ヒイラギ日記 ~Holy Holly's Diary~

小粒でも ぴりりと辛い 博士な日々。

la musica

2008-09-22 22:40:22 | 芸能人ヒイラギ

ブロガー友だちのBambooさんは、バランスが崩れてきたなぁというとき、
音楽のシャワーを浴びるという。
アウトプットばかりだと、がらんどうになっちゃうから、と。

贔屓にしている指揮者の背中と息づかいとタクトの先を追っていると、
描かれている風景が、音の波間に絵巻物のように流れていく。
そういうとき、確かに、“がらんどう”が満たされていく感じがする。

なるほど、音楽って、人が生きていくのに必要なのだなぁ。

『100才バンザイ』というTV番組の録画を見る機会があった。
中にふたりだけ、せいぜい80才前後にしか見えない100才がおられた。
大阪在住のおばあちゃんは山田耕筰に師事した現役の声楽家、
生まれも育ちも神田のおじいちゃんは、
三味線を爪弾きながら艶っぽい小唄を口ずさむ。

なるほど、音楽って、人を元気で長生きさせてくれるものなんだなぁ。

ヒイラギ・ハハがつけていた母子手帳の成長記録を見ると、
3~4才の基準線からぽぉーんと離れた1才半のところに、大きな丸印があった。
「歌をおぼえる」の欄だった。
1才半からずっと、音楽は、鼓動みたいに、いつもからだの中にあったらしい。

なるほど、音楽って、少なくともヒイラギにとって生きる本能だったのかもしれない。
だから、古い音楽ほど、奥深くまで響くのだ。

そんな音楽を、ただ伝えていかなければという思いひとつで、
生涯をかけて伝承してきた先人たちがいる。
それを受け継いだわが師匠もまた、腕一本で生きてきた音楽家だ。
古からの流れを途絶えさせぬよう、自分に何ができるのだろうか。

奥深くまで響き、人の感性に染み入っていくような、
そんな音楽を今の世に新たに生み出してくれる人もいる。
大きく花開かせてあげたいと思うような豊かな才能を感じさせる若き音楽家だ。
後世に名を残してもらえるよう、自分に何かできるだろうか。

こういう人たちが音楽という宝を持ち腐らせずに済むような、
寛容で磐石な文化的土壌こそ、
これからのニッポンには必要だ。

コメント
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