ハメットはわたしの腕をつかんで台所から外へ押し出すと、自分はライフルを取りに家の奥へ入っていった。戻ってくると、肉を一切れ亀の前に置き、自分は背後にまわりこむ。わたしたちは長いこと待った。とうとう頭が出てきて、肉をしげしげと眺めている。ハメットの銃が火を噴いた。鮮やかな手並みで、目のわずかに後ろを撃ち抜いていた。ハメットと亀のほうへ駈け寄ると、頭がひくひくと痙攣しながらも前へ進んでおり、前に飛び出そうとでもするように、脚は甲羅を運んでいるのだった。かがんで近寄ろうとすると、ハメットが警告した。「近くへ行っちゃいけない。死んでないんだ」
斧を取り上げたハメットは、首めがけて勢いよく振りおろし、皮一枚残して切断した。
「何か変だ。撃ったのに死なない、弾は脳を通過しているはずなのに。こいつは妙だ」
亀の尻尾をつかんでぶらさげると、ハメットは台所までの高い階段をのぼっていった。新聞紙を見つけて、亀をソーセージをつくる季節以外はたいして使っていない石炭ストーブの上に載せた。
「さぁ、スープ用の切り方を研究しなくちゃ」
ダッシュもうなずいた。「そうだな。だが、そいつは時間のかかる仕事だ。明日ということにしよう」
わたしはヘレンの部屋のドアの下にメモを置いた――その日はヘレンの休みの日で、ニューヨークへ行っていたのだ――。ストーブの上に亀がいるけれど、驚かないで。それからニューオリンズのジェニー叔母さんに電話をかけて、子供のころ食べたおいしいスープの作り方を教えて、と頼んだ。ところが叔母さんは、生きた亀なんかに近づくんじゃない、上品なレディのように、きれいな刺繍でもしてなさい、と言うのだった。
翌日、フレッドの搾乳を手伝いに、朝の6時に階下へ行ったのだけれど、台所の階段をおりて血を目にするまで、亀のことはすっかり忘れていた。そうして、その血は昨夜家のなかに亀を運んだときに垂れた血だと思って、納屋に向かった。8時に家に戻ってみると、ヘレンが朝ご飯は何にしましょうか、と聞いてくる。コーン・ブレッドを作ってるんだけど、それはそうとストーブの上の亀って、何のことなんです?
風呂に入ろうと二階へ上がりながら、わたしは返事をした。「書いたとおりよ。ストーブの上に亀を乗せてるの。噛みつき亀のことなら、小さいときに聞いたことあるでしょ」
数分後、ヘレンがあがってきて、バスタブに入っているわたしをじっと見た。「亀なんていませんよ。血がいっぱい落ちてるけど」
「石炭ストーブのほうよ。もう一回行って見てきて」
「何回も見ましたって。この家に亀が乗っかってるストーブなんてありゃしませんよ」
「ハメットを起こしてきて。いますぐ」
「そんなことしたくありません。殿方を起こすなんて」
わたしは台所まで走って行き、そのまま大急ぎでハメットの部屋まで上がると、揺り起こした。
「いますぐ起きて。亀がいないの」
ハメットは頭をまわして、こちらをまじまじと見た。「君は朝から飲み過ぎてるな」
「亀がいなくなっちゃったのよ」
すぐに台所におりたハメットは、ストーブをぽかんと見つめると、ヘレンに向かって言った。「床を拭いたのか?」
「ええ。どこもかもひどいもんでしたよ。階段を見てください」
地下室へ、そうして庭へと続く階段に、ハメットは目を走らせた。それからゆっくりと階段を降り、血の痕をたどって小径を抜け、そこから果樹園のまわりの道へ出た。わたしがこの家を買う何年も前にできた果樹園の近くには、広いロックガーデンがある。2000平米を越えるほどもあり、めずらしい木や植物が植えられ、家の玄関に向かって、ゆるやかにのぼっている。ハメットはそこから血痕にをたどると果樹園のまわりの道を進んだ。「昔、ピンカートン探偵社で働いていたころ、巡回郡農産物品評会の観覧車が盗まれたことがある。おれが一度は見つけたんだが、見失ってしまい、そのあとはおれの知っている限り、もう二度と出てこなかった、という話だ」
「亀は観覧車じゃないわ。だれかが持っていったのよ」
「だれが?」
「知らないわ。あなたの推理は?」
「亀が自力で逃げたんだ」
「そんなの変よ。昨夜は死んでたのよ。完全に」
「見ろよ」
ハメットが指さした先は、ロックガーデンだった。サルードと子犬が三匹、大きな岩の上に腰をおろし、茂みのなかの何かをじっと見ている。わたしたちはロック・ガーデンに急いだ。ハメットは子犬に、あっちへ行け、と命じ、茂みをかき分けた。亀が何とか動こうとにじりながら、茂みから向こうに行こうとしているのだ。頭は首の皮一枚で首からぶら下がっている。
「信じられない!」同時にわたしたちは声をあげ、立ちつくしたまま、大変な時間をかけてわたしたちから逃げだそうと一歩を踏み出す亀を見つめた。そこで亀の動きが止まり、後ろ足が硬直した。それまで息を潜めていたサルードが、突然、亀に飛び乗り、二匹の子犬もキャンキャンなきながらそのあとに続いた。サルードが亀の頭の血からしたたる血を舐めると、亀は前脚を動かす。わたしはサルードの首輪をつかんで、力一杯、岩の方へ押しやった。
ハメットは言った。「もう亀は噛みついたりしないさ。こいつは死んだんだ」
「なんでそんなことがわかるの?」ハメットが尻尾をつかんでぶら下げる。「それ、どうするの?」
「台所へ持っていく」
「湖に戻してやりましょう。自分の命をわが手で勝ち取ったんだもの」
「死んでるんだぞ。昨日から死んでたんだ」
「そんなことない。もしかしたら、昨日は死んでたのかもしれないけど、いまはちがう」
「復活とでも言いたいのか? 元カトリックっていうのは厄介だな」そう言いながら歩いて行く。
ハメットのあとについていくと、台所に入り、亀を大理石の厚板の上へ放りだした。ヘレンが叫ぶ。
「大変! 神様、どうかわたしたちみんなをお助けください」
ハメットは肉切り包丁の一本を取り上げた。読んだ本を暗唱しているかのように、唇が動いている。それから脚を甲羅から切り分け、慣れた手つきで関節にそって解体していった。もう一方の脚に包丁が入ったとき、動いた。
台所を出たヘレンにわたしが言った。「わたしがここで動物の解体を手伝っているのはあなたもよく知ってるわよね。確かに殺すのがいや、なんてことは言いたくない。自分が殺した生き物を、何のためらいもなく食べてるような人間は。でも、これはちがう。わたしたちが触れちゃいけないものなの。命を自分で勝ち取ったのだもの」
ハメットは包丁をおろした。「わかった。じゃ、好きなようにしたらいい」
一緒に居間に入ると、ハメットは本をとりあげた。一時間後、わたしが口を開いた。「じゃ、命ってどうやって定義したらいいの?」
「リリー、そんな話ができるほど、おれはもう若くはない」
(この項続く:場合によっては明日最終回)
----【今日の懸案事項】-----
わたしは偶数月に髪の毛を切ることにしている。
自分でそう決めているわけではなく、二ヶ月すると、てきめんに朝起きたとき、アタマの毛のいろんなところがはねて、わたしにその時期を教えてくれるのだ。
美容院に行くのは好きではない。仰向けになってシャンプーしてもらうのは(顔に布きれさえかけられなければ)悪い気分ではないし、カットが終わって、「肩、凝ってますねー」などと言われながら、マッサージしてもらうのも(こんなにマッサージが気持ちいいのなら、今度マッサージに行ってみようか、といつも思うのだけれど、美容院から出た瞬間にそのことは忘れてしまう)とても気持ちがいい。
それでも、切ってもらうあいだ、美容師さんの相手をしてあげなければならないのは面倒だし、これまでに一度としてイメージしたようにカットが完了していたこともない。おまけにあとは家に帰るだけ、というのに、ワックスだのなんだのをつけてくれて、絶対に自分ではできないように、いい感じにツンツン立っていたりするのだ。それにしても、同じ立っているにしても、寝グセとまったくちがうのはどうしてなのだろう。だがそれも、自転車に乗って帰ると、家に着いたころにはくしゃくしゃになっているが。
翌朝、鏡の前に立つと、昨日見たヘアスタイルとまるで変わっているのに愕然とするのも、コマッタものだ。
しばらく伸ばしてみようか、とも思う。
だが、毎朝はねた髪の毛と格闘するのも、気が重いのだが、いちど、限界に挑戦してみるのも一興かもしれない。
斧を取り上げたハメットは、首めがけて勢いよく振りおろし、皮一枚残して切断した。
「何か変だ。撃ったのに死なない、弾は脳を通過しているはずなのに。こいつは妙だ」
亀の尻尾をつかんでぶらさげると、ハメットは台所までの高い階段をのぼっていった。新聞紙を見つけて、亀をソーセージをつくる季節以外はたいして使っていない石炭ストーブの上に載せた。
「さぁ、スープ用の切り方を研究しなくちゃ」
ダッシュもうなずいた。「そうだな。だが、そいつは時間のかかる仕事だ。明日ということにしよう」
わたしはヘレンの部屋のドアの下にメモを置いた――その日はヘレンの休みの日で、ニューヨークへ行っていたのだ――。ストーブの上に亀がいるけれど、驚かないで。それからニューオリンズのジェニー叔母さんに電話をかけて、子供のころ食べたおいしいスープの作り方を教えて、と頼んだ。ところが叔母さんは、生きた亀なんかに近づくんじゃない、上品なレディのように、きれいな刺繍でもしてなさい、と言うのだった。
翌日、フレッドの搾乳を手伝いに、朝の6時に階下へ行ったのだけれど、台所の階段をおりて血を目にするまで、亀のことはすっかり忘れていた。そうして、その血は昨夜家のなかに亀を運んだときに垂れた血だと思って、納屋に向かった。8時に家に戻ってみると、ヘレンが朝ご飯は何にしましょうか、と聞いてくる。コーン・ブレッドを作ってるんだけど、それはそうとストーブの上の亀って、何のことなんです?
風呂に入ろうと二階へ上がりながら、わたしは返事をした。「書いたとおりよ。ストーブの上に亀を乗せてるの。噛みつき亀のことなら、小さいときに聞いたことあるでしょ」
数分後、ヘレンがあがってきて、バスタブに入っているわたしをじっと見た。「亀なんていませんよ。血がいっぱい落ちてるけど」
「石炭ストーブのほうよ。もう一回行って見てきて」
「何回も見ましたって。この家に亀が乗っかってるストーブなんてありゃしませんよ」
「ハメットを起こしてきて。いますぐ」
「そんなことしたくありません。殿方を起こすなんて」
わたしは台所まで走って行き、そのまま大急ぎでハメットの部屋まで上がると、揺り起こした。
「いますぐ起きて。亀がいないの」
ハメットは頭をまわして、こちらをまじまじと見た。「君は朝から飲み過ぎてるな」
「亀がいなくなっちゃったのよ」
すぐに台所におりたハメットは、ストーブをぽかんと見つめると、ヘレンに向かって言った。「床を拭いたのか?」
「ええ。どこもかもひどいもんでしたよ。階段を見てください」
地下室へ、そうして庭へと続く階段に、ハメットは目を走らせた。それからゆっくりと階段を降り、血の痕をたどって小径を抜け、そこから果樹園のまわりの道へ出た。わたしがこの家を買う何年も前にできた果樹園の近くには、広いロックガーデンがある。2000平米を越えるほどもあり、めずらしい木や植物が植えられ、家の玄関に向かって、ゆるやかにのぼっている。ハメットはそこから血痕にをたどると果樹園のまわりの道を進んだ。「昔、ピンカートン探偵社で働いていたころ、巡回郡農産物品評会の観覧車が盗まれたことがある。おれが一度は見つけたんだが、見失ってしまい、そのあとはおれの知っている限り、もう二度と出てこなかった、という話だ」
「亀は観覧車じゃないわ。だれかが持っていったのよ」
「だれが?」
「知らないわ。あなたの推理は?」
「亀が自力で逃げたんだ」
「そんなの変よ。昨夜は死んでたのよ。完全に」
「見ろよ」
ハメットが指さした先は、ロックガーデンだった。サルードと子犬が三匹、大きな岩の上に腰をおろし、茂みのなかの何かをじっと見ている。わたしたちはロック・ガーデンに急いだ。ハメットは子犬に、あっちへ行け、と命じ、茂みをかき分けた。亀が何とか動こうとにじりながら、茂みから向こうに行こうとしているのだ。頭は首の皮一枚で首からぶら下がっている。
「信じられない!」同時にわたしたちは声をあげ、立ちつくしたまま、大変な時間をかけてわたしたちから逃げだそうと一歩を踏み出す亀を見つめた。そこで亀の動きが止まり、後ろ足が硬直した。それまで息を潜めていたサルードが、突然、亀に飛び乗り、二匹の子犬もキャンキャンなきながらそのあとに続いた。サルードが亀の頭の血からしたたる血を舐めると、亀は前脚を動かす。わたしはサルードの首輪をつかんで、力一杯、岩の方へ押しやった。
ハメットは言った。「もう亀は噛みついたりしないさ。こいつは死んだんだ」
「なんでそんなことがわかるの?」ハメットが尻尾をつかんでぶら下げる。「それ、どうするの?」
「台所へ持っていく」
「湖に戻してやりましょう。自分の命をわが手で勝ち取ったんだもの」
「死んでるんだぞ。昨日から死んでたんだ」
「そんなことない。もしかしたら、昨日は死んでたのかもしれないけど、いまはちがう」
「復活とでも言いたいのか? 元カトリックっていうのは厄介だな」そう言いながら歩いて行く。
ハメットのあとについていくと、台所に入り、亀を大理石の厚板の上へ放りだした。ヘレンが叫ぶ。
「大変! 神様、どうかわたしたちみんなをお助けください」
ハメットは肉切り包丁の一本を取り上げた。読んだ本を暗唱しているかのように、唇が動いている。それから脚を甲羅から切り分け、慣れた手つきで関節にそって解体していった。もう一方の脚に包丁が入ったとき、動いた。
台所を出たヘレンにわたしが言った。「わたしがここで動物の解体を手伝っているのはあなたもよく知ってるわよね。確かに殺すのがいや、なんてことは言いたくない。自分が殺した生き物を、何のためらいもなく食べてるような人間は。でも、これはちがう。わたしたちが触れちゃいけないものなの。命を自分で勝ち取ったのだもの」
ハメットは包丁をおろした。「わかった。じゃ、好きなようにしたらいい」
一緒に居間に入ると、ハメットは本をとりあげた。一時間後、わたしが口を開いた。「じゃ、命ってどうやって定義したらいいの?」
「リリー、そんな話ができるほど、おれはもう若くはない」
(この項続く:場合によっては明日最終回)
----【今日の懸案事項】-----
わたしは偶数月に髪の毛を切ることにしている。
自分でそう決めているわけではなく、二ヶ月すると、てきめんに朝起きたとき、アタマの毛のいろんなところがはねて、わたしにその時期を教えてくれるのだ。
美容院に行くのは好きではない。仰向けになってシャンプーしてもらうのは(顔に布きれさえかけられなければ)悪い気分ではないし、カットが終わって、「肩、凝ってますねー」などと言われながら、マッサージしてもらうのも(こんなにマッサージが気持ちいいのなら、今度マッサージに行ってみようか、といつも思うのだけれど、美容院から出た瞬間にそのことは忘れてしまう)とても気持ちがいい。
それでも、切ってもらうあいだ、美容師さんの相手をしてあげなければならないのは面倒だし、これまでに一度としてイメージしたようにカットが完了していたこともない。おまけにあとは家に帰るだけ、というのに、ワックスだのなんだのをつけてくれて、絶対に自分ではできないように、いい感じにツンツン立っていたりするのだ。それにしても、同じ立っているにしても、寝グセとまったくちがうのはどうしてなのだろう。だがそれも、自転車に乗って帰ると、家に着いたころにはくしゃくしゃになっているが。
翌朝、鏡の前に立つと、昨日見たヘアスタイルとまるで変わっているのに愕然とするのも、コマッタものだ。
しばらく伸ばしてみようか、とも思う。
だが、毎朝はねた髪の毛と格闘するのも、気が重いのだが、いちど、限界に挑戦してみるのも一興かもしれない。
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