さて、これも分類に困りましたが、所在地ということで“南島原”にしました。
有家町と西有家町を分ける有家川に架かる「岩淵橋」です。
今年の5月に有家の史跡などをこのブログでご紹介していますが、言ってしまえば今月実施した「歴史じおさらく~有家編~」の完全な下調べです。
まあ~今後どんなイベントを考えているかは、このブログを見ていればネタがバレるってなもんです。w
それは置いといて、その下調べでも引っかからなかった、ジオツアー本番で初めて訪れた場所です。
有家川は大河で、ここで18間(35メートル)もあって、当時の技術では強固な架橋は無理でした。
そのため、潜水橋として作られた橋です。
ここに安永九年(1780年)、隈田村の豪農 尾崎本家が石橋を架けました。
藩主はそれを褒めて米15俵を賜りました。
しかし、2年後には流されてしまったということです。
以後、また木の橋に戻ったようで、架けては流されての歴史の繰り返しでした。
今現在は、上流と下流にコンクリート製の立派な橋が架けられていますが、この橋の元には「この橋は、大雨時に渡るのは大変危険です。十分にご注意ください。」の看板が立てられています。
この川の上流には、鮎帰りの滝があり、さらに上流は雲仙です。
写真の奥には雲仙の山々、普賢岳・平成新山は雲の中です。
有家町と西有家町を分ける有家川に架かる「岩淵橋」です。
今年の5月に有家の史跡などをこのブログでご紹介していますが、言ってしまえば今月実施した「歴史じおさらく~有家編~」の完全な下調べです。
まあ~今後どんなイベントを考えているかは、このブログを見ていればネタがバレるってなもんです。w
それは置いといて、その下調べでも引っかからなかった、ジオツアー本番で初めて訪れた場所です。
有家川は大河で、ここで18間(35メートル)もあって、当時の技術では強固な架橋は無理でした。
そのため、潜水橋として作られた橋です。
ここに安永九年(1780年)、隈田村の豪農 尾崎本家が石橋を架けました。
藩主はそれを褒めて米15俵を賜りました。
しかし、2年後には流されてしまったということです。
以後、また木の橋に戻ったようで、架けては流されての歴史の繰り返しでした。
今現在は、上流と下流にコンクリート製の立派な橋が架けられていますが、この橋の元には「この橋は、大雨時に渡るのは大変危険です。十分にご注意ください。」の看板が立てられています。
この川の上流には、鮎帰りの滝があり、さらに上流は雲仙です。
写真の奥には雲仙の山々、普賢岳・平成新山は雲の中です。