島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

伊王島の旧旗立所

2018-10-03 13:03:42 | 歴史・史跡
レンタサイクルの返却時間までもう少し時間があったので、最初に訪れたビーチに向ったのですが、その時にはすでに曇り始め、最初のような綺麗な海の撮影は出来ませんでした。
仕方ないのでレンタサイクルを返し、今度は車に乗り換えて灯台を目指す事にしました。
レンタサイクルのおじさんに自転車で灯台を目指さないように事前に言われていたのですが、それも納得。
少し距離があるうえに、とんでもない急坂を登らなければなりませんでした。
途中、急坂のことを聞かされてなかったんでしょうね、何名か自転車を押して登っている人達がいました。(ご愁傷様)
車でもアクセルをベタ踏みしないと登れないほどの傾斜がありました。
さて、そんな坂を登り上がって到着した場所が「旧旗立所」です。(表紙写真)
「旧旗立所〜南蛮船入港の道標〜
 『船は伊王鼻をまわって出島に向った。振り返ると伊王鼻の高台にオランダ国旗がひるがえっていた・・・。』
 これは文政六年(1823年)初来日したシーボルトが長崎入港の模様を綴った手記の一部である。
 また、文政九年(1826年)に作られた『鍋島海防地図』にも、この地の旗立所は記録されている。
 長崎の開港(元亀二年・1571年)当時、ポルトガル船員はこの伊王島を『ガバロス島』と呼んで、長崎入港の目印としていた。
 古文書『灯明台一件』(慶応元年・1865年)の伊王島見取り図にも、この高台に『元旗立所』と書かれている。
 その後、慶応四年・1868年)に灯明台、明治三年(1870年)に洋式灯台が建てられることになるが、この高台から灯台に至る一帯は、日本の海の夜明けの時代から現代にかけて、航海の案内と安全を守ってきた場所である。 平成五年三月 長崎市教育委員会」

旧旗立所からの眺め。
手前に見えるのは高島。
高島の裏側、島影に『軍艦島(端島)』がある。
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