前に松尾芭蕉の昼寝の句(ひやひやと壁を踏まえて昼寝哉)を出したので、今度は与謝蕪村の昼寝の句である。古郷(どこだったかな?)で昼寝していても、蝿がまわりを飛んでいるのである。今は、どこの家でも網戸は大体完備し、便所も水洗なので夏でも室内に殆ど蝿はいない。昔は、1955年前後のことであるが、金沢で網戸や水洗便所のあるのは大げさに言うと「進駐軍」(=占領米軍)の接収邸のみだったと思う。あとの我々庶民の家では、蝿は蝿叩きで叩きつぶすか、蝿取り紙に引き寄せくっ付けて取るか、であった。魚屋などでは、水槽に落とし込む方法もあった。
ついでに小林一茶の蝿の句も時系列順に二つあげておきたい。気持ちが成長しているのが分かるだろう。
蝿一つ打っては南無阿弥陀仏かな
やれ打つな蝿が手をする足をする
ついでに小林一茶の蝿の句も時系列順に二つあげておきたい。気持ちが成長しているのが分かるだろう。
蝿一つ打っては南無阿弥陀仏かな
やれ打つな蝿が手をする足をする