自己紹介で「趣味」の一つに言語遊戯を上げたので、先ず今までのを整理しつつ、更に開発していきたい。最初に今までの「傑作」の一つ、「取っ手」の話をしてみる。珈琲や紅茶を飲む洋風コップには必ず取っ手が付いている。それに対して、煎茶や抹茶を飲む日本茶器には取っ手は付いていない。これは何故だろうか。ここには、熱いお茶に対する西洋人と日本人の一般的考え方、対応の違いが表れていると思う。西洋人にとって(?)は、当然、お茶などというものは、人間に飲まれてしまうもので、遥かに人間より「下」にみられていて、「熱いお前など、自分に近づくな、あっちへ行け」ということで取っ手で隔てられているのである。言わば人間と自然は峻別されている。キリスト教的と言っても良い。ところが日本人は、お茶も自分の仲間うちと考えて、熱い茶碗を抱え込んで「フーフー」言いながら「お前を飲んでやるよ」と飲むのである。言わば人間と自然は一体で、仏教的と言えるかもしれない。私は日本人なので当然、日本式の取っ手のない茶碗が好きである。
そこで一言:「取っ手を取ってもとっても良い!」見事三連発!!
陰の声:「私にとって」を頭につけると四連発になるがなあ!
そこで一言:「取っ手を取ってもとっても良い!」見事三連発!!
陰の声:「私にとって」を頭につけると四連発になるがなあ!