事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「座頭市」(‘03 松竹=オフィス北野)

2008-01-10 | 邦画

Zatoichi  順手、と逆手。刀の持ち方には二通りあるわけだが、この、いわば些末な部分にまで徹底的にこだわった殺陣がすばらしい。「座頭市」はそんなチャンバラの楽しさがこれでもかと詰めこまれている。

 で、逆手の場合には、よほどの膂力がなければ人など斬れないだろうと思うのだがそこはチャンバラ。かっこよく決まれば石灯籠だろうが何だろうがぶった斬れるのであり、観客がそれを納得できればいいわけだ。このあたりの北野武の割り切り方は気持ちがいい。でもその分CGの血は興ざめ。空手をやっていたという浅野忠信との決闘は凄みがあっただけに、この血の問題だけは計算違いだったろう。何とかならなかったんかい。

 タップダンスや金髪の話題が先行し、時代劇ファンにはどうなのかなあと思っていたけれど、要するに北野がやりたかったのは大衆演劇。お涙頂戴の姉弟のシーンが浮き上がらないための仕掛けとしてもあのタップダンスは機能しており、“真の悪役”に吐きつけるセリフや、案山子がラストで生きてくる構成の脚本もいい。そして最高なのはあいかわらず編集。北野(ひょっとしたらプロデューサーの森昌行がやっているという噂もある)の才能はこの部分がいちばんかも。タイトル「座頭市」をのっけにバーンとたたきつけるあたり、ゾクゾクする。

Zatoichi2  役者にしても、浅野や岸部一徳は当然だが、ガダルカナル・タカがほんとうにいい味を出している。でもせっかく大楠道代が出ているのに、市との濡れ場がなかったのは、座頭市を一種の天使に見立てているからだろうか。それにしちゃアッサリ人を斬りすぎだけど。

 えーっとネタバレを一つ言っておきたい。タイトルと矛盾しているじゃない?あのコンタクトと金髪の問題は……やめとこう、これはぜひ自分でお確かめ願うってことで。座頭市が見ることができなかったものはなんなのか、という問いとともに。

 もういっちょ。勝新の座頭市シリーズのなかで、89年の「座頭市」(松竹)が語られることが少なすぎるような気がする。この新作に匹敵するぐらいの傑作。内田裕也のロケンロールぶりと、さすが新国劇出身の緒方拳の立ち回りだけでも観る価値はある。ぜひ。

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標準世帯の行方 第四話

2008-01-10 | 情宣「さかた」裏版

Foreigner  クミアイ情宣シリーズ扶養篇最終回。
発行日は2002年11月12日でした。

……厚労省の報告書のシビアな部分とはこれ。
・パートの厚生年金適用拡大のため、現在年収130万円以上としている加入要件を65万円以上に引き下げる。
・正社員の労働時間の3/4以上としている加入基準を1/2以上にし、間口を広げる。

…となっている。1,150万人の第3号被保険者のうち、3割が何らかの形で働いているので、見直しが実現すればその約300万人が働き続けるかどうかの選択をせまられることになる……。

さてどうでしょう。私の妻はこの300万分の1なので、この記事にはかなり考え込んでしまいました。

サンプルとして私の妻を採りあげてみますか。
彼女は月収約40万円のサラリーマン(私)の配偶者であり、私立幼稚園の送迎バス添乗員として月額報酬7~8万円を得ている。もちろん公立学校共済組合の被扶養者の要件を充たしているし、制度開始以来(当時は専業主婦だった)、第3号被保険者に該当させてきた。

Kids それがこの見直しがそのまま実現すると仮定すると(普通は“落としどころを見つける”という官僚お得意の手法が使われるはずだが、今回多くのダミー案が同時に提起されているので先が読めない)、私の給料からは毎月4千円増しの掛金が徴収され、妻は私の扶養を外れ、自ら厚生年金保険料を負担することになる。まあ、勤務時間の関係でそう簡単にはいかないのだが。

ここで問題がひとつ。保険料は雇用側も折半して負担することになっているので、幼稚園側も応分の負担が求められることになるわけだ。どうやら少子化の時代でも妻の勤める幼稚園は繁盛しているようなので(笑)、そのぐらいの負担は軽いのかもしれないが、このご時世にそうもいかない職場はたーくさんあるはず。正規に雇用することをせず、パートの比率が上がっている現状には、企業側の保険料負担がきつい、という側面が確実にあるだろうから、この案の実現は朝日が予測するようにかなりの紆余曲折があるだろう。

だいたい国民に負担増を求めるには最悪のタイミングでこれが出てきたってことは、例によって本来ずーっと前からわかっていた年金財政の逼迫の問題を先送りしてきたツケが今まわってきたわけだ。まったく嫌になる。

ただ、それなりの給付増もあるだろうからウチにとってデメリットだけではないことだし、掛金を多く払えというならそりゃ払いもしよう。現行制度が不公平であることは確かだし。でも、社会保障の担い手をやみくもに増やそうとするその魂胆のなかに、あるどす黒いものがあるんだったら話は別だ。

少子化、高齢化、産業の空洞化……これら今日本が抱える問題を解決するために、どうしても避けて通れない課題がある。

外国人の問題だ。

グローバルスタンダードのかけ声だけは勇ましく響いているが、日本が引き続き先進国でいるためには(特殊な鎖国国家でいいというなら話は別)、外国人の流入は絶対条件であるはず。彼らにも等しく社会保障の担い手になってもらい、“国民”として応分の給付を行う方向に進む指針を示さないままに、お互い日本人だ、助け合っていきましょうや、と言うだけなら、こっちはへそ曲げちゃうぞ。これだけは、オレははっきりと言っておくからな厚労省。

※この連載は、標準世帯という概念が日本の高度成長を支えてきた側面は認めるものの、男性を企業戦士として会社にしばりつけて家庭から遠ざけ、女性をまるで“銃後の守り”のために家庭に押し込めた弊害が今噴出し、家庭をゆがんだものにしてしまったのではないか、もうこんな概念は低成長下、時代遅れもいいところなのでは?という動機で始めました。後段の外国人の問題など、反論も多数あることと思います。ご意見を書記局へお寄せ下さい。
 それにしても、これだけプライバシーをさらしたことを知ったら、さぞや妻は激怒するだろう。J幼稚園の関係者の方々、どうか妻には内密にお願いします。

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標準世帯の行方 第三話

2008-01-10 | 情宣「さかた」裏版

Nenkin クミアイ情宣シリーズ扶養篇その3。
今回は第3号被保険者の関係を。
発行日は2002年11月6日でした。

専業主婦の厚生年金 保険料免除見直し提起
厚労省報告書 夫に上乗せ検討
 厚生労働省の「女性と年金検討会」は12月14日、年金制度を「専業主婦標準型」から「共働き標準型」へ転換するよう促すことを柱とした報告書をまとめ、坂口力厚労相に提出した。サラリーマン家庭の専業主婦が、基礎年金の保険料を免除させられている「第3号被保険者」制度の見直しを提起、何らかの負担を課す方法として、夫が支払う保険料に上乗せする案を軸に検討が進められる見通しだ。
2001年12月15日付朝日新聞朝刊

……このテの報告書がそのまま実現することはあまりないが、諮問委員会の提案とはいえ、こいつが官僚がぶちあげたアドバルーンであることに間違いはなく、連中はあきらかに“本気”でこの方向へ政治家や世論をリードしようとしているのだろう。

 あらかじめ旗幟を鮮明にしておくと、私の世帯はまさしくこの現行制度の“恩恵”を受けている。同じ掛金率で算定された公立学校共済組合長期掛金を納付しながら、妻の分はまるまる共済組合が負担しているわけ。国民皆保険、国民皆年金のかけ声にうまくのったとも言える。そのつもりで読んで。

扶養手当の号でも述べたが、実現へのよりどころは“不公平感”である。そりゃま、そうだろう。現行の第3号被保険者制度は、夫がサラリーマンで年収130万円未満の妻は、年金保険料を負担しなくても基礎年金(満額で月67,000円)が支給される制度だ。これだけでも独身者や共働きの労働者が怒るのも無理はないし、なによりこの第3号の対象者が1,150万人もいるあたりがつらいところ。これだけ多数では、年金制度へのただ乗り、とつっこまれても抗弁しきれない。

Manbo01bw こんな不公平が今まで通って来たのは、税制にしろ保険にしろ年金にしろ扶養手当にしろ、日本における標準世帯の概念が『外に働きに出ているお父さん、おうちで家事をするお母さん、そして子ども二人』と長い間想定され、世間もそれを「あ、そんなもんかな。」と看過してきたからだろう。銀行や霞ヶ関の官庁のように、妻が働きに出ることを“恥ずかしい”とする風土が未だに残っている旧弊な業界もあるぐらい。学校の場合はまた別で、不公平感を表立って主張する人がいないのは、みんなこのことを知らない(笑)ことがあるんだと思う。結構世間知らずな人が多いからなあ。退職直前に「この公立学校共済組合って、何だね?」と訊ねる猛者もいるらしいし。

 具体的な見直しとして有力なのは、世帯単位の受益という点で不公平感を解消できる狙いから、妻が保険料負担を免除されている夫に、共働きや独身者よりも高い保険料率で負担をしてもらう案。これだと夫の月収が40万円の場合、月額4,000円程度の負担増になる試算が出ている。

 4千円かあ。仕方ないとこかな、と油断してはいけない。報告書にはもっとシビアな部分があるのだ。
PARTⅣにつづく

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標準世帯の行方 第二話

2008-01-10 | 情宣「さかた」裏版

Syoushi クミアイ情宣シリーズ。扶養手当関係PARTⅡ。
発行日は2002年11月1日。

……扶養手当への逆風に、だが反論もある。

・朝日の記事にもあるように、この動きは、年俸制や成績率の導入を図る雇用側の意向に見事に合致するものだし、現在の経済状況を考えれば、手当の見直しと引き換えに給与の増額を獲得することは至難の業であること。

・「同じ仕事をしているのに」という不満に応えようとすれば、給与は次第に成功報酬化するわけだが(目的達成をしゃにむに推進するようになる)、“先進国”アメリカでは、そのことで逆に職場のモラルの低下を生んでいること。そりゃそうだろう。達成率等の判断は上司がするわけだし、さぞや息苦しい職場になるはず。成功者はほんの一握りに設定されるだろうし。

・構造不況の底にあるものが、実は少子高齢化だと私はふんでいるが、手当の削減、廃止は、その少子化に拍車をかけるであろうこと。

……もちろん、少子化の原因が経済的要件だけではないことは重々承知している。女性がキャリアアップに生きがいを見出しつつあるとか、産業構造の変化によって、女性に限らず労働者のほとんどが家庭外で働かなくてはならなくなったこととか→だから少子化の歯止めのためには、安心して子どもを預けられる託児所の増設と、育児休業の充実が急務だったはずなのに。雇用確保とかワークシェアリングとかを言うなら、この方面に金と人をブチ込んだらどうなのだ小泉……ってこれはまた別の話。

 ただ、今回のこの動きは、労働組合の方からも見直しの気運が高まっていることが特徴と言えるだろうか。実はこの流れは前々から語られてきたことではあった。何年か前の人事院勧告によって、支給項目の③扶養親族でない配偶者を有する場合の~に五百円加算された(当時の差は千円)のだって、不公平感を是正しようということだったはず。

それに、組合の役員をした人ならわかると思うんだが、労働組合は残念ながらまだまだ男社会で、そこが扶養手当を旧態なものと事実上認めるとしたら、これは相当なことである。まして教職員組合ほど共働き率の高い組合は少なかろうから(女性が多いことと、教職員同士の結婚がすんごく多いから)、今年はわたしもふくめた県教組内の扶養親族抱え組にとって、ちょっとつらい年になるのかも……と思ったらやはり今回の人事委員会勧告で扶養手当の見直しにふれられている。その内容は

  配偶者 16,000円→14,000円
  配偶者以外の子等の扶養親族のうち3人目から 3,000円→5,000円

でも、わたしはこれは仕方のない流れではないかと思っている。扶養を外れるのが怖いから、という理由で勤務時間を調整したり、職員の扶養親族である配偶者の月々の給与を事務職員がチェックしたりする現状はやはりちょっとおかしい。離婚の可能性や将来の年金を考えれば、少なくとも配偶者を“扶養する”という考え方は、どうしても旧弊な男性社会のもの、と思えてくる。

そして、この流れを加速させるように昨年('01年)12月14日、「第3号被保険者」制度の見直しが提起されたのである。こいつが、すごい内容なのだ。

PARTⅢにつづく。

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