古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

道子さんは〈どぼじょ〉のお仕事

2023年12月06日 17時42分11秒 | 古希からの田舎暮らし
 裏山の竹を伐りまくっていた2009年頃、レモン屋さん(レモンの樹がある家の方)がブログを見て訪ねて来られました。そのときいただいた「楠」の苗を裏山に植えました。

 中央の樹が楠です。いまでは10メートル超になりました。手前の動物ネットで囲ってあるのは裏山の小さい畑です。野兎の子どもが植えた菜っ葉を食べに来るので動物ネットで防いでいます。手前はシイタケのほだ木置き場です。
 道子さんは楠の下を花壇にしたいらしいのです。重いコンクリートブロックをあちこちから運んで、花壇にしようと頑張っています。道子さんは田舎暮らしをはじめたときから「土木仕事が好きでした」。〈どぼじょ〉の能力が田舎に移住するまでかくれていたのですね。

 樹の下の斜面を段にして土を入れ、花を咲かせようとしています。ぼくは土木仕事は好きでありません。木工仕事が好きです。今日は近所からもらった板切れで、写真のようなモノをつくりました。

 裏山などで大工仕事をするとき、ドライバーとか鋸とか金づちとかネジとかを入れて運びます。100均で売ってるカゴみたいなもので間に合うのですが、丈夫な箱をつくりました。 
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「知らず知らずにこころがひらいている」

2023年12月06日 03時15分51秒 | 古希からの田舎暮らし
「知り合い関係」でなく「全然知らない田舎」に古希近くなってから移住したのですか」とコメントが入っていました。
 17年前を思い返しています。神戸の隣ですが三木市をまったく知りませんでした。「田舎暮らしをしたい」気持ちは定年前から持っていましたが、その「田舎」は丹波篠山のようなところをイメージしていました。
 しかし実際に「小さな家を建てて、街の家は処分して、退路を断って、移住した」のは神戸の家から一時間足らずの村でした。知人もいないし、親しみも予備知識もないところ。それが三木市だったということです。
 ぼくが60歳の定年で自由になり、父が米寿を過ぎて逝き、ひ弱な母を看取ってからの移住を考えておりました。しかし母は「街にあこがれて鳥取の田舎町から神戸に出てきた」人ですから、田舎暮らしには反対でした。
 ぼくの古希直前の移住。母は94歳になり、いっしょに暮らすことにしぶしぶ同意しました。(母はこの地で105歳10カ月生きて天寿を全うしました)。
 この地に暮らして17年になりますが、親しくなれたのは老人会のおかげです。一反三畝(400坪)の田んぼを借りて、野菜作りを足掛け11年やりましたし、竹藪の裏山で2000本の竹を伐って、〈たき火場〉をつくり、木を植え、遊ばせてもらいました。一つだけ気づいたことがあります。

 ぼくは60歳の定年後、神戸のニュータウンを毎日散歩しました。一時間も二時間も。三木市に移住してからも散歩しました。そして気づくことがありました。
〇 散歩に財布を持って出ない。 村にはお金を使うところがまったくありません。財布はいりません。
〇 田んぼや山すそを歩いていると「知らず知らずにこころがひらいている」ことに気がつきました。めったに人に出会わないけど出会う人にこちらからあいさつする。話しかけて立ち話をする。そんなことは神戸の街ではしなかった。なぜ自分がそんなことをするようになったか不思議です。人が少なく、自然の中を歩くからでしょうか。田舎の空気はこころをひらく力があるようです。

 
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