陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

リリアン・ヘルマンについて その2.

2005-12-23 22:08:06 | 
作家についてのレポートなら、いくつも書いたことがある。略歴も、短い評伝も書いた。その作品を理解するためには、その作家の経歴や、当時の背景事情は、やはり必要な情報だろう。

ただ、わたしはヘルマンについて、そういうことはあまり書きたくない。

1905年に生まれ、1984年に亡くなったこと。生涯に十二本の戯曲を書き、アメリカのリアリズム演劇を代表する劇作家のひとりであること。
「ハードボイルド」というスタイルを確立して、以降のミステリばかりでなく文学表現にも大きな影響を与えたダシール・ハメットと、三十一年にもわたって恋愛関係にあったこと。
1952年、非米活動委員会に喚問され、「自分を救うために、何年も昔の知己である無実の人たちを傷つけるなどということは、非人間的で品位に欠け不名誉なこと」(リリアン・ヘルマン『眠れない時代』小池美佐子訳 ちくま文庫)とし、有名な
I cannot and will not cut my conscience to fit this year's fashions.
(わたしはその年の流行に合わせて、自分の良心を裁断することなどできないし、しようとも思いません:私訳)

という台詞を証言台で述べたこと。

そういうことは、ここで書きたいとは思わない。

いわゆる「書評サイト」というものがある。
もちろん本の紹介をきちんとしているところもあるけれど、どこをどう読めばそうした「感想」が出てくるのか、目を疑いたくなるような「感想文」を「書評」と称して載せているところも少なくない。

こういうのは、本を消費することだ。一冊の本を消費し、「おもしろかった」「おもしろくなかった」「よくわからなかった」と適当なレッテルを貼り、そうして次の本に手を伸ばす。

本を読むことは、あるいはそれが映画でも、絵でも、書でも、音楽でもそうなのだけれど、何かを鑑賞する、ということは、おそらくその作品を理解することと、自分を理解することを同時に含んでいるのだと思う。

さらに言えば、「作品を理解しようとする自分」があらかじめいるのではなく、作品に向かい合うことで、作品を理解しようとしている自分が形作られていく。その形作られていくプロセスを理解することが、自己理解ということではないのだろうか。そうして、読む、あるいは鑑賞する、というのは、そうしたものであると思うのだ。

ヘルマンはいくつかの回想記を書いた。ハメットからは、「ハメットという名の友人がときどき出てくるだけのリリアン・ヘルマンの自伝」と揶揄されながら、あるいは、メアリー・マッカーシーに「ヘルマンが書いた言葉はすべて嘘。"and"から"the"にいたるまでね」(ディック・カヴェット・ショーでの発言)と毒づかれながら、その回想記は、他者や「ならずものの時代」を理解することを通じて、自分を理解していこう、自分の生きてきた日々を理解しよう、という試みだった。

わたしはヘルマンについて、何が書けるのだろう。
 リリアンについてぼくが主に言いたかったのは、彼女は自分を粗末には扱わなかったということだ。いつもできるかぎり全力をつくしてきた人だ。ある時は成功し、ある時は成功しなかったが、彼女はつねに自分の人生を前向きに歩んできた。つまずくにも何か大きな音をたてなければならなかった人だ。その音は自らを叩きのめす音だったが、やがてそこから立ち上がってまた歩き続けたのだ。自分の道を抜け出すだけでも大がかりなことが必要だった。

 けれどもこれらのことはそんなふうに言ったり示したりすることは出来ない――大きなものをとばして、もっとも小さなことに細心の注意を払う。つまり多くの者にとって小宇宙が大宇宙なのだ。普遍性を語る人は、意味することを伝えるのにほとんど成功したためしはないが、誰の人生にせよ細部をとりあげて間近に見るならば、その中に全生涯を見ることができるのだ。ちょうど訓練された目が単細胞の中に組織体を、生命の中に進化を、一滴の水の中に宇宙を見ることができるのと同じである。
ピーター・フィーブルマン『リリアン・ヘルマンの思い出』筑摩書房)

わたしの理解したヘルマンについて、彼女が書いたもの、彼女について書いたものを紹介しながら書いてみたい。それはおそらくわたしが自分自身を見つけるプロセスでもあるのだと思う。

(この項つづく)