陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

この話、したっけ ~いっしょにゴハン その4.~

2006-03-15 21:57:20 | weblog
4.今日もゴハンを

小学校の低学年ぐらいまで、家での食事の時間は苦痛だった。
あわただしい朝は、まだごまかしがきく。
けれども、夜はそうはいかない。
もうずいぶん箸を動かしたような気がするのに、茶碗の中もお皿の上も、ちっとも減っていない。なのに、おなかはもういっぱい。胸のあたりまで、飲み込んだものが溜まっていて、これ以上、一口だって食べられそうにない。
案の定、いつものように母親の叱責が始まる。

ごはん粒を一粒ずつ数えるみたいな食べ方はやめなさい。
まるで毒でも食べさせてるみたい。
そんなに食べたくないのなら、食べなくていい。
あなたが鶏なら食べる、って言ったから、あなたのためにわざわざ作ってあげたのに。

いま、自分で食事を作る側になってみると、常時三品から四品を出していた母が、毎日どれほどの手間と労力をかけていたか、非常によくわかる。

誰でも自分のやったことに対しては、評価がほしくなる。
専業主婦である母親にとっての評価というのは、おいしそうに食べる家族の表情であり、「ごちそうさま」の声だったのだろう。

そのころだって、わたしは漠然とそうしたことは理解していたのだ。
それでもやはり、食べることは苦痛だった。
ほかにも食べられない仲間のいる給食より、家の晩ご飯のほうがきつかった。

それでも、十代になったころから、身体も少しずつ大きくなって、なんとか食べられるようにはなった。それでも、とっさに自分が食べなければいけない量を目算し、食べきれるかどうか判断する、という癖は、長いこと抜けなかった。


高校二年のとき、交換留学生となってアメリカにホームステイした。
そこの家には、成人して家を離れた子供のほかに、ふたりの子供と、血のつながりのない養子がひとりいた。

最初に着いたときの歓迎の食事は、スパゲティ・ボロネーゼと豆のサラダとパンだった。
それからあとも、このメニューは、人を招ぶときにはやたらと登場した。スパゲティとパンだと、食べる人数が少々前後しても対応できるし、ミートソースのほうは、余れば冷凍しておけばいい。そういう融通のきく料理だったのである。
ともかくアメリカの食事はまずい、という話をさんざん聞かされていたわたしは、おいしいことに驚いた。

食事の後片づけは、子供の仕事。一番下で八歳のテリに教えてもらいながら、軽く下洗いした食器を皿洗い機に入れるやりかたを覚えた(いっそ手で洗った方が早いように思えたのだけれど)。
そこの家では、ひとりがどれだけ食べなければならない、という決まった量があるわけではないし、連絡さえしておけば、食事をしなくても、あるいは、ダイエットしてるから、と、食べなくても、逆に、急に友だちを招んでもいいのだった。
たいていは豆が入ったボールやパイレックスに入った煮込み料理がテーブルの中央にどさっと置いてあり、めいめいがそれを取って食べる。

ホストマザーの一緒に買い物についていったとき、「何か食べてみたいものはある?」と聞かれた。
わたしは「TVディナーが食べたい」と言ってみた。

本にはよく出てくるテレビ・ディナーというもの、冷凍食品なのだが、三品ほどがひとつのトレーにのって、レンジでチンするというもの。おそらくアメリカではいやになるほど食べることになるにちがいない、と思っていたのだが、そこの家ではいっさい出てこないのだった。

するとホストマザーは、「あんな食べ物は、レイジーで教養のないシングルの男性が、それこそテレビを見ながら食べるものであって、ちゃんとした人間が食べるものじゃないのよ」と、指を振って言うのだ。それでも、わたしは本で読んで、日本では食べることができないから、なんとしても一度食べてみたいのだ、あと、中華料理のテイクアウトも(これは、紙の箱に入った焼きそばを食べる、という感覚が新鮮で、おもしろかった)。

そういうわけで、テレビ・ディナーを買ってもらい、その日の夕食はそれを食べた。
なんというか、アメリカのファスト・フードには、どれも共通するにおいと味があるのだけれど、まさにそのエッセンスともいうべきにおいと味で、それでもわたしは実際に試すことができて、たいそう満足だった。
「どう?」と聞かれて、もちろん普段の食事のほうがずっとおいしいけれど、アメリカ文化を体験できて良かった、と答えると、そこの家の末っ子が「ぼく、いつもこんな晩ご飯がいいなぁ、ミートローフやポークビーンズばっかりで、家のご飯はダサイ」みたいなことを言ったのだ。だれそれんちはカップヌードルが晩ご飯なんだ、そういうのにしようよ。

このとき、つくづく、子供というのは自分の家しか知らないものなのだ、と思ったのだった。わたしがそうだったように、自分のいるその小さな世界がすべてなのだ。


ときどき、毎日、代わり映えしないゴハンを作ることにウンザリすることがある。
作ることが義務になってきたな、と思うと、外で食べることにする。
そうしてまた、作る気力を取り戻す。皿を洗う気力も、魚焼きのグリルを洗う気力も。

食事の用意をして、食べて、また後かたづけをして。
これは、来る日も来る日も続く。

変なことを言うようだけれど、徳川家康が言ったとされる「人の一生は重き荷を負うて、遠き路を行くが如し」というのがあるのだけれど、ほんとうに家康がそんなことを考えていたとしたら、なんだかつまらないおじさんだな、と思う。

負荷をかけてジョギングしてる人だっているわけだ。なんでそんなことができるか? それは、なによりもそうすることが楽しいからだろう。トレーニングして、心肺機能をあげて、速く、あるいは遠くまで走れるようになるのは、すごく楽しいことなんじゃないんだろうか。

「重き荷」を背負って歩いていたら、足腰だって強くなる。そのうちにその荷物は重くなくなる。そしたらもっと重いものを持ってみる。それってつらいことなんだろうか。
義務だとしたら、それはつらいことだろう。
けれど、毎日続くことを楽しめたら、そうして、そこから興味を引き出すことができたら。
そうして、単調な毎日の向こうに、先へつながっていく何かを見つけることができたら。

たぶん、それが毎日の生活っていうことなんだ、とわたしは思う。

(この項終わり)

-----

※「ものを食べる話」「「読むこと」を考える」、どちらも加筆してアップしました。またお暇なときにでも、見に行ってみてください。