陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

今日の出来事

2005-12-11 22:20:00 | weblog
-----【今日の出来事】------

普段、電車のなかではすいているとき以外は、積極的に電車に座らないことにしているわたしも、今日は帰りの電車でちょっと座りたい気分だった。ところがそういうときに限って席というのは空いていないもので、仕方がないから手すりにもたれて本を読んでいた。

ところが後ろで話しているおばさんたちがやかましい。
「ヨーグルトは身体に悪いのよ」
「え~、ほんま? カルシウム摂れるのとちがうの?」
「カルシウムは必要やけど、ヨーグルトは脂肪分が高いからあかんねん」
「そんなんより砂糖の方があかんのとちがうの」
と、何を食べたらどうなる、それからウォーキングは膝に負担がかかる、泳ぐと腰を痛める、日に当たると皮膚ガンになる……と延々と話は続く。

聞くともなしに聞いていたが、ふと思った。
こうした話をまとめるならば「生きることは身体に悪い」ということになるのではあるまいか、と。

 「喫煙はあなたにとって心筋梗塞の危険性を高めます」

電車の煙草の吊り広告の片隅にこういう表示が小さく書いてあったのだけれど、これを言うなら
 
 「生きることはあなたにとって健康を害する危険性を高めます」

という表示も加えるべきなのではないだろうか。

太っていることは、さまざまな疾患の誘因となる。
ダイエットすれば、摂食障害に陥る危険性がある。

健康によかれと思って、何かを食べると、そのうちそれが健康に有害とわかるかもしれないし、身体に悪いものを徹底的に避けると、それがストレスになるかもしれない。運動すると、逆にそのことがもとでどこかを悪くするかもしれない。

道を歩けば車が突っ込んでくるかもしれないし、看板が落ちてくるかもしれないし、穴に落ちるかもしれないし、日焼けするかもしれないし、犬に噛まれるかもしれない。歩くことによるストレスが加わって、自律神経がやられるかもしれないし、歩きながらいろんなことを考えて、鬱病になるかもしれない。

結局は、生きることはすべて身体に悪いのだ。
あたりまえだ。
わたしたちは生まれ落ちた瞬間から、死に向かって一歩一歩、歩いているのだから。

大事なのは、健康だけじゃない。食材としては「健康に悪」かろうがどうだろうが、人といっしょにいろんな話をしながら食べたり、飲んだりすることで、時間を共有すること、そうして、そのあと気持ちが高揚して、よし、がんばろう、と思ったり、ものの見方・考え方が変わることも、同じように大事なことだと思う。たとえ飲み過ぎたり食べ過ぎたりして、あとで後悔しなくてはならなくなったとしても、そういう時間を持てたということは、十分おつりがくるほどいいことであるはずだ。

まぁそのおばさんたちはとっても元気そうで、それはたぶん健康に関心があるせいじゃなくて、そんなふうに話ができる連れがいるからにちがいない。