さぁて、午前でゴールデンウィーク的な日々は終わるのですが、じゃぁ食器棚カラになったかというと、
ゴールデンウィーク明けからのランチ、炊飯器チーズケーキを焼きまくり
空気抜きのトントンする回数が雑だったか、穴が大きい
1台でランチ4回分。3台焼いたので、まぁ5月中は足りるかな?
5月の準備はバッチリだ。
一つ前のブログで書いた食器棚をカラにする為の、押し入れと玄関収納の断捨離もバッチリだ<場所ちがーぅ
冬布団もバスタブで足踏み洗いして三日三晩乾かし、夏支度バッチリだ<毎朝寒いぞヲイ
なのにーなーぜー食器が一枚も減っていない
キッチン、1ミリも断捨離していなーい
そういうもんだよ、人生は<ちゃう
食器棚を搬出する前夜になれば、きっと、たぶん、おそらく、泣きながら段ボール箱に食器をタオルにくるんで詰めるさ。
そのための家じゅうのタオルというタオルを洗濯し直して、ふかふかに乾かしたさ。
ところで、自分の用事をする合間に、高齢身内プチ介護行脚にいそしんだのですが、移動の電車や駅周辺施設のあまりの人混み…
高齢身内から依頼されるゴールデンウィーク明けの同窓会温泉プラン申し込みだの(そしてこれが予約も混んでいる)
父が60年前に人事担当者として採用した当時のOL(その中の一人が母)達と、コロナ禍を経て「いつが最後になってもおかしくないから」と、ホテルで会食する手配…
どいつもこいつも「制限の無い暮らし」を謳歌しまくりやがって
ものすごーーーーーーーーーく、抵抗感があります。
そもそも仕事先からは、いまだ会食やめてくれ要請があり自由な行動ができない身なので、自分がそういうレクリエーション(死語?)に参加しないのは心理的に問題ないのだが…
身近な人々が隣県に友人たちと温泉旅行だ、10名で会食だ、そういうのがズドーンと心に重い。
2020年1月末には既に、感染した場合は10日間の行動履歴すべて尋問され監督省庁への報告フォーマットに記載され社内のあらゆる監視部門に縦覧されるコトを告げられており(人事部門、法務部門、安全衛生部門、対外広報部門、役員関連、危機管理部門…)
2年半近く、息を詰めるように生きてきたのに、ハイ~行動制限アリマセン~って言われても、ココロが付いていきません。
親が会食手配を依頼してきたとき、思わず、その日付から半月は実家へ行きませんから、と言ってしまった。
実のところは、高齢身内たちは今春から既に花見宴会やら、会食を再開させているので、今頃そんなこと言っても遅いのだが…
しかし明らかに「2~3県から集まった人々が会食をして喋り倒す場」に参加した家族と、親しく交われるかというと、仕事的にも無理~心理的にはもっと無理~
病んでいる。
このココロはいつの日か、健やかに、もとに戻れるのだろうか。
マスク外せ、と言われる日も恐ろしいが<なぜ
人的交流ウェルカム、という状況が生まれつつあるこの段階でこれだけの心の負担感を覚えている自分が、恐ろしい。
自分にとってはスタンダードとなってしまった距離感を、本来あるべき位置に引き戻すため、脳をアップデートするには、インプットした時間の3倍くらい必要だ。
しつこくしつこく過去の安全水域に固執する脳に比べて、この重苦しい気持ちは胸の辺りに生じるので、やっぱりココロとは心臓にあるのか
それともイカの筒焼きを食べた胃もたれか
過去のことはスグ忘れてしまう層と、しつこく覚えている層と、その時々に時勢に従う層が、ほどよくミックスされてこそ、種の存続が守られるとは思うけれども、社会で嫌われてババを引くのは
「しつこく過去を忘れない脳みそ」
なんだろうなぁ、と、片付かなかった食器棚を前に、これはもう
「モノゴトはすべて、前日になんとかなる」
ということを覚えてしまった小中学生時代の夏休みの宿題がすべて悪い、そーだそーだそうしよう<どうにもナリマセン