水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「風間陽水の依頼簿(カルテ)・624」

2015-07-10 19:52:32 | Weblog



カルテ番号 ま・7(27)

物理学など、縁のない学問だと思っていた。
それでも、高校で習った分子や原子などを思い出した。
院長は少し易しく話してくれているようだ。
「原子は中心に原子核があり、マイナス電荷の電子とで成り立っています。
その原子核はプラス電荷の陽子と電荷を持たない中性子で成り立っています。
この原子を作っている電子や陽子や中性子を量子とよんでいます。
そして、常に動き回って、独自の波動を発し続けています」

院長は笑って言った。
真木さんの身体も、服も、この家も、触れますね。
ある程度の固さがありますね。
でも、その中身はスカスカで出来ていているのですよ。
そうですね、例えば東京ドームの真ん中に野球のボールがあります。
そのボールが量子で自由に動き回っています。
ドームはボールが動く空間の広さです。
それが、真木さんの身体であり、服なのですよ」

そういわれても、現実的には信じられない。
「その動き方から独自の波動、周波数だと思って下さい。
それが、常に出ているのです。
波動と氣は同じではありませんが、例えとして同じだと思っていいです。
つまり、この世にある物質全ての種類、それ以上の種類の氣があります。
その中で、穢れというものを変える、浄化という作用をする氣があります。
それが、祓いの正体ではないかと、思っています」

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「風間陽水の依頼簿(カルテ)・623」

2015-07-09 19:29:19 | Weblog



カルテ番号 ま・7(26)

真木は祓いが神気によってなされる、と聞いたことがある。
神気というのは、何となく想像としてしかわからない。
院長のいう氣の種類の一つで、浄化の氣のことと同じだろうか。
院長は真木の顔を見ながら言った。
「氣というのも範囲が広すぎてしまいますね。
何しろ、全てが氣といえるわけですから」

真木は
「氣というのは見えないのでしょう」と訊いた。
「氣自体は人の目には見えないですね。
ですが、氣が集まり、固まったら物質になる、としたらどうでしょう。
物質は見えますね。
見えない氣と見える氣があり、見える氣を物質と名付けたわけです」

氣は固まる・・・。
そんな考え方があるのか?
院長は真木の疑問を読んだかのように言葉を続けた。
「量子物理学、というのがありますね。
あれは、物質を分解していくと分子、原子、更にその先の量子があるわけです。
逆に言えば、見えない量子が集まって物質になっている。
これは科学の分野で、私のような怪しげな氣功師の推論ではありませんよ。
氣は量子よりも小さいですが、かなり近いと思います。
量子も結構自由に動き回っているし・・・」

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「風間陽水の依頼簿(カルテ)・622」

2015-07-08 19:27:42 | Weblog



カルテ番号 ま・7(25)

院長は
「本来など、私にもわかりません。
ですが、私なりですと、払い清める、で浄化だと思っています。
実際に浄化できるかどうかは別ですよ」
と言って笑った。
真木は院長の言葉の意味に気づいている。

先ほどから、人間に解ることなど、ほとんど無いといっているのだ。
浄化できたか、否かの判断ができないのだ。
浄化できるか、どうかを疑問視しているのではない。
できても、判断ができない、といっているのだ。
これは、とても重い意味になる。

「その上で、私なりの独善解釈です。
祓いが浄化なら、祓いの仕組みは氣でしょう。
氣というのは、この世にある見えるモノ、見えないモノ全てに関係します。
ですから、氣の種類というか、性質によります。
祓いとなる氣、ということになります。
浄化の氣、ということになります。
では、浄化の氣とは、どんなものでしょう?」

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「風間陽水の依頼簿(カルテ)・621」

2015-07-07 19:24:19 | Weblog



カルテ番号 ま・7(24)

院長は苦笑まじりに言った。
「結果の基準は現代では金額の多寡で判断されます。
私のような貧乏人は、社会的負け組といわれます。
だから何を言っても、言い訳とされてしまいますが・・・
話がズレてしまいましたね。
祓いについて、でした。
基本的に何も解っていない、という立場ですよ、と言いたかったわけです」

他人の目、人の判断、社会の常識。
それらから無縁で暮らすことは、かなり無理をしなければならない。
だが、それらを気にして生きる人と、気にしない人では大きく違うと思う。
院長の生き方は、どうやら後者のようだ。
そして、真木も神職が気に入っているのなら、後者の側なのだ。
それなのに、世間の基準に合わせようとするから苦しむ。
少しずつ、霧は晴れている。

「祓い、ですが・・・」
院長は話し方が更にゆっくりになった。
「魔、罪、汚れ等を浄化する、あるいは、払い除ける、という意味ですね」
真木も詳しい分析までしないが、そんな意味だと思っていた。
「浄化することと、払い除けることは、かなり違いますね。
本来は、どちらの意味なのでしょうか?」
そういわれても、真木にはわからない。
「わかりません」

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「風間陽水の依頼簿(カルテ)・620」

2015-07-06 19:24:47 | Weblog



カルテ番号 ま・7(23)

諺に対する院長の話は続いた。
「そして、行いは結果が伴わないと意味がない、という点ですね。
心に余裕が無くなると、結果を求めてしまいます。
結果というのは、目に見えるものだけと限定してしまいます。
そして、それは商人タイプの考え方になります。
持っている者が勝ちであり、価値もある、という考え方です。
更に競争や勝ち負けの区別や、争い、戦争までが結果中心になります」

何気なく、結果が伴って価値がある、と思いがちだ。
だが、少し深くみれば、かなりうさん臭い話だ。
結果というのは順番をつけることができる。
ということは、一人の最高者だけが価値がある、ということになる。
それ以下は、最高という結果に届かなかったわけだ。
結果主義は出世主義から生まれたもの。
それは地位を争う官僚という人種が国を動かす立場になってからだ。

人生訓は意図されている。
なるほど。
誰かにとって都合のいい諺なのだ。
それは多くの人が苦しみ、一部が喜ぶシステム。
なるほど。
うさん臭い。

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「風間陽水の依頼簿(カルテ)・619」

2015-07-05 19:29:22 | Weblog



カルテ番号 ま・7(22)

そう言われれば、真木は納得できる。
人は同じものを見ても、同じ感想にはならない。
同じ人に対しても、正反対の感想になったりする。
見ても、聞いても、人それぞれなのだ。
院長は人間の判断自体がそういうものだと指摘している。

「聞くことと、見ることを比べることが無理なのです。
当然ながら、考えること、行うことも比べることはできません。
でも、聞いた話より、実際に見たものを信じます。
考えたことよりも、実際に行ったことを信じます。
自分の体験は、確信に近い位置なのです。
どちらが正しいかの判断力は、元々人にはありません。
確信は、判断力とは別なことなのに、勘違いしてしまいます」

真木は思った。
象の例え話は、人の判断力の狭さを表したものではないのだ。
判断力の狭さは、人間である限り、当然なのだ。
聞いたことより、見たことが強く感じる。
体験すれば、もっと強く信じてしまう。
だから、それぞれが確信しているのだ。

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「風間陽水の依頼簿(カルテ)・618」

2015-07-04 19:10:52 | Weblog



カルテ番号 ま・7(21)

院長は思い出しながら話し出した。
「その後は・・・百見は一考にしかず。
百回みても、自分で考えなければ進歩がない。
そして、百考は一行にしかず。
いくら考えても、行動に移さなければ意味がない。
さらに、百行は一果にしかず。
行動は、結果を残して意味がある。
まぁ、そんな諺でした」

真木はその続きの事は知らなかった。
だが、象の話とどうつながるのだろうか?
院長は笑って言った。
「私は、この諺には賛成できません。
というより、人生訓のような諺は、全て信用していませんが・・・
つっこみどころが多々ある諺です」

「どういうところが変ですか?
私には、何となくいいような気がします」
真木は院長のつっこみどころが判らない。
「まぁ、私の偏屈な観方ということを断っておきます。
まず最初の、百聞は一見にしかず、です。
人間の百聞も、百見も、あまり当てになりません。
私としては、それが基本の立場です」

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「風間陽水の依頼簿(カルテ)・617」

2015-07-03 19:06:35 | Weblog



カルテ番号 ま・7(20)

真木はその例え話を知っていた。
「一部で全体を判断してしまう、というわけですか?」
院長は言った。
「そうですが、ポイントはそこではありません。
どんなモノでも全体を把握などできないのですから。
この話のポイントは、体験、にあります。
実際に触っている、という点です」

真木はそういう解釈を初めてきいた。
この例え話は、一部で全体を判断するな、というものだと思っていた。
「体験、ですか?」
「そうです。ここにポイントがあります。
体験すると、確信に陥りやすいのです。
自分が体験したのだから間違いない、と思ってしまいます」

真木は言った。
「百聞は一見にしかず、という言葉がありますね。
人から、あるいは学問からの知識より、自分が実際に見たもののほうが確かだ。
そういう諺だと思っていましたが・・・」
院長は真木の言葉の続きを話した。
「あの諺には続きがあるのを知っていますか?」
「いいえ」

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「風間陽水の依頼簿(カルテ)・616」

2015-07-02 19:15:18 | Weblog



カルテ番号 ま・7(19)

院長は微笑んで言った。
「私も同じですよ。
今は独善解釈として、もう一人の自分を観ながら話していますが・・・
何も解っていなかったことを解る。
何も知っていないことに気づく。
それが研鑽というものの目的だと、最近になって知ったようなものです」

ゆっくりと、思い出すように話は続いた。
「とはいえ、知識欲というのはあるものです。
私の場合、様々なものに興味があります。
特に、生命という相手が私の仕事の中心ですからね。
とても大きく、広く、深く、しかも複雑な相手です。
だから、研究します。
そして、絡み合った糸の一片に触れることがあります。
そして・・・解った、と、勘違いします」

院長は照れたような表情をした。
「しばらくして、それは僅かな糸に触れたにすぎない、と気づきます。
解った、などとは、顔から火が出るような僅かなことです。
インドでの例え話がありますね。
目隠しして象に触ります。
ある者は胴体に。ある者はしっぽに。
あるいは鼻、耳に、足に触ります。
そして、象とは、と確信をもって話します」

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「風間陽水の依頼簿(カルテ)・615」

2015-07-01 19:31:18 | Weblog



カルテ番号 ま・7(18)

「不思議です。
ほとんど話を交わしていないのに。
頭に指を触れていただいているだけなのに。
数年間の汚れが落ちたようです。
これが、祓いというものなのでしょうか?」
真木は祓いということを、初めて体験したような気がした。

院長は戸惑っているようでもある。
「さきほども言いましたが、私には神道の心得がありません。
縁があり、天河神社には行きました。
また、そこの宮司さんのお話や幾つかの体験はしてきました。
でも、それだけで、神社巡りもしていません。
祓いという言葉は知っていますが、どうでしょうねぇ・・・
私なりの解釈ができないわけではありませんが、独善解釈です」

真木は素直に興味を持った。
下手に神道を論ずる人よりも貴重な話が聞けると思った。
「ぜひ、先生の独善解釈を聞かせて下さい。
私も何も知らなかった、何も解っていなかったことに気づいたのです。
知った、という落とし穴に、今日、この場で気づいたのです。」

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