真夜中の血糖

HbA1c13.3からの、完全無投薬の血糖値コントロール

何が起こっていたのか

2019年01月31日 | 喧噪の外で

どーも、プーカプカです。

 

最新のHbA1cが6.5になったけど、その二か月前には9.0だった事が発覚した、と記しました

9.0になる前は、6.0を挟んだ攻防で、糖質摂取量をガチガチに管理すると5.8とか。ゆるめると6.3とか。そんな感じ。

 

なぜ、9.0になるまで途中で摘発できなかったのでしょう。

 

それはね。

 

心が負担に思うあまり、検査を受けなかったからなんですよ、奥さん<だれ

 

その年、1月の検査ではHbA1c5.8を記録したものの、四十肩で睡眠時間2時間とかいう暮らしも長期化して、手指の異常もあったりして、内科的な検査や整形外科も色々調べて、ともかく今の普通の診療ではどこも異常は無く、ただただ炎症反応があるだけ…

そういう状態でした。

もうこれ以上、ドクターショッピングして「異常ないですよ、痛いのはココロの病」みたいな発言されたくないし、内科的には膠原病などのおそれもないとハッキリしており、主治医は「発熱とかで受診するタイミングで血液検査したらよろし、今のHbA1c5.8やと、4~5か月ごとでも充分や」というし、行くたびに痛いツラい訴えるのも、もうその事について誰ともナニも話し合いたくない。

そんな春以降を過ごしたのです。

 

暑くなる前頃から目まいやフラツキ、特に体の向きをサッと変えるとか、起床時とか、度々コケて怪我したりもして。

仕事以外、完全に引きこもり。11月に理化学研究所で調査対象に加えてもらった時、6kg太ってました。

そしておそらく、本格的に更年期に入ったと存じます。

あんなに丈夫だった骨が、骨量2割不足と判定もされ、閉経期に一気に増えるらしいコレステロールは、かろうじて平均ゾーンにぶらさがってましたが…

 

食生活は大きく変えてないのは、ブログの記録を見ると分かります。

金曜の夜から月曜の朝まで完全引きこもりによる急激な体重増加

+

更年期

+

睡眠不足

+

常に痛いストレス

+

炎症反応

+

それでも未だきちんとした人間として生きて行かなアカンのかという、何に対してなのか不明なでも顕著な、沸き上がる怒り

ハイ、高血糖出来上がり

もうね、医療関係者とかかわるのもイヤだったんです。

 

苦しみぬいて、とおり越して、今は、痛みを感じた脳が暴走して、肉体的な痛みでは無いモノを根拠に痛みを感じる、という、医療関係者のいう「心の領域」の正体が、理解もできるし、消化もしたし、痛いという事実を受け入れて寄り添ってくれたヨガの先生の、脳のトレーニング(鏡を見て、痛くないほうの手を動かして、左右反対に映る様子を視覚的に見る事により、脳が、あ、もう痛くなくて、動かせるねんでって、警報を解除していく、という手順を踏む)などにより、沸き上がる怒りも淀川に流しました。

いま、自分は、糖質摂取量により血糖値ほか血液検査の結果をコントロールできておりますが、そのチェックにすら行けない状態に、身を置く日々がこようとは、想像もしてませんでした。

 

いつも深い自省をもたらす記事を届けて下さるホリデーさんのブログに、測定する理由が綴られております。(その1)(その2

「ほんのちょっとの抑止力」と、ホリデーさんは結ばれているのですが、正直なところ、患者の心理的段階や他の疾患の有無によっては、医療関係者と関わる事すら怒りとストレスを感じる状態、というのが、実際にはあると存じます。

なので、HbA1c6.5まで戻せた事を戒めとして、クリニックに行きたくない行く事のほうがストレスを感じてしまう時は、今後、薬局店頭で測定できる制度を利用して、ともかく何らかのカタチで(自分は無投薬なので献血も可能だし)血糖値の評価を受ける、という事を課して参る所存です。

 

去年、自分に何が起こっていたのか、何を考えていたのか(考えられたなかったのか)、その分析と評価に踏み入る事は、HbA1c6.5になったからといって、すぐには着手できませんでした。

あまりに黒い話しだったので、未だに「ナニも起きてなかった」事に心がしたがっているのだと存じます。

やっと、だから血糖値が上がった、だから検査から遠ざかった、そういう振り返りができるに至りました。

 

この記事に結論やオチはありません。

ただただ事実の列挙です。

自分が自分に見せようとする或いは見せまいとする、何か、あるのに無いものにされてしまう何か、限界を超えた時にいかにも幸せそうに見せようと振る舞う、振る舞えてしまう人間というもの、失った一年が自分にとってどういう意味を持ち、この先何に繋がっていくのか、どのように逃げても立ち向かっても息を継ごうとも、今日を生きて明日を生きていかなければならない。

そんな人間の記録としてブログを綴っております。

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書いた事は自分にブーメランする

2018年10月28日 | 喧噪の外で

どーも、プーカプカです。

 

自分は、取捨選択の上で糖質摂取量による血糖値コントロールを実践していますが、糖質制限という手段への気持ちは、前に書いたとおりです。

メリットとしては、

●ノードラッグで済む

●投薬が無いので、食事時間に縛られない(=従前どおり働ける)

●投薬が無いので、低血糖を心配して血糖値を計測しなくてすむ

●医療費も血液検査代だけですむし、献血もできるので益々検査代節約ができる

 

ただし、続けるための条件としては、定期的な検査(献血含む)で、自分の取組みと体の反応を医師と連携して注視していく必要がある。

また、食事療法が成功しているからこその、血液検査が一見、全くの一般人のように中央値に出ているだけです。

これがステロイドパルス治療の必要な病気に罹患したり、意識不明でブドウ糖点滴を受けたりすると、ノードラッグは命にかかわる事も、自覚しておかなければならない。

 

総合的に勘案して、糖質制限が、サラリーマン生活期間では一番、自分にメリットがあると判断しております。

こういう判断が出来たのは、発病した時点で、患者として一番優位な立場だったから。

優位、というのは、糖尿病のコントロール方法に、先行者利益は無いと思うからです。

 

いつだって、一番新しい患者、一番新しい療法の実践者が、最もメリットを受けられる立場に居ると存じます。

多くの先陣たちが、人体実験を自らかってでて、たくさんの情報を、良い事も悪い面も含めて、公開してくださっています。

一番新しい患者は、後発者利益バッチリです。

 

ただ、先行者利益をガッツリ得たい群が、どの業界とも同じく少なからず存在しており、それが、糖質を摂る患者に対して、「じゃぁ癌で死ねばいーよ」とかいう、オモシロ発言に繋がっているようです。

医療者であれば、それは治療のイニシアチブを争っており、実践者であれば、患者業界?のオピニオンリーダーと認めさせようとしており、どういう社会でも起こってくる事象ではあると存じます。

 

医療者の、覇権争いは、それは普通に想像もできて、理解もできる事柄なのですが、患者側が同じように行動してしまう事は、自分には興味深いことです。

残念ではあるが、療法の種類を問わずに次々誕生するそういう群が居る事は、人間とはどういうものかを示唆しているように感じます。

 

患者側で、他者を貶めなければ自分の主張を展開できない強烈な残念なヒトというのは、糖質制限、肉体改造、その他含めて、一度は血糖値コントロールに成功した場合がそうなっているのがオモシロい。

ということは、自分もそうなり得るという事か。

 

たまたま見ていた、デンマークのテロに遭うドラマで、興味深い解説がありました。

戦場の兵士は、体内で(脳かな?)アドレナリンを放出させて、生き延びる術を行使するのですが、戦地への派遣を繰り返す、また激戦地で常に命の危険にさらされた場合、安全な母国に帰任した後も、アドレナリンを出す事をやめられなくなるそうです。

それがいわゆる戦争PTSDらしいんですが…

経験した事がないので実感わきませんが…

 

もし、真面目に血糖値コントロールと取り組んだヒトが居て、命の危険があるほど重篤だったとか、社会的立場が糖尿病という状態を許さない職種だったとか等、必死のパッチで、自分が信じた療法を実践して、ものすごく良好な状態、或いは寛解状態に至ったとしましょう。

その間、ずっと、アドレナリンが出っぱなしだったんじゃないのかな?

自分も、戦士の気分が抜けたのは3年目くらいになってから、やっとです。それまでずっとファイティングポーズでブログも書いていたような。

 

熟練兵士期間に突入して、平和になってみると、今度はつまんないんですよね。

自分は、3年目辺りから1日3食写真という、ハードなノルマを課して、気を引き締めたように記憶してます。

そうやって、ちょっとずつ、アドレナリン放出で己を鼓舞する事をやめていって、普通に暮らしていても普通に血糖値コントロールできるように、また、病にアタマと人生を乗っ取られないように、徐々にクールダウンしていきました。

 

それで冷静に思う事ができるようになったのですが、血糖値コントロールには、先行者利益など存在しておらず、常に、新しい闘病者、新しい療法が優位にあるのです。

先行者利益の存在を信じていて健康を得た人間であれば、もうイニシアチブを取れない事に我慢がならないとしても不思議ではありません。

しかし、常に、新しい考え方、新しい考え方をする患者、新しい自分以外の何かといったものに、アドレナリンを放出していても、周囲は残念感が増すばかりで、残念なヒトがどんなに良いことを云ったとしても、それは常々自分も実践しているように、周りは全力で逃げるだけの対応がごく普通の反応かと存じます。

 

新患では無くなった患者は、血糖値のコントロールが良いのであればある程、自分がアドレナリンを放出していないか、病に人生を乗っ取られていないか、別の側面から見つめ直す必要があると、ひしひし感じております。

まるで会社のお局様みたいやな。

あ、どっちもそれはまさしく自分のことやった

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突き刺さった

2018年10月07日 | 喧噪の外で

どーも、プーカプカです。

 

IgA血管炎っぽい発疹に見舞われて安静中のプーカプカでございます。

今朝の発疹の状態は、全盛期?の1/10くらい。確実に収束方向へ。

今日は、安静にしながらヨガをする、という中々ハードルの高いミッションが

 

ヨガを中止するとなると、今度は四十肩を起因とする体の痛みで、少ない睡眠時間がもっと少なくなるという…

発疹は殆ど目立たない状態なので、足首までのスパッツと長袖トレーナーで、周囲に不安を与えない服装で頑張りますぅぅぅ

 

ところで、安静中に、溜まったテレビ録画を(主に10倍速で)すっ飛ばしながら見まくりました。

そのうちの1つに、NHK朝のテレビドラマ初の、地上波お昼再放送「カーネーション」があります。

デザイナーのコシノ3姉妹のお母さんの人生をドラマにしたものです。

朝ドラ史上で最も優れた脚本だという評判の作品でした。

 

夕方に2本まとめて放送が始まったのは、随分昔…

相撲場所やら高校野球やら国会中継やら、その度に放送が2~3週間中断されて、進みよらへん

今やっと、コシノ3姉妹がデザイナーとして何とかモノになってきて、主人公である、姉妹のお母さんも老境に差し掛かり、自分の洋裁店からの引退も考え始めたところ。

 

それで、同じ洋裁業仲間が、若い子(コシノ3姉妹とか)と一緒に、あれこれチャレンジしては撤退して…というのを、お母ちゃんは自分の店でど~んと昔ながらの商売からブレず、眺めていて、云うわけ。

 

「ほれみたことけ!せやから言うたやろ」

(お母ちゃんは岸和田の人なので、言葉遣いがこのようなんです)

 

お母ちゃんと同い年の失敗おやじ(そこそこ成功はしてはります)は、それ聞いて、ちょっと引く。

思わず、惚れているハズのお母ちゃんに、云うてまう。

 

「ほれ見た事か!? これから人生、そればっかりで生きて行くつもりやろ」

 

あぅあぅあぅ

ものスゴ、ブッ刺さりましたぇ

 

中高年後半にならんと刺さらへんかなぁ?

刺さり過ぎて、出血多量で死ぬかとおもたわ。

 

正直、人生でも、仕事でも、闘病でも、自分のやり方で一定の成果を得て、それを評価して頂ける場面もあって、自分とは違うやり方の人間に対し、イラっとしたり、時間がアナタを変えるだろうと思ったり。

言葉として「ほれ見た事か」は使いはしないものの、気持ちとしては、中高年後半ともなると、多かれ少なかれ、いろんな場面で若い人達に対してとか、アタマおかしいんとちゃう?な近所の人とか、職場の煮ても食えない同僚とか。

思うてまうやん

 

だから云うたやろ と ズルイ という種類のコトバに対する嫌悪感いうのんは、ブログでもぶった斬った事がありましたが、態度としての「ほれ見た事か」もそれらと同類だと存じます。

存じました!!

 

これからの人生、そのよーな、自分にとって大変厭らしい人品とも感じたような態度は、おのれに厳に謹んで参る所存にございます。

もしかしたらブログにも、そのよーな態度が滲みでとったかもしらへん。

堪忍してやー

 

特に、リアルで顔を合わせる事の無いネットにおいては、文字が全てで、書けば書くほどに、自分では隠したい人品の厭さというものが、垂れ流しになってしまいます。

多くを書き連ねてきた自分もまた、例外ではございません。

今後、特にブログ上においては、

 ・不賛同の意見の例として、他者を引き合いに出さない

 ・自分がやっていない取組みを小馬鹿にしない

 ・自分の意見を肯定する手法として、他を否定してみせるという手段に依らない

 ・自分もまた、いつか意見を変え(厚生労働省のコレステロールに対する見解と同じように)、歳月の判断を受け入れて、別の道を歩くかもしれない、という事を忘れずにおく

など、特に病気のブログですから、わらにもすがる思いで検索しまくって辿り着く患者も居る、という点を忘れずに、常に新患さまへ綴った思いを自らにも戒めながら、また無駄に書き連ねていこうかと存じます。

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タイトルわ入力していません

2018年08月18日 | 喧噪の外で

どーも、プーカプカです。

今回は過激な内容なので、タイトルは入力していません。

 

先日、仕事から帰宅してテレビをつけた時に、なんだか凄い勢いの女性が、たくさんの高齢者相手に体操指導をしながら、

 

このカラダ以外で生きる道具ないから

 

と叱咤激励し、死ぬまで自分の足で歩くこと目指しす、ってのをやってました。

(既に番組で過去に放送した「きくち体操」との紹介でした。来週、第二弾を放送するそうです

 

このカラダ以外で生きる道具はない。

なんて

重い

鋭角な

言霊。

 

四十肩(ではないかもしれないと疑義が生じるほどの)苦しみに数年。

また、目に見えない「血糖の数値」という幻と闘う事を強いられて数年。

 

自分が一番恐ろしいと思っている、病の合併症(糖尿に限らず)について

もう一つの、合併症

という記事を書いた時に、読者様から頂いたコメントが、脳裏から離れません。

 

ご友人の亡くなる一週間前に会話された時のお気持ちを、綴って下さいました。

入れ物の体が朽ちてしまうから友は死ぬんだな
中身がこんなに健全でも死ぬしかないんだなと言う事でしたが

入れ物の手入れのために
中身がむしばまれるのはもっと深刻ですね

 

ここまで努力しているのこんなにも痛くてツラくて横になれなくて一晩10回以上起こされて連続して2時間以上は眠れなくて分断しても横臥が4時間超えてくるとそのあと半日は苦しみに悶えることになってそれでも出来る事は治療も運動も全てやったのに自分はもう入れ物が元に戻らないのかもうイイヤと思ってはいけないのか残りの高齢者身内全員看取るまで全力で働き続けなければアカンのかオマエラ何歳まで生きる気だ自分はもう明日死んでも悔いはないぞいつまで続くんだこの人生わ

くらいのコトを、もう200回くらいは思いながら暁を迎えました。

自分は未だ入れ物に対する執着がやめられません。

いつか、どこも痛くない日が自分を訪れるかもしれない、そう思う事をやめられません。

 

だから、「糖尿病のコントロール、寛解」を目指すのではなく、あくまでも「完治」というところに目標を定めてしまう患者が存在する事を、自分とは思想が違うとはいえ、そこまで苦しんで出した希望、結論なのだと理解はしています。

いつか、シレっと膵臓の機能が元に戻って、ホルモンのコントロールが出来るようになってるかもしれない。

百回、千回、泣いた人間には、そう思う権利があると存じます。

良いとか悪いとかではなく、思いが行動を支え、思いが人間を変えていくのを知っているからです。

 

いつか

どこも何一つとして

痛くない朝がやってくるかもしれない

今経験しているこの身体症状が、自分をどう変えていってるのか、そんな事に思い馳せながら今日も絶望の中で暁を迎えています。

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もう一つの、合併症

2018年07月05日 | 喧噪の外で

どーも、プーカプカです。

 

HbA1c13オーバーだったわけですが…

合併症らしき症状は出なかった事は、限られたお金で生きている自分には、大変にありがたい事だったと思うと同時に、だからこその血糖値コントロール生活を支えるモチベーションとなっています。

そんな血糖値叩き出してた頃も、痩せもせず(!!)、喉も乾かず(!!!)、手足もチクチクせず(!)、だるいもしんどいも眠いも物忘れも何にも無かった。

ただ、毎日怒り狂っていた(笑)←実家の被災の後始末…

 

3年以上が経って、もう新兵ではない熱狂期間を通過した中堅兵士として、思った事を記録しておく。

きっと、この先、気持ちが緩んだ時の己への戒めともなる事を期待しつつ。

 

糖尿病は、それ自体で死ぬことは稀で、重篤な状態となる時は、だいたいが合併症が原因です。

神経とか腎臓とか、色々云われているので皆さん理解は深いかと存じます。

しかし、最近の自分の考えでは、もうひとつの知られざる合併症があり、それに陥ると、生活の質が低下し、幸福感からも遠ざかっていくだろうと想像しています。

 

血糖値コントロールが人生を支配する事を唯々諾々と許して、生活を乗っ取られてしまう症状。

それが自分の恐れる合併症です。

 

何か一つの療法を、断言して、他を断罪したり。

他者を否定しないと、自分の意見を説明できなかったり。

自分以外の誰か(医療者含む)がやらなかった事で、自分がコレをアレを不利益を被っていると主張したり。

自分ひとり分の経験値を、全患者代表のように第三者全般に呼びかけ始めたり。

 

血糖値をコントロールすると信じている方法のためなら、何だってしてしまう。

立派に合併症だと存じます。

癌で亡くなった小林真央さんは、病気に乗っ取られた自分が本来の自分ではない、という事を、ブログ開始の理由の一つとして挙げておられました。

ひとは、病気と云う苦難の向こう側に垣間見える弱さ、苦しみ、もがき、そして小さな希望、そういうものに共感をし、共鳴に進み、チカラを貰ったと感じ、ありがたいと思っていくものだと、自分は信じています。

 

自分は物凄く強い人間だという自覚があります。

しかし、同じ病で訪れてくださるブログ主さんやコメント主さん達に、同じような強さは求めておりません。

個々のとまどい、苦しみ、悩み、そしてよろこび、ただ単に此処に居ますよというお知らせ、更には自分一人では思いもよらない心の有りようなど、見ず知らずのネットの闇の中の自分なぞに縷々与え続けてくれる、多くの読者によって、育てられております。

頭の中を、生きて行く過程を、人生の目的を、血糖値コントロールの前に屈服させることなく、まず自分の人生ありきで、そして読者の皆さんと共鳴しあっていける闘病を目指して、精進してまいる所存にございます。

 

ところで四十肩は、コレ、合併症だよね←毛細血管系と聞いたゾ

今夜は3時間は眠れるかな?

 

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また逢う日まで

2018年01月20日 | 喧噪の外で

どーも、プーカプカです。

 

自分が自分の状態である事を、わりと受け入れるタイプです。

●糖質制限すると、簡単に、劇的に、痩せる

 → スーパー糖質制限(1食20gの糖質量)でも全く痩せませんでした。

 

●糖質制限すると、動物性脂肪だらけの食事になる

 → なにその貧困な発想わ。そんな事にはなりません。

 

●糖質制限すると、コレステロール値が上昇する

 → 減りました。個体差が激しいようです。むしろ減った自分は、痩せなかった原因がそこにもあるのかも?ケトン体が作られにくいのだろうか。

 

●糖質制限すると、体臭が発生する

 → 発生しませんでした。匂いにうるさい専属臭気判定女子を抱えてチェックをお願いしております(笑)

 

●糖質制限すると、食べられるモノが限られる

 → わりと自由自在に食べてる気分です。主食さえ整えれば、普通の定食イメージの献立も可能です。

 

●糖質制限を選択するような人間は、自分を顧みないダメ人間である

 → 人間の何たるかを見ようとしない残念な発想に憑りつかれているお気の毒な方とは、縁を結ばないようにすることで、自分のペースで自分を顧みて生活をコントロールしてシアワセな気分で暮らすという、自分の生き方を、自分が最も支持しております。

 

自分、なんだよ、と思います。

個体差のある人間ですから、取り組みの結果も、思考の方向性も、他の人は自分とは違います。

今の自分の食スタイルは、現実の生活を何とかやりくりする為には、最もストレスなく効果最大限の手法です。

 

先日、震災の記念日でした。

昭和10年に、物理学者だった寺田寅彦の寄稿が発表されています。

(以下、寺田氏原稿引用)

「災難の原因を徹底的に調べて

その真相を明らかにして、

それを一般に知らせさえすれば、

それでその災難はこの世に跡を絶つ

というような考えは、

本当の世の中を知らない

人間の机上の空想に過ぎない」 

(引用終わり)

 

血糖値のコントロールには、これが正しくて、医者は学会は最新研究は、こう言ってんだよ!

とナイフを突き立てるモノイイをするヒトは

(たとえそれが標準治療だとしても、肉体の高度改造であっても、そして糖質制限推進もモチロンの事)

人間を知らない気の毒な方だと感じてしまいます。

 

病気ブログ村には、様々な手法で取組みながらも、個々に迷い苦しみ揺れ動きたまさか幸せを感じ何とかようよう己れと折り合いをつけながら生きている様を、誰に頼まれたワケでもなく、自らと同病者の為に綴っている、本当の人間の生活が集まっていると存じます。

自分の事を顧みましても、経験は偏見に勝つことが出来る、だから自然体で、自分のペースで、嘘の無い人生をここに広く知らせて参りました。

そんなブログもこれにて雲霧仁左衛門←意味不明

 

週末に入る前、職場の王子たちと話をしました。

彼らの抱えている不安、悩み、展望…

いよいよ自分の職業人生も地殻変動が始まったのだ、と実感せざるを得ません。

人間には余力3割が必要だ、という持論で労働して参りましたが、春先までは残電池ほぼナシで稼働して参ると存じますので、今後の更新は、血液検査の結果及び新しいメニューの開拓に限って運用して参ります。

 

ブログ開始以来、皆さまから頂戴した温かいコメント、いぢわるなチャチャ(笑)、そして人生をいきているんだと実感させて下さる皆様のお人柄に触れた事は、自分にとって大きな財産となりました。

大変感謝しております。

 

最後に、お気に入りの写真たちを。

タイカレー冷し麺

最初の1~2か月目の写真ですが…

このバナナリーフの皿は、ガシャン!と割ってしまい、今となっては思い出の一枚です(笑)

 

 

材料は、おからパウダー、水、きゅうり、マヨネーズ、缶詰とりささみフレーク( いなば食品)
アボガドを添えて。

 

朝日を受ける焼きサバとキュウリ

アホか…

 

鶏手羽元を煮込んだスープに、塩&コショウで、ラーメン気分。紀文糖質ゼロ麺の丸麺が合います。

 

イオンの棚ではなく、ウチの冷蔵庫です(爆)

糖質制限開始当初は、市販品に頼っておりました。

 

大正5年生まれの祖母。糖質食べまくって97歳の健康長寿で亡くなりました。

 6枚切食パンのトースト2枚(イチゴジャムとバターをテンコ盛り)
 雪印コーヒー牛乳(トーストの1/2枚は、これに浸して食べる…)
 りんご(1/2個)
 バナナ(1本)
 クッキー(2枚)

朝からコレで、最後まで血液検査はバッチリ良好でした…個体差って…遺伝って…

死亡原因の引き金となったのは、一人でマクドナルドに通うのを、家人に止められていたのに出かけてしまい、街で転倒。

今でも墓前にマクドナルドのポテトを供える事になってます@法事

 

健康状態ヤバいかも?と思い始めた中年期の頃の手作り弁当。

こういう食事に変えても、血糖値は悪化していったわけですね。

 

紀文糖質ゼロ麺の丸麺を使って、思い出のサラダスパゲティを再現。

レモン汁を少し入れる事で、グッと美味しくなります。

この頃から、普通の家庭料理に回帰していったかな。

 

高野豆腐をフレンチトーストにして、映画とか講義の日とかに持って行き始めました。

 

鶏むね肉ブームに乗っかって、鍋に放り込むだけで作りましたが、独り住まいの身には、一度に出来上がる量が多すぎて、続きませんでした…

冷凍したら、やわらかジューシーでは無くなるし、小さい胸肉だと仕上がりが硬くなるし。

 

正月だって、なんのその←1月第二週目に職場の定期健康診断が設定されています(涙)

 

高野豆腐をトーストして、サンドイッチにしていた頃。

この後、初めてのおから蒸しパン製作。

初作品。未だサイリウム未入手で、かなり喉につかえますが、一応膨らんでいます。

容器によって、熱伝導率が違うと分かり、色々と実験開始。

 

そして…

とうとう、自由に生きる事を発見します(笑)

 

容器を接地させない、など工夫を重ねて行き

安定して膨らみ始めました。

 

おから蒸しパンは、ほぼ完成系でしょうか。

 

サイリウムおから餅の世界に進出し…

この頃、世間?をどよめかせました。

詐欺です

 

炭酸水で焼く、という手法を発見。ふ、ふわふわ…

 

お好み焼も確立。サイリウムさまさま、であります。

 

蜂窩織炎による高熱。シックデイで高血糖値を叩きだす。病気の時は、卵とブロッコリーだ!!

たまご豆腐もオススメです。市販品でも糖質量が少ないですし、値段も安定していますし、病人でも食べやすいです。

 

経験の乏しいスイーツの世界へ。

この頃は、間食も手作り!に傾いており、出版物にも5~6点、レシピ提供いたしました。

 

そうそう、糸寒天は、思わぬヒット素材でした。

店頭では単価が高い商品になるので、ネットで1キロ買って、半年近くもちます。

糖質ゼロ麺やこんにゃく麺よりも、使い勝手がよく、自分の口には合いました。

 

一度、血迷って(笑) 百円ショップでミッキーのシリコン型を。

使用後に型の隅っこを洗い上げるのが大変過ぎて、お蔵入り…

実力に合わない物は続きません。

 

防災備蓄品も、日常たべている低糖質な食品を、少しずつ入れ替える体制にしました。

無調整豆乳はロングライフ商品なので、日持ちして便利です。

黄色い箱は高野豆腐ですね。これとインスタント味噌汁があれば、災害当初の4~5日は乗り越えられます。

 

焼きそば登場。

糸コンニャクを、一度熱湯で茹でコボしておくと、水分が出ません。

オイスターソース数滴+醤油+酢を混ぜてから、フライパンの焼きそばに廻し掛け、サッと火で煽ると、酢が飛んで、旨味が残ります。

 

水きりヨーグルトと、無調整豆乳、甘味料(エリスリトール等)でアイスも作りました。

これはヒット作でした。

 

お揚げさんスナックも、自分としては、完成度の高い(しかも簡単)なおやつとなりました。

 

雑煮問題も、サイリウムおから餅の登場でクリアー

うまいぞー

 

焼きおからパンが安定してからは、色々挟むの好きー

人んちにも、持って行って、自由にやっとります。

さばサンド、最強

 

そして、最後はこの一枚を。

激安スーパーの豚キムチ玉子。

糖質量が分からない惣菜として、唯一3年間も食べ続けましたが、結果はご覧のとおり。

 

自分独りでは、ここまでやって来られなかったと存じます。

皆様の叱咤激励に本当に感謝しております。

 

1月に受けた、職場の定期健康診断の結果は、バレンタイン前くらいに通知が来ると存じます。

HbA1c13オーバーを叩きだした年は、検査3日後の朝8時に、職場の電話が鳴りましたが、今年は掛かって来なかったので

その時は、数字を発表して、生活態度への戒めとしたいと存じます。

まだまだ見張ってね

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実はキレてました。

2018年01月01日 | 喧噪の外で

どーも、プーカプカです。

 

コメントをお寄せくださっている皆様に、お礼を申し上げます。

ブログを開始した時

そして続ける事を暫定的に決めた時

あくまでも自分の為の、年に一度の職場の健康診断で完璧な検査結果を得るための、いましめの意味しか持っておりませんでした。

 

はからずも、自分の創意工夫が(どんだけ食べるの好きやねん)、皆様からお褒めとお礼を頂くようになり、それまで想像もしなかった、

よそさんに感謝されると、自分も嬉しくて、そして頑張る原動力になる

いうコトを体感しました。

 

自分はそんな善良な人間では無かったハズ(笑)

そして、健康という点では(四十肩を除くと)成人して以降、最も絶好調で迷惑なパワフルな状態であるにもかかわらず、

ネットで褒められるという生ぬるい状態に依存して、大きな態度で、新患様に先輩ぶって、いつまでも同じ場所に留まっているのではナイか?

と、自問自答する昨年後半期でもありました。

 

本年は、仕事上、非常に厳しい処遇が予想され、自分の経験が役に立つような場面では無い中を過ごす事になろうかと存じます。

生活に集中できない時、どのように食生活を維持していくのか

これが自分の今年の課題だと存じます。

 

3食写真を日々更新、というスタイルを堅持するのか、不明ではございますが、日々の創意工夫が、どなたかのお役に立つのであれば、そしてその謝意を素直に自分の原動力にできる善良さが残っている限りは、何らかのカタチで、情報発信に務めて参れるよう、気持ちが向いております。

中高時代の恩師は、未だ幼いプカに向かって、このように仰いました。

普通の人が一番偉いんだよ。

普通なのに、一生を頑張って生きて行くから、凄い人とか大金持ちとかより、もっと偉いんだよ。

 

自分も含めて、日々健康と闘う普通の人間達が、七転八倒しながらも生きて行く、その喜びと悲しみとひとときの憩いこそが、全闘病ブログの存在する意義であり、癒しであると存じます。

皆様がくださったチカラの数々を、重みを、しかと受け止めて、期間限定糖質摂取量半減キャンペーン及び目指せマイナス4kg作戦の渦中に居るプーカプカから、お礼とさせて頂きます。

 

なんであんなに節制した食事してるのに、昨年後半で4kgも増えてんだよっ

元旦、めでたくもマイナス2.7kgとなりました。

チビである自分にとっては、体重が増えるのも、減るのも、食事量でいえば本当にちょっとの差なのかもしれません。

ちょっとの積み重ねが、恐ろしい結果を招く自分の身の上を、逆切れしてる場合じゃなく、思い知りましたので、あと10日間ほど頑張って、増えた分を帳消しにして職場の健康診断を無事に迎えたいと存じます

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新患さまへ

2017年12月18日 | 喧噪の外で

どーも、HbA1c13オーバー発覚から1,060日目のプーカプカでございます。

 

コメント欄に、病名宣告を受けたばかりで、小鹿のようにブルブル震えていらっしゃる新患さまから、ご挨拶と頑張る宣言を頂いております。

懐かしい…

自分の場合、ブルブル震えたのは「出勤停止にしてくれるわぁ」という産業医との闘いに血がノボッテですが(笑)

 

糖質摂取量で血糖値をコントロールするって、こんなご飯です。

闘病の最初のほうの食事です。

HbA1c13から6台へ、一気に落ちた時なので、わりと厳格にやってました。

 

まじめな記事も(最初の頃はちゃんと)書いてました。

助けになった本

HbA1c13.3から6.0まで142日、そんな事は意味は無かったと判った件

どういう患者になるのか

 

この後、おからパウダーとサイリウムによる主食作りが一気に開花し、それとともにブログも脱線気味(笑)

人生を変えたおからパン

 

最強はコレだったな。

チーズケーキ風おからパン

 

おからパンの作り方はクックパッドにて絶賛公開中

 

もひとつの主食。

 

サイリウムおから餅、こんなに伸びまーーーす。

 

新患さまに、色々とうるさくウンチク垂れたりしません。

他人は(主治医も)貴方のペースを決める事はできません。

貴方なりの方法で、貴方らしい畏れと希望を持って、自身だけの特別な、他の誰とも違う病と人生が、この先に有るのです。

ひと足先に病を得て闘っている私たちの悩み苦しみ迷いの色々が、貴方の支えの一助になりましたなら、おかしな事になぜなんだかコチラにとっても非常に力に感じ背中を押され弱い気持ちをムーンと気張って生きて行けるので、その辺はモチツ・モタレツです。

いつの日にか、新患さまも、そうやって次の人達に背中を押し押される側になられますよう(=闘病、成功)、ネットの闇から祈っております。

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まぁ、うだうだ

2017年10月22日 | 喧噪の外で

どーも。たまには真面目にやるかプーカプカなのである。

 

日曜は市の委託を受けたボランティアで講義してる日なのだが、台風接近ということで、キャンセルになり、そうならば四十肩のストレッチヨガのクラスに←台風ぢゃ

ヨガの先生。

午後の時間を指定してきた。

行ってみると、生徒は独りだけ…

 

たいへん本当に全くもって有り難いことに、先生も以前からプーカプカの肩の過程を気にされていたのだが、グループレッスンだと、突っ込んだ話もできなくて…

普通の受講料で、みっちり個人レッスンをして下さった次第。

 

ヨガ、というと、ちょっと(というか、かなり東洋医学)寄りだと思うが、実の所、整形外科のリハビリスタッフの指摘と全く同じ言葉、そして、同じ場所へのアプローチ、さらには最終的にやらなアカン動作の完成系まで、西洋医学と同じ事を仰る。

では、何が違うのかというと、病院では、画像や数値で把握されない痛みの場合、ある一定限度を超えると、幻の痛みとか、精神科を薦められるのである。

ヨガの先生は、(まぁ、こっちは生徒だからね)痛いという事実をまずは受け止めてくれるのであった。

 

もちろん、受け止めて貰ったからといって、腕の痛みがぴたりと収まるワケでは無い。

しかし、である。

つらい時、無理な時、上を向けない時、その状態をあるがままで受容して貰えるかどうかの体験は、非常に違いを生んでくると思うのである。その後の姿勢に。

たとえ、脳が作り出した幻の痛みだとしても、事実ここに痛くて眠れないプーカプカが居るコトを受け止めて貰えた経験は、テキトーでいい加減な人間だった自分をして、今後、ともかくも「受け止めるヒト」として生きて行こう、という立派な決意をさせるほどに、感激させる事なのだった。

 

糖尿病医療学の第一人者である石井均先生は、既存の「糖尿病学」に対して、「糖尿病医療学」という領域の学問を提唱されています。

医師が、医学的に正しい事をタテに、患者に一方的に要求したり、説教したりしてスッキリするだけでは、糖尿病は治せない、という発想から「医療学」と仰っているようです。

 

だから、自分は、血糖値のコントロールが良いからといって、糖尿警察にはなりません。

自分が知っている正しいと思っている事を書いてスッキリする為だけに、ブログを利用する事は致さないつもりです。

読者の皆様からゆるーく褒めて頂いて調子に乗って糖質制限頑張っちゃって機嫌よく生きて行くために利用させて頂いている、という自覚を持って、それでもなお、受け止めるヒトとして、大きな気持ちで続けていけたらよいな…と敢えて書くということは、今、ちっちゃな気持ちでカッカしてるからか(笑)

 

●おまけ●

ブログ初期の頃、糖尿警察というテーマを何度か書きました(糖尿で警察に目を付けられた件について

「糖尿警察」という考え方が紹介されていた名著(石井先生も訳者の一人です)

amazon

 

石井先生の考え方と通じるような?ところのある医師の古いブログを、以前紹介しましたが(糖尿病警察vs糖尿病検察)、新しいブログに移られた先でも、興味深い記事を書かれています。

糖質制限食ブームの現代に“食べることの意味”を問う良書

 

血糖値コントロール人生 という大小の絶対を忘れずに、病にココロを支配されないように、あくまでも自分自身が血糖値の上に君臨するモンスターで居たいと存じます。

 

では、今からヨガのミッションの為に、台風の最中ですが、室内模様替え←今後は、腹に筋肉を付けることになった

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混ぜるなキケン

2017年09月13日 | 喧噪の外で

どーも、色々とプーカプカです。

 

他の方はどうか存じ上げませんが、自分は、血糖値をコントロールする為に、糖質摂取量を制限しています。

お金と、働き方と、社会及び家族に対して残ってる使命と義務の質量を考え併せて、自分にできる最も効果のある方法として、糖質摂取量の制限を選びました。

 

その過程においては、血液検査で評価を重ね、医学的に何ら問題の無い3年余を確認できております。

また、糖が無いとアタマが働かない、という議論も、糖質摂取量を制限して以降にサラリーマン人生で最も成果を上げた事で、それが偏見である事を体感しています。

「これまでやってきた仕事よりも、今後やる仕事のほうが、さらに進化した出来栄えのハズ」という意欲に翳るところはございません。

 

●生活を御しやすい

●医学的に問題の無い数年を数値で確認できている

●頭脳労働も益々盛んにして衰え知らず

 

これらの経験から、世間の「糖質制限の是非」論争には、心を乱したりしませんけれども、心配に思う事もあります。

糖質制限の是非論争に煽られて、情報から遮断されてしまう患者が居る点には憂います。

 

投薬治療でも、カロリー制限でも、肉体酷使でも、なんでもいいんですけど。

この病でいる限りは、そもそも、糖質摂取量と血糖値上昇の関係について数字を把握してないと、結局は患者本人が損をすることになって、そのツケは肉体で支払う…のではないかと憂います。

 

腎臓病患者が低タンパク質を学ぶのは当たり前のハナシ。

腎臓病患者が「タンパク質を摂らないと、健康を害する」という記事を読んで、じゃぁやっぱり低タンパク質は危ないじゃないか、タンパク質をしっかりとって運動とかカロリーとかで頑張る、と言い出したら、いやいやいやいやいやって思うでしょ。

タンパク質摂らないのは健康に悪いから、そもそも腎臓病患者に、タンパク質制限のハナシはしないでおこう、そういう考え方がある事も、伝えないでおこうっていう医療関係者が居たら、いやいやいやいやって思うでしょ。

 

(ここは、「うん、思う」とノリツッコミに付き合うのが人情といふモノでんがな)

 

糖尿病患者が低糖質を学ぶ機会を奪われるような事を避けるためにも、病人の糖質制限と、そうでない人の健康志向と、そしてダイエット手法としての糖質制限は、全部、別々に分けて議論されたい。

混ぜるな、キケン

 

などと思うのは、自分が

「全般的な健康は、志向していない人間」

かつ、

「糖質制限で体重が落ちなかった人間」

だから、そこの分野でカチンとくるんだと思う(笑)

だいたい、カチンとくるときは、図星とか、そういう時

 

そのカチンカチンカチンを乗り越えてでも、思うのである。

糖質制限に対するどんな議論が、患者から遠く離れたところでなされようとも、偏見は、経験には勝てない、と。

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