彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

150年前:徳川家茂離京(4月21日)

2013年04月21日 | 何の日?
文久3年(1863)4月21日、徳川家茂と一橋慶喜が京を離れました。
慶喜の離京申請に対し、攘夷期限の確定という条件をあげた朝廷。これに5月10日との上奏を行った慶喜の答えに満足した朝廷が家茂と慶喜の離京を許したのが前日の4月20日だったのです。

4月21日、家茂と慶喜は竹田街道・鳥羽・淀城を経て石清水八幡宮に参拝しました。この後、石清水八幡宮で家茂が大坂に向かって出発するのを見送った慶喜は御所に参内して孝明天皇に拝謁して天杯や太刀を受けました。この時には攘夷の約束はしたが実現できなかったとの言葉と共に幕府の要職を辞職する決意を胸に秘めていたとされています。慶喜は翌22日に京を離れます。

一方石清水八幡宮から大坂へ向かった家茂は橋本から船に乗って淀川を下って大坂城に入りました。
この時、将軍警護として壬生浪士組が加わっています。もともと将軍警護の役割を担っていた浪士組が、やっとその任に就くことができたのです。
会津藩の記録では「浪士時ニ一様ノ外套ヲ製シ、長刀地ニ曳キ、或ハ大髪頭ヲ掩ヘ、形貌甚偉シク、烈ヲナシテ行ク。逢フ者皆目ヲ傾テ之ヲ畏ル」とあります。一様ノ外套はだんだら羽織の事だとされていますので、浪士組にとってはこの上ない晴れの日となったのです。