どーも、プーカプカです。
謎の連載を続ける「全然関係のない旅のハナシ」カテゴリー記事ですが(笑)
その昔、北京に十日間ほど滞在した事があり、帰国便で意識を失いました。
今なら隔離!どころか、飛行機から放り出されかねない!
帰国前夜、復興門駅前で夕暮れを迎えたプカは、早めに簡単な夕食を済ませた。
大きなどんぶり鉢に、野菜を煮込んだスープと、ワンタンが10個くらい入っている、庶民料理である。
注文したワンタンは、出来上がるのが異様に早かった。
良く考えればワンタンは生肉である。あんなに早く茹で上がっていいわけないのである。それを繊細な高等哺乳類であるプカが食べたらどうなるか?
その夜は海老のように体を曲げながら油汗をたらして一睡もできず、ずっと便器を抱え続け(高級ホテルでよかった!)
便器といっても、口からなのかお尻からなのかさえ3秒前まで判断つかない、なんなら耳の穴からでも吐きたい気分の、地獄の一夜
帰国便はムチャクチャ早いので、ホテルを五時半に出る。
それまでにこの腹痛が収まるのか、もう祈るしかないのだ。
ほとんど一睡もせず朝を迎え、それでも空港までの道のりを笑顔で乗り切り、なんとかチェック・イン・カウンターまでは無事であった。
しかし自腹崩壊がいつ襲ってくるかは、人類の英知を超えた計り知れない運命であるから、念の為
「我肚子痛、所以想坐在路辺、在厠所附近的(おなか壊してんねん、通路側で便所の近くに座らせてぇな)」
という恥も外聞もない要求を出して、歩いて二歩でトイレという座席を確保したのでした。
この時は、よっぽどゾンビのような顔をしていたらしく、評判の悪い空港職員ではあるが、地上職員も、出国ブースも、セキュリティも、この朝出会う人民は皆、めっちゃ親切に助力を申し出てくれた
しかし、「寝てない・食べてない・自腹崩壊を耐えている」三重苦の身。
機体の上昇と共に血管神経迷走反射を起こしてしまい、、手足が痺れて目の前が白くなって、なんだかヤバイ!と通りがかったスチュワードに
「在不在日本人空中小姐?」(日本人スタッフいてまへんか?)
と言ったとこまでは記憶がハッキリしてるんだけど、Tさんというその日本人スチュワーデスが飛んできて
「お客様、どうかされましたか?」
とかなんとか言ったに違いない部分は覚えて無くて、Tさんと一緒に空席の多い後方部分へ向かってなんとか通路を歩いている最中に、Tさんの
「きゃぁぁ、お客様!」
という叫び声を最後に、完全に意識を失ったのでした。
幸いにも一分くらいで意識は完全に戻り(Tさん談)
その間、パスポートの入った鞄を掴んで離さなかったらしい(笑)
経由地の上海までは、乗客は30名弱しか居なかったので、後方にベッドを作ってもらってずっと寝てました。
上海で医者に診て貰いたいか聞かれたが、ここまで来たら日本で診て貰っても大差ないし、上海着陸前から座っていられるようになったので、辞退。
評判の悪い中国の航空会社ではあったが、Tさん以下、この日出会う職員は皆、めっちゃ親切である(当たり前って?)
お詫びかたがたの会話で
「飛行機百回以上乗ってて、こんなの初めてです」
と言ったら、どんなに慣れていても、空腹だけはイケナイそうである。皆さんも気を付けるように。(ヒトに言えた義理かい)
中国は経由地で出国手続きをしなくてはならない。
ヨロヨロと飛行機を降りようとすると、中国人一族が心配して声をかけてくれた。
日本に住んでいる方々で、一人では心配だから付いて来い、と申し出て下さる。
この日出会う人々は皆、めっちゃ親切である(だからぁ・・・)
こうしてなんとか日本に帰ってまいりました。
当時の、街なかのニーハオトイレ。
扉がないので、会話しながら用を足せます。
今は、トイレ革命が進んで、近代的になっているそうですが、当時は1本の溝に皆でそこをまたいでしゃがむ、というトイレが北京市内にも残ってました。
近代化の早かった上海中心部でも、トイレが混雑してくると、個室に2人一緒に入って一緒に用を足しているヤングレディも居た(笑)
お腹こわしたらタイヘンですよね
●おまけ●
オリンピック記念?特別掲載 <やめとけ
旧国立競技場のこと書いた本を出す会社から、写真持ってるんだって?貸して~と二次使用依頼が来たトイレ。
女性用、立ち便器です。アメリカの大学院生寮に残っていた!
東京オリンピックの時に、女子選手が競技前や最中?に、素早く用を足せるように、何個か設置されていたんだって。
同じ造形かは分かりませんが…
何しに海外へ行っている(笑)
いつかまた、こういうお知らせをブログに上げて、更新(と血糖値管理)をご無沙汰したい…けど、今はぢっとおうちでマスク縫い縫い修行ちう。
嗚呼、何のブログ<いつもの