島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

千々石ミゲルとみられる墓石

2011-03-06 13:18:23 | 歴史・史跡
前回、実家に帰った時に「長崎甚左衛門の墓」へ行き、その写真はアップしました。
もう一個所寄ってきた所があります。
それが写真の「千々石ミゲルとみられる墓石」です。
場所は諌早市多良見町山川内郷(またもや島原半島から離れた)です。
時津町のお隣の長与町から一山越えた所にあります。(要は島原からの帰り道に見つけたのです。)
千々石ミゲルはご存知だと思います。
天正10年(1582年)、キリシタン大名だった大村純忠・大友宗麟・有馬晴信の名代としてローマへ派遣された天正遣欧少年使節4人のうちの一人です。
永禄12年(1569年)頃に千々石城城主の千々石直員(のうかず)の息子として生まれ、13,4歳で使節に選ばれました。
帰国後は強まるキリシタン弾圧の中、キリスト教を棄教し日蓮宗に改宗したとされています。
その後、キリシタンの批判を浴びながら大村領、有馬領、長崎を転々としたそうです。
この墓石は千々石ミゲル夫妻のものとみられ、施主は裏面に名を刻む四男の千々石玄蕃と考えられます。
2003年に当時県立口加高校教諭だった大石一久氏が発見し、公表されました。
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コメント
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