真夜中の血糖

HbA1c13.3からの、完全無投薬の血糖値コントロール
(最新HbA1c5.8/2018.1)

のどかな旅行記

2018年09月13日 | 全然関係のない旅のハナシ

どーも、プーカプカです。

 

ハリケーン・フローレンスがアメリカ東海岸を席巻しておりますが、以前、ムーミン好きの上司から「フローレンス」という呼び名を賜っていた、ムーミン体型のプーカプカでございます(笑)

こないだの台風で、ウチの近所の瞬間最大風速が47メートル。

それがそのまんま、大阪市内の最大風速になりましたが…

車が転がり、屋根がマンション8階だかのバルコニーから部屋に飛び込んで住人が亡くなり、そして関空の滑走路を魚が泳いで、1500億円もした関空連絡橋が壊されました。

 

ハリケーン・フローレンスは瞬間最大風速の予報が85メートルで、フィリピンの方にある台風22号も同じくらいの勢力になってます。

風速80メートル超って、想像もつかへん…

フィリピンのほうは、台風のなんたるかを悲しくもよーく知っている国民ばかりでしょうが、アメリカ東海岸は60年ぶりぐらいの、とニュースで云ってたので、対策の真剣さが足りるかしらん、とやや心配。

 

で、思い出したのが、今回の台風も通り道となる、大西洋海岸沿いの、無防備すぎる家とか。

もろ、崖の上って感じで、大西洋に面して家々が建てられているんです。

 

今で云う「民泊」みたいな、B&B(ベッド&ブレックファースト)で、好きな場所に朝ごはん用意するわよ、と云われた場所。

ぜーんぶ、大西洋どっか~んの崖の上。ほぼぐるりとガラス張り。

 

普通のおうちの部屋を旅行者に貸すんですが、この家では半地下が完全に独立してお客用になってました。

食事だけ、上の写真のように、家族と同じ空間で。

半地下といっても…

シャワー室やゲームルームもあって、日本で云う「民泊」とはちょっとレベルが違います。

ちなみに、庭先から崖のようになってる、どどーんと広がる大西洋では、アザラシが休憩中。

庭から降りて行けるようになってました。

が、この距離で崖と大西洋って、怖すぎる~

 

なんだか、このあいだから旅行記といえば、悲惨な目にあったハナシばっかりで、ちっとも楽しくなさそうですが、ちゃんと毎回、楽しいです<ホンマか

荷物が51kgあったので、ちょっとタイヘンだったが(笑)

スーツケース買えって感じですが

四十肩なおったら、旅行できるように頑張るぞぉ←もうじき五十肩に移行

次の旅行記は←書くのか

楽しい楽しい内容だけで。

多分、きっと、おそらく

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17年前から馬鹿

2018年08月31日 | 全然関係のない旅のハナシ

どーも、プーカプカです。

 

なんですか、全然関係ない記事として上げた、全裸旅行記とか台風しか登場しない旅行記が人気で←自分で云うな

シレっと旅カテゴリーを追加しました(笑)

 

またしばらく仕事ヒ~ってなって記事数減ると思うので、一番悲惨な事になったマレーシア建国記念日(8月31日)滞在記で、しばし、お愉しみ?下さいませ。

 

 

まず、前提として。

「マレーシアの空港で殺されるかと思った」
「マレーシアのホテルで死ぬところだった」

というのは、旅人のあいだではよく聞かれるセリフです。
それほど 冷房ガンガンガン ってことね

 

真夜中に到着したので、空港隣接のホテルに宿泊した初日。

その部屋がどのくらい広いかったかというと、バスルームは軽く六畳ほど・・・。

そして悪夢は起こったのでした。

かなりのグレードのこのお部屋、全然使ってなかったみたいなのね。

最初に部屋に入った時、トイレが流れるか、お湯が出るかを必ず確認する、怠りない旅人プカも、さすがにお風呂が排水できるか、まではチェックしませんでした。

そうだ、自分が悪いのだ <違うような気もするが

深夜二時、六畳ほどもあるバスルームに洪水のように溢れ出るお湯を前に、ボー然とする。

当然、入浴直後で素っ裸<いやん

 

いくらお湯が押し寄せたところで、ムダに広い浴室はツンドラのように寒いデス。

しかもハダカに近い格好から、身支度してホテルスタッフを呼ぶとなれば、寝るのは何時になるのでしょうか。

そんな時、グレードの高い部屋はステキです。

だって部屋にはタオルが八枚もあるんだもん。

バスローブも予備を入れて三着。

それらを浴室に敷き詰めると、なんとかお湯が単体で存在する状態は脱しました。

つまりこの惨状を通報せずにそのまま寝たワケです。わははは。

 

充分に冷え切ったカラダで、これまたムダに広い部屋の、ムダにデカいベッドは、ちっとも全然いつまでたっても暖まりません。

寒いっちゅーねん!

そして見事に風邪引きました。ありがとう。

移動した先のホテルでも、ずっと闘病してました。むなしいデス、ハイ。

 

ずっと闘病してたと、先ほどは書きましたが、かなりアクティブ闘病です。

えーと、まず朝8時、冷え切ったカラダを熱い浴槽に浸して、再び冷めないウチに急いでカフェに行く。

10時半にカフェの朝食が終わるまで、中庭を望むテラス席に陣取って、暖まりながら、お粥をすする。(他民族国家なので、メニューにお粥がある)

12時頃まで、中庭の反対側にあるプールサイドで暖まる。本当は部屋に戻って寝たいが、寒すぎるので戻れない。

13時、紅茶の国・マレーシアのおいしいお茶をポットで作り、現地の伊勢丹で仕入れたチューブ入り生姜をドボっと入れて、ガンガン飲む。一発で体温が上がる。スバラシイ。

それだけでは胃を痛めるので、ルームサービスでとったクラブハウスサンドイッチを解体して、卵とトーストを飴のようにしゃぶる。

夕方、だいたい熱が少し下がる時間帯なので、タクシーで伊勢丹まで飛ばして、生姜と紅茶を仕入れる(笑)

周囲の中華料理カフェみたいなところで、野菜たまごラーメンみたいなの(どの店にも有る)を、麺無しでテイクアウト容器に入れて貰うのをテラスに座って待つ。店内はエアコンが寒すぎて入れない~

タクシーすっ飛ばしてホテルへ戻り(日本のオークラのような格式高いホテル…)、一晩中、熱と闘いながら、中華スープをすする。

 

と、このようなムダな休日を過ごしておりました。あうぅっ

そして、この時、マレーシアは建国記念日を迎えようとしており、街じゅうがお祝い騒ぎでした。

国旗だらけ。

宗教的にはイスラムが国教です。

なんてことない公共施設の造形も、美しいイスラミック。

実際には中国系、インド系もかなりの人口が居ます。

イスラムといっても、寛容な雰囲気で、よく女性が全身を布で覆っていますが、アレが全身ヒョウ柄だったり、ショッキングピンクだったりオシャレ度も高いし、そういった民族衣装ではナイ男女のほうが多く、企業や商業施設でも普通に女性が活躍していました。

まぁ、旅行者はそんなにイスラム色に緊張せずに過ごせるというか。

 

ところで、建国記念日前夜、ウトウトしかけた頃に、爆発音が鳴りました

実はマレーシア都市部を旅するきっかけとなったのは、本来の目的地であったフィリピン・マレーシア海域で、イスラム原理主義活動が活発化し、20名以上の観光客が誘拐され、アメリカ国籍の二名が死体で見つかった、という事件のせいです。

その夏は、アンダマン海域での滞在をあきらめて、クアラルンプールの銀座ともいうべき場所に泊まっていた為、爆発音で最初に考えたのが、テロでした。

 

目の前のホテルは、この春までヒルトンだった建物です。

世界各国で、テロの標的されるホテルでも名前が出やすいホテルです。

スリランカでもヒルトンを使ってましたが、自爆テロで60名以上が無くなった事があります。

なので、なるべく滞在先ではヒルトンを外していました。

 

窓の外を見ると、旧ヒルトンの屋上からモウモウと煙が立ちこめ、空が見えません。

続いてバーンっという発砲音も聞こえてきました。路上では人が大勢、走っています。

その瞬間、思ったこと

 ↓

逃げるならマユ毛を書かないとっ!!

 

窓に背を向けた瞬間、、閃光に包まれました。

外を見ると、煙りがやや薄らいで、光の玉が雪のように旧ヒルトンへと降り注ぎます・・・・・・・。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

花火を上げるなら、郊外にしてっ!!

※建国を祝う、大花火大会

どうしても12時の時報と共に打ち上げたいんだったら、周辺ホテルの宿泊客に事前通知してよぉ(泣)

 

ステキすぎる後日談

風邪じゃなかった。

日本で取り込んだウイルスによって、旅行期間と合わせて半月会社を休み、半月の午前勤務ののち、やっと復帰いたしました。

そういえば、マレーシア出発前、同僚たちと壮行会と称して、おばばの店で宴会を。

その時に、の刺身と、鹿の刺身を、餞別として1切れずつ食べさせて頂きました…

馬と鹿の呪いかぁぁぁぁぁ

 

さらに後日談

イスラム原理主義活動家がクアラルンプールに潜入し、合衆国へ向かおうとしている、という情報を掴んだアメリカ政府は、マレーシア政府に対して、テロが起こる可能性を指唆し、出入国の管理強化を依頼しました。

自分がマレーシアに入った前月の出来事です。

帰国時、アメリカ藉の飛行機だけが、搭乗ゲート前から異様な厳戒体制をとっており、出国審査も済んでるというのに、ゲート前にて金属探知機やら、X線検査、ボディ・チェック、パスポートの確認(計3回)という状態で、やっと機内に入るコトができました。

自分の帰国数日後、イスラム原理主義活動家たちは無事に合衆国へ入国し、あの9.11アタックを起したのだそうです。

と、熱にうなされながら病床で読んだニューズ・ウィークに書かれていました。

 

そういう大事なコトは、渡航者にも云ってくれ、合衆国政府

そして、良い子の皆さんは、馬肉と鹿肉は、一度に一緒に食べないように

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全然関係ない旅のハナシPart2

2018年08月23日 | 全然関係のない旅のハナシ

どーも、台風を迎え撃つプーカプカです。

 

ダブルで来てはりますけど。

むかーし、トリプルで襲われた事があります。

 

時は花盛り20代中盤

季節をナメてはいかん。

シーズンオフと書いてあれば、季節が休暇をとってるんじゃなくて、暴れてるってことなのだ。

そんな初歩的な事を誰も教えてくれなかったので、台風の季節にその旅行を決行した…その名も「天国倶楽部」リゾートアイランドである。

 

熱帯の離島に作られたこのリゾートのウリは、大自然と海。

1島に1リゾートだけが存在する、地上の楽園。

最寄りの大きな島までは、首都の国際空港から移動して、国内線専用空港から飛ぶのだが、天国倶楽部に行くわりには16人乗り飛行機なので、そのまま本当の天国へ行っちゃったらヤダな、という心配もしたが、まだ天気の良かった往路は、無事に空港に到着。

 

空港と行っても屋根だけで壁はない。

牧場の中に滑走路を作った無理やりな空港であった。

ジープに乗って山道を行き、ジャングルを歩き、船着場からはようやくリゾート所有の船(青空ボート・・・)で天国倶楽部の客となる心の準備である。

 

心配は杞憂で、ちゃんと白い砂浜と青い海と鬱蒼と茂る森があった。

シーズンオフとはいえ、客がパラパラと居るには居るし、そんなに心配するような島じゃなかったねー、と同行者を無理やり微笑ませる。

 

島に7日間居て、通り過ぎて行った台風は、さて何個でしょうか?

答えは三個です。

笑いも起こらん。

最後の一個は帰国後日本に上陸しました。

スーパー台風!とTVが騒いでいたヤツ。

 

リゾート到着時に、「ほかの島への動物探検」とか(野良キリンが生息していて、餌やりとかできる)、「シュノーケリングボート」などを申し込んでおいたけれど、毎朝食卓につく度に、スタッフが気の毒そうに「今日も中止」と告げに来るのである。

雨さえ降っていなければ、目の前のビーチでもシュノーケルをできたんだけど(サメと一緒に泳いだ!)、台風の雨は暴風を伴って降るので、一旦振り出すと海にも入れない日々が続いてしまう。

しかもコテージは波打ち際まで10メートル程度。

 

ほかの滞在客もコテージに足止めを食らう日々が続いていた。

そんな中で、隣のコテージの客が、ずーっと部屋にこもりっきりなの気づいた。

 

コテージの部屋は、ベッドのスペース程度しかなく、同じくらいの広さのベランダにハンモックや椅子が置いてある。

そして前庭、海と続いているので、たいていの客はベランダか、前庭でボーっとしていたり、プールや卓球場に居たりするのに、イタリア系に見える若い男二人連れは、くる日もくる日も部屋に入ったままなのである。

 

ハッ (~_~;)

 

もしかして、隣のコテージの兄ちゃん二人は、あぁぁっっ!!!

 

毎日雨で、することが無いから、隣のコテージ監視人になってしまったではないか。

普段は決して、他人の愛情問題に立ち入ったりするような、お下品なことはしないのであるが、この時ばかりは暇なもんでイケナイとは思いつつも「隣、どうなってる?」「電気ついた!」などとやってました、ハイ。

 

典型的な一日の過ごし方:朝、六時ごろ起きる。

毎日コテージに足止めされているので、無理にでも散歩に出て腸の活動を促進させる。

朝食が済むと、だいたいこの時間は雨が降っていないので、急いで海に入る。

10時頃からパラパラとくるので、そこからは隣のコテージを監視しながら、ベランダで喋る。

寝てしまっては負けなのだ。その理由は以下を読めば分かるのだ。

 

なんとか昼食までは活動的に努力した後、さぁ、ここからが苦しみの昼下がりなのだ。

今寝てしまっては、夜眠れないのだ。

海と山しかないこの島で、夜寝れないということはタイヘンなコトなのである。

「人生で一番からかったハナシは?」「人生で一番暑かったハナシは?」などと暇を埋めていくのであった。

 

しかし大抵は四時ごろから、どちらともなく寝てしまっている。

リゾートの夕食は遅い。

七時半くらいから始まるが、大抵の客は八時を過ぎないとやってこない。

真っ暗な台風の夜を、コテージの部屋の中で、ひざをかかえて「渦巻き蚊取り線香」が燃えていくのを見つめながら「人生で一番痛かったハナシは?」などと禅問答を続けながら、ディナー開始時間が来るのをジッと待つのであった・・・

 

夕食は、不本意ながら大酒を飲むことになっていた。

これは睡眠を取るためである。

だってもう、アゴが痛くて、これ以上は喋れねぇや!

食事だけは食べ放題なので、蟹が出れば甲羅にかぶり付きながらビールをぐいぐい。

バーベキューが用意されればワインをぐびぐび。

どんなに粘ったところで八時半である。

 

ザル状態に酒に強いので、「ス」のまんまで哀しいのである。

さぁ、九時過ぎには眠らなくてならない。

部屋の明かりはオレンジ色なので、夜の読書は無理。

他に娯楽といえば蚊取り線香の燃える様を見るくらい。

一体何巻きの蚊取り線香を灰にしたことか・・・

 

日本へ帰る日は正直、ホッとしていた。

動物探検にも行けず、浜辺以外のスポットにも出れず、この島の収穫といえば隣のコテージくらいなもんである。

朝から「帰るんだぞ~」とボートに乗り、ジャングルを歩き、ジープに揺られ、やっと見覚えのある牧場の中(に違いないと今でも信じている)空港に到着。

体重計で自分と荷物を量って座席の割り振り。

なぜって小型機だから。

 

でも帰路は32人乗りに格上げされていた。ラッキィ!

本によれば5人乗りの「単発機」もあるっていうからなぁ。

土の滑走路を「牛さん、バイバイ」と思った時、32人を乗せた立派な小型機は「プスン」といって止まったのである。

もうちょっとで浮くっていう時に。

 

ぎょえー、故障のため首都から部品を取り寄せるだとぉ?

飛んでたら落ちてたってことかい (*_*)

 

ともかく、文句言っても故障してるんだから、どうしようもないのである。

屋根はあるけど壁がない空港に戻され、屋根も壁もない売店前のテントで大人しく部品の到着を待つことになった。

パイロットはさっそく仰向けになって昼寝である。

 

困ったことに私たちはリゾートでの費用を前払いしていたし、首都では国際線に乗り継ぐだけだったので、現金を持っていなかった。

チップ用にいつも持っている1アメリカドル紙幣が10枚ってところ。

ともかく何時間後に部品が来るか分からないので、ハラが減っては戦ができぬ。

ここで泣きそうな顔をしたら、さっきから雲行き怪しい同行者のカオが嵐になってしまうのである。

ハラを決めた。

まだ海外経験が少なかった同行者に「こーんなコトは、よくあることなのよぉぉん、平気よヘーキ、まかしときなさぁい!」と嘘八百。

 

客を乗せて離陸しかけた飛行機が飛ばずじまいで、立ち去らずに待っていてくれたリゾートのスタッフに、まずは食料交渉。

私たちはカード払いでリゾートに来たし、首都には泊まらない予定だったから現金を持っていない。

食事ができない(といっても食事を取るような場所はないが)と訴えると、屋根なし・壁なしの駅の売店のような小屋のおばちゃんにハナシをつけてくれた。

この客に何か食べさせたってーな、クラブで支払うからさ。(そもそも滞在中の食事は全てリゾートの支払いに含まれているパッケージだった)

 

私たちはその売店では、タダで飲み食いできるようになったらしい。

といってもデルモンテのオレンジジュースと、かっぱえびせん現地版みたいなお菓子程度しかなかったけど、こんな時に食欲も沸かないから(とか言って食べたけど)満足した。サンキューなのである。

 

次に、首都で待つエージェントに「今日の国際線に乗り継げないこと、ついては故障した航空会社と今後の事を話し合って欲しいこと、そして首都到着時には出迎えて欲しい」旨を連絡してくれるようリゾートスタッフにお願いする。

この島には電話が無いのである。(当時)

リゾートには無線しか無いので、帰国便のリコンファームなどは現地のエージェントに頼んでいた。

国内線の空港には、私たちの到着を待ってるエージェントが来ているハズなのだ。

 

スタッフは首都と連絡を取ってくれたようだ。

安心しろと言われてからは、特にすることも無いので、昼寝する機長の傍で雲を眺めて待っ(てるしかなかっ)た。

 

部品を積んだ飛行機は、思ったより早く到着した。

これから修理するのか~と思っていたら、実は32人の乗客の中で、外国人は私たちだけだったので、一緒に待ってた(歌い踊っていた)現地人達は口々に「部品を積んできた飛行機に乗せて、日本の客を先に首都へ」と言ってくれたのである。

 

しかーっし!!!

感謝で乗った飛行機は「単発機」、つまり羽が一枚前に付いてるだけであった。

操縦士と副操縦士と客三名が定員の、想像を絶する小型機である。

 

うぉぉ~、これなら修理待ちして32人乗りで帰りたいよぉ。

現地の人達の温かい送り出しを受け、やむなく空のヒトとなった。

おかぁーさーん、親不孝ばっかりしてごめんなさい~ 台風の雲の中、窓ガラスに新聞紙を貼り付けた五人乗り単発機は、ジェットコースターのように上下にブンブンふれるのであった。

 

ホントの恐怖に合った時って、人間はドコで耐えるか?

それは「シリ」です。

肛門括約筋がキュキュッて締まるの。おかげでお尻の筋肉鍛えちゃったわ。

 

墜落だけは免れて、やっと着いた首都の国内空港では、約束どおり、エージェントが待っていてくれた。

しかし気の弱いおっさんで

「英語は喋れるか?なら、遅延した航空会社と、国際線乗り継ぎの交渉してくれ」

というではないの。

なぬぅ、まだハナシついとらんのかい。

 

どうやら遅延した航空会社は、国際線チケットの半分を出すから、残り半分は自腹で切ってくれと言っているらしい。

えぇ根性しとるやんか。

「駄目ダメ、絶ぇっ対に全額出すように謂いたまえ。私は日本語でしか交渉しないかんね」と、エージェントを再度、話し合いに行かせる。

 

暫く揉めていたようだが、こっちが譲らないと分かると、あっさり国際線のチケット用小切手を出してきた。

ダメ元で言って来ただけなのか?

 

次は「今夜はどーすんのさ」である。

現金ないもんねー。

こうして空港近くの結構なホテルと夕食を、遅延した航空会社の支払で勝ち取った我々は、エージェントと共にホテルへ向かうのであった。

その車中、ふと思い出したのは、日本で見ていた国際線の時刻表。

私たちは別の国の航空会社を使ってこの国に入ったけれど、確か帰国便は夕方近くの1便しか無かったハズ。

しかし天下の米国航空ならば、朝イチで日本に飛ぶ便があったような・・・。

 

エージェントに「どーせ小切手で正規航空券を買うんならば、米国便で帰りたい」と訴えた。

気の毒にもホテルのフロントで借りた電話から、朝八時発の便の存在と空席を確認したエージェントは、私たちをそれに乗せるために朝5時に迎えに来てくれるという。

えっ、そこまでしてくれるの?

なんだかだんだん気の弱そうな彼が気の毒になるのであった。

 

ちなみにこのエージェントと我々との間にあった契約は、帰国便のリコンファームと、国内線空港でピックアップして無事に国際線にチェックインさせる事、だけである。

日本側のエージェントから話がいって、請け負ったのが、たまたま彼だったというだけ。

 

翌日は朝の六時前に空港に入った私たちは、余裕である。

航空会社の小切手で正規航空券を買うのである。

さらにお見送りのエージェント付きなのだ。

怖いものはなにも無い!

 

と思っていたら、最後の最後までやってくれるぜ!なのだった。

米国便のカウンターでは

「本日は日曜日なので、小切手のチェックは支店長が行う(通常は銀行)。

支店長の出勤時刻では日本行きに乗れないよ」

と言うのであった。

なにぃ!同じ航空会社同士やろ、小切手の信用もできないのか?

 

気の弱いエージェントを持った客は不幸である、と格言辞典に自薦したいよーなコトバをアタマに浮かべながら、自ら米国便カウンターで直接交渉することになった。

しかし小切手のチェックだけは現場で出来ないという態度は覆すことができなかった。

そうこうするウチに日本行きの搭乗が始まる時刻である。

うぎゃー!もう、ここには居たくないの。

それでなくても余計な一泊してるんだよ。

 

やむなく、世界の警察を自認する国家から出ている、黄金色のクレジットカードを振りかざした。

日本行き二枚くれっ!

 

米国便カウンターの姉ちゃんは、手のひらを返したようにそそくさと発券作業を始めた。

チケットを入手した後、空港の隅っこに気の弱いエージェント君を呼んで、

「かくかくしかじかで、国際線チケット料金は立て替えたから、君が扱っている遅延した国内線会社の小切手を、早急に現金化して、日本のエージェント宛てに何があっても振り込むと、母親に誓えるか」

「そうか、ならばこの手帳にキミの名前と住所と誓いのコトバを書きたまえ」

「言っとくが、万が一にもお金が振り込まれなかった場合には、日本のエージェントが法的手段に訴えるであろう」

 

ということを清楚で品よく可憐に説いたので、彼は素直にサインをし、ママンに誓って送金を約束し、私たちを飛行機に乗せたのであった。

 

ちゃんとお金は送られてきた。

そして正規航空券を定価で買ったもんだから(といっても日本で買った割安チケットの半額。当時でも日本発券だとチケット値段は2倍になる。この仕組みが今でもよう分からん~)、人生初の最上クラスの座席を割り振られてビビった。

こっちはビーチサンダルとサンドレスや(笑)

さらに、為替相場が大きく動いたため、現地のエージェントが振り込むまでの数日間の変動で、ちょっとした小銭を稼いでしまった。

 

台風で出稼ぎしてもーた。

いや~台風。

もうお腹いっぱいやわ。

シーズンオフに見知らぬ遠い国へ遊びに行くのはやめましょう。

 

プカの肛門括約筋をトレーニングさせた、くだんの飛行機…と、滑走路(笑)

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FKKへの道

2018年07月12日 | 全然関係のない旅のハナシ

どーも、プーカプカです。

 

大雨災害で、サッカーW杯の事なぞすっかり飛んでしまいましたが、クロアチアが決勝進出となりました。

クロアチアって、イメージ沸くかな?

とっても旅行向きの国です。

そして、多分、糖質摂取量のコントロールもしやすいです。

 

クロアチア決勝進出を祝して、特別紀行文「FKKへの道」をお楽しみください←いらん

 

クロアチアのロクルム島へは、ドブロヴニクのピレ門から、旧市街を通って旧港へ向かいます。

観光客を乗せる小さな船や、そのチケットを売る青空ブースが並んでいます。

15分くらいの船旅へ。船代は往復で40クーナ(800円)。ワタクシには目的があったので、チケットと一緒に島の地図10クーナ(200円)も購入。

船は大きめの観光船っぽいのから、写真のように漁船??っぽいのまで、様々。

ドブロヴニクの海も綺麗ですが、島はもっと透明感がありました。船着き場がこれだけ綺麗なんだもの、ビーチはさぞかし…

 

クジャクが多数、放し飼いされており、木に止まっていたり。クジャクって飛ぶそうですね。

NHKで飛んでる映像を見てビックリしたコトがあります。飛ばない鳥だと勝手に思いこんでたよ…

 

地図を見ながら歩いて行くと、

じゃーん。

FKK。

 

だからソレは何やねん!ってイライラしどおしだった読者の皆様。

FKKとは、世界に通じる(ホントか!?)ヌーディスト・ビーチの略語なのであります!

(ホントは、裸体主義を指すドイツ語 Freikörperkulturの略)

ここクロアチアには、たくさんのFKKがあり、(指定されてないビーチですぽぽんになるのはアウト)、ドブロヴニクではこの島の一部が、その指定を受けております。

 

いよいよこの先。

 

これっ

この岩の上に、すぽぽんで寝っ転がって日焼けするワケですね。

 

ところでクロアチア旅行をとおして、ワタクシ本人が映る写真は1枚しかございません。(一人旅だからね)

そしてその1枚とは、このFKKに居たワタクシのショットなのであります。

 

何故、そのような写真が存在するかというと、ワタクシが船を下りてFKKを真っ直ぐ目指しておりますと、ドイツから来たというヤング女子二人組と一緒になりまして、彼女たちもFKKを目指しておったのでございます。

FKKのビーチに到着すると、彼女たちはワタクシをふり返り、

「私達の写真を撮ってくれない?私達もアナタのカメラのボタンを押してあげるから」

と、国際的な提案がございました。

そして彼女達は持ってきたビニール袋をガサゴソと探り、タオルやらナニやら取り出し…

 

この先、中継禁止

 

この地で彼女たちが、そしてまた、このワタクシが、ナニをしてナニをしなかったのか、お尋ねにならないようにお願い致します。

ご質問をお寄せになられましても、ワタクシ、この件に関してはお答え申し上げない所存にございますゆえ。

嗚呼、ワタクシひとりだけだったなら、けしてけして… <だから何なの

 

え゛っ、ぜんぜんクロアチアの良さが分からない!?

こんな、海に突き出た街が観光名所になっております。

すっごい人口密度。

 

街を取り囲む旧城壁の上を、ぐるりと歩けます。

 

港町です。大型客船も入港するし、リゾート族のヨットもあるし、普通に漁船も。

 

猫。

 

ホテルのエレベータ

エレベータの中から撮ってます。

こうなっている ↓

 

小さな街にムギュっと詰合いながら住んでいるので、路地という路地にお店が。

 

ドブロヴニクの旧市街に限っては、夜も一人歩き可能な治安でした。

世界最古の薬局とかあるんだよね。

 

皆さん興味あるところの?食事は、こんな感じ。

牡蛎が名物です。

 

野菜も豊富。

 

タコのサラダが特産品になってます。玉ねぎ等と一緒にみじん切りにしてあって、オリーブオイル、ビネガー、レモンなんかでバーッと味付けしてて、美味しい。

帰国してから、よく友人達をもてなす際に作りました。

 

小イカのソテー。恐ろしいほどの美味さ…

 

鯛のスープ。腰ぬけるほどの美味さ…

 

貝類も豊富。

 

アンティペスト、というのか、強制的付きだし!?

オイルサーディンと、ブラックオリーブ、ツナペースト、海藻付き。

基本的に、余計な味付けせずに素材をそのまま頂くって感じなので、安心して食べられます。

 

ところで、ドイツ経由で帰国した際に、隣に座った、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の際にドイツへ移民したというクロアチアに故郷を持つお爺ちゃんと、超盛り上がって、アドリア海における正しいワインの飲み方と称して、赤ワインと白ワインと冷たいお水を全部、スチュワードに持って来させて、水をチェイサーにまぁ飲む飲むってんで、ドイツで非常に酒臭いかったのはワタクシです…

お爺ちゃん、ドイツで温泉保養ホテル2つも経営していて、新婚旅行に絶対来いや~って何度も何度も言ってたけど、すんません、五十肩の養生でよければ(笑)

なんのブログや

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