今日は宵山、明日は山鉾巡行である。ここのところ毎年行っていた宵々山あたりだが、2年間「欠席」となった。私が、最初に祇園祭りに行ったのは京大の学生だった頃だ。それは宵山、つまり今晩行ったのだが、正直、人波にもまれ何が何だか分からなかった記憶がある。それ以来、宵山には行くべきではない、との思いになった。宵山では明日の巡行に備え全て準備が整っている状況だから、きちんと見られれば祇園祭りの「装置」がことごとく分かって最も良いのだが、人波にもまれていれば意味がない。但し別の意味、つまり若い学生時代に彼女と行く場合は、そういう状況が良いのかもしれない。そういえば大阪市大の谷直樹君や奈良女子大の増井正哉君は毎年仕事(祇園飾りの研究等)で行っているようだ。ご苦労さんと言いたい。
墓地と墓は、人間、最後の空間だ。西山先生も『住み方の記』で最後に自らの墓のことを語っている。私も自分(達)の墓をどうするか、考えていきたいが、参考に今までに訪れた墓地と墓のことを「ぼちぼち」語っていきたい。7月14日は「巴里祭」、フランス革命記念日であった。それで思い出したのだが、私が初めてパリに行ったのは1974年であった。国土研で木村春彦先生を団長に富山和子さん、富樫君(大阪市大、当時)らと行った。その時に、ペール・ラシェーズ墓地にも行った。パリの東の方に位置している。何故ここに行ったかと言えば「パリコミューン」の戦士の墓があるからだ。塀を背景に戦士が銃殺された現場もあり、血痕の跡の説明もあった。革命とは壮絶なものだ、と思ったのである。
現代の哲学者の長老・梅原 猛さんは今日の『京都新聞』の「天眼」で表題について語っている。3月20日で80歳になったので、閑暇を使って、しっかり哲学をやり、100年、200年経っても決して滅びない学問や芸術をつくることに夢をもったので、その夢にふさわしい仕事をしてこの人生を閉じたい・・。と語っておられる。昨日も、前田真子さんと喋ったが、その日その日のDUTYをこなしていけば何とはなく日が経っていくが、それでは後に何も残らない。少し時間をとって(つまり梅原さんの言う閑暇を確保し)あれこれ考え、しっかり検証し、書き留めておかねばなるまい。
このブログは、広がっている問題意識のメモの面もある。
このブログは、広がっている問題意識のメモの面もある。
これは、日本の独創的哲学者の一人と言われる戸坂 潤が論文「方法概念の分析(その一)」の冒頭で述べているもので、表題の前に一寸あって文章としては次のようなものだ。「空疎な興奮でもなく、平板な執務でもなくして、生活は計画ある営みである。」これは、学部長として新入生に4年間の生活を、きちんとした計画を立てて、ということを言うために引用したものだ。
戸坂を、どうして学んだかと言うと、豊田高専に就職した時に建築技術論を少しやろうと思ったので、戸坂の技術論をかじったのである。もう一人、三木 清もほぼ同時代の哲学者だが、西山先生が「構想計画」と言い出された時、関連するかどうか不明だが、三木の「構想力の論理」というのを読みかけて寝てしまい、そのままになっている・・。
戸坂を、どうして学んだかと言うと、豊田高専に就職した時に建築技術論を少しやろうと思ったので、戸坂の技術論をかじったのである。もう一人、三木 清もほぼ同時代の哲学者だが、西山先生が「構想計画」と言い出された時、関連するかどうか不明だが、三木の「構想力の論理」というのを読みかけて寝てしまい、そのままになっている・・。
16日の午後は高槻に来た。平安女学院大学生活環境学部の2回生二人が芥川商店街で、17,18日も含め3日間、チャレンジショップを開いているからだ。駅前の高い2棟の建物の裏を左へ行って大きな通りを渡ると「芥川商店街」だ、この延長線に「芥川」がある。チャレンジショップは芥川商店街の真ん中より一寸奥だ。右手である。「智香(ともか)」という「手作りアクセサリー雑貨の店」だ。店の名は二人の名前から一字づつ取ったようだ。私はコースターを二つ買った。200円だ。他にネックレス、ストラップ、指輪、腕輪、写真たて、髪ピンなど500円から100円で売っている。他に手作り石鹸もあった。近所の子供達が数人遊びに来ていた。10時から午後6時まで(最終日は5時まで)やっている。散歩がてら一度覗いてみてください。私は年間を通じてのアイデア賞として「チャレンジショップ芥川賞」を出したら、と言っている。また、私は、これを発展させて、平安女学院大学のチャレンジスペースに!と提案している。チャレンジショップ+教育・研究スペース+高校・受験生向けスペースである。
これは論文「居住地管理に関する一考察」(『都市問題研究』1978年6月号)で言ったものだ。「「瑕疵補償」と並行して「慣熟居住補償」ということを考えてはどうだろうか。空港が出来上がると、営業飛行に入る前にパイロットは慣熟飛行をすることになっている。例の「成田」でもそれが行なわれ想定条件とずいぶん違っていたことが発見されたと言われている。居住地計画でもベストをつくして計画がなされ、建設供給されても、居住者が住みはじめて、いわば「慣熟居住」をする間にいろいろ手直しをした方がよいところが見つかるものである。明らかに計画・建設のミスは「瑕疵補償」によって救済されるであろうが、かならずしも計画・建設のミスとはいえないが少し手直しした方がずっと住みよいこともあるといってよい。これを「慣熟居住補償」といったことで救済できないであろうか。」(同上書)
慣熟居住期間だが、まあ春夏秋冬、1年間ではなかろうか。
慣熟居住期間だが、まあ春夏秋冬、1年間ではなかろうか。
S君、○さんご結婚おめでとうございます。○さんは考古学専攻のようですが、S君は建築を専攻しており、私の後輩に当たります。先ほど馴れ初めをお聞きしましたら、S君は考古学サークルにはいっており、その考古学サークルで二人は一緒に平安京を掘っておられたようですね。そしてS君は見事○さんを掘り当てたわけです。今後は、二人で力を合わせて新しい楽しい家庭を、S君の専門のように建築して行ってください。DiggingからBuildingへ、という言葉をお祝いの言葉として贈ります。
2004年のIFHE大会では、私は公式には3回も英語で挨拶させられた。皆一ひねり内容を変えるのに苦労した。ここでは、それらとは別の役員歓迎会でのアドリブ挨拶を「こぼれ話」として紹介する。IFHEとは正式には、The International Federation for Home Economicsと言う。このIFHEは、分解するとIF HEとなるのに着目したものだ。「IFHE is IF HE, so if he would cooperate with her, all could be done very well towards gender-equal family and gender-equal community as well」と言ったところだ。これを聞いた外人役員から私は「Dr. IF HE」と呼ばれた。
IFHE(国際家政学会)20回大会は2004年8月1日から7日まで京都国際会館(宝ヶ池、大谷幸夫設計)で内外千人を集めて行なわれた。私は現地実行委員長を勤めた。関西一円の各大学の学生もアルバイト、ボランティアで参加してくれ良い経験になったことだろう。ここでは飲み物コーナーでの学生と外人さんとのやりとりから傑作二題を紹介する。監督していた西村公雄先生(同志社女子大)からお聞きした話だ。
(1)「This is delicious!」と言うべきところ「This is dangerous!」と言ったので言われた外人さんも「のけぞっていた」と言う。
(2)効用を聞かれて「You will become beautiful like me!」と言ったので横で聞いていた西村先生も「ずっこけた」と言う。名誉のため言っておくが、これらの学生さんは、同志社女子大でも奈良女子大でもない。でも意図して言ったとしたら大したものだ。
(1)「This is delicious!」と言うべきところ「This is dangerous!」と言ったので言われた外人さんも「のけぞっていた」と言う。
(2)効用を聞かれて「You will become beautiful like me!」と言ったので横で聞いていた西村先生も「ずっこけた」と言う。名誉のため言っておくが、これらの学生さんは、同志社女子大でも奈良女子大でもない。でも意図して言ったとしたら大したものだ。
西山研に出入りし手伝いをしだしたのは3回生の時(1962年~1963年)で、西山研では折りしも京都国際会議場のコンペにも取り組んでいた。三村浩史先生(当時助手、現・名誉教授)が推進役だったが、メインのデザインは西山先生じきじきだった。私は指示に従って線を引いた。メインの建物のデザインは西山先生が何度か変えられた。最終的には、屋根の上に「埴輪の馬の鞍」が乗ったようなデザインになったと記憶する。私は学生ながら「こりゃあかんわ」と感じた。でも西山先生は楽しそうに図面を引いておられた。その時、西山先生は「鼻歌」のように「汽笛一声新橋を・・」の歌を東海道線に沿ってずっと歌っておられ、私は昔の人は良く覚えるもんだ、と感心していた。
案の定、この案はコンペで落選。当選は大谷幸夫さんの現在のものの基になるものであった。
案の定、この案はコンペで落選。当選は大谷幸夫さんの現在のものの基になるものであった。
2000年7月24日頃に私が発した洒落:IFHE(国際家政学会ガーナ大会)に参加のためアムステルダムからサハラ砂漠を越えてガーナの首都アクラに飛んだ。
(1)サハラ砂漠の上を飛んだ時、丁度食事時で、デザートが出てきた。そこで「The situation without dessert is desert!」(デザートのない状況なんて砂漠だ)(dessert とdesertが似ている面白さ!)「飛行機でデザート食べるサハラ上」
(2)太平洋に面している五つ星(★)のラバディ・ビーチ・ホテルのバーで皆でビールを飲んだ。ガーナの「star beer」である。ボーイが聞いた。「How many bottles?」 とっさの私の答え「FIVE STAR BEER(bottles)please, because of FIVE STARS(hotel)」 ボーイは分かったらしくニヤッと笑ってウインクをした。「五つ星ホテル「スタービール」五本飲み」 市路
(1)サハラ砂漠の上を飛んだ時、丁度食事時で、デザートが出てきた。そこで「The situation without dessert is desert!」(デザートのない状況なんて砂漠だ)(dessert とdesertが似ている面白さ!)「飛行機でデザート食べるサハラ上」
(2)太平洋に面している五つ星(★)のラバディ・ビーチ・ホテルのバーで皆でビールを飲んだ。ガーナの「star beer」である。ボーイが聞いた。「How many bottles?」 とっさの私の答え「FIVE STAR BEER(bottles)please, because of FIVE STARS(hotel)」 ボーイは分かったらしくニヤッと笑ってウインクをした。「五つ星ホテル「スタービール」五本飲み」 市路
扇田先生の思い出と言うと、個人的な研究相談のこともあるが、楽しい、吹き出しそうなことも多い。先回は山葵(わさび)が大きく樹木になるはずもないのに、真顔で「山葵が大きく目の前の樹木になった」と言って学生に信用させ、横で楽しんでいるという手の続きである。
扇田先生は、私より19歳年上だが、退官間際まで髪の毛が黒々していた。私は、少し薄くなってきていたが、まだ大丈夫だった。こういう状況下で、ゼミの休憩・お茶の時、扇田先生は突然言われた。「僕は年だし、髪の毛も薄くなったので、つい最近アデランスにしたのですよ、ほら黒々しているでしょう」といって、少しはがすそぶりをされた。さらに正に間髪をいれず「西村先生は前からアートネーチャなんですよ」と言われた。とっさに私も演技しなければならなかった。これは、すぐにはばれずに私は学生から気の毒そうな顔をされた。しかし、次のゼミで扇田先生共々白状して学生もホットしたようだ。もう「気の毒」と思わなくても良くなったからだ。
扇田先生は、私より19歳年上だが、退官間際まで髪の毛が黒々していた。私は、少し薄くなってきていたが、まだ大丈夫だった。こういう状況下で、ゼミの休憩・お茶の時、扇田先生は突然言われた。「僕は年だし、髪の毛も薄くなったので、つい最近アデランスにしたのですよ、ほら黒々しているでしょう」といって、少しはがすそぶりをされた。さらに正に間髪をいれず「西村先生は前からアートネーチャなんですよ」と言われた。とっさに私も演技しなければならなかった。これは、すぐにはばれずに私は学生から気の毒そうな顔をされた。しかし、次のゼミで扇田先生共々白状して学生もホットしたようだ。もう「気の毒」と思わなくても良くなったからだ。
学会や色々の会議で、昼間のformalな議論より夜のinformalな議論の方が文字通りinformativeな場合が多いというのが私の意見だ。少しアルコールも入るので緊張が解けて割りと言いたいことが言えるためかもしれない。「学研都市」の「養老の瀧」に12人で行った。会の代表の杉原五郎さん(木津川台在住、ARPAK大阪代表)、会の副代表の藤田忍さん(奈良市朱雀、「つなね」住人、大阪市大)、事務局の精華町の淵上さん他数人、「相楽(あいたのしむ)住人」木津鹿背山の青木正昭さん、今日の講師・前田真子さん(奈良女子大非常勤講師)、京大院生・清水万由子さん、阪大院生・西岡絵美子さん達と私(精華町桜が丘在住)だった。色々わいわい進んだが、青木正昭さんのお宅で秋に次のイベントがあるので皆さん是非参加下さい、と呼びかけたい。名称:柿いっぱいリュックサック祭り。期間:9月10日から10月10日、時間適宜、(出来れば)10人以上のグループで参加下さい、無料です。場所:ツイアビノ里、タゴール農園。鹿背山舎 青木正昭 電話0774-72-2443
青木さんの家には裏山に何万本もの柿ノ木があるとのことです。焼き物もやっておられ、タゴールや内藤湖南にも詳しい文人です。都会人に対して「帰農の会」をやりたいと言われるので、私は賛成して、「帰農(昨日)の会は明日(あした)の会!」というキャッチフレーズを進呈した。
まずまず喜んで頂いた。そのうち、きちんと、けいはんなのまちづくりを考える会への連絡方法等ブログで知らせますので是非、参加下さい。「考える会」を20回以上やって、何処まで考えるんだ、そろそろ次のステップへという意見もあるが、開かれた会ですので何時でもどうぞ、とのことです。
青木さんの家には裏山に何万本もの柿ノ木があるとのことです。焼き物もやっておられ、タゴールや内藤湖南にも詳しい文人です。都会人に対して「帰農の会」をやりたいと言われるので、私は賛成して、「帰農(昨日)の会は明日(あした)の会!」というキャッチフレーズを進呈した。
まずまず喜んで頂いた。そのうち、きちんと、けいはんなのまちづくりを考える会への連絡方法等ブログで知らせますので是非、参加下さい。「考える会」を20回以上やって、何処まで考えるんだ、そろそろ次のステップへという意見もあるが、開かれた会ですので何時でもどうぞ、とのことです。
05年7月15日の午後18時半から精華町の「けいはんなプラザ」において表記の会が行なわれた。今日は前田真子さんの話題提供で「戸建て住宅地の将来ー平城・相楽ニュータウンを事例にー」が演題だった。私が共同研究者としてコメンテーターだった。約20数人の参加者があり、この手の集会として部屋一杯で成功と言える。前田さんは我々の共著『これからの郊外戸建て住宅地ー「思い出し・思い入れ」から「つながり」へ[平城・相楽ニュータウンを事例に]』(せせらぎ出版、1800円)の第四章、第五章(全部で第六章まであり)を元にパワーポイントを使い、約1時間喋った。その後、私が補足コメントをした。正にこの会の問題である。参加者が一言ずつ意見、感想を言った。講演や私のコメントでは、かなり「暗い将来予測」も言ったが、案外住んでいる人達は満足している感じだった。やはり人間には「現状肯定」の心理が根本にあるものだ。ここを住処に選んだのに何故あれこれ問題を掘り起こすのか、という気持ちである。これは、何時も調査をする学生にも言っていることの一つだ。外からの調査する研究者は、対象を批判的にみるが、当の住人は「住めば都」で先ずは肯定的に考えるのである。私は、平城・相楽ニュータウンは、大阪や京都に対して1時間以内で通勤できる立地で遠隔戸建てより相対的にリッチな立地と思う。しかし、人口減少、高齢化の趨勢では、より遠い郊外戸建て地から空洞化していくという予測もほぼ確かであろう。そして段々大阪や京都や(奈良)に近い郊外戸建てに問題が及んでくるとみるべきである。だから転ばぬ先の杖として今から問題展開の予測、対応手段(システム)、住民や行政のパートナーシップのあり方等を研究して、準備する必要があるのだ。
皆の感想や意見から・ニュータウン内と外とのインフラ格差の問題・ショッピングセンターの安定経営と青空市場の問題・新しい家族状況の把握と対応プレハブのあり方問題・コミュニティ付き合いの問題(防災は切実だが他は面倒くさい・・)・マンションは便利なようで別の問題もある話等々問題の広がりも分かった。
皆の感想や意見から・ニュータウン内と外とのインフラ格差の問題・ショッピングセンターの安定経営と青空市場の問題・新しい家族状況の把握と対応プレハブのあり方問題・コミュニティ付き合いの問題(防災は切実だが他は面倒くさい・・)・マンションは便利なようで別の問題もある話等々問題の広がりも分かった。