昼前に、わたしも籍を置いているニューヨーク動物学会に電話をかけてみた。大変な思いをして亀の知識がある人間につないでもらう。わたしの説明が終わると、若い声が返ってきた。「それは学名ケリドラ・セルペン・ティーナですね。性質が大変荒いんです。どこで会いましたか?」
「会った?」
「遭遇したか、ということです」
「湖畔で開かれた文壇カクテル・パーティでお目にかかりましたの」
声の主は咳払いした。「陸上ですか、それとも水中で? 陸上で遭遇した場合、とりわけ獰猛です。噛みつく速度があまりに早いので、人間の肉眼ではその動きをとらえきれないほどです。四肢は力が強く、それぞれにある細い突起は背甲につながって――」
「知ってます」わたしは言った。「わたしが読んだのも同じ本です。わたしが知りたいのは、どうやって階段をおりて庭まで歩いていくことができたか、っていうことなんです。首の皮一枚で頭をぶらさげたままで」
「平均的なカミツキガメの体重は、9キロから14キロですが、その倍以上の体重を持つものも多く見られます。その卵は非常に興味深いもので、卵殻は頑丈で、ピンポン玉に例えられることもよくあり――」
「お願い、ですからどう考えたらいいか、教えてほしいんです、つまり、何というか、あの、生命ってことについて」
考え込んだあげく、答えが返ってきた。「わかりません」
「庭で見つけたとき、亀は生きてる……生きてたんですか? いまは生きてる、って言えるの?」
「おっしゃることがよくわかりません」
「わたしは命のことが知りたいの。命って何なんですか?」
「死の前にある状態と言えるのではないでしょうか。よろしかったらその亀の心臓を少量の塩水に浸けて、どのくらい心臓が鼓動を続けるか教えていただけないでしょうか。わたしたちの記録によると10時間なんですが」
「じゃ、まだ死んでないのね」
しばらく間があいた。「理屈の上ではね」
「理屈の上、ってどういうこと?」
雑音に混じって電話の向こうで話し声がし、話している相手が声を潜めてそれに応じるのが聞こえた。それから返事があった。「カミツキガメというのは、きわめて下等な、おそらくは最下等に属する生命体と言えます」
「だから、生きてるんですか、死んじゃってるんですか? わたしが知りたいのはそれだけなの。お願いですから、それを教えて」
またヒソヒソ言う声がした。「おたずねになったのは、科学上の見解だったはずです、ミス・ヘラーナン。神学上の見解に関してはそれを述べる資格はありません。お電話、ありがとうございました」
十年後、あるディナー・パーティの終わりかけに、大柄な女性が部屋を横切ってやってくると、わたしの隣りに座った。わたくし、マダム・ド・スタールについての本を書いているところですの、というので、わけのわからない彼女の話にわたしが不満の意を表したところ、こんなことを言い出した。「わたしの弟は、昔、動物学者だったんです。弟に噛みつき亀のことでお電話なさったことがあるでしょう?」
弟さんによろしく、あのときのことはごめんなさいね、と謝ると、彼女はこう答えた。「あら、お謝りになるには及びません。いまカルカッタで開業してるんですもの」
ともかく、その電話をかけた日、わたしはハメットに話の一部始終を伝えた。耳を傾けていたハメットは、話が神学がどうの、というくだりになると笑顔になり、また『動物の王国』という古い本に戻った。1972年の7月の昼下がり、ひさしぶりにこの本を手に取ったとき、表紙のわたしの書き込みを見て、この亀の思い出がよみがえったのだった。
夕食の時間が近づいたころ、ヘレンが部屋に入ってきた。「あの亀なんですけど。あんなものが近くにいたら、料理なんてできそうにないわ」
わたしはハメットにたずねた。「どうしたらいいと思う?」
「スープにしろよ」
「それは次のときよ。次に捕まえた亀。この亀はお墓を作ってやりましょうよ」
「やるのは君だ」
「わたしをとがめてるのね。どうして?」
「なんとか理解しようとしてるだけさ」
「だって、あんなに遠くまで歩いていったのよ。なんていったらいいか、わたしはこれまで命について、こんなふうに考えたことなかったもの」
「わからないな」
「だから、命とはどういうことか、とかなんとかそんなふうな感じのこと」
「とかなんとかそんなふうな感じだって? いい歳をしてそんなことを言うとはね」
「そりゃあなたは、わたしよりずいぶん大人でしょうよ」
「それにしても君は34で、とかなんとかそんなふうな感じ、などと言っていい歳じゃない」
「馬鹿にしてるのね」
「いい加減にするんだ、リリー。そういうところは全部お見通しだ」
「そういうところ、ってどういうところよ」
ハメットは立ち上がって部屋を出ていった。一時間ほどしてから、わたしはマーティニを一杯持っていった。「こんどだけ。つぎからはもういいの」
「お好きなように。どうしようがかまわない」
「うそ、かまわなくないんでしょ。ほかに言いたいことがあるのね」
「いい加減にしろ、と言ったはずだが」
「わたしが言っているのは――」
「晩飯はいらない」
部屋を出たわたしは、力一杯ドアを叩きつけた。夕食の時間になると、いますぐおりてくるよう、ヘレンに言いに行かせたが、戻ってきたヘレンが言うには、いますぐは腹は減ってない、とのことだった。
わたしが食べていると、ヘレンは、明日の朝ご飯を作るときに亀がいちゃ、いやですからね、と言う。
十時ごろ、ヘレンが寝に上がると、わたしも二階へ行って、ハメットの部屋のドアに本をぶつけた。
「どうしたんだ」
「お願い。こっちへ来て、亀のお墓を作るのを手伝って」
「亀なんぞの墓は作るつもりはないね」
「じゃ、わたしのお墓なら作ってくれる?」
「そのときがきたら、できるだけのことはしてやろう」
「ここを開けて」
「いやだ。フレッド・ハーマンに頼んで、手伝ってもらえよ。あと、ヘレンから祈祷書を借りるのを忘れないようにするんだな」
だが、そのあともう三杯飲んだころには、フレッドを起こすには遅すぎる時間になっていた。亀の様子を見に行くと、床に血がしたたり落ちている。もう何年も、そうしてそのあとも何年も、わたしはヘレンが怖かったので、真夜中が近い時間だったけれど、亀の尻尾をロープで結わえ、懐中電灯を持って、台所の階段を引きずってガレージまで降り、車のバンパーにロープをくくりつけた。それからハメットの窓の下に立った。
わたしは大声を出した。「わたしは力がないの。そんなに大きな穴は掘れない。手伝って」
それからもう二度繰り返すと、ハメットも大声で答えた。「お手伝いできたらいいんだが、生憎と眠っているんでね」
一時間にわたって、わたしは湖の北側の小高い丘で、ひたすら穴を掘り、亀を埋めて土をかぶせてやるころには、ウイスキーのビンは空になるし、頭はくらくらして、吐き気までしていた。お墓の上に棒きれを立て、車に乗って家に戻ろうとしたのだが、途中で眠ってしまったらしい。というのも、明け方眼が覚めると、あたりはどしゃぶりで、右側のタイヤが前後ろとも、木の切り株に乗り上げていたからだ。歩いて家まで帰ってベッドに倒れ込むと、四、五日のあいだ、ハメットもわたしも亀のことは一切ふれなかった。これは偶然ではなく、最初の三日間は互いに口もきかず、食事さえ別々に取っていたからだった。
それから、ハメットが夕方の散歩から帰ってきて言った。「亀を二匹捕まえた。君はどうするのがいいと思う?」
「殺せばいいわ。スープにしましょう」
「それでいいのか?」
「初めてのことはなんだって楽じゃない。あなただってわかってるでしょ」
「君に会うまではそんなことは知らなかったけどな」
「お墓を掘ったから背中が痛いし、風邪もひいたの。それでもわたしは亀を埋葬してやらなきゃならなかった。その話はもうしたくない」
「君のやり方はうまくなかったぞ。動物か何かが君の墓を嗅ぎつけて、亀を食っちまっていた。まぁなんにしても神は君がしたことを喜んでくれるさ。骨を拾って穴のなかに入れておいた。ついでに君のために、墓標にペンキを塗っておいてやったからな」
わたしたちがそこに住んでいたあいだずっと、もしかしたらいまでも、すみずみまで入念にペンキが塗ってあるその小さな木の墓標は残っていた。
〈わが最初の亀、ここに眠る。ミス・“信仰心”L.H.〉
(近日中に手を入れてサイトに全文をアップします)
「会った?」
「遭遇したか、ということです」
「湖畔で開かれた文壇カクテル・パーティでお目にかかりましたの」
声の主は咳払いした。「陸上ですか、それとも水中で? 陸上で遭遇した場合、とりわけ獰猛です。噛みつく速度があまりに早いので、人間の肉眼ではその動きをとらえきれないほどです。四肢は力が強く、それぞれにある細い突起は背甲につながって――」
「知ってます」わたしは言った。「わたしが読んだのも同じ本です。わたしが知りたいのは、どうやって階段をおりて庭まで歩いていくことができたか、っていうことなんです。首の皮一枚で頭をぶらさげたままで」
「平均的なカミツキガメの体重は、9キロから14キロですが、その倍以上の体重を持つものも多く見られます。その卵は非常に興味深いもので、卵殻は頑丈で、ピンポン玉に例えられることもよくあり――」
「お願い、ですからどう考えたらいいか、教えてほしいんです、つまり、何というか、あの、生命ってことについて」
考え込んだあげく、答えが返ってきた。「わかりません」
「庭で見つけたとき、亀は生きてる……生きてたんですか? いまは生きてる、って言えるの?」
「おっしゃることがよくわかりません」
「わたしは命のことが知りたいの。命って何なんですか?」
「死の前にある状態と言えるのではないでしょうか。よろしかったらその亀の心臓を少量の塩水に浸けて、どのくらい心臓が鼓動を続けるか教えていただけないでしょうか。わたしたちの記録によると10時間なんですが」
「じゃ、まだ死んでないのね」
しばらく間があいた。「理屈の上ではね」
「理屈の上、ってどういうこと?」
雑音に混じって電話の向こうで話し声がし、話している相手が声を潜めてそれに応じるのが聞こえた。それから返事があった。「カミツキガメというのは、きわめて下等な、おそらくは最下等に属する生命体と言えます」
「だから、生きてるんですか、死んじゃってるんですか? わたしが知りたいのはそれだけなの。お願いですから、それを教えて」
またヒソヒソ言う声がした。「おたずねになったのは、科学上の見解だったはずです、ミス・ヘラーナン。神学上の見解に関してはそれを述べる資格はありません。お電話、ありがとうございました」
十年後、あるディナー・パーティの終わりかけに、大柄な女性が部屋を横切ってやってくると、わたしの隣りに座った。わたくし、マダム・ド・スタールについての本を書いているところですの、というので、わけのわからない彼女の話にわたしが不満の意を表したところ、こんなことを言い出した。「わたしの弟は、昔、動物学者だったんです。弟に噛みつき亀のことでお電話なさったことがあるでしょう?」
弟さんによろしく、あのときのことはごめんなさいね、と謝ると、彼女はこう答えた。「あら、お謝りになるには及びません。いまカルカッタで開業してるんですもの」
ともかく、その電話をかけた日、わたしはハメットに話の一部始終を伝えた。耳を傾けていたハメットは、話が神学がどうの、というくだりになると笑顔になり、また『動物の王国』という古い本に戻った。1972年の7月の昼下がり、ひさしぶりにこの本を手に取ったとき、表紙のわたしの書き込みを見て、この亀の思い出がよみがえったのだった。
夕食の時間が近づいたころ、ヘレンが部屋に入ってきた。「あの亀なんですけど。あんなものが近くにいたら、料理なんてできそうにないわ」
わたしはハメットにたずねた。「どうしたらいいと思う?」
「スープにしろよ」
「それは次のときよ。次に捕まえた亀。この亀はお墓を作ってやりましょうよ」
「やるのは君だ」
「わたしをとがめてるのね。どうして?」
「なんとか理解しようとしてるだけさ」
「だって、あんなに遠くまで歩いていったのよ。なんていったらいいか、わたしはこれまで命について、こんなふうに考えたことなかったもの」
「わからないな」
「だから、命とはどういうことか、とかなんとかそんなふうな感じのこと」
「とかなんとかそんなふうな感じだって? いい歳をしてそんなことを言うとはね」
「そりゃあなたは、わたしよりずいぶん大人でしょうよ」
「それにしても君は34で、とかなんとかそんなふうな感じ、などと言っていい歳じゃない」
「馬鹿にしてるのね」
「いい加減にするんだ、リリー。そういうところは全部お見通しだ」
「そういうところ、ってどういうところよ」
ハメットは立ち上がって部屋を出ていった。一時間ほどしてから、わたしはマーティニを一杯持っていった。「こんどだけ。つぎからはもういいの」
「お好きなように。どうしようがかまわない」
「うそ、かまわなくないんでしょ。ほかに言いたいことがあるのね」
「いい加減にしろ、と言ったはずだが」
「わたしが言っているのは――」
「晩飯はいらない」
部屋を出たわたしは、力一杯ドアを叩きつけた。夕食の時間になると、いますぐおりてくるよう、ヘレンに言いに行かせたが、戻ってきたヘレンが言うには、いますぐは腹は減ってない、とのことだった。
わたしが食べていると、ヘレンは、明日の朝ご飯を作るときに亀がいちゃ、いやですからね、と言う。
十時ごろ、ヘレンが寝に上がると、わたしも二階へ行って、ハメットの部屋のドアに本をぶつけた。
「どうしたんだ」
「お願い。こっちへ来て、亀のお墓を作るのを手伝って」
「亀なんぞの墓は作るつもりはないね」
「じゃ、わたしのお墓なら作ってくれる?」
「そのときがきたら、できるだけのことはしてやろう」
「ここを開けて」
「いやだ。フレッド・ハーマンに頼んで、手伝ってもらえよ。あと、ヘレンから祈祷書を借りるのを忘れないようにするんだな」
だが、そのあともう三杯飲んだころには、フレッドを起こすには遅すぎる時間になっていた。亀の様子を見に行くと、床に血がしたたり落ちている。もう何年も、そうしてそのあとも何年も、わたしはヘレンが怖かったので、真夜中が近い時間だったけれど、亀の尻尾をロープで結わえ、懐中電灯を持って、台所の階段を引きずってガレージまで降り、車のバンパーにロープをくくりつけた。それからハメットの窓の下に立った。
わたしは大声を出した。「わたしは力がないの。そんなに大きな穴は掘れない。手伝って」
それからもう二度繰り返すと、ハメットも大声で答えた。「お手伝いできたらいいんだが、生憎と眠っているんでね」
一時間にわたって、わたしは湖の北側の小高い丘で、ひたすら穴を掘り、亀を埋めて土をかぶせてやるころには、ウイスキーのビンは空になるし、頭はくらくらして、吐き気までしていた。お墓の上に棒きれを立て、車に乗って家に戻ろうとしたのだが、途中で眠ってしまったらしい。というのも、明け方眼が覚めると、あたりはどしゃぶりで、右側のタイヤが前後ろとも、木の切り株に乗り上げていたからだ。歩いて家まで帰ってベッドに倒れ込むと、四、五日のあいだ、ハメットもわたしも亀のことは一切ふれなかった。これは偶然ではなく、最初の三日間は互いに口もきかず、食事さえ別々に取っていたからだった。
それから、ハメットが夕方の散歩から帰ってきて言った。「亀を二匹捕まえた。君はどうするのがいいと思う?」
「殺せばいいわ。スープにしましょう」
「それでいいのか?」
「初めてのことはなんだって楽じゃない。あなただってわかってるでしょ」
「君に会うまではそんなことは知らなかったけどな」
「お墓を掘ったから背中が痛いし、風邪もひいたの。それでもわたしは亀を埋葬してやらなきゃならなかった。その話はもうしたくない」
「君のやり方はうまくなかったぞ。動物か何かが君の墓を嗅ぎつけて、亀を食っちまっていた。まぁなんにしても神は君がしたことを喜んでくれるさ。骨を拾って穴のなかに入れておいた。ついでに君のために、墓標にペンキを塗っておいてやったからな」
わたしたちがそこに住んでいたあいだずっと、もしかしたらいまでも、すみずみまで入念にペンキが塗ってあるその小さな木の墓標は残っていた。
〈わが最初の亀、ここに眠る。ミス・“信仰心”L.H.〉
The End
(近日中に手を入れてサイトに全文をアップします)
三寒四温であと三日は暖かいのかな。
日曜は金剛山に登ってきました。
アイゼンつけて登った山頂の温度は、
なんとマイナス7度。手袋している指先が
痛くなるほどの厳しい冷たさでした。
亀ときいて思い浮かぶのは海亀(タイマイ)で、
ラブリーな動物というイメージでしたが、
この話の亀は不気味すぎ。
この悪夢のような亀の話には、
いまひとつ、ふたつ、みっつ、
ついていけませんでした。 ......