どーも、プーカプカです。
最新のHbA1cが6.5になったけど、その二か月前には9.0だった事が発覚した、と記しました。
9.0になる前は、6.0を挟んだ攻防で、糖質摂取量をガチガチに管理すると5.8とか。ゆるめると6.3とか。そんな感じ。
なぜ、9.0になるまで途中で摘発できなかったのでしょう。
それはね。
心が負担に思うあまり、検査を受けなかったからなんですよ、奥さん<だれ
その年、1月の検査ではHbA1c5.8を記録したものの、四十肩で睡眠時間2時間とかいう暮らしも長期化して、手指の異常もあったりして、内科的な検査や整形外科も色々調べて、ともかく今の普通の診療ではどこも異常は無く、ただただ炎症反応があるだけ…
そういう状態でした。
もうこれ以上、ドクターショッピングして「異常ないですよ、痛いのはココロの病」みたいな発言されたくないし、内科的には膠原病などのおそれもないとハッキリしており、主治医は「発熱とかで受診するタイミングで血液検査したらよろし、今のHbA1c5.8やと、4~5か月ごとでも充分や」というし、行くたびに痛いツラい訴えるのも、もうその事について誰ともナニも話し合いたくない。
そんな春以降を過ごしたのです。
暑くなる前頃から目まいやフラツキ、特に体の向きをサッと変えるとか、起床時とか、度々コケて怪我したりもして。
仕事以外、完全に引きこもり。11月に理化学研究所で調査対象に加えてもらった時、6kg太ってました。
そしておそらく、本格的に更年期に入ったと存じます。
あんなに丈夫だった骨が、骨量2割不足と判定もされ、閉経期に一気に増えるらしいコレステロールは、かろうじて平均ゾーンにぶらさがってましたが…
食生活は大きく変えてないのは、ブログの記録を見ると分かります。
金曜の夜から月曜の朝まで完全引きこもりによる急激な体重増加
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更年期
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睡眠不足
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常に痛いストレス
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炎症反応
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それでも未だきちんとした人間として生きて行かなアカンのかという、何に対してなのか不明なでも顕著な、沸き上がる怒り
ハイ、高血糖出来上がり
もうね、医療関係者とかかわるのもイヤだったんです。
苦しみぬいて、とおり越して、今は、痛みを感じた脳が暴走して、肉体的な痛みでは無いモノを根拠に痛みを感じる、という、医療関係者のいう「心の領域」の正体が、理解もできるし、消化もしたし、痛いという事実を受け入れて寄り添ってくれたヨガの先生の、脳のトレーニング(鏡を見て、痛くないほうの手を動かして、左右反対に映る様子を視覚的に見る事により、脳が、あ、もう痛くなくて、動かせるねんでって、警報を解除していく、という手順を踏む)などにより、沸き上がる怒りも淀川に流しました。
いま、自分は、糖質摂取量により血糖値ほか血液検査の結果をコントロールできておりますが、そのチェックにすら行けない状態に、身を置く日々がこようとは、想像もしてませんでした。
いつも深い自省をもたらす記事を届けて下さるホリデーさんのブログに、測定する理由が綴られております。(その1)(その2)
「ほんのちょっとの抑止力」と、ホリデーさんは結ばれているのですが、正直なところ、患者の心理的段階や他の疾患の有無によっては、医療関係者と関わる事すら怒りとストレスを感じる状態、というのが、実際にはあると存じます。
なので、HbA1c6.5まで戻せた事を戒めとして、クリニックに行きたくない行く事のほうがストレスを感じてしまう時は、今後、薬局店頭で測定できる制度を利用して、ともかく何らかのカタチで(自分は無投薬なので献血も可能だし)血糖値の評価を受ける、という事を課して参る所存です。
去年、自分に何が起こっていたのか、何を考えていたのか(考えられたなかったのか)、その分析と評価に踏み入る事は、HbA1c6.5になったからといって、すぐには着手できませんでした。
あまりに黒い話しだったので、未だに「ナニも起きてなかった」事に心がしたがっているのだと存じます。
やっと、だから血糖値が上がった、だから検査から遠ざかった、そういう振り返りができるに至りました。
この記事に結論やオチはありません。
ただただ事実の列挙です。
自分が自分に見せようとする或いは見せまいとする、何か、あるのに無いものにされてしまう何か、限界を超えた時にいかにも幸せそうに見せようと振る舞う、振る舞えてしまう人間というもの、失った一年が自分にとってどういう意味を持ち、この先何に繋がっていくのか、どのように逃げても立ち向かっても息を継ごうとも、今日を生きて明日を生きていかなければならない。
そんな人間の記録としてブログを綴っております。