西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

言語遊戯(1):取っ手

2005-07-01 | 言語・字・言語遊戯
自己紹介で「趣味」の一つに言語遊戯を上げたので、先ず今までのを整理しつつ、更に開発していきたい。最初に今までの「傑作」の一つ、「取っ手」の話をしてみる。珈琲や紅茶を飲む洋風コップには必ず取っ手が付いている。それに対して、煎茶や抹茶を飲む日本茶器には取っ手は付いていない。これは何故だろうか。ここには、熱いお茶に対する西洋人と日本人の一般的考え方、対応の違いが表れていると思う。西洋人にとって(?)は、当然、お茶などというものは、人間に飲まれてしまうもので、遥かに人間より「下」にみられていて、「熱いお前など、自分に近づくな、あっちへ行け」ということで取っ手で隔てられているのである。言わば人間と自然は峻別されている。キリスト教的と言っても良い。ところが日本人は、お茶も自分の仲間うちと考えて、熱い茶碗を抱え込んで「フーフー」言いながら「お前を飲んでやるよ」と飲むのである。言わば人間と自然は一体で、仏教的と言えるかもしれない。私は日本人なので当然、日本式の取っ手のない茶碗が好きである。
 そこで一言:「取っ手を取ってもとっても良い!」見事三連発!!
陰の声:「私にとって」を頭につけると四連発になるがなあ!

香里団地の理想と現実

2005-07-01 | 地域居住学
講義・地域居住学Ⅰでは、メールの質問・意見を歓迎している。それらの中から幾つか追い追い紹介し、考えてみたい。今回は、日本住宅公団(と言っても今の学生は殆ど知らない、1955年に出来た、その時は鳩山内閣で日ソ交渉があったなどとはなお知らない)による初期の本格的団地の香里団地を説明した後での質問だ。T.Aさん「香里団地について詳しく講義していただきましたが、京大西山研究室案と実施案とでは、私は西山研究室案のほうが好きです。市民劇場や野外劇場があったほうが、より豊かな人生を送ることができると思います。ここで質問なのですが、先生は、香里団地に住みたいと思われますか?そして、その住みたい・住みたくないの理由はどういったものからでしょうか??ぜひ教えてください。」私の答え「難しい質問ですね。一市民として永久に住め(死ぬまで住め)と言われれば、「否」でしょうね。その場合は、当然、現在の住まいとの比較があるからです。「否」なのは、いまのところ現在居住地にほぼ満足しているからです。ただ住宅研究者として住め、と言われれば歴史的に光栄ある香里団地に喜んで住みますね。結構住み心地も良いと思っているのです。3年なり5年なり住めば本が少なくとも一冊書けますね。」これから、研究的やろうとすれば、西山研究室案作成のプロセス、主張の整理(一部は、西山先生自身が語っておられるが・・)、公団実施案の特徴と西山研究室案の違い、なぜ西山案は「捨てられたか」「一部でも取り込まれたのは何か」、現在の香里団地の問題点と初期の議論との対比等々、取り組む興味は尽きない。
注:香里団地なんて初めて聞いた人へ、大阪府枚方市にあります。計画2万1千人の初期本格的団地、「団地族」の言葉や新規コミュニティで「地蔵祭りをしたら・・」の話題も提供した。京阪電車の枚方市、枚方公園、香里園からバスですぐです。一度「成熟」香里団地を是非見てください。

ダムは、もはやムダ(無駄)では・・

2005-07-01 | 時論、雑感
今朝(2005年7月1日)の新聞では、「国土交通省が、大津市に計画している大戸川ダムの建設を事実上中止する方針を滋賀県と同市に伝えていた」(『京都新聞』)と言う。着工済みの国直轄のダム建設が中止されるのは全国で初めて。  私は、土木技術者ではないので、ダムの構造云々、は殆ど分らない。しかし、若い頃(20歳後半から30歳前半)から、京都府の由良川のダムを調べたり、「国土研」で木村春彦先生(京都教育大学名誉教授)等とヨーロッパで崩壊したマルパッセダムやバイヨントダムを現地に調査に行ったりして、当時のやり方では、ダムを続けるのはムダと感じていた。例えば、由良川で言うと、上流から土砂がダムでせき止められて河口や海に運ばれなくなって「天橋立」の砂地がやせ細っていたし、ダムで行く手をはばまれ鮎が上流に上れなくなっていた。既設の天竜川のダムも土砂で埋まってどうしようもなくなっていた。川は、(当たり前だが)水を供給するだけのものではなく、土砂も供給し、魚も上下し、それを求めて鳥や熊も近づき、総合的なものなのである。水供給(電力供給)だけの単能的ダムでは、生態系が乱れて駄目なのである。ここにきて、人口が減り始め、水も余り要らなくなってようやく国土交通省も「止めようか」となってきたのだ。もっと他のダムも検討し、仮に必要でも、総合的機能が持てる工夫をし、止めるものは早めに止めたらよいと思う。

奈良町の正木邸が「奈良女子大学セミナーハウス」に

2005-07-01 | 地域居住学
一つのニュースをお伝えしたい。奈良女子大学の久米健次学長から伺った話だ。さる6月27日(月)に奈良町の正木邸で奈良女子大学との「奈良女子大学セミナーハウス」に使う協定(覚書)が取り交わされたと言う。久米先生は「思ったより大きな家、明治時代を思わせる洋風椅子や机があり、懐かしい」と言われている。当日は、久米学長のほか、生活環境学部の上野邦一学部長、増井正哉先生、長坂 大先生等が参加されたようだ。もし、私が未だ奈良女子大に在籍していたら駆けつけたに違いない。というのは、実は9年ほど前の1996年10月頃に奈良の「ミニコミ誌」に、奈良町の空き家を「セミナーハウス」に!、と最初に提案したのは私だからである。その時は、空き家群を全国の大学等での奈良に関連する学問(例えば考古学、歴史学、建築史学、国文学、仏教学、美術学等々)の「セミナーハウス群」にしたらどうか、と言っていた。その後、私は奈良女子大学の管理職の端くれになり、忙しくなり、関連する調査研究や作業の中心は上野邦一先生にお願いすることになった。幸い文部科学省募集の地域貢献特別支援事業の中に入って2年間ほど作業がされた。そして幸い正木邸が奈良女子大学に「セミナーハウス」に貸しても良いとなったのだ。私も一度だけ上野先生や上野ゼミの学生さんと正木邸の清掃に一寸参加したこともある。その後、建築家の長坂 大先生や町並み保全がご専門の増井正哉先生らが改装や使い方等の計画に加わってこられたようだ。場所は、元興寺極楽坊(興福寺から猿沢の池に下りる階段を下りて、元奈良市役所のあったコミュニティセンター前を南下)から少し南に行った左手である。ここで、関心ある皆さんと奈良に関連する学問談義や町並み保全や空き家有効活用等について侃侃がくがく議論できる日を楽しみにしている。