陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

リリアン・ヘルマンについて その3.

2005-12-24 22:32:54 | 
 リリアン・ヘルマンに関しては、おもしろいことがひとつある。実は彼女の生年がはっきりしないのだ。自叙伝とされる『未完の女』は、このような書き出しで始まる。
 わたしはニューオーリンズの生れである。母ジュリアは旧姓をニューハウスといって、アラバマ州でもポリスの出身であり、わたしの父のマックス・ヘルマンと恋におちて、生涯かわらぬ愛を捧げることになったのであった。父の両親は、1845年から48年にかけてのドイツからの移民として、ニューオーリンズに住みついた人びとだった。
リリアン・ヘルマン『未完の女』(稲葉明雄・本間千枝子訳 平凡社)

ところがこの父と母の簡単な出自にふれたあとはいきなり「けれど、まずわたしの脳裡に浮ぶのは、ニューヨークの多く名アパートに住んでいた母方の家族…(略)…のことである」と、話は一気に幼い日の思い出に飛ぶのである。

多くの本の後付に載っている1905年、という生年は、遺作となった『メイビー・青春の肖像』(小池美佐子訳 新書館)の訳者によるあとがきでは、非米活動調査委員会に出頭した際の宣誓に準拠したものだと書かれている。ヘルマン自身が協力したというR.ムーディの伝記では1906年、ヘルマン自身の手による『アメリカ人名年鑑』の記述では、年によっては1907年生まれとなっているらしい。

ヘルマンの自伝のなかでもこうした年月日の記述の不正確さ、不整合は随所に見られ、"a few years"とある部分が、実際には十五年ほどの経過がある場面もある。そうしてこの「不整合」が、のちに彼女の自伝に対する格好の攻撃材料となっていく。

ただ、ここでわたしが思うのは、ヘルマンの生年が不明なのも、彼女自身が意図的に曖昧にしたというより、彼女が独特の歪んだ時間感覚を持っていたためではないか、そうして、彼女の主観的な時間感覚では、自分の生年が1905年だろうが、6年だろうが、7年だろうが、重要ではなかったのではあるまいか、ということなのだ。彼女にとって「記憶」とは、自分の内的時間に従うものであり、いわゆる「現実」、多くの人がそれに従っている時間軸とは別個の、主観的な時間軸が、彼女の記憶を貫いているのではないか、と思うのだ。そこで思い出すのが、このエピソードである。

ピーター・フィーブルマンがヘルマンの誘いに応じて、彼女と一緒に暮らすようになって間もないころのエピソードを、このように描いている。
 ヴィンヤードをよく知らない僕には、海へ続いている家の前の湾は、どことなくよそよそしく、なじめなかった。…略… 僕は方向感覚といったものがほとんどないので、リリアンに地図を見せてくれと頼んだのだが、それは島の全貌を見れば、自分がどこにいるかということより、むしろどこにいないかが示されて、おおよそのことが分かるだろうというあてにならぬ望みのためだった。彼女が台所から古ぼけたガソリンスタンドの地図を見つけてきたので、二人してそれをテーブルの上に広げ、しっかり眺めてみようと腰をおろした。

 マーサズ・ヴィンヤードという島は、マサチューセッツの南岸から数マイル離れた大西洋上にあり、長さ20マイル、幅はその一番広い所で10マイルばかりの島である。飛行機から見ると、島は入り江や湾、それに塩水、淡水の大小の池に浸食されてゆがんだ三角形のようだった。リリアンは目の前の地図を見て眉をしかめた。彼女は僕にもまして方向音痴だったが、その混乱ぶりたるや僕の比ではなく――、一種の宇宙分裂――で、二人はしばらくは無言のまま地図を見つめていた。僕たちは台所のテーブルに隣あって座っていたのだが、地図はどこかおかしかった。

「これはノーマン島かエリザベス諸島のどれかよ」ややあってリリアンは言った。「どうみたってヴィンヤード島には思えない」
僕は道路の名前を読もうとしたが読めなかったので、眼鏡をかけた。「さかさまじゃないか」しばらくたってから僕は言ってみた。
「どうして?」
「さかさまだってこと」
「あなたすごいじゃない。よく気がつく人って大好き」とリリアンは言い、僕は気がつくなんてものじゃないよ、二人とも気は確かかなと言った。
「もうこの話はしたくない」リリアンが言った。
ピーター・フィーブルマン『リリアン・ヘルマンの思い出』筑摩書房)

わたしたちが地図を見るのは、自分がいる位置を知る俯瞰的な視点を得るためだ、ともいえる。けれどもヘルマンのこのエピソードは、自分がいまいる場所を、俯瞰することなどしてみようとさえ思わなかった彼女のありようを物語るもの、とは言えないだろうか。

わたしたちは過去の記憶をたどるとき、あれは何年に起こったこと、と一種の編年体にして記憶から取り出すことが多い。あるいは「あれはちょうど第一次湾岸戦争が開戦したすぐあとだったから'90年の1月」「あれは阪神大震災の年だから'95年」というふうに、ほかの出来事と自分の個人的な出来事を関連づけながら、歴史の一コマのように記憶していることも少なくない。つまりこれは、自分に起こったできごとを、外部のモノサシによって編集し直し、時間軸に沿って、相互に関連づけながら並べ替えようとする。これはつまりは俯瞰しようとする試みともいえる。

***

わたしは車に乗る機会がほとんどなく、カーナビというものも、これまでにたった一度しか見たことがないのだけれど、ものすごくおもしろくて、いまだにそのときの感動をよく覚えている。わたしはカーナビの何がおもしろいと思ったのだろう。これはそのあとしばらく、折に触れて考えた。

つまり、地図を見るとき、というのは、自分がいる場所を俯瞰して見ることにほかならない。「自分」を離れ、外側から、高い位置から、自分を見る視点を獲得するということだ。けれども、通常の地図は動くことはない。自分の向きが変わることによって、場所を移動することによって、地図がつぎつぎに移り変わっていく、その光景がものすごくおもしろかったのだ。自分の前に伸びていく道路が、目を転じると、自分の目の前の光景が衛星の位置から俯瞰され、二次元の地図として表示され、自分が進むにつれてその地図も流れていく。

それがおもしろかったのは、変な言い方だけれど、衛星写真ではなく、極端に簡略化された地図だったからだと思う。地図というのは、言い換えると、俯瞰する視点というのは動かないものだ。どこかにそうした思いこみがあったのだと思う。

この外部の歴史は動かないから、モノサシとしての用を足す。けれども、これがカーナビの画面のように、自分の向きや場所にしたがって動いたとしたら(もしかしたら変なことをくどくどと言っているかもしれない。実はいま風邪を引いていて多少熱もあって薬を飲んでいるので、頭がぼーっとしているのです)。

何が言いたいかというと、地図を見る必要を感じたことがなかったヘルマンは、「何年」というモノサシより、はるかに主観的時間を重視したのではなかったか、ということなのだ。

『ペンティメントのなかに、このような箇所がある。
 当時のわたしは、頭に浮かぶことをなんでも口にした。それも脳裡に形作られていく考えや言葉をそのまま出す、というやり方で。(実際、自分自身の過去を書くというのは奇妙なことである。「当時」と私は書き、これはそのまま紙の上に残っていくが、結局は「当時」というものが、歳月の経過によって変わったとはとうてい信じられない。いままでずっと、自分のなかで好きになれない性質というのは変えられるものと信じてきたし、事実そうしたこともある。けれどもよく考えてみると、それは、いくつかの修正や変化ではあったかもしれないけれど、ほんとうの改善といったものではなかったような気がする。そういうわけで、わたしは過去の多くをそのままに引き受けているために、過去と現在がひどく異なっている、と考える権利など、ないのだ)。(この部分私訳)

わたしたちは、過去の出来事を振り返るとき、「いま」から振り返っているにもかかわらず、一種俯瞰的な視点から見ているように錯覚していないだろうか。過去というのは、動かないもの。平面的で、リアルさを多少欠く、地図のようなもの。

「当時のわたしは~だった」
これはいったい誰がいっているのだろう? それは、現在、振り返っている「わたし」だ。そのわたしが、「いまとはちがう」と、どうして言えるのか。その視点自身が、カーナビで見る地図のように、くるくると向きを変え、場所を移動しているのだとしたら、いったいどうやって「過去」と「いま」を比較することができるのだろう。

いわゆる自伝三部作の最後『眠れない時代』(小池美佐子訳 ちくま文庫)は以下の言葉で締めくくられる。
 わたしの生活は仕事とお金にかんしては元通りになった(※注:赤狩りで仕事も財産も失ったけれども、『未完の女』が圧倒的な好評で迎えられたことを指す)。あるいはもっとよくさえなっている。しかし書き終えたいま、わたしの心は書き出しとほとんど同じ状態だ。ショックからは部分的にしか回復していない…略…。

 わたしはさっき元通りになったと書いた。いわゆる世間的な意味で言えばそうなのだが、じつはわたしは回復ということは信じない。過去というものは、喜びも報いも罰も愚かさもともどもに、永遠にわれわれが背負っていくべきものなのだ。

 さて、わたしの人生のこの不愉快な部分について書いてきた。終わりにあたり、わたしは自分に言いきかせている――これは過去のことであり、いまは現在がある。そのあいだには歳月があり、当時と今はひとつのものなのだ、と。(引用 前掲書)

過去の回想の多くが、現在の視点からなされているにもかかわらず、そこを曖昧にし、俯瞰的な、動かない視点を獲得したかのような書きぶりでなされることが多い。

ヘルマンは、過去を回想する。それは、俯瞰的なものではなく、動く「いま」の視点で。
フィーブルマンはヘルマンの方向感覚のことを「一種の宇宙分裂」と愛情をこめて称しているけれど、おそらく時間と空間の感覚が相当に歪んだヘルマンにとっては、擬似的な定点観測ではない、「当時といま」をひとつのものとして見ることが特別なことではなかったような気がする。

明日は「赤狩り」について、書けるところまで書いてみたい。