三年目新主務の和田です。
実家に居た頃、カップ麺は世の中で最もおいしいゴハンだった。
脂質で出来た乾麺に、しょっぱいスープ、色とりどりの添加物が詰まったフリーズドライの具材たち。
完成するまでの三分間が待ちきれず、何度も覗き見をしては麺の様子をうかがったものだ。
一方、うちのオカンの趣味は料理だった。
オカンが作るメニューには決まって僕の苦手なものが入っているのだが、とりわけ許せないのがキノコだった。
あの独特の香りは受け付けない。
キノコが添えられているだけで、あのハンバーグでさえ台無しになるのだから感心してしまう(チョコレート菓子だって「たけのこの里」派なのは言うまでもない。)。
オカンは僕と妹に何かと「旬」のものを食べさせたがった。
春には苦い菜の花を、夏には超苦いゴーヤを、秋には甘すぎるカボチャを、冬には味のないカブを、そして年中様々な種類のキノコを食卓に並べた。
「旬の食材」それはイチバン美味しくてイチバン安い時期の食材。
オカンは家庭の食卓に季節を求めた。
無論、当時の僕からすればとんでもない話だ。
カップ麺は年中旬だし、価格なんて究極に安い。
しかも世の中で一番おいしいとあれば文句のつけどころがないだろう。
でも、決まった時間にきっちり三食用意されてしまう――外食なんてのも滅多にない――我が家では1日の中で即席めんを楽しむ時間などなかったのだ。
あきらめの中、日々を消化していった。
しかし、そんな僕の食生活に革命が起きる。
大学に入り、札幌で一人暮らしを始めたのだ。
オカンは地元に置いてきた。
夢のカップ麺生活のスタートである。
春にはしょうゆ味を、夏にはシーフードを、秋にはカレー味を、冬にはチリトマト味を食べた。
天にも昇る絶品カップ麺をすすり、頬っぺたはもはや顔からこそげ落ち、心身ともに浄化されていく……
わけがなかった。ジャンクフード生活は三日と持たない。
ニキビはできるし食欲がでない。
ただの作業になった「食」は、目の前のお湯を吸ってブヨブヨになった紐を塩っ辛い汁からすくい出し口の中に運ぶだけの行為へと姿を変えた。
あんなにも恋焦がれたカップ麺がまずくなったのだ!!!
そう、僕の味覚は洗脳されていた。
オカンの安くて贅沢な「旬」に。
ありがたみなど感じたことのなかった生鮮食品に。。。。。。
オカンの手料理のその価値が、実家を出てようやく身に染みてわかったわけだ。
こんなのは「よくある話」なんだと思うが、カップ麺信仰が打ち砕かれた僕にとっては特別にショックだった。
そのショック(と金欠)から僕は自炊を始めることになる。
かつて確かに舌の上にあった、記憶の中のオカンの味を求めて。。。
だからといって「キノコ料理を作ってみよう」などとは思わない。
言わずもがなである。
(第二話へ続く)
《おまけ》

和田の今日の自炊「韓国風クッパ」
なお、茨水会メーリングリストではお伝えしましたが、私、和田が今期主務を務めさせていただきます。誠心誠意努め上げたいと思っております。よろしくお願いいたします。
折り紙で鶴を折れるようになったか?
箸はまともに使えるようになったか?
一人でトイレ行ける?
そして、コーラを足首から飲めるか?
攻略後、南東の例の場所で待つ