そして、用事のあった加津佐町に赴きました。
加津佐町内を歩いていると、温泉神社がありました。
「あれ?温泉神社は雲仙を中心に山田神(吾妻)、有江神(有家)、千々石神(千々石)、伊佐早神(諌早)の4つの分社じゃなかったっけ? 何で加津佐に?」(2011年5月20日記事)
入手した資料によると、
「温泉神社は雲仙を中心にして島原半島を一巡りするように十八社あり、あらゆる意味で半島住民の意識に影響を与えているものと思われる。」と書かれていました。
ええっ!?十八社?
初耳だあ~。
「加津佐四面宮は延文四年(1359年)、将軍 足利義詮(よしあきら)が多比良村四面宮に上津佐村田地十三町歩を寄進した以降の成立と考えられる。」
何気なく四面宮である証拠の鳥居を撮影していました。
ところがこの額束は、江戸時代後期の文人 頼山陽の筆だそうです。
どうしてこうも有名なものがあちこちに埋もれているかなあ~?
※十八社については、うちのご意見番に聞いてみます。
加津佐町内を歩いていると、温泉神社がありました。
「あれ?温泉神社は雲仙を中心に山田神(吾妻)、有江神(有家)、千々石神(千々石)、伊佐早神(諌早)の4つの分社じゃなかったっけ? 何で加津佐に?」(2011年5月20日記事)
入手した資料によると、
「温泉神社は雲仙を中心にして島原半島を一巡りするように十八社あり、あらゆる意味で半島住民の意識に影響を与えているものと思われる。」と書かれていました。
ええっ!?十八社?
初耳だあ~。
「加津佐四面宮は延文四年(1359年)、将軍 足利義詮(よしあきら)が多比良村四面宮に上津佐村田地十三町歩を寄進した以降の成立と考えられる。」
何気なく四面宮である証拠の鳥居を撮影していました。
ところがこの額束は、江戸時代後期の文人 頼山陽の筆だそうです。
どうしてこうも有名なものがあちこちに埋もれているかなあ~?
※十八社については、うちのご意見番に聞いてみます。