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真夜中の血糖

どうやってケムニマコウか煩悩ちう。

この際、基礎疾患は関係が無く

2020年04月12日 | 喧噪の外で

どーも、プーカプカです。

 

自分に関しては、もうエェんですわの境地なんですわ。

人生でなすべきことは全て遣り終えたし

この後発症して死んだとしても最後まで社会の維持に尽くしたと

(少なくとも家族には)思って悼んで貰えるし

家の中もそこそこ片付いた(片付け=掃除、ではナイところがポイント~)

 

しかして、憂うことは感染終息後の世界を生きていく時に直面するであろう事態の数々…

自分の場合は1月末から(監督官庁からの感染者報告フォーマットを見せられてビビって)自粛しまくっており、

高齢身内の場合は2月下旬頃からかな、家に籠もる生活を。

若年身内は3月上旬からの、政府や自治体の動向に合わせて。

 

生活習慣が大きく寄与する疾患(我々はその最たるモノに罹っている)患者ふくめて、ご新規様も多数ゾロゾロと、自粛による悪化が、感染後に溢れかえることでしょう@自分含めて

ま、それもいいんですわ、生活態度を引き締めて対応できる部分も大きいコトなんで。

 

なんともイカンのが、高齢者の自粛おこもり生活による、会話数減(=口の筋肉低下)、脚力低下、判断力低下、無気力…

それらによって老いによる衰えが一歩も二歩も進んだ状態で、感染後の暮らしが始まったとして。

高齢者は、生活を律することで元の状態に戻れるかというと、これがまぁ絶対に無理!と、何人もの高齢身内を面倒みてきて実感せざるを得ない。

 

ウチの老親からして、先月下旬くらいから、おかしなコト言い出したり、えぇー!?という行動に出ている@ともに80歳超え

たとえばマスク用の不織布。

苦労してネットで購入できた分を実家に送ったら、見本の美しい手縫いマスクと共に、半分に切られた小さな不織布が付いてきた。

なんですのん、これ!?

と聞くと、貴重なものだから、鼻と口だけ覆うサイズに切って、2倍の枚数にした、と…

 

そんなもん、鼻の穴と唇に縫い付けておくならともかく、マスクの下で、会話しようもんなら(なんだったら呼吸してるだけでも)、小さすぎて口の中に吸い込んでまうサイズ…

実家に送った400枚を、せっせと(することないから)全てカットし終えたという。

鼻タカダカ

 

こ、こ、ここで怒ってはならぬのである。

怒りたいのはヤマヤマではあるけれど、怒ったところで自分がすっきりするだけで、老親に正しい行動をとらせることには繋がらないし、老親が「娘にエライこと怒られた!貴重な不織布を全部ダメにした!」と、精神の変調の端緒になっても、今は飛んで行って面倒みられないだけに、絶対に避けなければならない。

 

アンガーマネジメントの講座を、無理やり全社員に受けさせてくれた会社の人権問題委員会よ、アリガトウ

 

高齢身内たちの間には、このようなレベルの判断力低下や、徐々にあらゆる事をコチラに頼ってくる不安定さが既に発現している。

元々自立して暮らしていけてた人々が、これである。

既に身体機能がかなり低下していた場合や、ココロが遠い世界を行ったり来たりしていた場合であれば、介護レベル認定でいうと1も2も進んでしまった状態で、感染後の社会に生きるのではナイかと推察する。

 

感染症というのは、直接的にウイルスによる死だけにあらず、社会的に死に、尊厳的に離脱していく恐ろしい見知らぬ社会を構築しているのだな、と震える思いである。

自分に出来る事は全部する。

出来る事でしなかった事は無かったと。

そうし続ける事以外に、おのれを保ち、事後の社会で後悔に潰されないようにする自衛策を思いつかない。

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正解はある

2019年07月15日 | 喧噪の外で

どーも、プーカプカです。

 

運動については、四十肩の悪化以降、できる事しか出来ていませんが<いやいや最初から出来る事しかしてへん

運動、と、メンテナンス、は別モノ、というのをしみじみ~しみじみ~と。

メンテナンスって、ストレッチとか筋トレとかね。

 

あまり物事を断言したり、主義をブチ上げたりするのは、自分に合わない遣り方なのですが、メンテナンスは、はっきりいって、生活の質を上げます。

というか、ご褒美が多すぎます。

というか、さぼった後の罰が大きすぎます。

 

自分はこれまで、整形外科の理学療法と、リハビリ目的のヨガと、メンテナンス重視のバレエに関わって参りました。

整形外科は、医学的にアタマウチになったので、いつまでも医療保険で効果の無いレベルの施術を受けるわけにもいかず(日本はこのへん対費用効果の検証が緩いですが)

リハビリ目的のヨガが一番良かったのですが、先生が新しい事業に乗り出すので教室がクローズすることになり。

そして今は、なんとビックリのバレエ教室に行っております。

 

3人のカラダに関するプロと接してきて、分かった事は…

全員が、同じ事を云いよる

オリジナリティというのはナイのでせうか<ナイ

 

まず、動かさないのが最悪の対処法。(もちろん、急性期等の期間を見極める必要はあります)

そして、一生、死ぬまで、メンテナンス。

歩けなくなっても出来る事はたくさん。寝たきりでも最新のメソッドではストレッチさせられる。

 

自分のカラダに肩甲骨があることさえ知らなかった震える小鹿ちゃん<誰

いまや、同じ事を云われ続けてすっかりアタマデッカチのストレッチお化けになりました。

前述のプロ三人が云う、これまた同じ事は

1.呼吸を止めるな

2.観察せよ。その動作でカラダのどこがどう変化したか、血流がどう変わったか、変化を全て感じられるように意識を体内に向けて観察せよ

3.股関節。カギを握るは股関節(あーんど内転筋)

 

多分ねー

ストレッチや筋トレ始めたばかりとか、痛み苦しみツラさがそんなに無かったとか、だと、怪しい宗教のように感じるかもしれませんが…

ストレッチと筋トレで少しでも楽になって死ぬのをやめようと思うレベルで救われた感があったり、長年続けていて途中で辞めた時に初めて分かる全体の不調を経験してると、ウンウンそうだよねー、と納得のいく金言だと存じます。

 

肩周りの問題は、股関節の調整で、かなり変わります。

膝のトラブルは、股関節の調整に加えて、内転筋の強化で、膝を使わずに動作できるようになります。

お相撲さんやゴルファーなども、筋トレで腰痛をカバーしはりますが、ただただ日々を死なないように生きてるだけの庶民のプカであってさえも、内転筋と太腿周辺全般の強化で、生活がむっちゃラクになりました。

テレビ見ながら、太腿の付け根から左右を交互に上下する、ながら運動を30分ほどすると、駅や職場の階段とか、民家4階建て分くらの量であれば、息も切れずにサーっと上がれます。

これはプカの体格からいうと、周囲はビックリするようで…

ただしその最中も腕を吊ってる状態←世の中矛盾だらけ…

 

かつてヨガの先生は、肩と腕を使えないプカの為に、寝転んだままでお腹から下半身全体を筋トレする方法など、たくさんの知恵を授けて下さいました。

今のバレエの先生も、今の状態に合わせて出来る、或いはやるべき事を考えて下さいます。

 

色々な理想があって、出来る事や出来ない事があって、自分で考えて体験して方向を修正していって、その最中に借りるプロの手があり、励ましてくれるブログ仲間が居て、そういう暮らしを綴っています。

糖質制限を謳う一派

筋トレを絶対視する軍団

もっと厳しい食事制限で完治を目指すグループ

標準治療で生涯をカバーする現実派

どれもが望めば手を貸してくれるので、生きるのに絶望する前に、色んな事を体験して、納得して、自分が最も楽に呼吸できて、生きてる間は生きて行こうと思えるだけの自分メソッドを構築すれば、できれば、それはそのヒトにとっての正解なのだと存じます。

 

それにしても…全身麻酔で手術した身内高齢者、翌日から早速、筋トレ指導ですよ!

恐ろしい時代

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黒よりもなお

2019年04月08日 | 喧噪の外で

どーも、プーカプカです。

 

豆乳プリン を空き瓶に詰めてご出勤

冷ましている間にちょっと考えてみた。

 

理論的に、良いとされている事、積極的に取り組むとリターンが期待できると云われる事が、

  自分の生活能力ではできそうもない

  やってもいいけど限界超えてまう

  頑張って続けるとココロが壊れそうや

そんな場合が、自分の場合には多々あります。

おそらく、アイロンがけとか←ココロザシの低すぎるたとえ(笑)

 

たとえば介護食なんかだと、自分は90代祖母の介護に、週末担当としてローテーション入っていた時期があります。

実家の被災直前の話しで、大人3名が主たる介護者としてローテーション(うち2名は仕事しながら)

それでも恵まれてる方だったとは存じますが、ギリギリいっぱいでした。

 

特に、たいして料理のスキルもない自分が、普通の生活を送る大人を含めた全員分の食事を、1日3回、介護の合間に整える事は、なかなか努力のいったことでございました。

まぁ、まずは90代の祖母の食事が優先でしょう。

そして、同じメニューだけど嚥下の配慮は必要ない、でも充分に高齢(70代)で平日の介護に疲弊しきっている実父母の食事も、健康面で配慮したいわけで。

自分が座って食事する暇もないくらい、追いまくられてました。自分の家も維持しなくちゃならないし。

 

それで、今、余裕ができて振り返った時に、ああすれば良かった、こうすれば後悔も少なかった~と思う事はあるのですが…

あの時点での自分の人間のレベルとしては、出来る事は全部やったわけで、それ以上を求めても(たとえそのハードルを上げる要求が自己から出たモノだとしても)、無理だったと、アタマでは理解しています。

 

最近知ったのですが、、その介護食で、嚥下の問題をクリアにしつつも、楽しく食欲も沸くような素敵なスキルを、書籍化と共にネットで公開してくださっている方がいらっしゃいます。

希望のごはん(クックパッド)

希望のごはん(amazon)

もうね、ビックリ。泣けました。これだけのレベルを追求できるのか!という驚嘆と共に、あの時の自分には絶対できなかった、今の自分でも可能かどうか分からない、おそらく生活スキルが達していないと推測される自分の能力をみせつけられた感情も沸き…

 

とっても黒い感情が合成されました。

メラメラ

できねーんだよ

綺麗事なんだよ

迷惑なんだよ

くらいの勢いで。

 

自分が出来ない事を、しかもより良く正しく立派だとされる方向に、ちゃんとやって結果も出している人間が存在している。

そうした認識に直面した時に、自分と云う人間は、嫉妬、否定に至ったのです。中学生か

 

自分にとっては、たいへんに興味深い反応でした。

 

しかし同時に、今まで理解できずにポカーンと俯瞰していた事柄が、もしかしてこういう事なのかも?という思慮に至りました。

血糖値のコントロール業界?においては、自分が取り組む闘病のさまとは別に、それ以外の方法を選んだ人間をひにくったり、あてこすりしたり、嘲笑したり、時には直接攻撃したり、そういった事象が、他の分野よりも直接的に気づかされる形で、広く行われているように存じます。

これまでは、それを面白いとか、残念過ぎて目が離せないとか、ポカーンと見ていたのですが、或いは食行動と云うのはつまるところ生存をかけた政治なのだから覇権を巡って攻防が起きるのは必然?などとぼんやり考えていたのです。

 

しかし。

そういった攻防の発端は、もっと単純なコトだったのかもしれない。

 

自分の介護食のレベルに対する、黒い感情を自覚した事で、そのようにも感じました。

やる必要はモチロンないし強制もされていないけれど、明るく正しく幸せな方向に全力で向かっている何かの療法成功者を目にすると…

生活能力や家族環境などからそういうことが出来そうもないとウッスラ感じている場合に、落ち込むとかをすっ飛ばして、さっき自分が覚えたような黒い感情が合成されるのかも??

メラメラ

できねーんだよ

綺麗事なんだよ

迷惑なんだよ

 

この業界?における、一見、覇権を争っているかのような動きの裏に、人間というものが全然わかっていない自分には思いも至らないような、深い心理が潜んでいるのかもしれない。

そのよーに思ったら、血糖値コントロールで清く正しく強く明るい立派なヒトを眩しく思いながらも、自分にとっての残念組の思考もまた、他人事ではないのだ、ずっとずっと見守っていきたい、と。

そして、この自分もまた、いつの日にか、ダースベイダーに、ちゃう、ダークサイトに、それもちゃう

おこころ真っ黒クロスケ人間として生きて行くことが、イコール自分の心を軽くするっていう日が、やってくるかもしれないのであった。

 

などと浅い想像をしてしまうのは、やはり自分の側に深い人間性とか幅広い視点とかが備わっていないので、どうしたって現時点で自分がもっている視野でしか、何かを眺める事ができないからだと判っている。

それでもなお。

なお、そう思ってしまうのである。

自分もまた誰かにとっての「残念組」である事だけはよくよく存じているけれど。

 

黒はね。

真っ黒すぎるのはね。

ホコリとか劣化とか、お値段とか、すごく出ちゃう生地なのでね。

濃い目のグレーくらいで丁度いいかと存じておりますよ

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何が起こっていたのか

2019年01月31日 | 喧噪の外で

どーも、プーカプカです。

 

最新のHbA1cが6.5になったけど、その二か月前には9.0だった事が発覚した、と記しました

9.0になる前は、6.0を挟んだ攻防で、糖質摂取量をガチガチに管理すると5.8とか。ゆるめると6.3とか。そんな感じ。

 

なぜ、9.0になるまで途中で摘発できなかったのでしょう。

 

それはね。

 

心が負担に思うあまり、検査を受けなかったからなんですよ、奥さん<だれ

 

その年、1月の検査ではHbA1c5.8を記録したものの、四十肩で睡眠時間2時間とかいう暮らしも長期化して、手指の異常もあったりして、内科的な検査や整形外科も色々調べて、ともかく今の普通の診療ではどこも異常は無く、ただただ炎症反応があるだけ…

そういう状態でした。

もうこれ以上、ドクターショッピングして「異常ないですよ、痛いのはココロの病」みたいな発言されたくないし、内科的には膠原病などのおそれもないとハッキリしており、主治医は「発熱とかで受診するタイミングで血液検査したらよろし、今のHbA1c5.8やと、4~5か月ごとでも充分や」というし、行くたびに痛いツラい訴えるのも、もうその事について誰ともナニも話し合いたくない。

そんな春以降を過ごしたのです。

 

暑くなる前頃から目まいやフラツキ、特に体の向きをサッと変えるとか、起床時とか、度々コケて怪我したりもして。

仕事以外、完全に引きこもり。11月に理化学研究所で調査対象に加えてもらった時、6kg太ってました。

そしておそらく、本格的に更年期に入ったと存じます。

あんなに丈夫だった骨が、骨量2割不足と判定もされ、閉経期に一気に増えるらしいコレステロールは、かろうじて平均ゾーンにぶらさがってましたが…

 

食生活は大きく変えてないのは、ブログの記録を見ると分かります。

金曜の夜から月曜の朝まで完全引きこもりによる急激な体重増加

+

更年期

+

睡眠不足

+

常に痛いストレス

+

炎症反応

+

それでも未だきちんとした人間として生きて行かなアカンのかという、何に対してなのか不明なでも顕著な、沸き上がる怒り

ハイ、高血糖出来上がり

もうね、医療関係者とかかわるのもイヤだったんです。

 

苦しみぬいて、とおり越して、今は、痛みを感じた脳が暴走して、肉体的な痛みでは無いモノを根拠に痛みを感じる、という、医療関係者のいう「心の領域」の正体が、理解もできるし、消化もしたし、痛いという事実を受け入れて寄り添ってくれたヨガの先生の、脳のトレーニング(鏡を見て、痛くないほうの手を動かして、左右反対に映る様子を視覚的に見る事により、脳が、あ、もう痛くなくて、動かせるねんでって、警報を解除していく、という手順を踏む)などにより、沸き上がる怒りも淀川に流しました。

いま、自分は、糖質摂取量により血糖値ほか血液検査の結果をコントロールできておりますが、そのチェックにすら行けない状態に、身を置く日々がこようとは、想像もしてませんでした。

 

いつも深い自省をもたらす記事を届けて下さるホリデーさんのブログに、測定する理由が綴られております。(その1)(その2

「ほんのちょっとの抑止力」と、ホリデーさんは結ばれているのですが、正直なところ、患者の心理的段階や他の疾患の有無によっては、医療関係者と関わる事すら怒りとストレスを感じる状態、というのが、実際にはあると存じます。

なので、HbA1c6.5まで戻せた事を戒めとして、クリニックに行きたくない行く事のほうがストレスを感じてしまう時は、今後、薬局店頭で測定できる制度を利用して、ともかく何らかのカタチで(自分は無投薬なので献血も可能だし)血糖値の評価を受ける、という事を課して参る所存です。

 

去年、自分に何が起こっていたのか、何を考えていたのか(考えられたなかったのか)、その分析と評価に踏み入る事は、HbA1c6.5になったからといって、すぐには着手できませんでした。

あまりに黒い話しだったので、未だに「ナニも起きてなかった」事に心がしたがっているのだと存じます。

やっと、だから血糖値が上がった、だから検査から遠ざかった、そういう振り返りができるに至りました。

 

この記事に結論やオチはありません。

ただただ事実の列挙です。

自分が自分に見せようとする或いは見せまいとする、何か、あるのに無いものにされてしまう何か、限界を超えた時にいかにも幸せそうに見せようと振る舞う、振る舞えてしまう人間というもの、失った一年が自分にとってどういう意味を持ち、この先何に繋がっていくのか、どのように逃げても立ち向かっても息を継ごうとも、今日を生きて明日を生きていかなければならない。

そんな人間の記録としてブログを綴っております。

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書いた事は自分にブーメランする

2018年10月28日 | 喧噪の外で

どーも、プーカプカです。

 

自分は、取捨選択の上で糖質摂取量による血糖値コントロールを実践していますが、糖質制限という手段への気持ちは、前に書いたとおりです。

メリットとしては、

●ノードラッグで済む

●投薬が無いので、食事時間に縛られない(=従前どおり働ける)

●投薬が無いので、低血糖を心配して血糖値を計測しなくてすむ

●医療費も血液検査代だけですむし、献血もできるので益々検査代節約ができる

 

ただし、続けるための条件としては、定期的な検査(献血含む)で、自分の取組みと体の反応を医師と連携して注視していく必要がある。

また、食事療法が成功しているからこその、血液検査が一見、全くの一般人のように中央値に出ているだけです。

これがステロイドパルス治療の必要な病気に罹患したり、意識不明でブドウ糖点滴を受けたりすると、ノードラッグは命にかかわる事も、自覚しておかなければならない。

 

総合的に勘案して、糖質制限が、サラリーマン生活期間では一番、自分にメリットがあると判断しております。

こういう判断が出来たのは、発病した時点で、患者として一番優位な立場だったから。

優位、というのは、糖尿病のコントロール方法に、先行者利益は無いと思うからです。

 

いつだって、一番新しい患者、一番新しい療法の実践者が、最もメリットを受けられる立場に居ると存じます。

多くの先陣たちが、人体実験を自らかってでて、たくさんの情報を、良い事も悪い面も含めて、公開してくださっています。

一番新しい患者は、後発者利益バッチリです。

 

ただ、先行者利益をガッツリ得たい群が、どの業界とも同じく少なからず存在しており、それが、糖質を摂る患者に対して、「じゃぁ癌で死ねばいーよ」とかいう、オモシロ発言に繋がっているようです。

医療者であれば、それは治療のイニシアチブを争っており、実践者であれば、患者業界?のオピニオンリーダーと認めさせようとしており、どういう社会でも起こってくる事象ではあると存じます。

 

医療者の、覇権争いは、それは普通に想像もできて、理解もできる事柄なのですが、患者側が同じように行動してしまう事は、自分には興味深いことです。

残念ではあるが、療法の種類を問わずに次々誕生するそういう群が居る事は、人間とはどういうものかを示唆しているように感じます。

 

患者側で、他者を貶めなければ自分の主張を展開できない強烈な残念なヒトというのは、糖質制限、肉体改造、その他含めて、一度は血糖値コントロールに成功した場合がそうなっているのがオモシロい。

ということは、自分もそうなり得るという事か。

 

たまたま見ていた、デンマークのテロに遭うドラマで、興味深い解説がありました。

戦場の兵士は、体内で(脳かな?)アドレナリンを放出させて、生き延びる術を行使するのですが、戦地への派遣を繰り返す、また激戦地で常に命の危険にさらされた場合、安全な母国に帰任した後も、アドレナリンを出す事をやめられなくなるそうです。

それがいわゆる戦争PTSDらしいんですが…

経験した事がないので実感わきませんが…

 

もし、真面目に血糖値コントロールと取り組んだヒトが居て、命の危険があるほど重篤だったとか、社会的立場が糖尿病という状態を許さない職種だったとか等、必死のパッチで、自分が信じた療法を実践して、ものすごく良好な状態、或いは寛解状態に至ったとしましょう。

その間、ずっと、アドレナリンが出っぱなしだったんじゃないのかな?

自分も、戦士の気分が抜けたのは3年目くらいになってから、やっとです。それまでずっとファイティングポーズでブログも書いていたような。

 

熟練兵士期間に突入して、平和になってみると、今度はつまんないんですよね。

自分は、3年目辺りから1日3食写真という、ハードなノルマを課して、気を引き締めたように記憶してます。

そうやって、ちょっとずつ、アドレナリン放出で己を鼓舞する事をやめていって、普通に暮らしていても普通に血糖値コントロールできるように、また、病にアタマと人生を乗っ取られないように、徐々にクールダウンしていきました。

 

それで冷静に思う事ができるようになったのですが、血糖値コントロールには、先行者利益など存在しておらず、常に、新しい闘病者、新しい療法が優位にあるのです。

先行者利益の存在を信じていて健康を得た人間であれば、もうイニシアチブを取れない事に我慢がならないとしても不思議ではありません。

しかし、常に、新しい考え方、新しい考え方をする患者、新しい自分以外の何かといったものに、アドレナリンを放出していても、周囲は残念感が増すばかりで、残念なヒトがどんなに良いことを云ったとしても、それは常々自分も実践しているように、周りは全力で逃げるだけの対応がごく普通の反応かと存じます。

 

新患では無くなった患者は、血糖値のコントロールが良いのであればある程、自分がアドレナリンを放出していないか、病に人生を乗っ取られていないか、別の側面から見つめ直す必要があると、ひしひし感じております。

まるで会社のお局様みたいやな。

あ、どっちもそれはまさしく自分のことやった

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突き刺さった

2018年10月07日 | 喧噪の外で

どーも、プーカプカです。

 

IgA血管炎っぽい発疹に見舞われて安静中のプーカプカでございます。

今朝の発疹の状態は、全盛期?の1/10くらい。確実に収束方向へ。

今日は、安静にしながらヨガをする、という中々ハードルの高いミッションが

 

ヨガを中止するとなると、今度は四十肩を起因とする体の痛みで、少ない睡眠時間がもっと少なくなるという…

発疹は殆ど目立たない状態なので、足首までのスパッツと長袖トレーナーで、周囲に不安を与えない服装で頑張りますぅぅぅ

 

ところで、安静中に、溜まったテレビ録画を(主に10倍速で)すっ飛ばしながら見まくりました。

そのうちの1つに、NHK朝のテレビドラマ初の、地上波お昼再放送「カーネーション」があります。

デザイナーのコシノ3姉妹のお母さんの人生をドラマにしたものです。

朝ドラ史上で最も優れた脚本だという評判の作品でした。

 

夕方に2本まとめて放送が始まったのは、随分昔…

相撲場所やら高校野球やら国会中継やら、その度に放送が2~3週間中断されて、進みよらへん

今やっと、コシノ3姉妹がデザイナーとして何とかモノになってきて、主人公である、姉妹のお母さんも老境に差し掛かり、自分の洋裁店からの引退も考え始めたところ。

 

それで、同じ洋裁業仲間が、若い子(コシノ3姉妹とか)と一緒に、あれこれチャレンジしては撤退して…というのを、お母ちゃんは自分の店でど~んと昔ながらの商売からブレず、眺めていて、云うわけ。

 

「ほれみたことけ!せやから言うたやろ」

(お母ちゃんは岸和田の人なので、言葉遣いがこのようなんです)

 

お母ちゃんと同い年の失敗おやじ(そこそこ成功はしてはります)は、それ聞いて、ちょっと引く。

思わず、惚れているハズのお母ちゃんに、云うてまう。

 

「ほれ見た事か!? これから人生、そればっかりで生きて行くつもりやろ」

 

あぅあぅあぅ

ものスゴ、ブッ刺さりましたぇ

 

中高年後半にならんと刺さらへんかなぁ?

刺さり過ぎて、出血多量で死ぬかとおもたわ。

 

正直、人生でも、仕事でも、闘病でも、自分のやり方で一定の成果を得て、それを評価して頂ける場面もあって、自分とは違うやり方の人間に対し、イラっとしたり、時間がアナタを変えるだろうと思ったり。

言葉として「ほれ見た事か」は使いはしないものの、気持ちとしては、中高年後半ともなると、多かれ少なかれ、いろんな場面で若い人達に対してとか、アタマおかしいんとちゃう?な近所の人とか、職場の煮ても食えない同僚とか。

思うてまうやん

 

だから云うたやろ と ズルイ という種類のコトバに対する嫌悪感いうのんは、ブログでもぶった斬った事がありましたが、態度としての「ほれ見た事か」もそれらと同類だと存じます。

存じました!!

 

これからの人生、そのよーな、自分にとって大変厭らしい人品とも感じたような態度は、おのれに厳に謹んで参る所存にございます。

もしかしたらブログにも、そのよーな態度が滲みでとったかもしらへん。

堪忍してやー

 

特に、リアルで顔を合わせる事の無いネットにおいては、文字が全てで、書けば書くほどに、自分では隠したい人品の厭さというものが、垂れ流しになってしまいます。

多くを書き連ねてきた自分もまた、例外ではございません。

今後、特にブログ上においては、

 ・不賛同の意見の例として、他者を引き合いに出さない

 ・自分がやっていない取組みを小馬鹿にしない

 ・自分の意見を肯定する手法として、他を否定してみせるという手段に依らない

 ・自分もまた、いつか意見を変え(厚生労働省のコレステロールに対する見解と同じように)、歳月の判断を受け入れて、別の道を歩くかもしれない、という事を忘れずにおく

など、特に病気のブログですから、わらにもすがる思いで検索しまくって辿り着く患者も居る、という点を忘れずに、常に新患さまへ綴った思いを自らにも戒めながら、また無駄に書き連ねていこうかと存じます。

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タイトルわ入力していません

2018年08月18日 | 喧噪の外で

どーも、プーカプカです。

今回は過激な内容なので、タイトルは入力していません。

 

先日、仕事から帰宅してテレビをつけた時に、なんだか凄い勢いの女性が、たくさんの高齢者相手に体操指導をしながら、

 

このカラダ以外で生きる道具ないから

 

と叱咤激励し、死ぬまで自分の足で歩くこと目指しす、ってのをやってました。

(既に番組で過去に放送した「きくち体操」との紹介でした。来週、第二弾を放送するそうです

 

このカラダ以外で生きる道具はない。

なんて

重い

鋭角な

言霊。

 

四十肩(ではないかもしれないと疑義が生じるほどの)苦しみに数年。

また、目に見えない「血糖の数値」という幻と闘う事を強いられて数年。

 

自分が一番恐ろしいと思っている、病の合併症(糖尿に限らず)について

もう一つの、合併症

という記事を書いた時に、読者様から頂いたコメントが、脳裏から離れません。

 

ご友人の亡くなる一週間前に会話された時のお気持ちを、綴って下さいました。

入れ物の体が朽ちてしまうから友は死ぬんだな
中身がこんなに健全でも死ぬしかないんだなと言う事でしたが

入れ物の手入れのために
中身がむしばまれるのはもっと深刻ですね

 

ここまで努力しているのこんなにも痛くてツラくて横になれなくて一晩10回以上起こされて連続して2時間以上は眠れなくて分断しても横臥が4時間超えてくるとそのあと半日は苦しみに悶えることになってそれでも出来る事は治療も運動も全てやったのに自分はもう入れ物が元に戻らないのかもうイイヤと思ってはいけないのか残りの高齢者身内全員看取るまで全力で働き続けなければアカンのかオマエラ何歳まで生きる気だ自分はもう明日死んでも悔いはないぞいつまで続くんだこの人生わ

くらいのコトを、もう200回くらいは思いながら暁を迎えました。

自分は未だ入れ物に対する執着がやめられません。

いつか、どこも痛くない日が自分を訪れるかもしれない、そう思う事をやめられません。

 

だから、「糖尿病のコントロール、寛解」を目指すのではなく、あくまでも「完治」というところに目標を定めてしまう患者が存在する事を、自分とは思想が違うとはいえ、そこまで苦しんで出した希望、結論なのだと理解はしています。

いつか、シレっと膵臓の機能が元に戻って、ホルモンのコントロールが出来るようになってるかもしれない。

百回、千回、泣いた人間には、そう思う権利があると存じます。

良いとか悪いとかではなく、思いが行動を支え、思いが人間を変えていくのを知っているからです。

 

いつか

どこも何一つとして

痛くない朝がやってくるかもしれない

今経験しているこの身体症状が、自分をどう変えていってるのか、そんな事に思い馳せながら今日も絶望の中で暁を迎えています。

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もう一つの、合併症

2018年07月05日 | 喧噪の外で

どーも、プーカプカです。

 

HbA1c13オーバーだったわけですが…

合併症らしき症状は出なかった事は、限られたお金で生きている自分には、大変にありがたい事だったと思うと同時に、だからこその血糖値コントロール生活を支えるモチベーションとなっています。

そんな血糖値叩き出してた頃も、痩せもせず(!!)、喉も乾かず(!!!)、手足もチクチクせず(!)、だるいもしんどいも眠いも物忘れも何にも無かった。

ただ、毎日怒り狂っていた(笑)←実家の被災の後始末…

 

3年以上が経って、もう新兵ではない熱狂期間を通過した中堅兵士として、思った事を記録しておく。

きっと、この先、気持ちが緩んだ時の己への戒めともなる事を期待しつつ。

 

糖尿病は、それ自体で死ぬことは稀で、重篤な状態となる時は、だいたいが合併症が原因です。

神経とか腎臓とか、色々云われているので皆さん理解は深いかと存じます。

しかし、最近の自分の考えでは、もうひとつの知られざる合併症があり、それに陥ると、生活の質が低下し、幸福感からも遠ざかっていくだろうと想像しています。

 

血糖値コントロールが人生を支配する事を唯々諾々と許して、生活を乗っ取られてしまう症状。

それが自分の恐れる合併症です。

 

何か一つの療法を、断言して、他を断罪したり。

他者を否定しないと、自分の意見を説明できなかったり。

自分以外の誰か(医療者含む)がやらなかった事で、自分がコレをアレを不利益を被っていると主張したり。

自分ひとり分の経験値を、全患者代表のように第三者全般に呼びかけ始めたり。

 

血糖値をコントロールすると信じている方法のためなら、何だってしてしまう。

立派に合併症だと存じます。

癌で亡くなった小林真央さんは、病気に乗っ取られた自分が本来の自分ではない、という事を、ブログ開始の理由の一つとして挙げておられました。

ひとは、病気と云う苦難の向こう側に垣間見える弱さ、苦しみ、もがき、そして小さな希望、そういうものに共感をし、共鳴に進み、チカラを貰ったと感じ、ありがたいと思っていくものだと、自分は信じています。

 

自分は物凄く強い人間だという自覚があります。

しかし、同じ病で訪れてくださるブログ主さんやコメント主さん達に、同じような強さは求めておりません。

個々のとまどい、苦しみ、悩み、そしてよろこび、ただ単に此処に居ますよというお知らせ、更には自分一人では思いもよらない心の有りようなど、見ず知らずのネットの闇の中の自分なぞに縷々与え続けてくれる、多くの読者によって、育てられております。

頭の中を、生きて行く過程を、人生の目的を、血糖値コントロールの前に屈服させることなく、まず自分の人生ありきで、そして読者の皆さんと共鳴しあっていける闘病を目指して、精進してまいる所存にございます。

 

ところで四十肩は、コレ、合併症だよね←毛細血管系と聞いたゾ

今夜は3時間は眠れるかな?

 

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また逢う日まで

2018年01月20日 | 喧噪の外で

どーも、プーカプカです。

 

自分が自分の状態である事を、わりと受け入れるタイプです。

●糖質制限すると、簡単に、劇的に、痩せる

 → スーパー糖質制限(1食20gの糖質量)でも全く痩せませんでした。

 

●糖質制限すると、動物性脂肪だらけの食事になる

 → なにその貧困な発想わ。そんな事にはなりません。

 

●糖質制限すると、コレステロール値が上昇する

 → 減りました。個体差が激しいようです。むしろ減った自分は、痩せなかった原因がそこにもあるのかも?ケトン体が作られにくいのだろうか。

 

●糖質制限すると、体臭が発生する

 → 発生しませんでした。匂いにうるさい専属臭気判定女子を抱えてチェックをお願いしております(笑)

 

●糖質制限すると、食べられるモノが限られる

 → わりと自由自在に食べてる気分です。主食さえ整えれば、普通の定食イメージの献立も可能です。

 

●糖質制限を選択するような人間は、自分を顧みないダメ人間である

 → 人間の何たるかを見ようとしない残念な発想に憑りつかれているお気の毒な方とは、縁を結ばないようにすることで、自分のペースで自分を顧みて生活をコントロールしてシアワセな気分で暮らすという、自分の生き方を、自分が最も支持しております。

 

自分、なんだよ、と思います。

個体差のある人間ですから、取り組みの結果も、思考の方向性も、他の人は自分とは違います。

今の自分の食スタイルは、現実の生活を何とかやりくりする為には、最もストレスなく効果最大限の手法です。

 

先日、震災の記念日でした。

昭和10年に、物理学者だった寺田寅彦の寄稿が発表されています。

(以下、寺田氏原稿引用)

「災難の原因を徹底的に調べて

その真相を明らかにして、

それを一般に知らせさえすれば、

それでその災難はこの世に跡を絶つ

というような考えは、

本当の世の中を知らない

人間の机上の空想に過ぎない」 

(引用終わり)

 

血糖値のコントロールには、これが正しくて、医者は学会は最新研究は、こう言ってんだよ!

とナイフを突き立てるモノイイをするヒトは

(たとえそれが標準治療だとしても、肉体の高度改造であっても、そして糖質制限推進もモチロンの事)

人間を知らない気の毒な方だと感じてしまいます。

 

病気ブログ村には、様々な手法で取組みながらも、個々に迷い苦しみ揺れ動きたまさか幸せを感じ何とかようよう己れと折り合いをつけながら生きている様を、誰に頼まれたワケでもなく、自らと同病者の為に綴っている、本当の人間の生活が集まっていると存じます。

自分の事を顧みましても、経験は偏見に勝つことが出来る、だから自然体で、自分のペースで、嘘の無い人生をここに広く知らせて参りました。

そんなブログもこれにて雲霧仁左衛門←意味不明

 

週末に入る前、職場の王子たちと話をしました。

彼らの抱えている不安、悩み、展望…

いよいよ自分の職業人生も地殻変動が始まったのだ、と実感せざるを得ません。

人間には余力3割が必要だ、という持論で労働して参りましたが、春先までは残電池ほぼナシで稼働して参ると存じますので、今後の更新は、血液検査の結果及び新しいメニューの開拓に限って運用して参ります。

 

ブログ開始以来、皆さまから頂戴した温かいコメント、いぢわるなチャチャ(笑)、そして人生をいきているんだと実感させて下さる皆様のお人柄に触れた事は、自分にとって大きな財産となりました。

大変感謝しております。

 

最後に、お気に入りの写真たちを。

タイカレー冷し麺

最初の1~2か月目の写真ですが…

このバナナリーフの皿は、ガシャン!と割ってしまい、今となっては思い出の一枚です(笑)

 

 

材料は、おからパウダー、水、きゅうり、マヨネーズ、缶詰とりささみフレーク( いなば食品)
アボガドを添えて。

 

朝日を受ける焼きサバとキュウリ

アホか…

 

鶏手羽元を煮込んだスープに、塩&コショウで、ラーメン気分。紀文糖質ゼロ麺の丸麺が合います。

 

イオンの棚ではなく、ウチの冷蔵庫です(爆)

糖質制限開始当初は、市販品に頼っておりました。

 

大正5年生まれの祖母。糖質食べまくって97歳の健康長寿で亡くなりました。

 6枚切食パンのトースト2枚(イチゴジャムとバターをテンコ盛り)
 雪印コーヒー牛乳(トーストの1/2枚は、これに浸して食べる…)
 りんご(1/2個)
 バナナ(1本)
 クッキー(2枚)

朝からコレで、最後まで血液検査はバッチリ良好でした…個体差って…遺伝って…

死亡原因の引き金となったのは、一人でマクドナルドに通うのを、家人に止められていたのに出かけてしまい、街で転倒。

今でも墓前にマクドナルドのポテトを供える事になってます@法事

 

健康状態ヤバいかも?と思い始めた中年期の頃の手作り弁当。

こういう食事に変えても、血糖値は悪化していったわけですね。

 

紀文糖質ゼロ麺の丸麺を使って、思い出のサラダスパゲティを再現。

レモン汁を少し入れる事で、グッと美味しくなります。

この頃から、普通の家庭料理に回帰していったかな。

 

高野豆腐をフレンチトーストにして、映画とか講義の日とかに持って行き始めました。

 

鶏むね肉ブームに乗っかって、鍋に放り込むだけで作りましたが、独り住まいの身には、一度に出来上がる量が多すぎて、続きませんでした…

冷凍したら、やわらかジューシーでは無くなるし、小さい胸肉だと仕上がりが硬くなるし。

 

正月だって、なんのその←1月第二週目に職場の定期健康診断が設定されています(涙)

 

高野豆腐をトーストして、サンドイッチにしていた頃。

この後、初めてのおから蒸しパン製作。

初作品。未だサイリウム未入手で、かなり喉につかえますが、一応膨らんでいます。

容器によって、熱伝導率が違うと分かり、色々と実験開始。

 

そして…

とうとう、自由に生きる事を発見します(笑)

 

容器を接地させない、など工夫を重ねて行き

安定して膨らみ始めました。

 

おから蒸しパンは、ほぼ完成系でしょうか。

 

サイリウムおから餅の世界に進出し…

この頃、世間?をどよめかせました。

詐欺です

 

炭酸水で焼く、という手法を発見。ふ、ふわふわ…

 

お好み焼も確立。サイリウムさまさま、であります。

 

蜂窩織炎による高熱。シックデイで高血糖値を叩きだす。病気の時は、卵とブロッコリーだ!!

たまご豆腐もオススメです。市販品でも糖質量が少ないですし、値段も安定していますし、病人でも食べやすいです。

 

経験の乏しいスイーツの世界へ。

この頃は、間食も手作り!に傾いており、出版物にも5~6点、レシピ提供いたしました。

 

そうそう、糸寒天は、思わぬヒット素材でした。

店頭では単価が高い商品になるので、ネットで1キロ買って、半年近くもちます。

糖質ゼロ麺やこんにゃく麺よりも、使い勝手がよく、自分の口には合いました。

 

一度、血迷って(笑) 百円ショップでミッキーのシリコン型を。

使用後に型の隅っこを洗い上げるのが大変過ぎて、お蔵入り…

実力に合わない物は続きません。

 

防災備蓄品も、日常たべている低糖質な食品を、少しずつ入れ替える体制にしました。

無調整豆乳はロングライフ商品なので、日持ちして便利です。

黄色い箱は高野豆腐ですね。これとインスタント味噌汁があれば、災害当初の4~5日は乗り越えられます。

 

焼きそば登場。

糸コンニャクを、一度熱湯で茹でコボしておくと、水分が出ません。

オイスターソース数滴+醤油+酢を混ぜてから、フライパンの焼きそばに廻し掛け、サッと火で煽ると、酢が飛んで、旨味が残ります。

 

水きりヨーグルトと、無調整豆乳、甘味料(エリスリトール等)でアイスも作りました。

これはヒット作でした。

 

お揚げさんスナックも、自分としては、完成度の高い(しかも簡単)なおやつとなりました。

 

雑煮問題も、サイリウムおから餅の登場でクリアー

うまいぞー

 

焼きおからパンが安定してからは、色々挟むの好きー

人んちにも、持って行って、自由にやっとります。

さばサンド、最強

 

そして、最後はこの一枚を。

激安スーパーの豚キムチ玉子。

糖質量が分からない惣菜として、唯一3年間も食べ続けましたが、結果はご覧のとおり。

 

自分独りでは、ここまでやって来られなかったと存じます。

皆様の叱咤激励に本当に感謝しております。

 

1月に受けた、職場の定期健康診断の結果は、バレンタイン前くらいに通知が来ると存じます。

HbA1c13オーバーを叩きだした年は、検査3日後の朝8時に、職場の電話が鳴りましたが、今年は掛かって来なかったので

その時は、数字を発表して、生活態度への戒めとしたいと存じます。

まだまだ見張ってね

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実はキレてました。

2018年01月01日 | 喧噪の外で

どーも、プーカプカです。

 

コメントをお寄せくださっている皆様に、お礼を申し上げます。

ブログを開始した時

そして続ける事を暫定的に決めた時

あくまでも自分の為の、年に一度の職場の健康診断で完璧な検査結果を得るための、いましめの意味しか持っておりませんでした。

 

はからずも、自分の創意工夫が(どんだけ食べるの好きやねん)、皆様からお褒めとお礼を頂くようになり、それまで想像もしなかった、

よそさんに感謝されると、自分も嬉しくて、そして頑張る原動力になる

いうコトを体感しました。

 

自分はそんな善良な人間では無かったハズ(笑)

そして、健康という点では(四十肩を除くと)成人して以降、最も絶好調で迷惑なパワフルな状態であるにもかかわらず、

ネットで褒められるという生ぬるい状態に依存して、大きな態度で、新患様に先輩ぶって、いつまでも同じ場所に留まっているのではナイか?

と、自問自答する昨年後半期でもありました。

 

本年は、仕事上、非常に厳しい処遇が予想され、自分の経験が役に立つような場面では無い中を過ごす事になろうかと存じます。

生活に集中できない時、どのように食生活を維持していくのか

これが自分の今年の課題だと存じます。

 

3食写真を日々更新、というスタイルを堅持するのか、不明ではございますが、日々の創意工夫が、どなたかのお役に立つのであれば、そしてその謝意を素直に自分の原動力にできる善良さが残っている限りは、何らかのカタチで、情報発信に務めて参れるよう、気持ちが向いております。

中高時代の恩師は、未だ幼いプカに向かって、このように仰いました。

普通の人が一番偉いんだよ。

普通なのに、一生を頑張って生きて行くから、凄い人とか大金持ちとかより、もっと偉いんだよ。

 

自分も含めて、日々健康と闘う普通の人間達が、七転八倒しながらも生きて行く、その喜びと悲しみとひとときの憩いこそが、全闘病ブログの存在する意義であり、癒しであると存じます。

皆様がくださったチカラの数々を、重みを、しかと受け止めて、期間限定糖質摂取量半減キャンペーン及び目指せマイナス4kg作戦の渦中に居るプーカプカから、お礼とさせて頂きます。

 

なんであんなに節制した食事してるのに、昨年後半で4kgも増えてんだよっ

元旦、めでたくもマイナス2.7kgとなりました。

チビである自分にとっては、体重が増えるのも、減るのも、食事量でいえば本当にちょっとの差なのかもしれません。

ちょっとの積み重ねが、恐ろしい結果を招く自分の身の上を、逆切れしてる場合じゃなく、思い知りましたので、あと10日間ほど頑張って、増えた分を帳消しにして職場の健康診断を無事に迎えたいと存じます

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