日曜日、夫は5軒の法務(そのうち1軒はご葬儀)に駆け回り、私は三日参りのお接待。
ご遺族をお見送りした直後、今度は実家の父の叔父の訃報。
佐賀県Y町のK家本家の大叔父が98才で往生。
大叔父は、元H村では「元気なお爺さん」として有名でした。80過ぎてもバイクに颯爽と乗っていました。小柄でしたが、長年、農作業で鍛えた身体は、丈夫でした。人のお世話役をよくしていました。誰からも親しみをもたれていました。
自分の子どものような70代高齢者に「『年をとれば、あちこち痛くなったり、悪くなるのは当たり前だ』と渇をいれて励ましている」と笑って話していました。
父の実家が佐賀とはいえ、直方からこちらに嫁に来た私を気遣って、孫のようにかわいがってもらいました。
昨年3月には、直方まで12才年下の父(甥)の見舞いに行ってくれるほど元気でした。
ウチの父には、「甥のおまえが、ワシより先に死ぬことは許さん」と言っていました。
先日、父の葬儀の折、大叔父も12月から入院中で危ない状態だと始めて聞きました。
亡くなる数日前、長女と見舞に行った時は、わかって(認識して)くれたので、まだまだ回復できるのではないかと期待していました。
大叔父なら、元気な100才を迎えられると思いこんでいました。
たくさんの孫もひ孫も、涙、涙のお別れでした。
きっと、大叔父は、「なんだ、おまえは、ワシより12日早く来てたのか」と、父とお浄土で再会していることでしょう。 南無阿弥陀仏
ご遺族をお見送りした直後、今度は実家の父の叔父の訃報。
佐賀県Y町のK家本家の大叔父が98才で往生。
大叔父は、元H村では「元気なお爺さん」として有名でした。80過ぎてもバイクに颯爽と乗っていました。小柄でしたが、長年、農作業で鍛えた身体は、丈夫でした。人のお世話役をよくしていました。誰からも親しみをもたれていました。
自分の子どものような70代高齢者に「『年をとれば、あちこち痛くなったり、悪くなるのは当たり前だ』と渇をいれて励ましている」と笑って話していました。
父の実家が佐賀とはいえ、直方からこちらに嫁に来た私を気遣って、孫のようにかわいがってもらいました。
昨年3月には、直方まで12才年下の父(甥)の見舞いに行ってくれるほど元気でした。
ウチの父には、「甥のおまえが、ワシより先に死ぬことは許さん」と言っていました。
先日、父の葬儀の折、大叔父も12月から入院中で危ない状態だと始めて聞きました。
亡くなる数日前、長女と見舞に行った時は、わかって(認識して)くれたので、まだまだ回復できるのではないかと期待していました。
大叔父なら、元気な100才を迎えられると思いこんでいました。
たくさんの孫もひ孫も、涙、涙のお別れでした。
きっと、大叔父は、「なんだ、おまえは、ワシより12日早く来てたのか」と、父とお浄土で再会していることでしょう。 南無阿弥陀仏
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