陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

リリアン・ヘルマン 『亀』 その5.

2005-12-20 20:38:17 | 翻訳
 昼前に、わたしも籍を置いているニューヨーク動物学会に電話をかけてみた。大変な思いをして亀の知識がある人間につないでもらう。わたしの説明が終わると、若い声が返ってきた。「それは学名ケリドラ・セルペン・ティーナですね。性質が大変荒いんです。どこで会いましたか?」

「会った?」

「遭遇したか、ということです」

「湖畔で開かれた文壇カクテル・パーティでお目にかかりましたの」

 声の主は咳払いした。「陸上ですか、それとも水中で? 陸上で遭遇した場合、とりわけ獰猛です。噛みつく速度があまりに早いので、人間の肉眼ではその動きをとらえきれないほどです。四肢は力が強く、それぞれにある細い突起は背甲につながって――」

「知ってます」わたしは言った。「わたしが読んだのも同じ本です。わたしが知りたいのは、どうやって階段をおりて庭まで歩いていくことができたか、っていうことなんです。首の皮一枚で頭をぶらさげたままで」

「平均的なカミツキガメの体重は、9キロから14キロですが、その倍以上の体重を持つものも多く見られます。その卵は非常に興味深いもので、卵殻は頑丈で、ピンポン玉に例えられることもよくあり――」

「お願い、ですからどう考えたらいいか、教えてほしいんです、つまり、何というか、あの、生命ってことについて」

 考え込んだあげく、答えが返ってきた。「わかりません」

「庭で見つけたとき、亀は生きてる……生きてたんですか? いまは生きてる、って言えるの?」

「おっしゃることがよくわかりません」

「わたしは命のことが知りたいの。命って何なんですか?」

「死の前にある状態と言えるのではないでしょうか。よろしかったらその亀の心臓を少量の塩水に浸けて、どのくらい心臓が鼓動を続けるか教えていただけないでしょうか。わたしたちの記録によると10時間なんですが」

「じゃ、まだ死んでないのね」

 しばらく間があいた。「理屈の上ではね」

「理屈の上、ってどういうこと?」

 雑音に混じって電話の向こうで話し声がし、話している相手が声を潜めてそれに応じるのが聞こえた。それから返事があった。「カミツキガメというのは、きわめて下等な、おそらくは最下等に属する生命体と言えます」

「だから、生きてるんですか、死んじゃってるんですか? わたしが知りたいのはそれだけなの。お願いですから、それを教えて」

 またヒソヒソ言う声がした。「おたずねになったのは、科学上の見解だったはずです、ミス・ヘラーナン。神学上の見解に関してはそれを述べる資格はありません。お電話、ありがとうございました」

 十年後、あるディナー・パーティの終わりかけに、大柄な女性が部屋を横切ってやってくると、わたしの隣りに座った。わたくし、マダム・ド・スタールについての本を書いているところですの、というので、わけのわからない彼女の話にわたしが不満の意を表したところ、こんなことを言い出した。「わたしの弟は、昔、動物学者だったんです。弟に噛みつき亀のことでお電話なさったことがあるでしょう?」

弟さんによろしく、あのときのことはごめんなさいね、と謝ると、彼女はこう答えた。「あら、お謝りになるには及びません。いまカルカッタで開業してるんですもの」

 ともかく、その電話をかけた日、わたしはハメットに話の一部始終を伝えた。耳を傾けていたハメットは、話が神学がどうの、というくだりになると笑顔になり、また『動物の王国』という古い本に戻った。1972年の7月の昼下がり、ひさしぶりにこの本を手に取ったとき、表紙のわたしの書き込みを見て、この亀の思い出がよみがえったのだった。

 夕食の時間が近づいたころ、ヘレンが部屋に入ってきた。「あの亀なんですけど。あんなものが近くにいたら、料理なんてできそうにないわ」

 わたしはハメットにたずねた。「どうしたらいいと思う?」

「スープにしろよ」

「それは次のときよ。次に捕まえた亀。この亀はお墓を作ってやりましょうよ」

「やるのは君だ」

「わたしをとがめてるのね。どうして?」

「なんとか理解しようとしてるだけさ」

「だって、あんなに遠くまで歩いていったのよ。なんていったらいいか、わたしはこれまで命について、こんなふうに考えたことなかったもの」

「わからないな」

「だから、命とはどういうことか、とかなんとかそんなふうな感じのこと」

「とかなんとかそんなふうな感じだって? いい歳をしてそんなことを言うとはね」

「そりゃあなたは、わたしよりずいぶん大人でしょうよ」

「それにしても君は34で、とかなんとかそんなふうな感じ、などと言っていい歳じゃない」

「馬鹿にしてるのね」

「いい加減にするんだ、リリー。そういうところは全部お見通しだ」

「そういうところ、ってどういうところよ」

 ハメットは立ち上がって部屋を出ていった。一時間ほどしてから、わたしはマーティニを一杯持っていった。「こんどだけ。つぎからはもういいの」

「お好きなように。どうしようがかまわない」

「うそ、かまわなくないんでしょ。ほかに言いたいことがあるのね」

「いい加減にしろ、と言ったはずだが」

「わたしが言っているのは――」

「晩飯はいらない」

 部屋を出たわたしは、力一杯ドアを叩きつけた。夕食の時間になると、いますぐおりてくるよう、ヘレンに言いに行かせたが、戻ってきたヘレンが言うには、いますぐは腹は減ってない、とのことだった。

 わたしが食べていると、ヘレンは、明日の朝ご飯を作るときに亀がいちゃ、いやですからね、と言う。

 十時ごろ、ヘレンが寝に上がると、わたしも二階へ行って、ハメットの部屋のドアに本をぶつけた。

「どうしたんだ」

「お願い。こっちへ来て、亀のお墓を作るのを手伝って」

「亀なんぞの墓は作るつもりはないね」

「じゃ、わたしのお墓なら作ってくれる?」

「そのときがきたら、できるだけのことはしてやろう」

「ここを開けて」

「いやだ。フレッド・ハーマンに頼んで、手伝ってもらえよ。あと、ヘレンから祈祷書を借りるのを忘れないようにするんだな」

 だが、そのあともう三杯飲んだころには、フレッドを起こすには遅すぎる時間になっていた。亀の様子を見に行くと、床に血がしたたり落ちている。もう何年も、そうしてそのあとも何年も、わたしはヘレンが怖かったので、真夜中が近い時間だったけれど、亀の尻尾をロープで結わえ、懐中電灯を持って、台所の階段を引きずってガレージまで降り、車のバンパーにロープをくくりつけた。それからハメットの窓の下に立った。

 わたしは大声を出した。「わたしは力がないの。そんなに大きな穴は掘れない。手伝って」

 それからもう二度繰り返すと、ハメットも大声で答えた。「お手伝いできたらいいんだが、生憎と眠っているんでね」

 一時間にわたって、わたしは湖の北側の小高い丘で、ひたすら穴を掘り、亀を埋めて土をかぶせてやるころには、ウイスキーのビンは空になるし、頭はくらくらして、吐き気までしていた。お墓の上に棒きれを立て、車に乗って家に戻ろうとしたのだが、途中で眠ってしまったらしい。というのも、明け方眼が覚めると、あたりはどしゃぶりで、右側のタイヤが前後ろとも、木の切り株に乗り上げていたからだ。歩いて家まで帰ってベッドに倒れ込むと、四、五日のあいだ、ハメットもわたしも亀のことは一切ふれなかった。これは偶然ではなく、最初の三日間は互いに口もきかず、食事さえ別々に取っていたからだった。

 それから、ハメットが夕方の散歩から帰ってきて言った。「亀を二匹捕まえた。君はどうするのがいいと思う?」

「殺せばいいわ。スープにしましょう」

「それでいいのか?」

「初めてのことはなんだって楽じゃない。あなただってわかってるでしょ」

「君に会うまではそんなことは知らなかったけどな」

「お墓を掘ったから背中が痛いし、風邪もひいたの。それでもわたしは亀を埋葬してやらなきゃならなかった。その話はもうしたくない」

「君のやり方はうまくなかったぞ。動物か何かが君の墓を嗅ぎつけて、亀を食っちまっていた。まぁなんにしても神は君がしたことを喜んでくれるさ。骨を拾って穴のなかに入れておいた。ついでに君のために、墓標にペンキを塗っておいてやったからな」

 わたしたちがそこに住んでいたあいだずっと、もしかしたらいまでも、すみずみまで入念にペンキが塗ってあるその小さな木の墓標は残っていた。
〈わが最初の亀、ここに眠る。ミス・“信仰心”L.H.〉


The End


(近日中に手を入れてサイトに全文をアップします)

リリアン・ヘルマン 『亀』 その4.

2005-12-18 22:00:24 | 翻訳
 ハメットはわたしの腕をつかんで台所から外へ押し出すと、自分はライフルを取りに家の奥へ入っていった。戻ってくると、肉を一切れ亀の前に置き、自分は背後にまわりこむ。わたしたちは長いこと待った。とうとう頭が出てきて、肉をしげしげと眺めている。ハメットの銃が火を噴いた。鮮やかな手並みで、目のわずかに後ろを撃ち抜いていた。ハメットと亀のほうへ駈け寄ると、頭がひくひくと痙攣しながらも前へ進んでおり、前に飛び出そうとでもするように、脚は甲羅を運んでいるのだった。かがんで近寄ろうとすると、ハメットが警告した。「近くへ行っちゃいけない。死んでないんだ」

 斧を取り上げたハメットは、首めがけて勢いよく振りおろし、皮一枚残して切断した。

「何か変だ。撃ったのに死なない、弾は脳を通過しているはずなのに。こいつは妙だ」

 亀の尻尾をつかんでぶらさげると、ハメットは台所までの高い階段をのぼっていった。新聞紙を見つけて、亀をソーセージをつくる季節以外はたいして使っていない石炭ストーブの上に載せた。

「さぁ、スープ用の切り方を研究しなくちゃ」

 ダッシュもうなずいた。「そうだな。だが、そいつは時間のかかる仕事だ。明日ということにしよう」

 わたしはヘレンの部屋のドアの下にメモを置いた――その日はヘレンの休みの日で、ニューヨークへ行っていたのだ――。ストーブの上に亀がいるけれど、驚かないで。それからニューオリンズのジェニー叔母さんに電話をかけて、子供のころ食べたおいしいスープの作り方を教えて、と頼んだ。ところが叔母さんは、生きた亀なんかに近づくんじゃない、上品なレディのように、きれいな刺繍でもしてなさい、と言うのだった。

 翌日、フレッドの搾乳を手伝いに、朝の6時に階下へ行ったのだけれど、台所の階段をおりて血を目にするまで、亀のことはすっかり忘れていた。そうして、その血は昨夜家のなかに亀を運んだときに垂れた血だと思って、納屋に向かった。8時に家に戻ってみると、ヘレンが朝ご飯は何にしましょうか、と聞いてくる。コーン・ブレッドを作ってるんだけど、それはそうとストーブの上の亀って、何のことなんです?

 風呂に入ろうと二階へ上がりながら、わたしは返事をした。「書いたとおりよ。ストーブの上に亀を乗せてるの。噛みつき亀のことなら、小さいときに聞いたことあるでしょ」

 数分後、ヘレンがあがってきて、バスタブに入っているわたしをじっと見た。「亀なんていませんよ。血がいっぱい落ちてるけど」

「石炭ストーブのほうよ。もう一回行って見てきて」

「何回も見ましたって。この家に亀が乗っかってるストーブなんてありゃしませんよ」

「ハメットを起こしてきて。いますぐ」

「そんなことしたくありません。殿方を起こすなんて」

 わたしは台所まで走って行き、そのまま大急ぎでハメットの部屋まで上がると、揺り起こした。

「いますぐ起きて。亀がいないの」

ハメットは頭をまわして、こちらをまじまじと見た。「君は朝から飲み過ぎてるな」

「亀がいなくなっちゃったのよ」

 すぐに台所におりたハメットは、ストーブをぽかんと見つめると、ヘレンに向かって言った。「床を拭いたのか?」

「ええ。どこもかもひどいもんでしたよ。階段を見てください」

 地下室へ、そうして庭へと続く階段に、ハメットは目を走らせた。それからゆっくりと階段を降り、血の痕をたどって小径を抜け、そこから果樹園のまわりの道へ出た。わたしがこの家を買う何年も前にできた果樹園の近くには、広いロックガーデンがある。2000平米を越えるほどもあり、めずらしい木や植物が植えられ、家の玄関に向かって、ゆるやかにのぼっている。ハメットはそこから血痕にをたどると果樹園のまわりの道を進んだ。「昔、ピンカートン探偵社で働いていたころ、巡回郡農産物品評会の観覧車が盗まれたことがある。おれが一度は見つけたんだが、見失ってしまい、そのあとはおれの知っている限り、もう二度と出てこなかった、という話だ」

「亀は観覧車じゃないわ。だれかが持っていったのよ」

「だれが?」

「知らないわ。あなたの推理は?」

「亀が自力で逃げたんだ」

「そんなの変よ。昨夜は死んでたのよ。完全に」

「見ろよ」

 ハメットが指さした先は、ロックガーデンだった。サルードと子犬が三匹、大きな岩の上に腰をおろし、茂みのなかの何かをじっと見ている。わたしたちはロック・ガーデンに急いだ。ハメットは子犬に、あっちへ行け、と命じ、茂みをかき分けた。亀が何とか動こうとにじりながら、茂みから向こうに行こうとしているのだ。頭は首の皮一枚で首からぶら下がっている。

「信じられない!」同時にわたしたちは声をあげ、立ちつくしたまま、大変な時間をかけてわたしたちから逃げだそうと一歩を踏み出す亀を見つめた。そこで亀の動きが止まり、後ろ足が硬直した。それまで息を潜めていたサルードが、突然、亀に飛び乗り、二匹の子犬もキャンキャンなきながらそのあとに続いた。サルードが亀の頭の血からしたたる血を舐めると、亀は前脚を動かす。わたしはサルードの首輪をつかんで、力一杯、岩の方へ押しやった。

 ハメットは言った。「もう亀は噛みついたりしないさ。こいつは死んだんだ」

「なんでそんなことがわかるの?」ハメットが尻尾をつかんでぶら下げる。「それ、どうするの?」

「台所へ持っていく」

「湖に戻してやりましょう。自分の命をわが手で勝ち取ったんだもの」

「死んでるんだぞ。昨日から死んでたんだ」

「そんなことない。もしかしたら、昨日は死んでたのかもしれないけど、いまはちがう」

「復活とでも言いたいのか? 元カトリックっていうのは厄介だな」そう言いながら歩いて行く。

 ハメットのあとについていくと、台所に入り、亀を大理石の厚板の上へ放りだした。ヘレンが叫ぶ。

「大変! 神様、どうかわたしたちみんなをお助けください」

 ハメットは肉切り包丁の一本を取り上げた。読んだ本を暗唱しているかのように、唇が動いている。それから脚を甲羅から切り分け、慣れた手つきで関節にそって解体していった。もう一方の脚に包丁が入ったとき、動いた。

 台所を出たヘレンにわたしが言った。「わたしがここで動物の解体を手伝っているのはあなたもよく知ってるわよね。確かに殺すのがいや、なんてことは言いたくない。自分が殺した生き物を、何のためらいもなく食べてるような人間は。でも、これはちがう。わたしたちが触れちゃいけないものなの。命を自分で勝ち取ったのだもの」

 ハメットは包丁をおろした。「わかった。じゃ、好きなようにしたらいい」

 一緒に居間に入ると、ハメットは本をとりあげた。一時間後、わたしが口を開いた。「じゃ、命ってどうやって定義したらいいの?」

「リリー、そんな話ができるほど、おれはもう若くはない」


(この項続く:場合によっては明日最終回)

----【今日の懸案事項】-----

わたしは偶数月に髪の毛を切ることにしている。
自分でそう決めているわけではなく、二ヶ月すると、てきめんに朝起きたとき、アタマの毛のいろんなところがはねて、わたしにその時期を教えてくれるのだ。

美容院に行くのは好きではない。仰向けになってシャンプーしてもらうのは(顔に布きれさえかけられなければ)悪い気分ではないし、カットが終わって、「肩、凝ってますねー」などと言われながら、マッサージしてもらうのも(こんなにマッサージが気持ちいいのなら、今度マッサージに行ってみようか、といつも思うのだけれど、美容院から出た瞬間にそのことは忘れてしまう)とても気持ちがいい。

それでも、切ってもらうあいだ、美容師さんの相手をしてあげなければならないのは面倒だし、これまでに一度としてイメージしたようにカットが完了していたこともない。おまけにあとは家に帰るだけ、というのに、ワックスだのなんだのをつけてくれて、絶対に自分ではできないように、いい感じにツンツン立っていたりするのだ。それにしても、同じ立っているにしても、寝グセとまったくちがうのはどうしてなのだろう。だがそれも、自転車に乗って帰ると、家に着いたころにはくしゃくしゃになっているが。

翌朝、鏡の前に立つと、昨日見たヘアスタイルとまるで変わっているのに愕然とするのも、コマッタものだ。
しばらく伸ばしてみようか、とも思う。
だが、毎朝はねた髪の毛と格闘するのも、気が重いのだが、いちど、限界に挑戦してみるのも一興かもしれない。

リリアン・ヘルマン 『亀』 その3.

2005-12-17 22:56:42 | 翻訳
 ハメットは数週間ほどカリフォルニアにいたので、わたしはひとりでほとんど毎日のように湖に出かけては、なんとかもういちど亀を見てやろう、と思っていた。ニューオリンズで過ごした子供のころのことがよみがえってくる。毎週土曜日になると、叔母と一緒にフレンチ・マーケットに行って、叔母がやっている下宿屋のまかないのために買い物をした。市場には親指のない肉屋がふたりいて、どちらも噛みつき亀をさばくときに食いちぎられたのだ。

 農場に戻ったハメットは、自分がかわいがっていた犬の脚がひどいことになっていたのを見て、驚くと同時に腹を立てた。前から湖に噛みつき亀がいるのは知っていたんだ、おまけにヘビもいる、だがこうなったら何とかしなくては、と言うと、いつものように徹底的な研究を始めたのだった。つづく数週間のうちに、亀を罠にかける方法を記した本や政府刊行物が何冊も送られて来、妙な小包までいくつも届いた。大きな金網の檻は、何かほかの用途のもののようだったが、ハメットはどう改造したらいいか決めるまで、何日も睨んでいた。あるいは、巨大な釣り針、特別に重い、頑丈な縄、ロープの結び方を記した本もあった。わたしたちは噛みつき亀の起源についても読んだけれど、わたしにはたいしたことは言ってないように思えた。曰く、進化することなく存続している最古の生物の種であると推測される、顎は強力で、的に対して大きな脅威となる、ひっくり返ると自分では何もできない、など。さらにわたしが見た亀がどうして木立のなかから現れたのかも説明してあった――毎年、春になると、メスは地上に産卵し、毎日その上に座って、孵った子亀が水に戻るのを見届ける危険を冒す、というのだ。

 ある日、おそらく一ヶ月ほどしてから――ハメットが何かを学ぼうと決意したら、急がせることなど、どうしたってできないのだった――、金網の檻や巨大な釣り針、魚の頭や数日前から日にさらしておいた鼻を突く切り身を持って、わたしたちは湖へ行った。わたしはいつものように飽き飽きしてきて、というのも、ダッシュ(※ハメットの愛称)が何をするにも時間をかけ、正確にやることが、もはや彼の一部となっていたからなのだが、湖畔の土手を散歩することにした。ハメットはその間も罠のなかに釣り針にひっかけた餌をしかけ、湖に漕ぎだすと、張り出した太い枝を見つけて、それに結わえつけた。

 湖の片方をすませてから、ハメットはわたしのところからは見えない南側に向かったころ、わたしは泳ぐことにしたのだった。浮き台に向かってゆっくり泳いでいると、かなり向こうでサッサフラスの太い枝が、水の上で大きく揺れている。浮き台に座ってそれを見ていると、枝が揺れているのは、ハメットが釣り針をくくりつけた太いロープを枝に結わえたからだとわかった。ハメットに大声で、亀はもうつかまったの、と聞くと、そんなにすぐにつかまえられるはずがない、と答えが返って来、わたしは、急いで来てよ、怖くて動けないんだから、もう四の五の言ってる場合じゃないのよ、と言い返した。

 ハメットは湖のカーブしているところをまわってくると、わたしを見てニヤッと笑った。

「こんなに早くから酔っぱらっちまったのか」

 わたしは揺れている枝を指さした。わたしのことなど忘れて、大急ぎでそちらに漕いで行った。綱をたぐりよせようとしているが、持ち上げるのが大変なようで、ボートに立ち上がってもういちど引っ張り、それからゆっくりと綱をおろしたのが見えた。浮き台までボートが戻ってきた。

「間違いなく亀だ。乗れよ。手伝ってくれ」

 わたしがオールを持ち、ハメットはボートに立って、木から綱を外した。綱がたいそう重かったので、船尾に繋ぎ留めようと移動したハメットは、うしろに倒れかかった。わたしが差し出したオールは、背骨をしたたかに打った。

 背中をさすりながらこちらを睨む。「おれが忘れないように言ってくれ」と言いながら、綱を船尾に結びつけた。

「忘れないように何を言ったらいいの?」

「おれに助けはいらない。もう長いことそう言おうと思っていた」

 岸に着くと、ロープをはずしたハメットは、地面の上を引っ張っていった。サルードと一緒のときに見かけたのより大きな亀が捕まえられている。頭をひゅっと突き出したので、わたしは後ろへ飛びすさった。ダッシュは身をかがめて尻尾をつかまえ、仰向けにひっくり返した。

「針がうまくいったんだ。このまま捕まえておける。家まで戻って車を取ってきてくれ」

「あなたひとりっきりにしておけないわ。あんなもの、ひとりでどうにかしようなんて……」

「行くんだ。亀は女じゃない。おれは大丈夫だ」

 わたしたちはリア・バンパーに亀をくくりつけると、砂ぼこりの舞う1キロ半の道のりを引きずって家に戻った。ダッシュは物置に斧を取りに行き、一緒に長くて太い棒を持ってきた。亀をもういちどひっくり返すと、棒をわたしにあずけ、こう言った。

「できるだけ後ろへ下がるんだ。棒を伸ばして、亀が食らいつくのを待て」

 わたしが言われたとおりにすると、亀が食いつき、斧が振り下ろされた。けれどもうまくいかない。亀がダッシュの腕に気がついて、素早く頭を引っ込めたからだ。わたしたちは五、六回やってみた。暑い日で、わたしが汗をかいているのはそのためだと思ったけれど、ともかく、ハメットが何かをやろうとしてうまくいかないときは、わたしはどうしたって心穏やかではいられないのだった。

「もう一回やってみよう」

 わたしが棒を出したが、亀は食いついてこない。それから食いついてきたのだが、ちょうどそのとき、わたしは棒を持ち直そうとして、手を下げていたのだった。亀は棒を離すと、わたしの手めがけて、見たこともない速さで飛びかかってきた。後ろへ飛び退いたとき、棒がわたしの脚に当たって、青あざを作った。ハメットは斧を下に置くと、わたしから棒を取り上げ、頭をふった。「あっちで横になったほうがいい」

 あっちへ行くつもりはない、と言うわたしに、ハメットはどこでもいいから行ってくれ、目の前から消えてくれ、と言う。どちらもするつもりがないわ、亀を斧で殺すことができなかったから、わたしに当たってるだけなんでしょ、とわたしは言い返した。

「撃つことにした。だが、腹が立っているのはそのせいじゃない。どうしたらいいか話し合ったほうがよさそうだ。君とおれとは。ずっとそう思ってたんだ」

「いま話せばいいわ」

「いや、いまは忙しい。どこかに行ってくれ」

(この項続く)


-----【今日の雑感】-----

塾の講師である学生が起こした事件について、思ったことなど書いてみようかと思う。

正直、今回の場合、最悪の形で起こったわけだけれど、何らかの事件がそのうち起こるとは思っていた。

思い起こせばわたしが初めて塾で教えたとき、前任者は生徒の頭をよく殴ったり小突いたりしていた、という話を小学生たちから聞いたことがある。引き継ぎで一度会っただけだけれど、小柄な、ミニスカートのかわいい、そんなことをしそうにもない女の子(当時わたしより年上だったけれど)だったから、ちょっと驚いた。ノートを見ても、どう考えてもまともな授業をしていたとは言い難い。なんだかな、と思った記憶がある。

学生のバイトというのは、学校の教師の能力に差がある以上に差がある。研修があったり、ガイドラインがあったりするにせよ、個々人の能力と資質に委ねられている部分が相当にある。当然、能力もなく資質もなく、さらに経験さえ乏しい学生が、大勢教壇に立っている。

当時に較べて、いまは塾もずいぶん淘汰されているから、おそらくは能力や資質の評価も、厳しいものになってはいるだろう。管理の側も、いつも授業を見て評価するわけにもいかない。生徒からの評価もひとつの基準になっている。

一方で、この生徒からの評価というのも、もちろん非常に微妙なものだ。評価をする側は自分の理解の及ぶ範囲でしか、相手を評価できない。自分より幼く、社会経験も少ない教えられる側からの評価が、万全のものではないことは、本人はわきまえておかなければならないし、当然、管理者の側も理解しているだろう。

ここでよくわからないのは、なんでたかだか小学生の評価に、そこまで度を失うか、ということなのである。
批判されれば、それを反省して、自分の軌道を修正するか、そうするまでもない、的はずれの批判(難癖)である、と無視するか。そのどちらかで良いではないか。なぜ、そのくらいのことで、そこまで追いつめられてしまうのだろう。

なんというか、ダメ出しをされたくない、嫌われたくない、悪く思われたくない、という気分が強すぎるような気がする。
なんでそうなっちゃうんだろう。

自分のやったことなしたことは必ず評価の対象となる。
プラスの評価ばかりではない。マイナスの評価を受けて、初めて自分の軌道の修正もできるのだし、足りない点も見えてくるはずだ。なぜ、たったそれだけのことがわからないのだろう。なぜ、いまのこれだけの自分をありのままに見極めながら、もっと自分を伸ばしていく、ということが考えられないのだろう。

わたしにはよくわからない。


リリアン・ヘルマン 『亀』 その2.

2005-12-16 22:20:15 | 翻訳
 1940年の当時でさえ、ウェストチェスター・カウンティのその地方では、そんなに広い土地はどれほども残っていなかった。火曜日にそこを見たわたしは、『子狐たち』の印税で、木曜日には買っていた。一週間分の食料を買うお金さえ残らなくなることは知っていたけれど、気にもとめなかった。そこは邸宅と呼ばれていたけれど、家屋のほうは、19世紀風の格調高い庭園には似つかわしくないほど簡素なもので、だれもが120年間に渡って地所を所有していた一族、不動産屋の話によると、その後消息不明になった人々に、興味をかき立てられずにはいられない(ただこれは正確ではなかった。8、9年ほどして、16、7歳ぐらいの少年が、家を見せてもらえないか、とやってきたのだ。湖でピクニックをしてもいいですか、と。ここで生まれたのだという少年は、自分が生まれたのを記念して母親が植えたというサンザシの大枝を持って帰った)。

 最初の数週間のうちに客間のふたつを閉め切り、ツゲやめずらしい植物や乗馬道のことは放っておくことにした。ハメットが短編小説をふたつ売ると、わたしたちはすぐにペンキを塗り替え、わたしがそこで仕事ができるよう、部屋をしつらえ、納屋を修理した。農地を使いたかったので、固くて石ころだらけだからやめておくよう警告する声にも、耳を貸すつもりはなかった。わたしがドイツ系の若い農夫、フレッド・ハーマンを雇ったのは、会った瞬間、彼のひととなりがわたしのそれに近いと直観的にそう思ったからである。

ふたりで何年ものあいだ、朝六時から日が暮れるまで、疲労の限界まで、自分たちを追い込むほど働いた。計画は失敗したのも多かったけれど、うまくいったこともある。プードルを飼って売り(当時、流行っていたのだ)、利益が出たところで鶏のヒナを買った。映画版『子狐たち』の台本の収入で、牛とアスパラガスの苗を三千本買い、このアスパラガスは白く色を抜くと、大変な高値で売ることができた。わたし以外のものはいやがったけれど、カモとアヒルを異種交配させ、湖でバスとカワカマスの養殖をし、優良なブタを育ててかなりの収益をあげたけれど、キジの飼育でそれもすっかり失ってしまった。その一部でも回収しようと、なったばかりの巨大型トマトや子羊、コクのある未殺菌牛乳を売ったこともある。

だが、こうしたことのいっさいは、その場所を売らなければならなくなる前の良い時代、ハメットがマッカーシー時代に投獄され、わたしが下院非米活動委員会に召喚されてから、ハリウッドから締め出しを食う前のできごとだ。好きなことができた時代は、1952年に終わったのだった。

 そのころのことでは、ずいぶんさまざまな思い出がある。学んだけれど忘れてしまった多くのことがら、あるいはおぼろげに覚えていること。こうしたものは、忘れてしまったものよりなおさら悪い。昔は樹や鳥、野草や野菜、ある種の動物については、いまよりたくさんのことを知っていたような気がする。たとえばバターやチーズやソーセージの作り方。オオクチバスから泥臭い味を抜く方法。自分が取ってきた野草を、「あなたにもできる」と謳っている本の通りに煮て、みんなに吐き気を催させる方法。あのエレガントなマーフィ夫妻、ジェラルドとサラに、18世紀のレシピに従って調理したスカンクキャベツ(※北米産ミズバショウ)を出して、具合を悪くさせてしまったこともある。

 何よりもはっきりと覚えているのは、わたしがこの地所を買って初めての春のことだ。乗馬道からも雪は消え、納屋での朝の仕事もすんだので、わたしはサルードという大型のプードルと、四匹いるその子犬を連れて、湖まで早朝の散歩に出かけた。湖の対岸の、木の生い茂る小高い丘に来ると、サルードは立ち止まり、急に向きを変えると木立のなかへ走り込んだ。しばらくすると、道までじわじわと後退してきた。子犬を連れてわたしは湖の方へと先を急ぎ、口笛で呼んだ。ウッドチャックにでも気を取られているのだろうと思ったのだ。けれども振り返ってみると、サルードは道から動こうとしない。まるで大きく息を吸い込んだまま、固唾を呑んでいる、といったふうなのである。

呼んでも動こうとしない。こんどは命令口調で呼んでみた。これまで従わなかったことがない呼びかけだ。頭と前脚はわたしの命令に従ってこちらに視線を走らせたけれど、ふたたび向こうを向いてしまった。犬が麻痺したようになってしまうのを見たことがなかったので、そちらに戻りながら、ヘビが呪いをかけるという物語を思い出した。かがんで重たそうな枝と石を拾う。ヘビに出くわしたらどうしよう、と恐ろしくなった。サルードが変な吠え方をするので、木立に向かってサルードの頭越しに放ると、ついておいで、とサルードを大声で呼んだ。石が地面に落ちる音がしたとき、犬の目の前に重そうな動きで寄っていくものがある。いまにもヘビが襲いかかろうとしているにちがいないと思って、サルードのほうに駈け寄って首輪をつかんだが、サルードが重いので、転げるように離れてしまった。サルードはわたしの手から身を離すと、ゆっくりと物音のするほうへ近寄っていった。体勢を立て直したわたしが見たものは、優に90センチはある丸い甲羅が犬の脇を過ぎ、水辺に向かってゆっくりと進んでいる光景だった。大きな亀だったのだ。

 サルードは用心しながら亀のあとをついていき、わたしは犬とのろのろと動いていく甲羅という情景に度肝を抜かれて立ち尽くしていた。サルードが亀の前に飛び出して、前脚を出す。と、亀の顎がその足に食いついた。サルードは押し黙る。すぐに後ろへ飛びすさり、これまで聞いたこともないような苦悶の叫び声をあげた。わたしが動けるようになるまでどのくらいかかったのかわからないけれど、わたしは持っていた枝を亀の尻尾めがけて渾身の力で振り下ろした。すると亀はゆっくりと水の中へ沈んでいったのだった。サルードの脚はひどいことになっていたが、あまりに重くて連れて帰れない。フレッドを呼びに走って帰り、一緒に獣医のところへ運んでいった。一週間もすると、脚を引きずりながら歩くまでには回復したが、一生その状態は続いたのだった。

(この項続く)

----【今日の出来事】-----

今日は月に一度の定期検診の日。とくに大きな変化があるわけではないので、いくつか検査をしたあと、お医者さんと半ば雑談のような話をして、薬をもらいに行く。

病院の前の調剤薬局のカウンターでは、中年の男性が大きな声でなにやら文句をつけている。この薬を飲んでも、症状は改善しない、前の薬の方が良かったのに、という、薬剤師さんにしても仕方がないような話である。

それでも薬剤師さんは電話をかけて、男性の要求を伝え、ドクターと話をしていたが、結局そのまま、ということになったらしい。だが、男性の方は納得しない。それならなんで自分で言わないんだ、と思うのだが、ただ難癖がつけたいだけなのかもしれない。つけやすいところに難癖をつけている、ということなのだろうか。傍迷惑な話である。

さんざんぐちゃぐちゃ言ったあと、その男性がやっと終わって、わたしの名前が呼ばれた。

そちらに行くと、さんざんごねられていたその薬剤師さんだ。同じくらいの背丈だったので、ぱちんと目が合った。なんとなく、「大変でしたね」と言ったら、その薬剤師さんは、急に目がうるうるしてきて、涙をこぼした。わたしはすっかりうろたえてしまって、「いやー、文句って言うべき人のところじゃなくて、言いやすいところに言う人っていますからねー」みたいなことをもごもご言ったのだけれど、なんだかその薬剤師さんをわたしが泣かしたみたいになってしまって、ちょっと焦った。
鼻をすすりながら、なんとか薬の説明をしてくれようとするので、「大丈夫です、五年くらい同じ薬飲んでますから。あはは…」と無意味に笑って、お金を払って帰った。

なんでこういうとき、まともなことが言えないんだろう……。

リリアン・ヘルマン 「亀」 その1.

2005-12-15 22:38:32 | 翻訳
五時に眼が覚めたわたしは、二、三時間、釣りをすることにした。霧がたちこめる美しい朝、ボートを漕いで釣り船まで行き、そこからマーサズ・ヴィンヤード島に沿って、波の高いウェスト・チョップ岬まで進む。タシュムー湖に向かって北上していると、ヒラメの群れが泳いでいく、静かだが、潮の流れの速い場所を見つけた。わたしは釣り糸を二本垂らして、コーヒーを入れた。ひとり釣り船に乗って、陽の光があたりを照らすまで、ほかの船の影も見えないあいだは、決まって子供のように幸せな気持ちでいっぱいになる。

一時間ほどのあいだに、ヒラメを9匹とヘレンがチャウダーにほしがりそうなカンダイを2匹釣ったので、家に戻って仕事をする前に泳ぐことにした。釣り船は波の高い岬の方へ流されていたが、こんなことは初めてではなく、わたしも十分に用意はしていた。1㎏ほどの石を長いロープで結わえ、それを持って船の梯子を降りて引っ張っていき、その近くで泳ぐようにするのである。

自分が泳いでいるのではなく、信じがたいほどの速さで流されている、これまで見たこともないような潮流に巻き込まれていることに気がつくまで、どのくらいの時間が過ぎただろうか。釣り船も、もちろんわたしと一緒に流されていたが、沖へと向かう高い風が、釣りをしていた場所から、深い海の方に押し流していた。わたしにはどうすることもできない。船まで泳ぐこともできなかったし、激しい潮流に抗することもできなかったのだ。

そのあとしばらくのことは、ほとんど記憶がない。ただ、あおむけになったまま、恐怖というのは必ずしも言われているようなものではないことを理解したのを除けば。しばらくわたしは身体がこわばってしまって、波が顔を洗うに任せていた。そのうち身体が動くようになると、潮に流されて自分がどこへ行くのか、なんとか知ろうとした。けれども頭を持ち上げようと身体をひねると、こんどは沈んでしまい、ふたたび浮かび上がったときには岸が見えないことなど、どうでもよくなってしまった。水というものが、これまで生きてきたあいだずっと、自分そのものであったように思え、惨めったらしくもがくこともなく、静かに逝くだけの意識がはっきりしているのなら、こういう死に方も悪いものではないなと考えていたのだ。

しばらくして――それがどのくらいあとなのかよくわからないのだけれど――ウェスト・チョップの桟橋の杭に頭がぶつかったので、わたしは腕をのばして柱に回し、わたしたち三人のことを、何もかも思い出したのだった。あの亀が死んで四日後に交わした会話のなかで、わたしがハメットに言った言葉だ。「あなたたちはわかりあったんだわ。亀はなにがあっても生き抜いたのだし、あなたもそう。だけど、わたしはどうなのかしら」

 ハメットが答えなかったので、わたしは夜になってからもういちど聞いてみた。「わからない」とハメットは答えた。「そうかもしれないし、そうではないのかもしれない。ぼくが意見を言ったところで、それが何になる?」

 杭につかまったまま、死んでから二十六年がたつ亀のことを、死んで五年になる人間と話していたのだった。

(この項つづく)

----【今日の悩み相談】-----

地味に、社会の片隅でひっそりと生きているわたしだが、それでもつながりのある場所はいくつかあるので、それぞれから忘年会の誘いがある。忘年会はなんとしても楽しくやりたい、という人と、一応、つきあいだから、と言いながら、それなりに楽しむ人と、そういうことがめんどくさいが、参加する以上は楽しもうとする人と、参加したくないのに嫌々参加した、という人と、参加しない人に分かれるような気がする。

小さな楽しみというのは、生きていくうえでありがたいものだけれど、どうしても楽しみたい、とは思わない。楽しみというのは、不意に訪れるもので、自分から見つけに行くようなものではないような気がするから。

純粋に、そういう場を楽しめる人がうらやましい。普段とうってかわって、どうにも手がつけられなくなるほど自分を解放できる人がいるのだけれど、アルコールが入ると、開放的になるよりも先に、脳貧血を起こしてしまうわたしは、いつもウーロン茶片手に、嫌々参加した、というふうに見えなければいいな、と思っている。八方美人のつもりではないのだけれど(もちろん八方がつかないほうのそれでもないけれど)、座を白けさせるやつにもなりたくない。そこらへんがむずかしい。

おまけに何度か出るうちに、だんだんコツをつかんできたころ、その年が終わり、また飲み会とは縁のない生活が続き、一年たったころには、去年せっかくつかみかけていたコツも、ふたたびすっかり忘れて、またゼロからのスタートだ。毎年この時期になると「賽の河原」という言葉を思い出すわたしなのだった。

何かいい方法はないでしょうか。

リリアン・ヘルマンについて その1.

2005-12-14 22:47:16 | 翻訳
以前、某所でこうした文章を書いたことがある。

十八歳でした。
漠然と父親と同じ道を歩んでいきたいとは思っていましたが、その一方で、親元を離れたくもありました。具体的にどうしたらいいのか、父親は身近過ぎるだけに、かえって聞くこともできず、まして学校の進路指導=受験指導の教官に、聞くべきことはもとより、言うべきことばもなかったのです。
溢れるような思いと、鬱屈を抱えていました。まったく根拠のない自信と野心、それと背中合わせの、自分になど何もできるはずがない、という卑屈な気持ちと。

そんなころ、学校の帰り、日課のようになっていた駅前の本屋に入りました。
新しく入った文庫を、何気なく手に取り、初めの、エピグラム風の一節を読み始めました。

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 カンヴァスに描かれた絵の、古くなった絵具が年月のたつうちに透明になってくることがある。すると、絵によっては一番はじめに描かれた線が見えてくる。女のドレスの下から樹が姿を現わし、子供の姿の向こうに犬が居り、一隻の大きな船が浮かんでいるのは、もはや大海原の上ではない。この現象はペンティメントと呼ばれる。描いた人間がもとの絵を「後悔」(リペント)し、心変わりしたということである。言い換えれば、昔抱いた考えは、後に変わることがあっても、また姿を現わし、再び現われてくるものだと言えるかもしれない。
    リリアン・ヘルマン『ジュリア』(原題 Pentimento)大石千鶴訳ハヤカワ文庫
------

自分の、カンヴァス。
いくつもの色が重ねられた。
そうして、これからも重ねられていく。
そうしたのちに、古い線が浮かび上がってくるのか。いま抱えるこうした鬱屈も、あふれるような思いも、時のなか、消えるのではなく、“ペンティメント”として、ふたたび立ち現れてくるのか。

そうして、わたしは進路を決めました。たぶん、それはことば本来の意味での「進路」だったと思います。

それからいろいろあって、そのとき思った方向とはずいぶん違うほうへ来てしまいました。
けれども、ヘルマンが言ったように、古い線は、いまもわたしの絵の中に残っているのだと、そして、いま、このときにも重ねていく線も、色も、決して消え去ることはなく、残っていくのだと思います。

それ以前にも、そのあとにも、名作と呼ばれる本、世界を動かしたような本も、何冊も読みました。
そうした名作、傑作に較べれば、ささやかな本です。この書をめぐる毀誉褒貶も知りました。
それでも、「人生を変えた」というのは、ある意味で気恥ずかしくなるようなことばだけれど、そう問われてなにか一冊上げるとすれば、この本、この一節だと思います。


いささか感傷的なところがうっとうしくもあるのだが、これがわたしのリリアン・ヘルマンとの初めての出会いである(ただし最初に読んだのは十七歳の間違い)。

自分にとって重要な作家というのは、当然ひとりではないし、研究対象とする作家は、必ずしも好きである必要はない。ヘルマンはおそらくは二十世紀を代表する作家/劇作家ではないだろうし、文学史的に大きな意義を持つ作家であるとも言えない。

けれども、それは、たとえば好きになってしまう相手が、世界で一番ハンサムで、世界で一番カッコイイ、というわけではないにしても、そこには何かがあって、どうしようもなくひきつけられてしまう、というのと一緒なのだ。そのときだって、心の一部ではフォークナーとか、ナボコフとかのほうが、もっとずっとすごい作家だと思っていた。フローベールとか、トルストイとか、漱石とか、神様のように崇めている作家もいた。けれども、そうした作家を崇めることと、ヘルマンが好き、というのは、まったくちがうことなのだ。つまり、その作品を通して、自分に会う、という。

わたしとヘルマンはまるでちがう。生きた時代も、国も、育った環境も、いわゆる性格というものも、まるでちがう。それでもその作品を読むことによって、わたしはその中に自分自身を、そうして自分の声を見つけたのだ。

それからずいぶん歳月が過ぎ、翻訳と称するものもやるようになった。
そこで、もういちど、ヘルマンを読んでみたい、と思ったのだ。

冒頭のエピグラムの原文は以下のもの。

Old paint on canvas, as it ages, sometimes becomes transparent. When that happens, it is possible, in some pictures, to see the original lines: a tree will show through a woman's dress, a child makes way for a dog, a large boat is no longer on an open see. That is called pentimento because the painter "repented,"changed his mind. Perhaps it would be as well to say that old conception, replaced by later choice, is a way of seeing and then seeing again.
 That is all I mean about the people in this book. The paint has aged and I wanted to see what was there for me once, what is there for me now.'

わたしだったら、こんなふうに日本語にしてみたい。

カンヴァスに塗った古い絵の具は、歳月を経るうちにすきとおってくることがある。そうした変化が生じると、絵によっては最初に描かれた線が見えてくる。一本の樹が女のドレスごしに浮かび上がり、子供の姿は犬に場所を明け渡し、大きな舟は、もはや大海原を漂ってはいない。これがペンティメントと呼ばれるのは、画家が「後悔(リペント)」し、自分の考えを変えたからだ。このことは、おそらく、こうも言えるのかもしれない。かつて心に抱いたものは、その後、選択したものに置き換えられることがあったとしても、どうしても見えてくるし、これからのちもふたたび現れてくるのだ、と。
 この本のなかに現れる人々についてわたしが言いたかったのは、そういうことだ。この絵も歳月を経て、かつてそこに何があるとわたしが思ったのか、いまのわたしにとって、何があるのか、見てみたかったのだ。

明日からこの"Pentimento"から"Turtle"の章を訳してみる。
(この項続く)

サイト更新しました

2005-12-13 22:34:46 | weblog
サイト更新しました。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

先日こちらで三度に渡って書いた「クリスマスの思い出」を「'TWAS DA NITE ――クリスマスの思い出」というタイトルに変更し、加筆・修正しました。ブログ版ではうまく落ちてないところも、なんとか落とせたかな、と思っています。後半、やや強引ですが。

***

今日はひさしぶりにお休みでした。このところ、休みのはずが、ちっとも休みでない状態が続いていたので、たまっていた雑用をすませ、お昼は近所のラーメン屋に行きました。

そのラーメン屋さんは、駅のショッピング・モールの一画にあるチェーン店。行列ができるほどの店ではないけれど、そこそこおいしくて、そこそこ清潔な店です。

以前、あることがあって、一年以上、近寄っていなかったんです。

それは……。

その店は、カウンタ-だけ、真ん中に麺を茹でるナベや、スープを作る大鍋があって、それを取り囲むように、ちょうどカタカナのコ型のように椅子がならんでいるんです。わたしはちょうど、コの縦棒のまんなかあたりにすわっていました。
わたしの目の前には、スープをとる大鍋がありました。鶏ガラや、野菜がぷかぷか浮いているのを、お店の人は、ときどきかきまぜる。わたしの位置からは、その背中が正面に来るのです。

やがて、店の人はそのスープを別の鍋に移し始めました。大きなひしゃくで何杯もすくって、やがて底があらわになったのか、店の人が

「なんじゃ、こりゃぁ」

という、大きな声を出したのです。
もう一人の人が、その声によってきました。その人も、鍋の底をのぞき込み、ふたりは顔を見合わせました。

しばらくして、もう一人の人は元の場所でふたたび麺を茹で始め、スープの底を浚っていた人も、何食わぬ顔で仕事に戻りました。

結局は、「なんじゃ、こりゃぁ」がなんだったのか、わからないままです。

しばらくそこの店から足が遠のいていました。
ところがなかなか近所に、気軽に寄れる店もない。ということで、そろそろ大丈夫かなぁ、と思って、一年以上経って、ふたたび行くようになったのですが……。

ただ、「なんじゃ、こりゃぁ」、いまでもやっぱり気になります……。

この話、したっけ ~クリスマスの思い出 その3.

2005-12-12 23:07:43 | weblog
この話したっけ クリスマスの思い出その3.

たぶんイブの晩ではなかったと思うのだけれど、とにかくクリスマスシーズンの土曜の夜だった。塾のバイトを終えたわたしは、待ち合わせた友人と一緒に、ライブハウスに行く予定だった。
予定だった、というのは、結局、行かなかったからだ。


寒い夜だったけれど、土曜の夜の人通りはにぎやかで、クリスマスも近く、雑踏全体に、どこか浮き浮きとした雰囲気が漂っていた。人混みのなかにいると、冷たい風も感じない。色とりどりのイルミネーションもまばゆく、歩道は昼間のように明るかった。

その明るい歩道が橋の間だけ、暗くなる。川から冷たい風が吹き上げてくる。自然に急ぎ足になって橋を渡りきったところで、暗い袂にうずくまるようにして、おばあさんがひとり地べたに座っていた。毛布を身体に巻き付けるようにして、水飲み人形のように機械的に頭を下げている。

その前に置いた箱のなかに、いくばくかのお金が入っているのを見るまで、そのおばあさんが物乞いをしているのだということに、わたしは気がつかなかった。

当時、九十年代の半ばで、世間がじんわりと不景気になりつつある、という感じはあったけれど、それでも不景気も、そこまでは深刻ではなかった頃だ。わたしは物乞いをする人がいる、ということを、知識として知ってはいても、現実に見たのは初めてだった。

みな、見て見ぬ振りをして行き過ぎる。おばあさんは顔を伏せたまま、過ぎていく足下に向かって、何度も何度も頭を下げている。川から吹いてくる風に、白髪があおられていた。
いったいどのくらいの間そこにすわっていたのかわからないけれど、箱のなかには千円札が二枚、あとは小銭がいくつか散らばっていた。

立ち止まった連れは、ポケットから財布を出そうとした。
「そういうことを、わたしはしたくない」
「なんでやねん。おばあさんが一晩でも、二晩でも、温かいものが食べられたら、ええやんか」
「それで、どうなるの? そんなことしたって、何の解決にもならないよ」
「別に解決しよ、て思うてるわけとちがう」
「それだと結局自分の自己満足じゃん」
「自己満足で悪いか?」
「悪い。いいことした、みたいな気持ちになるのが、我慢できない」
「別にええことした、いう気になったりはせえへん。そんな大層なこととはちがう」
「額とは関係ない。お金を渡すっていうことは、恵むってことだ。人とそういう関係になりたくない」
「オレはな、そういうことより、ああしたおばあさんが、こういうなかに座ってはることが耐えられへんねん。自分の問題として、そうやねん」

立ち止まって言い争うわたしたちの横を、何人もの人が通り過ぎた。
こんな話のコンセンサスが得られるはずもなく、友人はお金をいくばくか渡し、わたしのほうはそちらを見ないようにして、ずんずんと歩き過ぎた。

そこからもわたしたちは歩き続けたけれど、ライブを聴きに行くような気持ちの弾みも削がれ、そのあとはどうしたのだろう。おそらく延々と歩き続けて、そこからバスにも地下鉄にも乗らず、そのままそれぞれの住処に帰っていったのではなかったか。


それから十年近くが経って、いまではときどき物乞いをしている人の姿も見かけるようになった。初めて見たときほどの驚きを覚えることもなくなったし、どうしたらいいのか、それに対して自分はどういう態度を取るのか、と、問いを突きつけられたように思うこともなくなった。人間は慣れるということなのだろうか。それともわたしの感じ方がすっかり鈍くなってしまったのだろうか。

そうした人は、クリスマス・イブにも出ていくのだろうか。
周囲が華やぐその日を、どんな思いで見るのだろう。


それでも、わたしはやはりクリスマスが好きだ。クリスマスの飾り付けも好きだし、灯りも好きだ。クリスマスがなければ、冬はずいぶん淋しいものになってしまうだろう。

灯りがともったクリスマス・ツリーには、ただ華やかさだけではなく、なんというか、一種の精神性みたいなものを感じてしまう。プレゼントも、O.ヘンリーの『賢者の贈り物』にもあるように、ただ贈り物をするだけではなくて、相手を喜ばせたい、そうして、贈るという行為によって、自分も喜びたいという思いがあるからだ。
たとえそれができるのは、自分のほんの身近な人でしかなかったとしても。それはおそらく利己心からは(人によって差はあるけれど)可能な限り、遠いものではないのだろうか。


近所に庭のゴールド・クレストに飾り付けをしている家がある。
その根本でうれしそうに木を見上げて吠えている犬を、今日、見かけた。
どうやら犬もクリスマスが好きらしい。

(この項終わり)

今日の出来事

2005-12-11 22:20:00 | weblog
-----【今日の出来事】------

普段、電車のなかではすいているとき以外は、積極的に電車に座らないことにしているわたしも、今日は帰りの電車でちょっと座りたい気分だった。ところがそういうときに限って席というのは空いていないもので、仕方がないから手すりにもたれて本を読んでいた。

ところが後ろで話しているおばさんたちがやかましい。
「ヨーグルトは身体に悪いのよ」
「え~、ほんま? カルシウム摂れるのとちがうの?」
「カルシウムは必要やけど、ヨーグルトは脂肪分が高いからあかんねん」
「そんなんより砂糖の方があかんのとちがうの」
と、何を食べたらどうなる、それからウォーキングは膝に負担がかかる、泳ぐと腰を痛める、日に当たると皮膚ガンになる……と延々と話は続く。

聞くともなしに聞いていたが、ふと思った。
こうした話をまとめるならば「生きることは身体に悪い」ということになるのではあるまいか、と。

 「喫煙はあなたにとって心筋梗塞の危険性を高めます」

電車の煙草の吊り広告の片隅にこういう表示が小さく書いてあったのだけれど、これを言うなら
 
 「生きることはあなたにとって健康を害する危険性を高めます」

という表示も加えるべきなのではないだろうか。

太っていることは、さまざまな疾患の誘因となる。
ダイエットすれば、摂食障害に陥る危険性がある。

健康によかれと思って、何かを食べると、そのうちそれが健康に有害とわかるかもしれないし、身体に悪いものを徹底的に避けると、それがストレスになるかもしれない。運動すると、逆にそのことがもとでどこかを悪くするかもしれない。

道を歩けば車が突っ込んでくるかもしれないし、看板が落ちてくるかもしれないし、穴に落ちるかもしれないし、日焼けするかもしれないし、犬に噛まれるかもしれない。歩くことによるストレスが加わって、自律神経がやられるかもしれないし、歩きながらいろんなことを考えて、鬱病になるかもしれない。

結局は、生きることはすべて身体に悪いのだ。
あたりまえだ。
わたしたちは生まれ落ちた瞬間から、死に向かって一歩一歩、歩いているのだから。

大事なのは、健康だけじゃない。食材としては「健康に悪」かろうがどうだろうが、人といっしょにいろんな話をしながら食べたり、飲んだりすることで、時間を共有すること、そうして、そのあと気持ちが高揚して、よし、がんばろう、と思ったり、ものの見方・考え方が変わることも、同じように大事なことだと思う。たとえ飲み過ぎたり食べ過ぎたりして、あとで後悔しなくてはならなくなったとしても、そういう時間を持てたということは、十分おつりがくるほどいいことであるはずだ。

まぁそのおばさんたちはとっても元気そうで、それはたぶん健康に関心があるせいじゃなくて、そんなふうに話ができる連れがいるからにちがいない。

この話したっけ ~クリスマスあれこれ2.

2005-12-10 23:46:14 | weblog
大学に入った年のクリスマス・イブは、コピー屋でバイトをしていた。
大学は冬休みに入っていて、コピー屋は閑散としており、店を開けてから紙を補給し、トナーの交換をしたら、ほとんどすることもなかった。本を読んでいたのだと思うのだけれど、たぶんあんまり静かだったかどうかで、そこに置いてあったラジオをつけたのだろう。

するとユーミンの“恋人がサンタクロース”という曲が流れてきた。
わたしはそれまでまともに聴いたこともなくて、なんとなく、サンタクロースの恋人になりたい、という歌なんだろう、と思っていたのだ。そのとき初めて、恋人がプレゼントを持ってきてくれて、「サンタクロースみたい」だ、という歌であることを知った。

えらく気持ち悪い歌だと思った。
恋人を「サンタクロース」と呼ぶセンスっていうのは、どうしようもないな、と。

当然のことながら、サンタクロースのような恋人も、サンタクロースではないような恋人もいなかったわたしは、プレゼントがもらえるならコメがほしい、というような生活をしていた。

大学に入学して半年もすると、貧乏というのは、一時的な状態ではない、ということをはっきりと理解していた。お金がない、月も半ばになると日々の支払いにも事欠いてしまう、という状態が、情況を大きく好転させるような何かが起こらない限り、今月ばかりでなく、来月も、その次も続いていくのだ、ということを。

だから、どれほどお金がなくなっても、親に泣きつこうと思わなかったし、借金もしようとはおもわなかった。今月親に泣きついてしまえば、来月もそうしなければならなくなるのは目に見えているし、借金は、来月それを返そうと思ったら、今月の収入にプラスして、借金の原因となった今月の不足分、さらに返済分の収入増が必要となる。そんな収入増の見込みすらないところでは、借金さえできないのだった。

コピー屋のバイトはなにしろ時給が安かったので、短期のバイトにもときどき行った。電車賃しかなくて、お昼休み、隅でご飯も食べずに本を読んでいたら、パートのおばさんにゆで卵をもらったこともある(そんなひもじそうな顔をしていたんだろうか。ただ、そのときのゆで卵はおいしかった)。

まわりには授業料を払うために、昼のバイトと夜のバイトをかけもちしている子もいたし、男子寮では、夜12時を過ぎると、食べ残した寮食が無料で食べられる、それが一日の唯一の食事で、12時を過ぎるのをいまかいまかと待っているハイエナのような寮生がいる、という話も聞いていた。世間はまだまだバブルの余韻が残っているような状態だったけれど、わたしの周囲は、わたしと同じように、赤貧スチューデントばかりだったので、それほど悲壮感はなかった。生活といっても、気楽な学生の一人暮らしは、どこまでいってもごっこ遊びの延長だったのかもしれない。

クリスマス・イブといっても、わたしは暮れの帰省の費用のほうが問題だった。帰る金がない、といえばすぐに送ってくれるのはわかっていたけれど、合わせてなんだかんだ言われたくなかった。だが、どう考えても旅費が捻出できそうにない。ドリームバスの方が安いという情報は入手していたけれど、なんとなく夜間バスで帰るというのは、アメリカの小説でグレイハウンドバスのことをたくさん読んでいたわたしには、ちょっと怖かった。

おそらくバイト先でもそうした金勘定をしていたのだろう、お客も少なくレジにたいして入っているわけでもなかったのだが、この千円札を何枚か、十日間だけでも借りることはできないだろうか、と真剣に考えた記憶がある。

六時になって、店を閉めようと、シャッターを下ろしに表へ出た。すると、「ちょっと待ってください」と走ってきた人がいた。中年の女性だった。「コピーさせてください」

いかにも不慣れそうだったので、早く店を閉めるために、わたしが取ってあげることにした。見ると、"Joy to the World!"の楽譜である。
「あー、わたし、これ高校のとき歌いました。アルトだったんです」
セットして、三十部のコピーができあがるのを待つあいだ、わたしはなんとなくそう言って、アルトのパートで"Joy to the world! The Lord is come!"と歌ってみせた。
すると、その人はソプラノのパートでそれに合わせていき、結局、二重唱で最後まで歌ったのだった。

それだけのことだったのだけれど、なんだかとても楽しかった。
その人はこれから近くの教会で歌うのだという。信者ばかりでなく、一般の参加者も大勢来る、来た人に一緒に歌ってもらうためにコピーしたのだと。ミサに来ませんか、と誘われたのだけれど、そちらのほうは遠慮した。

その日はたまたまジェイムズ・ジョイスの短編集『ダブリン市民』を読んだのだった。予最後の一編、「死せる人々」はちょうどクリスマスの日を舞台にした短編だった。

クリスマスの日、叔母の家で開かれたクリスマス・パーティに、妻とふたりで出かけたゲイブリエル・コンロイは、帰り際、妻が聞こえてきた古い民謡に心を奪われるのを見る。ゲイブリエルは妻の美しさに陶然となる。ところが妻は、かつて自分を愛した十七歳の少年がその歌を歌ってくれたのだ、と、相手を思って泣きながら告げる。ゲイブリエルは嫉妬、屈辱、さらに自分の存在そのものがどれほどおぼつかないものであったかを感じ、愕然とする。

だが、泣き疲れて眠る妻を見るうち、ゲイブリエルは、その妻の向こうに、妻が思い続けた死んだ少年を見、さらにまもなく死ぬであろう叔母に、さらにアイルランドに眠る死者たちに思いを馳せていく。戸外には雪が降っている。生きる者の上にも、また、死者たちの上にも、アイルランド全土に降り積もっていく雪。

暗い裏通りを歩いて帰りながら、空を見上げた。雪はなかったけれど、そうして、お金もなかったけれど、サンタクロースのような恋人も、サンタクロースではない恋人もいなかったけれど、ジョイスの短編と、"Joy to the World!"と、ふたつの思いがけないプレゼントを手に入れたのだ。いいクリスマス・イブじゃん、と思った。

ところでDream Theaterの"6:00"、これは冒頭の
Six o'clock on Christmas morning!
And all for what?"
"Well, isn't it for the honour of God, Aunt Kate?"
という部分、このジョイスの"The Dead"がそのまま使われている。

歌詞のほうはクリスマスといっても働くために朝の六時からたたき起こされて、車で職場に行ったのだけれど、九時になっても車から出られない男の胸の痛み、みたいなものを歌っているやりきれない歌詞で、ジョイスの作品とは直接の関連はないのだけれど、冒頭のスネアの澄んだ高い音からとっても好きな曲のひとつだ。
これはクリスマスソングとは言いにくいけれど。