然違う話だが、ある時、金沢のまちづくりを考える時「兼六タウン構想」と名づけたら分りやすいのでは、と思ったことがある。曰く(1)町内が20戸位のコミュニティ、(2)何処に行くにも選択できる二つの道(例:表通り、裏通り)、(3)道は曲がりくねって狭いが大人の歩行や子供の遊びに安全、(4)何処にいくにも歩行、自転車そして電車で用がたりる、(5)近くに泳いだり魚とりの出来る清流がある、(6)遠くに緑の山並みが眺められる。これらは、私が子供の頃(1955年前後)に住んでいた金沢市寺町台を原風景としている。(初出:宮本憲一先生との出会いと付き合い、『財政学散歩』1993年5月号)

「臭い付け元祖」秋山俊夫・晴子邸のこと

2005-07-06 | 地域居住学
今年2005年にも日本家政学会が中村学園で行なわれたが、1990年5月25日から27日にも行なわれた。その機会に宗像市にある秋山俊夫・晴子邸を5月25日に今は亡き菊澤康子さんと訪問した。二棟建っていたと記憶するが、一棟は夫妻の居住用、もう一棟は「学生用」とも言えるものだった。当時、お二人とも福岡教育大学の教授であるが、教え子達に「オープン」で、彼等が押し寄せてきている感じだった。当日も卒業生が来て勝手に料理し食べていた。「学生用」棟にはバーも付いていた。夫妻用棟の居間やトイレを見て驚いた。居間には俊夫先生のダーツ、ゴルフのパター練習装置が置かれ、トイレにはラジオ等が置かれていた。俊夫先生の「臭い」が必死につけられている感じで、これぞ「臭い付け元祖」の家だなと思った。ところで、お二人とも学生思いだな、と感心して記憶に強く残ったことがある。それはお二人がそれぞれ卒業生の結婚式に招かれて貰った引き出物等が、1室の棚に何十ときちんと名前や卒業年次等が書かれ整理されて置かれていたことである。学生思いの先生なので、彼等は結婚後も慕って「子供が生まれた」「悩みがある」「外国に行ってきた」等と言ってやってくる。その時に、その旧学生に貰った引き出物や貰い物等を棚からさっと出してもてなすのである。例えば、お皿、コップなどだったら、それを見て旧学生は「先生に大切に使って貰っているのだな」と思うに違いない。言ってみれば旧学生達の「臭い」がしっかり秋山邸に付いていて、旧学生達に対する「引力」となっている。まねをしようにも無理と思っている。