島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

南串山京泊漁港について

2014-12-29 11:31:59 | 雲仙
漁港をぐるっと回って、灯台とは逆の海岸にやってきました。
まず出迎えてくれたのは、石碑と恵美須様です。(表紙写真)
石碑の基部になにやら碑文が付いています。
「京泊震洋特攻基地の概要
昭和二十年三月十八日より五月二十六日までの約七十日間 小富士空十六分隊員(甲飛十四期生)約百三十名は、京泊・田ノ平地区の民家に宿泊して、京泊港の両岸の岩山に、震洋艇を格納する掩体壕(えんたいごう;航空機を敵の攻撃から守るための格納庫)の構築作業に従事した。
この間、隊員たちは南串山の住民と家族同様のふれあいの中、軍民一体となって任務の達成に努力して、震洋特攻隊を迎える運びとなった。
昭和二十年七月二十五日に第六五震洋隊岩切部隊(乙飛二十期生)が編成され、八月十五日に五十名の搭乗員が、五十隻の震洋艇で京泊基地に進出した。
しかし、いよいよ橘湾に米軍を迎え撃つ決意を新にしたところで終戦となった。
終戦後昭和二十年当時の交情忘れ難く、旧練習生たちは折りを見て、当地南串山を訪れ、昔に変わらぬ堅い絆が現在まで続いている。」
石碑の奥には少し広い場があって、その奥に洞窟らしいものが見えます。

おそらく練習生たちが掘った掩体壕なのでしょう。
近くまで行って覗き込みましたが、それほど深いものではありませんでした。
崩落の危険があるのでしょう、金網のフェンスで中には入れないようになっています。
島原半島にもこのような太平洋戦争時の痕跡が残っているのですね。
さて、海岸の湾方向を覗いてみました。

波によって削られたのでしょう、一部の岩が岸壁から離れて立っています。
対岸から見えたのはこの岩でした。
この岩は波に耐えて、どれくらいまで立っていられるものでしょう?
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