西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

平均余命

2005-07-23 | 時論、雑感
今日の新聞によると、「平均寿命」は女性85.59歳、男性78.64歳と過去最長を更新と言う。生物学の高木由臣先生の最終講義によると、絶対的上限は120歳とのことだ。私の場合、78-64=14それにα足して、まあ20年生きられれば良いほうであろう。西山先生、親父も大体そうだった。祖母は交通事故だが、そうだった。その20年をどう計画するか、だ。「生活は計画ある営み」(戸坂 潤)なのだから・・。

私の好きな言葉(4)人間万事塞翁が馬

2005-07-23 | 言語・字・言語遊戯
これは、この3月までの数年、学部改組の先頭に立って日々思ってきたことだ。「大辞林」では「〔「淮南子(人間訓)」から。昔、塞翁の馬が隣国に逃げてしまったが、名馬を連れて帰ってきた。老人の子がその馬に乗っていて落馬し足を折ったが、おかげで隣国との戦乱の際にも兵役をまぬがれて無事であったという話から〕」とある。良く似た言い方に「禍福はあざなえる縄の如し」というのもある。とにかく落ち込んでも仕方がないし、一喜一憂しても仕方がないのである。

豊田高専に初出勤

2005-07-23 | 名古屋・豊田の思い出
豊田高専に初出勤したのは1966年(昭和41年)4月13日である。発令が4月1日だから約2週間遅れて出勤したことになる。今なら「大目玉」かもしてないが、当時は「大目」に見られていたようだ。何故2週間も遅れたかおいおい語っていくが、とにかく当日、助手としての研究室に落ち着いたら、ドアにノックがあった。入ってこられたのが、平野常一さんで庶務係長だった。何か規則上色々文句を言われると思ったら「中々貴方は豪傑ですね」と言われてしまった。平野さんとは、4年間色々と付き合っていただいた。平野さんは私より5,6歳は上だが、当時30歳位で独身だった。名古屋大学の法学部のご出身であったと記憶する。名大に勤めだされたが、豊田高専に出向となっていた。これでも分るように豊田高専は国立なのだが、他所にいくと「トヨタの附属ですか?」と聞かれることもあった。それほど豊田市ではトヨタの力が強く、昔は挙母(ころも)と言っていたのに豊田に市町村名すら変えられていたし、トヨタの厚生課長クラスが豊田市長でトヨタの社長は、豊田市長を良く知らないといった状況だった。豊田高専は二期の高専として1963年にスタートし私が行った時には5年制で4年生が最高学年だった。とにかく優秀な学年だった。

模擬講義惨敗の弁

2005-07-23 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
昨日、今日と別の機会に高校生・受験生向けに模擬講義をしようとしたが、誰も来ず惨敗だった。テーマは「小宇宙としての住居」というもので、ブログでも「私の考え出した言葉」に入っているものだ。「お客」があればいくらでも面白く出来たと思う。言い訳はしたくないが、他の企画とバッティングした面がある。同じ時間帯にCAD実習や家具・照明コーディネイトを入れれば、多分実習系に人が流れる。又、部屋の大きさもある。今日は大きすぎて、どっと来るならまだしもパラパラと来る中で誰もいない部屋に入るのは勇気がいるものだ。こじんまりの部屋にはそこそこ人が入っていた。又並びの教室でも実習系の講義に人が入っていた。題名の付け方も今の学生には「おやっ何だろう?」は駄目で、「はっきり内容がイメージ出来ないといけない」らしい。
次回は、実習系と時間帯をづらすか、テーマを変えてやるかだが、前者の中で、もう一度チャレンジしたい。柔らかいものばかり食べていると歯や顎が退化するようだ。若い人に言いたいが、少し硬い(?)「理屈系」にも目を向けて欲しいと思う。

結婚披露宴での祝辞(4)

2005-07-23 | 生活描写と読書・観劇等の文化
今日は軽めの奴で、全くのオリジナルではない。何処でも使えるものかもしれない。
「○○君と××さんの仲とかけまして、飲み干したビールコップと解きます。心は、中(仲)が良く見えます。次に○○君に聞くと西武のファンらしいので、○○家と××家の将来とかけまして、清原(未だ西武にいた頃)が連続して満塁ホームランをかっ飛ばした、と解きます。心は4点と4点で8点(発展)間違いなしです!」

花岡利昌先生の思い出

2005-07-23 | 奈良の思い出(助教授時代)
北村 君先生の次に奈良女子大学住居学科を定年退官されたのは花岡利昌先生で「生活環境学講座」を担当された。その後は梁瀬度子先生、今の磯田則夫先生と続いている。花岡先生は、扇田先生よりはるか前から自動車に乗っておられる。ある自動車車種のオーナーの会の奈良支部長を長らくやられていた。一方、先生は「無線」にも凝っておられ、その無線機械を自動車に積んでおられた。ある時、お聞きすると、山中の悪路でタイヤを溝に落とし込んでどうしようもない時、「CQ CQ」で当該地域の人を呼び出して助けて貰ったこともあると言われた。
花岡先生が亡くなられる何年前か、先生は足の運びが不自由になって、一緒に奈良市の審議会の研修旅行で出かけた時も、不便そうだった。そして、ぽつりと「若い時もう少し歩いておけば良かった」と言われたのが今でも耳元に残っている。

扇田 信先生の思い出(5)マイカー運転

2005-07-23 | 奈良の思い出(助教授時代)
扇田先生が自動車の免許証を取られたのは55歳位ではなかろうか。正に「それ行けゴーゴー」である。一つには前に触れた安曇野の別荘に行くためだと思う。実際、私達も安曇野往復に乗せて頂いたこともしばしばある。運転するのが実に楽しいようで、「西村さんも早く取ったら良いよ」と何時も言われていた。京都から安曇野に行くときは名神高速道路から中央高速道路に入り、途中で一般道路に下りる。中央高速では、余り自動車が走っていない時等、「両手離し運転」もされて、乗っている我々はひやひやものだったが、「案外大丈夫ですよ」と扇田先生はケロリとしておられた。扇田先生が運転を止められるのは亡くなられる数年前、70歳を過ぎていた。本当に車の運転がお好きだった。

西山卯三先生の思い出(7)散歩道

2005-07-23 | 奈良の思い出(助教授時代)
西山先生の散歩道は『住み方の記』を見ると分る。ただカントのように定常的なものと言うより、ある範囲内でヴァリエーションがあったと言える。私が松ヶ崎(京都市左京区)に住んでいた時は、西山先生の北園町から散歩の範囲内だった。そして一二度、私の家を覗いていただいた。当時は、狭い家で中も整理が行き届かなく、玄関対応で失礼してしまった。その散歩がてらに寄られた時、『近代建築』という雑誌を頂いたこともある。西山先生が、戦前の研究自分史を連載されていたからだ。後に本にされるが、写真や図面など大幅にカットされているので、本式の研究資料としては『近代建築』の方を使うべきだろう。又、それらの対照も研究課題となるかもしれない。
もう一つ思い出すのは、私に関する極めて重要な「情報」がもたらされたことがある。散歩の途中、寄られた西山先生は「扇田君(扇田 信先生のこと)から聞いたが、君を後任に上げたいようだよ」と言われたのだ。大体、辞める教授が後任を決めることはないので、どういう意味か良く分らなかったが、そういうお気持ちがあることは分った。扇田先生が退官される2年ほど前で、私がイギリスから戻った頃だった。

思い出す先生方ー高校編(2)樫本英彦先生

2005-07-23 | 金沢の思い出
樫本先生に挨拶状を兼ねた暑中見舞いを送ったら直ぐ返信があった。今年78歳、油絵を描かれておられ、奥さん共々お元気のようだ。樫本先生は英語の先生で、ニックネームはロボットというものだった。手足のやや機械的動きから名づけられたようだ。特に教室を歩き回りながらの講義の時、そのことを感じた。当時は30歳を出られたばかりの気鋭の先生だった。東大の独文のご卒業である。だから時々ドイツ語も出ていた。定年で辞められる頃からヨーロッパ等に出かけられ、その体験を綴った立派な本も出されている。又その過程でキリスト教にも深い理解を示されている。何事をされるにも真摯な紳士であられた。今度、金沢に行ったら是非、先生の油絵を見てみたいと思っている。

樹木(7)楠木

2005-07-23 | 地域居住学
私のセカンドハウス、NPO法人地域支援研究フォーラムなら のオフィスがあるコーポラティブ住宅地「つなね」の共木の一つは楠木で、私が提案し、賛同を得た。5年以上前のことだ。丁度その頃、岩波新書に挟まっている栞(book mark)に「楠木学問 梅の木学問」というのがあった。簡単に言うと、楠木学問は大器晩成型の学問、梅の木学問は、促成栽培型学問のようだ。例の『広辞苑』に説明がある。楠木は成長は遅いが大木になり、梅の木は成長が早いことからきているようだ。それで「大器晩成」が良いのでは・・と楠木を提案した。同じ住人で国文学のⅠ先生が「楠分限(くすのきぶんげん)」という言葉もあるよ、と応援して下さった。それは、ゆっくり大金持ちになる人のことで、西鶴の「日本永代蔵」にもあるようだ。なんだか「つなね」の住人は皆、最後には大学者、大金持ちになることを示唆するようで即賛成が得られた感じだ。だけどSさんなどは「楠木なんてそこらじゅうにあるのに・・」と不満のようだった。そう思ってみると、「高の原」駅から「つなね」までの街路樹は楠木だった。それまで私にはちゃんと見えていなかったのだ。大体、関西では多い樹木で、歴史家のT君の話では、大阪平野は、大昔は楠木だらけだったとのことだ。
でも楠木には先のような意味があるほか、昔から樟脳を採るように香りも良い。虫もつきにくい、と言った特徴もある。「つなね」では最初植えた場所から、大きくなっても良いように、もう少し中庭の真ん中に移植した。きっちり根付いて大きくなってよ、と願っている。そう言えば、楠木学問を象徴するように、奈良女子大学の中庭にも、また京大時計台の真ん前にも楠木の大木がある。