順手、と逆手。刀の持ち方には二通りあるわけだが、この、いわば些末な部分にまで徹底的にこだわった殺陣がすばらしい。「座頭市」はそんなチャンバラの楽しさがこれでもかと詰めこまれている。
で、逆手の場合には、よほどの膂力がなければ人など斬れないだろうと思うのだがそこはチャンバラ。かっこよく決まれば石灯籠だろうが何だろうがぶった斬れるのであり、観客がそれを納得できればいいわけだ。このあたりの北野武の割り切り方は気持ちがいい。でもその分CGの血は興ざめ。空手をやっていたという浅野忠信との決闘は凄みがあっただけに、この血の問題だけは計算違いだったろう。何とかならなかったんかい。
タップダンスや金髪の話題が先行し、時代劇ファンにはどうなのかなあと思っていたけれど、要するに北野がやりたかったのは大衆演劇。お涙頂戴の姉弟のシーンが浮き上がらないための仕掛けとしてもあのタップダンスは機能しており、“真の悪役”に吐きつけるセリフや、案山子がラストで生きてくる構成の脚本もいい。そして最高なのはあいかわらず編集。北野(ひょっとしたらプロデューサーの森昌行がやっているという噂もある)の才能はこの部分がいちばんかも。タイトル「座頭市」をのっけにバーンとたたきつけるあたり、ゾクゾクする。
役者にしても、浅野や岸部一徳は当然だが、ガダルカナル・タカがほんとうにいい味を出している。でもせっかく大楠道代が出ているのに、市との濡れ場がなかったのは、座頭市を一種の天使に見立てているからだろうか。それにしちゃアッサリ人を斬りすぎだけど。
えーっとネタバレを一つ言っておきたい。タイトルと矛盾しているじゃない?あのコンタクトと金髪の問題は……やめとこう、これはぜひ自分でお確かめ願うってことで。座頭市が見ることができなかったものはなんなのか、という問いとともに。
もういっちょ。勝新の座頭市シリーズのなかで、89年の「座頭市」(松竹)が語られることが少なすぎるような気がする。この新作に匹敵するぐらいの傑作。内田裕也のロケンロールぶりと、さすが新国劇出身の緒方拳の立ち回りだけでも観る価値はある。ぜひ。