古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

「知らず知らずにこころがひらいている」

2023年12月06日 03時15分51秒 | 古希からの田舎暮らし
「知り合い関係」でなく「全然知らない田舎」に古希近くなってから移住したのですか」とコメントが入っていました。
 17年前を思い返しています。神戸の隣ですが三木市をまったく知りませんでした。「田舎暮らしをしたい」気持ちは定年前から持っていましたが、その「田舎」は丹波篠山のようなところをイメージしていました。
 しかし実際に「小さな家を建てて、街の家は処分して、退路を断って、移住した」のは神戸の家から一時間足らずの村でした。知人もいないし、親しみも予備知識もないところ。それが三木市だったということです。
 ぼくが60歳の定年で自由になり、父が米寿を過ぎて逝き、ひ弱な母を看取ってからの移住を考えておりました。しかし母は「街にあこがれて鳥取の田舎町から神戸に出てきた」人ですから、田舎暮らしには反対でした。
 ぼくの古希直前の移住。母は94歳になり、いっしょに暮らすことにしぶしぶ同意しました。(母はこの地で105歳10カ月生きて天寿を全うしました)。
 この地に暮らして17年になりますが、親しくなれたのは老人会のおかげです。一反三畝(400坪)の田んぼを借りて、野菜作りを足掛け11年やりましたし、竹藪の裏山で2000本の竹を伐って、〈たき火場〉をつくり、木を植え、遊ばせてもらいました。一つだけ気づいたことがあります。

 ぼくは60歳の定年後、神戸のニュータウンを毎日散歩しました。一時間も二時間も。三木市に移住してからも散歩しました。そして気づくことがありました。
〇 散歩に財布を持って出ない。 村にはお金を使うところがまったくありません。財布はいりません。
〇 田んぼや山すそを歩いていると「知らず知らずにこころがひらいている」ことに気がつきました。めったに人に出会わないけど出会う人にこちらからあいさつする。話しかけて立ち話をする。そんなことは神戸の街ではしなかった。なぜ自分がそんなことをするようになったか不思議です。人が少なく、自然の中を歩くからでしょうか。田舎の空気はこころをひらく力があるようです。

 
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