陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

リリアン・ヘルマン 『亀』 その2.

2005-12-16 22:20:15 | 翻訳
 1940年の当時でさえ、ウェストチェスター・カウンティのその地方では、そんなに広い土地はどれほども残っていなかった。火曜日にそこを見たわたしは、『子狐たち』の印税で、木曜日には買っていた。一週間分の食料を買うお金さえ残らなくなることは知っていたけれど、気にもとめなかった。そこは邸宅と呼ばれていたけれど、家屋のほうは、19世紀風の格調高い庭園には似つかわしくないほど簡素なもので、だれもが120年間に渡って地所を所有していた一族、不動産屋の話によると、その後消息不明になった人々に、興味をかき立てられずにはいられない(ただこれは正確ではなかった。8、9年ほどして、16、7歳ぐらいの少年が、家を見せてもらえないか、とやってきたのだ。湖でピクニックをしてもいいですか、と。ここで生まれたのだという少年は、自分が生まれたのを記念して母親が植えたというサンザシの大枝を持って帰った)。

 最初の数週間のうちに客間のふたつを閉め切り、ツゲやめずらしい植物や乗馬道のことは放っておくことにした。ハメットが短編小説をふたつ売ると、わたしたちはすぐにペンキを塗り替え、わたしがそこで仕事ができるよう、部屋をしつらえ、納屋を修理した。農地を使いたかったので、固くて石ころだらけだからやめておくよう警告する声にも、耳を貸すつもりはなかった。わたしがドイツ系の若い農夫、フレッド・ハーマンを雇ったのは、会った瞬間、彼のひととなりがわたしのそれに近いと直観的にそう思ったからである。

ふたりで何年ものあいだ、朝六時から日が暮れるまで、疲労の限界まで、自分たちを追い込むほど働いた。計画は失敗したのも多かったけれど、うまくいったこともある。プードルを飼って売り(当時、流行っていたのだ)、利益が出たところで鶏のヒナを買った。映画版『子狐たち』の台本の収入で、牛とアスパラガスの苗を三千本買い、このアスパラガスは白く色を抜くと、大変な高値で売ることができた。わたし以外のものはいやがったけれど、カモとアヒルを異種交配させ、湖でバスとカワカマスの養殖をし、優良なブタを育ててかなりの収益をあげたけれど、キジの飼育でそれもすっかり失ってしまった。その一部でも回収しようと、なったばかりの巨大型トマトや子羊、コクのある未殺菌牛乳を売ったこともある。

だが、こうしたことのいっさいは、その場所を売らなければならなくなる前の良い時代、ハメットがマッカーシー時代に投獄され、わたしが下院非米活動委員会に召喚されてから、ハリウッドから締め出しを食う前のできごとだ。好きなことができた時代は、1952年に終わったのだった。

 そのころのことでは、ずいぶんさまざまな思い出がある。学んだけれど忘れてしまった多くのことがら、あるいはおぼろげに覚えていること。こうしたものは、忘れてしまったものよりなおさら悪い。昔は樹や鳥、野草や野菜、ある種の動物については、いまよりたくさんのことを知っていたような気がする。たとえばバターやチーズやソーセージの作り方。オオクチバスから泥臭い味を抜く方法。自分が取ってきた野草を、「あなたにもできる」と謳っている本の通りに煮て、みんなに吐き気を催させる方法。あのエレガントなマーフィ夫妻、ジェラルドとサラに、18世紀のレシピに従って調理したスカンクキャベツ(※北米産ミズバショウ)を出して、具合を悪くさせてしまったこともある。

 何よりもはっきりと覚えているのは、わたしがこの地所を買って初めての春のことだ。乗馬道からも雪は消え、納屋での朝の仕事もすんだので、わたしはサルードという大型のプードルと、四匹いるその子犬を連れて、湖まで早朝の散歩に出かけた。湖の対岸の、木の生い茂る小高い丘に来ると、サルードは立ち止まり、急に向きを変えると木立のなかへ走り込んだ。しばらくすると、道までじわじわと後退してきた。子犬を連れてわたしは湖の方へと先を急ぎ、口笛で呼んだ。ウッドチャックにでも気を取られているのだろうと思ったのだ。けれども振り返ってみると、サルードは道から動こうとしない。まるで大きく息を吸い込んだまま、固唾を呑んでいる、といったふうなのである。

呼んでも動こうとしない。こんどは命令口調で呼んでみた。これまで従わなかったことがない呼びかけだ。頭と前脚はわたしの命令に従ってこちらに視線を走らせたけれど、ふたたび向こうを向いてしまった。犬が麻痺したようになってしまうのを見たことがなかったので、そちらに戻りながら、ヘビが呪いをかけるという物語を思い出した。かがんで重たそうな枝と石を拾う。ヘビに出くわしたらどうしよう、と恐ろしくなった。サルードが変な吠え方をするので、木立に向かってサルードの頭越しに放ると、ついておいで、とサルードを大声で呼んだ。石が地面に落ちる音がしたとき、犬の目の前に重そうな動きで寄っていくものがある。いまにもヘビが襲いかかろうとしているにちがいないと思って、サルードのほうに駈け寄って首輪をつかんだが、サルードが重いので、転げるように離れてしまった。サルードはわたしの手から身を離すと、ゆっくりと物音のするほうへ近寄っていった。体勢を立て直したわたしが見たものは、優に90センチはある丸い甲羅が犬の脇を過ぎ、水辺に向かってゆっくりと進んでいる光景だった。大きな亀だったのだ。

 サルードは用心しながら亀のあとをついていき、わたしは犬とのろのろと動いていく甲羅という情景に度肝を抜かれて立ち尽くしていた。サルードが亀の前に飛び出して、前脚を出す。と、亀の顎がその足に食いついた。サルードは押し黙る。すぐに後ろへ飛びすさり、これまで聞いたこともないような苦悶の叫び声をあげた。わたしが動けるようになるまでどのくらいかかったのかわからないけれど、わたしは持っていた枝を亀の尻尾めがけて渾身の力で振り下ろした。すると亀はゆっくりと水の中へ沈んでいったのだった。サルードの脚はひどいことになっていたが、あまりに重くて連れて帰れない。フレッドを呼びに走って帰り、一緒に獣医のところへ運んでいった。一週間もすると、脚を引きずりながら歩くまでには回復したが、一生その状態は続いたのだった。

(この項続く)

----【今日の出来事】-----

今日は月に一度の定期検診の日。とくに大きな変化があるわけではないので、いくつか検査をしたあと、お医者さんと半ば雑談のような話をして、薬をもらいに行く。

病院の前の調剤薬局のカウンターでは、中年の男性が大きな声でなにやら文句をつけている。この薬を飲んでも、症状は改善しない、前の薬の方が良かったのに、という、薬剤師さんにしても仕方がないような話である。

それでも薬剤師さんは電話をかけて、男性の要求を伝え、ドクターと話をしていたが、結局そのまま、ということになったらしい。だが、男性の方は納得しない。それならなんで自分で言わないんだ、と思うのだが、ただ難癖がつけたいだけなのかもしれない。つけやすいところに難癖をつけている、ということなのだろうか。傍迷惑な話である。

さんざんぐちゃぐちゃ言ったあと、その男性がやっと終わって、わたしの名前が呼ばれた。

そちらに行くと、さんざんごねられていたその薬剤師さんだ。同じくらいの背丈だったので、ぱちんと目が合った。なんとなく、「大変でしたね」と言ったら、その薬剤師さんは、急に目がうるうるしてきて、涙をこぼした。わたしはすっかりうろたえてしまって、「いやー、文句って言うべき人のところじゃなくて、言いやすいところに言う人っていますからねー」みたいなことをもごもご言ったのだけれど、なんだかその薬剤師さんをわたしが泣かしたみたいになってしまって、ちょっと焦った。
鼻をすすりながら、なんとか薬の説明をしてくれようとするので、「大丈夫です、五年くらい同じ薬飲んでますから。あはは…」と無意味に笑って、お金を払って帰った。

なんでこういうとき、まともなことが言えないんだろう……。