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島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

深江村庄屋屋敷跡

2019-01-06 13:14:55 | 歴史・史跡
ここは南島原でも有名な結婚式場「ウェディング石川」です。
その一角にこんな石碑が置いてあるのをご存知でしょうか?

「肥前国島原藩 深江村庄屋屋敷跡
 江戸時代、島原藩主より命ぜられ 深江村の納税・その他の事務を統轄した吉田家の屋敷跡地です。吉田家は代々吉田助衛門を名乗り、天保十一年(1840年)◯13代続いています。安永七年(1778年)時の当主 吉田助衛門矩景が“古江名”出ノ川にある観音堂に供養塔を建立しているのが現在も尚立派に残っています。」
もうちょっと詳しい事は調べなければなりませんが、庄屋の屋敷跡という広い敷地だったからその後に結婚式場が建ったんだな。
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深江町(井手口)のキリシタン墓碑

2019-01-05 12:53:48 | 歴史・史跡
深江町内を歩き回っていると、住宅街の外れ(というほど外れてもいない、近くにはJA島原雲仙深江支店もある)に墓地を見つけた。
興味本位で近寄ってみると見覚えのある看板が見えてきた。(表紙写真)
へぇ〜、ここは深江町のキリシタン墓碑だったのか。
「キリシタン墓碑は、1549年のキリスト教伝来から迫害の強まった十七世紀前半にかけての西洋式墳墓で、県下では島原半島が最も多く残り、百三十基が確認されている。
 深江町のキリシタンについては、深江城主安富氏が、深江を去った天正十二年(1584年)以降盛んになったと思われる。(※沖田畷の戦い;安富氏が寝返って味方した龍造寺軍が敗走した。)
 当井手口墓地では、昭和十一年(1936年)五月、寺田猛氏が調査した結果、八基(現在中学校に一基)を発見した。
 この墓碑はいずれも安山岩の地元の石(平型六基、平庵型二基)で建てられ、本来伏碑であるべきだが、立碑として地元の人に祀られたり、中には放置されていたのもある。それで保存のため集め整備したものである。
 県下のキリシタン墓碑の中、全石文でひらがなが初めて用いられ、漢字の草書も非常に珍しい。又年代の確認できるものが十三基中三基、銘が確認出来るもの十一基中三基、特に埋葬人の洗礼名・氏名・死亡月日の名が刻まれているのは、文化財として貴重な墓碑である。」(昭和六十三年三月建立 深江町教育委員会)
一部文字がかすれ消えかかっているが以上のような文章だ。
合併前の町の時代には文化財に指定されていたようだが、今では国・県はおろか、市の指定文化財からも外れているらしい。
市町村合併の際に文化財枠から落選したのだろう。
世界遺産登録で脚光を浴びる一方、こうして日陰に堕ちて行く史跡を見るのは非常に残念なものだ。
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化屋大島石棺群

2018-12-30 12:35:36 | 歴史・史跡
知らぬ間に2018年の年の瀬も押し迫り、気付けば明日が大晦日じゃないですか!?
この一年、私は何をやっていたんでしょうかねー。
さて気を取り直して、話は多良見町散策に戻ります。
昨日の解説文章の中にちらっと「塩田は大島の丘の土で〜」と書きましたが、なるほど駅から新興住宅地(シーサイドタウン言うらしい)へ向う手前に10mくらいはありそうな丘があります。
この辺は埋め立て地でしょうから、元々は島だった部分じゃないでしょうか。
その(駅から見て)裏側に旧跡がありました。
どうやら指定の文化財ではないらしい、ですが解説板が建っていました。
「化屋大島石棺群は、弥生時代中期初頭頃のお墓で、約二千百年ほど前につくられたものです。
 昭和四十八年(1973年)に調査が行われ、七基の箱式石棺からなる墓地であることが分かりました。
 平たい石を組み合わせて長方形の棺を作り、平たい石をかぶせる構造になっています。
 石棺の大きさは縦約1m、横40〜50cmくらいですが、埋葬された人はひざを曲げた屈葬といわれる姿で葬られました。
 弥生時代はそれまでの日本では見られなかった『稲作』がはじめておこなわれた時代ですが、化屋大島の近くの低い場所で稲作が始められたのでしょう。
 大村湾沿岸ではこのような石棺がよくみられますが、時代は化屋大島石棺群よりも新しいものです。
 この石棺群は、大村湾地方ではもっとも古い墓地の一つと言えるでしょう。」(諫早市教育委員会)
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化屋名塩浜跡石碑

2018-12-29 12:40:43 | 歴史・史跡
正面からの撮影を忘れていました。
何度目かの訪問になる多良見町散策です。w
喜々津駅周辺が現在再開発中で、場所は変わっていないのだが、道が分からず探しました。
先日紹介した諫早市多良見支所に出向いて道をお聞きしました。
(多良見支所の皆様、先日はお邪魔しました。お陰様で無事、目的地まで到達する事が出来ました。)
写真の公園には「化屋名塩浜跡石碑」という諫早市指定有形文化財があります。
「喜々津村に塩田が開かれたのは、江戸時代初期(寛永の頃1624〜1644年)で、久山側から喜々津川河口へと拡げられ、塩浜八町(一町は約9917㎡)といわれた。そこには塩炊き窯が五軒あり、この辺りを化屋(けや)と呼んだ。ここでは、年間約八百石余(一石は約180ℓ)の塩が生産され、諌早方面へ納められていた。※
 明治時代に国営の専売局に引き継がれたが、明治四十三年(1910年)に廃止され、塩田は大島の丘の土で次々に埋め立てられ畑地となった。
 その埋め立て終了を記念し、大正三年(1914年)に、原口駒太郎氏によって、この石碑が建立された。」(諫早市教育委員会)
※「諌早方面へ納められていた」;どうもこの表現が引っ掛かります。諌早方面?江戸時代の諌早は確か佐賀藩領地だった筈。
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化屋・阿蘇神社の二の鳥居と三の鳥居

2018-12-23 13:55:51 | 歴史・史跡
多良見町の寺社・仏閣と言えば、ここを外して語るわけにはいきません。
化屋(けや)の「阿蘇神社」です。
一度は行かなければと思っていました。
御祭神は「タケイワタツノミコト(健磐龍命;阿蘇山を制する神様で、初代神武天皇の孫)」です。
「阿蘇神社は天文三年(1534年)、当時伊佐早一円の領主西郷石見守が喜々津の総鎮守として熊本県一ノ宮の阿蘇神社より御分霊を勧請、囲の地に祠を建立して祀られました。以来武将は国土守護の軍神として、農民は農耕の神として崇敬を寄せました。
 寛永元年(1624年)に正法寺住職伝興法師が氏子と協力し、囲の地にあった阿蘇神社を現在地に遷宮しました。伝興法師は阿蘇神宮の子息で、神社との縁が深かったようです。背後の丘陵地はこれ以来、「阿蘇の島」と呼ばれるようになりました。事実、当時は島であったと思われます。
 文禄二年(1593年)関白豊臣秀吉が阿蘇大明神の御神託を請け大いに喜び、喜聞津と名付けられました。(喜ばしき事を聞く津という意味)後世これが訛って喜々津となったと伝えられます。明治七年五月村社に列せられました。」

二の鳥居と三の鳥居が諫早市の有形文化財に指定されています。
「二の鳥居は元禄五年(1692年)の建立で、『喜々津村中、宮司正法寺 神職松井左近』の刻字から正法寺の住職が宮司であり、寺院の管轄下で阿蘇神社を司掌していたことがわかります。
 三の鳥居は天明七年(1787年)の建立で、中里の前田段十という者が施主となっている他文久二年(1862年)の修理の記銘がある。」

そして本殿。
忘れていましたが、世間的には正月が近いのですね。
ここ最近訪れた神社はどこもお正月を迎える準備に取りかかっていました。
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琴の尾岳烽火台跡(県指定史跡)

2018-12-11 11:09:03 | 歴史・史跡
琴の尾岳山頂、琴の尾神社や琴の尾岳公園から少し下った所に「琴の尾岳烽火台跡(県指定史跡)」はあります。
「島原の乱」後、キリシタン勢力の巨大なることを知った幕府は、鎖国体制を強めるとともに異国船の動向に警戒を強化しました。
江戸時代に外港として機能した長崎港における外国船侵入などの異変を伝達する施設として、長崎奉行に命じて烽火台を設置させました。
長崎村の斧山(現 長崎市鳴滝町烽火山)に狼火山番所と野母村の権現山に野母遠見番所がそれです。
遠見番所は、異国船の船影を見つけると「※白帆注進(しらほちゅうしん)」によって、早く長崎奉行所に知らせ、一方、長崎の狼火山番所は、異国船来航の知らせの狼煙をあげ、大村領に所属する琴の尾岳烽火台と諫早領の多良岳狼煙場とに知らせ、長崎警備の体制を取らせる事にした。
(※白帆注進;通行人や船舶の不法行為を見張る施設で、とくに江戸時代の関所・番所・港湾等の付属機関となっていた。長崎港外に設けられた遠見番所は、事前に唐船の入津を探知するためのもので、これを白帆注進といった。)
この烽火台の構造と大きさは、一辺約9.5mの方形の基壇の上に直径約3.5mの円形の竃跡があり、その周りを高さ70cm、直径7mくらいの土止めの石垣がめぐらしてあります。また、焚き口が東・西・北の三カ所に作ってあります。
構築はもっぱら安山岩の石材によるが、かなり散在して、竃跡も土砂が堆積している状態でした。

この狼煙は、平戸藩にも報知する目的があったとしています。
文化五年(1808年)イギリス船フェートン号が不法に長崎に入港してきて、オランダ商館員を捕らえ、そして長崎奉行所には、薪水・食料などを要求し、それを獲得して退去するという事件がありました。(フェートン号事件)
長崎奉行の松平康英は責任を取って切腹しています。
このイギリス船の暴挙は、ヨーロッパでの国際戦争の流れの一環でした。
当時、オランダはフランス帝国のナポレオン皇帝の支配下にあって、有名無実化していました。
これを機に幕府は海防を強化し、再編成をしなければならず、それでこの狼煙場は、十分に対応出来なかったことで廃止されました。
記録では、正保四年(1647年)ポルトガルの軍艦二隻が長崎にやってきた時と、フェートン号事件の時の二回「狼煙」を上げたとされますが、調査によると「狼煙」を上げた炭のあとは、薄く一層しか出て来なかったそうです。
琴の尾岳にはもう一カ所烽火台があるそうだが、そちらはどのような目的で設置されたものか分からず、県から史跡に指定されているのはこちらだけです。
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加津佐町砂原のキリシタン墓碑

2018-11-27 12:51:10 | 歴史・史跡
権田公園をあとにして加津佐町の街中に入ってきた。
しかし、そうそう新しい情報なんてあるもんじゃない。
お店も知っているわけじゃないので、一旦口之津まで行って昼食を摂って戻る。
久しぶりに岩戸山・女島に登るか?とも思ったが、山に登るような格好じゃないし、腹一杯で動けない。w
仕方なしに食後の運動がてら野田浜海水浴場を歩いてみる。
すると防風・防砂林(?)の中に県指定史跡の石柱を見つけた。
おお〜これが「加津佐町砂原のキリシタン墓碑」か〜。

今回の台風のせいだろうか、トタンで作られた屋根が壊れている。
もうちょっと丁寧に扱えないだろうか。
「加津佐はかつて、島原半島南部にキリスト教文化が伝来し花開いた時代、一時コレジヨ・セミナリヨが置かれたこともあり、キリシタンゆかりの地である。
 そうした歴史の一端を物語るかのように野田浜海岸の松林に2基のキリシタン墓碑が静かに置かれている。
 1基は正面の軸部に美しい花十字の輪郭を刻んである板状扁平形伏碑で、他の1基は無紋無銘の板状平形碑であり、石材が堆積岩であるため胴半ばで斜めに半壊している。」(南島原市教育委員会)
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伊王島の灯台記念館

2018-10-07 13:30:19 | 歴史・史跡
昨日は台風25号の接近で臨時休館となりました。
結局昨日は一日家から一歩も出ず、お陰様でと言うべきか、今の所大きな被害は報告されていません。

さて、話は伊王島に戻りますが、今日で最後になるかな。
最後にご紹介するのは「伊王島灯台旧吏員退息所」です。

長崎県指定の有形文化財です。
「伊王島灯台は、日本最初の近代的洋風灯台の一つである。明治三年(1870年)6月に完成しました。当初の灯台は鉄骨造でしたが、昭和二十九年(1954年)に解体され、現在は土台の基礎石を残すのみとなっている。
 この建物は、灯台に付属する吏員退息所であり、俗に官舎とも呼ばれた。設計者は灯台と同じ明治政府のお雇い外国人R・H・ブラントンで、明治十年(1877年)に完成した。使用されたセメントは舶来品と思われるが、当時は貴重品である石灰などが混入された形跡がある。砂と砂利は付近の海岸から調達したといわれる。 平成29年 長崎市教育委員会」

そして、この「吏員退息所」は現在「灯台記念館」になって、館内を見学することが出来ます。
ちょっとうるさい記念館らしく、入口には数項目の禁止事項が書かれていました。
本来ならば小煩い施設には近づきもしないのだが、珍しく存在した“連れ”がどんどん中に入って行っちゃいました。
「うわっちゃー(><)」と思いながら後を追いかけると、案の定施設の人が出て来ちゃいました。
施設の人は話をしたいのか私について来るのですが、連れはそれにも気付かずにどんどん先に行っちゃいます。
あまりのしつこさに私は辟易としたのですが、そこでようやく連れがついて来る施設の人に気付いてくれました。
あとは連れに任せて、私はさっさと退散させて頂きました。
う〜ん、似たような施設で働いている人間として、お客さんにしつこくついてまわるのは如何なものかと思います。
正直館内をゆっくりと見学する時間はありませんでしたが、施設の人がついてこなければ、また今度ゆっくり時間のある時に見学したいと思いました。(こういう所が自分が根っからの博物館や資料館好きなんだと思える。)

ちなみに「i+Land nagasaki」の印象は宿泊を主とした観光施設だな、と。
お客様を楽しませる仕掛けは宿泊者を対象とした夜がメインで、日中遊べる物が少ないです。
自分たちが連休明けに行ったのもマズかったかも知れませんが、飲食店もほとんど閉まっていました。
また日中は、泳ぐ(濡れる)ことを前提とした海のレジャーが主体で夏限定に感じられました。(泳げない冬はどうすんだろ?)
今回の私のように日中日帰りで遊ぶ場所ではありませんでした。(それでも歴史などは楽しめます。)
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伊王島の灯台公園

2018-10-05 12:33:33 | 歴史・史跡
伊王島の旧旗立所を過ぎてさらに進むと、灯台が見えて来た。
映画ロケ地の看板も立っている。
高倉健さん最後の主演作品映画「あなたへ」のロケ地らしい。
ほとんどの撮影は平戸で行われたそうだが、物語の鍵となる2枚の絵手紙を手放す場面はこの伊王島灯台で撮影されたらしい。
すみません、映画は洋画・邦画を問わずコメディかアクションしか見ないので、さっぱり分かりません。
島原で撮影のあった「まぼろしの邪馬台国」も結局見てません。
灯台にむかって歩いていると、見つけました!

「長崎県の新観光百選の地」だ!!
この日一番テンションが上がった。w
このブログをお読みの方ならご存知でしょう、私がこの地を探しているのを。
伊王島にもあったか〜。

肝心の灯台に着きました。
「長崎市指定名勝 伊王島灯台公園
 伊王島灯台公園の一帯は、伊王島灯台をはじめ、旧吏員退息所など灯台関連や江戸時代の台場跡等の遺構が多くある。そこからの眺めは、明治時代に灯台が設置された頃を彷彿とさせ、かつ周辺の景観も含めて秀逸である。
 この伊王島灯台は慶応二年(1866年)に米・英・仏・蘭の四ヶ国と改税約書(江戸条約)を結んだ時に全国八カ所に設置された灯台の一つである。明治三年(1870年)に明治政府のお雇い外国人 R・H ブラントンの設計により、鉄造六角形の第一等不動灯として建設され、鉄造洋式灯台では日本で初めての構造物であった。
 昭和二十年(1945年)原子爆弾の爆風により塔部がゆがみ、現在の鉄筋コンクリート四角形に改築されたが、上部は明治四年(1871年)当時のものである。昭和四十六年(1971年)無人灯台となり、自動装置に切り替えられている。 平成29年 長崎市教育委員会」
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伊王島の旧旗立所

2018-10-03 13:03:42 | 歴史・史跡
レンタサイクルの返却時間までもう少し時間があったので、最初に訪れたビーチに向ったのですが、その時にはすでに曇り始め、最初のような綺麗な海の撮影は出来ませんでした。
仕方ないのでレンタサイクルを返し、今度は車に乗り換えて灯台を目指す事にしました。
レンタサイクルのおじさんに自転車で灯台を目指さないように事前に言われていたのですが、それも納得。
少し距離があるうえに、とんでもない急坂を登らなければなりませんでした。
途中、急坂のことを聞かされてなかったんでしょうね、何名か自転車を押して登っている人達がいました。(ご愁傷様)
車でもアクセルをベタ踏みしないと登れないほどの傾斜がありました。
さて、そんな坂を登り上がって到着した場所が「旧旗立所」です。(表紙写真)
「旧旗立所〜南蛮船入港の道標〜
 『船は伊王鼻をまわって出島に向った。振り返ると伊王鼻の高台にオランダ国旗がひるがえっていた・・・。』
 これは文政六年(1823年)初来日したシーボルトが長崎入港の模様を綴った手記の一部である。
 また、文政九年(1826年)に作られた『鍋島海防地図』にも、この地の旗立所は記録されている。
 長崎の開港(元亀二年・1571年)当時、ポルトガル船員はこの伊王島を『ガバロス島』と呼んで、長崎入港の目印としていた。
 古文書『灯明台一件』(慶応元年・1865年)の伊王島見取り図にも、この高台に『元旗立所』と書かれている。
 その後、慶応四年・1868年)に灯明台、明治三年(1870年)に洋式灯台が建てられることになるが、この高台から灯台に至る一帯は、日本の海の夜明けの時代から現代にかけて、航海の案内と安全を守ってきた場所である。 平成五年三月 長崎市教育委員会」

旧旗立所からの眺め。
手前に見えるのは高島。
高島の裏側、島影に『軍艦島(端島)』がある。
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