実は今回の観光には裏テーマがありまして、それは「道の駅」です。
道程でより多くの道の駅に立ち寄ってやろうと考えていました。
研修1日目の夜に泊まった「なみの高原やすらぎ交流館」の近くには“道の駅なみの”があったのですが、到着が遅くだった事、翌朝は早くの出発だった事で、泣く泣く横を通過していました。
高千穂から熊本へ帰る途中の国道218号線沿いにこの“道の駅 清和文楽邑”はありますが、おそらく明日の出発は早いだろうとの予想から先に訪れる事にしました。(「せいわぶんらくむら」と読む)
さて、ここ“道の駅 清和文楽邑”には人形芝居を見学できる施設があります。
「清和文楽は、人形と語りと三味線を組み合わせた芝居です。
江戸時代末期、全国を巡業に訪れた阿波、淡路の人形一座から村人が人形を譲り受け、操り方を教わったのが興りとされています。
以来、農作物の豊作祈願として神社や特設舞台で上演されてきました。明治の終わりに一時衰退しましたが、昭和に入り再び盛んになり、昭和29年に保存会が結成され、昭和54年には熊本県重要無形文化財の指定を受けるなど、現在まで脈々と受け継がれています。」
以前も書きましたが、どうやら私は人の文化や伝統に興味がないらしい。
人形芝居も見る気がなかったし、丁度終わったらしく人がぞろぞろと出て来たので、早々に退散した。
道程でより多くの道の駅に立ち寄ってやろうと考えていました。
研修1日目の夜に泊まった「なみの高原やすらぎ交流館」の近くには“道の駅なみの”があったのですが、到着が遅くだった事、翌朝は早くの出発だった事で、泣く泣く横を通過していました。
高千穂から熊本へ帰る途中の国道218号線沿いにこの“道の駅 清和文楽邑”はありますが、おそらく明日の出発は早いだろうとの予想から先に訪れる事にしました。(「せいわぶんらくむら」と読む)
さて、ここ“道の駅 清和文楽邑”には人形芝居を見学できる施設があります。
「清和文楽は、人形と語りと三味線を組み合わせた芝居です。
江戸時代末期、全国を巡業に訪れた阿波、淡路の人形一座から村人が人形を譲り受け、操り方を教わったのが興りとされています。
以来、農作物の豊作祈願として神社や特設舞台で上演されてきました。明治の終わりに一時衰退しましたが、昭和に入り再び盛んになり、昭和29年に保存会が結成され、昭和54年には熊本県重要無形文化財の指定を受けるなど、現在まで脈々と受け継がれています。」
以前も書きましたが、どうやら私は人の文化や伝統に興味がないらしい。
人形芝居も見る気がなかったし、丁度終わったらしく人がぞろぞろと出て来たので、早々に退散した。